赤とんぼ

職業はと尋ねられて戸惑うことがある。
福祉の専門学校と大学の非常勤講師をしているが、
それは週に二日だけだ。
いわゆる職業には程遠い状態だ。
それでもいつの間にかスケジュールは埋まっていく。
講演だけで年に100回くらいはあるのかもしれない。
僕達のことを一人でも多くの人に正しく理解して欲しい。
未来への種蒔きがライフワークだと思っている。
そう願っているのだからとても有難いことだ。
僕の活動を支えてくれる収入のひとつになっているのも間違いない。
でも依頼がなかったら成立しない。
知名度が高いわけでもないし障害というテーマもマイナーなものだ。
それでもこうして活動が続けられているのはたくさんの支援者のお蔭だ。
今日は京都府久御山町の民生委員研修会での講演だった。
もう何年も前に福祉の専門学校のオープンキャンパスで彼女は僕と出会った。
初めて出会った全盲の人間が教室を自由に歩き授業をした姿が衝撃的だったらしい。
それから専門学校に入学して僕の講義も受けた。
卒業して今は福祉の仕事で活躍している。
いつか僕を手伝いたいとずっと思っていたとのことだった。
民生委員をしておられる母を説得し今回につながった。
講演が終わって彼女のお気に入りのレストランに向かった。
前菜からコーヒーまで贅沢なランチタイムだった。
学生時代に始まって現在の職場まで話はつきなかった。
座席への誘導も食事のサポートもほぼ完璧だった。
レストランを出て駐車場に向かいながら彼女が急に立ち止まった。
「赤とんぼです。」
彼女の屈託のない笑い声がこだました。
僕達は一瞬に秋に包まれた。
「またいつか、お手伝いさせてくださいね。」
純粋な言葉だった。
彼女の言葉を聞きながら、
いつの間にか僕が教えてもらう立場になっていることを知った。
支援してくださる人達にあらためて感謝しながら、
またこの秋も頑張って活動を続けたい。
(2016年9月15日)

東京での研修会

東京で開催された同行援護資質向上指導者コースの研修会、
北海道からも沖縄からも参加されていた。
日本の各地で活躍されている先生方の研修会だった。
実習も含めた四日間の講座は実施する方も受ける方も結構きついものだった。
集中力の持続も大変だったし体力も必要だった。
僕は講師の一人として参加した。
見えない当事者の代表としてメッセージを伝えるのが僕の役目だった。
役不足は自覚しつつも僕なりに頑張った。
朝から夕方まで4日間連続で会場に足を運んだ。
宿泊もいつものところだったが、
四泊五日のホテル暮らしは疲労感は蓄積されていった。
無事終了した時にはまず安堵感に包まれた。
早く京都に帰って休みたいと思った。
それなのに帰りの新幹線では静かな喜びがじわじわと湧いてきた。
疲労感と満足感が同居していた。
「受講を迷っていたのですが、話を聞けて良かったです。」
「ご著書、アマゾンで注文しました。」
「地元でしっかりと頑張ります。」
感想はまさに僕達へのエールだった。
それは間違いなく僕達の仲間の笑顔につながるということなのだ。
まだこの国のどこかで俯いている仲間がきっといる。
悔しくてこぶしを握っている仲間がいる。
心細くて涙がこぼれそうになっている仲間がいる。
僕がそうだったように。
そして寄り添う人達に出会えれば、
人はきっといつか笑顔になれるのだ。
出会った先生方がきっと寄り添う人になってくださるだろう。
僕は心から感謝した。
(2016年9月10日)

点字の手紙

「これ、読んでください。」
教室を出ようとした僕に少女は点字で書かれた手紙を手渡してくれた。
「うん判った。新幹線の中で読むからね。」
僕は手紙を後ろ手に受け取って歩きながら返事をした。
そして東京へ向かうために京都駅へ急いだ。
この二日間、僕は子供達とたくさんの時間を過ごした。
一日目は視覚障害について話をしサポートの方法も実習した。
二日目の今日はクラス毎に点字を教え、最後の時間は子供達の質問に答えた。
「夢は見るのですか?」
「お風呂でシャンプーは判りますか?」
「趣味は何かありますか?」
「お金はどうやって区別するのですか?」
「散髪はどうしていますか?」
「サングラスをかけている理由を教えてください。」
「服はどうやって選んだりしていますか?」
「食事はどうしていますか?」
「目の不自由な人の職業を教えてください。」
「幸せって何ですか?」
子供達のキラキラした眼差しの中で豊かな時間が流れていった。
子供と大人のはずなのにいつの間にか人間同士として語り合っていた。
京都駅に着いて駅員さんにサポートをしてもらった。
予定の東京行きののぞみに乗車することができた。
座席に腰かけてさきほどの手紙を読んだ。
「てんじを おしえてくれて ありがとうございました
めのふじゆうなかたには こえをかけます
4ねん1くみより」
憶えたての文字が僕の指先で微笑んだ。
僕は車窓からそっと外を眺めた。
いつもと変わらないただ灰色だけの世界がそこにあった。
いつもとほんの少しだけ違うのは、
その向こう側に未来があるような気がしたということだろう。
(2016年9月7日)

助産婦さん

ホームに入ってきた電車のドアの開く音が聞こえた。
僕は点字ブロックを確認しながら動き始めた。
「一緒に行きましょうか?」
緊張した感じの女性の声がした。
ドキドキ感もヒヤヒヤ感も伝わってきた。
「ありがとうございます。肘を持たせてください。」
僕は言いながら図々しく彼女の肘を探した。
僕達は無事に電車に乗車した。
空いてる席を見つけた彼女は僕をそこに誘導してくれた。
「どちらまで行かれるのですか?」
僕は行先を告げた。
僕達は途中まで一緒のルートだということが判明した。
「途中までご一緒させていただいてよろしいですか?」
彼女は引き受けてくれた。
一緒に電車を降りエスカレーターに乗り、改札口を出た。
滅多に電車には乗らないと言った彼女はそこからは不安そうだった。
「左側にある階段を降りてください。しばらく進むと左側に券売機があります。」
彼女は券売機で切符を購入した。
「まっすぐ進むと改札が並んでいますが、一番右の有人改札を通ってください。」
僕達は改札を通過した。
「階段を通り越して行けばエスカレーターがあります。」
彼女は僕の音声ナビの通りに動き、
僕達は地下鉄のホームに降りる長いエスカレーターに乗った。
「まるで見えておられるようですね。」
「見えなくなってもうすぐ20年になりますから。」
「どうして失明されたのですか?」
網膜の病気だと答えた僕に彼女は専門的に尋ねてきた。
「網膜色素変性症ですか?」
僕は驚いた。
「私、助産婦なんです。」
彼女が言い終わる時、僕達はホームに到着した。
右側に電車が入ってきた音がした。
僕は電車を指さした。
「貴女が乗る電車はこれです。後は僕は大丈夫。ありがとうございました。」
僕達は笑って別れた。
「私、助産婦なんです。」
たったこれだけの短いフレーズが僕の中で繰り返された。
健やかな命ともそうでなかった命とも、
そして傷ついた命とも出会ってこられたに違いない。
僕との短い言葉のやりとりの中にさえ、
命を愛する気持ちが伝わってきた。
僕も命が愛される社会に向かう一人でありたい。
(2016年9月5日)

イメージ

政令指定都市身体障碍者団体連絡協議会が神戸市で開催された。
ちょっとお疲れモードだった僕は、
とりあえず出席だけはしなくてはという気持ちで出かけた。
全体会議の後は障害別の会議だったので、
視覚障害者だけが別室に集ってそれぞれの課題について話し合った。
時々襲ってくる睡魔と闘いながら、
それでもなんとか京都市の代表としての役目は果たした。
その後また全体で集まって、障害別の会議の報告がなされた。
「ニュースに字幕をつけてください。」
聴覚障害の方の大きな声が響いてきた。
聞こえていないからボリュームの調整が困難なのだろう。
大きな声はしっかりと心の中にまで届いた。
内部障害の発表をなされた方は人工肛門を装着されておられ、声帯も失っておられる
ようだった。
「皆さんと一緒に温泉に入りたいのです。」
ふりしぼった微かな声が心の中に沁みわたった。
僕はいつの間にか真剣になっていた。
一人の市民として僕に何ができるのだろう。
目が見えない僕にもきっと何かできることはあるはずだ。
もし耳が聞こえなかったら、
もし足がなかったら、
もし話せなかったら、
イメージすることは僕にもできることだ。
そしてそこから始まることがきっとあるのだ。
(2016年9月3日)

先輩の手

先輩は僕よりも20歳くらいは年上だろうか。
知り合った時は視覚障害者とボランティアの方という関係だったが、
いつの間にか人生の先輩と思うようになった。
喫茶店を出た後、
先輩はそのまま帰れば楽なはずなのにわざわざ遠回りしてくださった。
僕を地元の駅のバス停まで手引きしてくださったのだ。
僕は慣れているから大丈夫と幾度か説明したが、
「サンデー毎日だからいいんだよ。」
僕の申し出を受け入れようとはされなかった。
僕を手引きしてどんどん歩いていかれた。
最近は身体の調子もいいとおっしゃったが、
大きな病気もされたし体力が落ちてきておられるのも当たり前のことだった。
暑さもこたえているはずだった。
先輩は黙々と歩かれた。
ホームから改札、駅から駅、そしてまた電車と繰り返した。
長い距離を歩きたくさんの階段を上り下りした。
バス停に着くまでに小一時間はかかっただろう。
やっとバス停に着いてバスの時刻表を確認してもらった。
そして御礼を言いながら右手を差し出した。
握手してもらった。
その手を僕の手はとてもうれしく感じていた。
何故かとうちゃんを思い出した。
とうちゃんは90歳を超えて耳が遠くなっても、
僕の手引きをやめようとはしなかった。
そして手引きされる時の僕はいつも幸せだった。
「まだまだ元気でいてくださいね。」
僕は先輩の後ろ姿に祈った。
(2016年8月29日)

お知らせ 2件

ホームページを覗いてくださり、またブログを読んでくださりありがとうございます。
発信できているということは、
それをあたたかな気持ちで受け取ってくださる人がおられるということになります。
ありがとうございます。
今回は2件のお知らせです。

1、8月19日(金)の産経新聞の1面のコラム「産経抄」に僕の著書の内容の一部が
紹介されました。光栄なことですし、有難いことです。そして、目指す社会へのささ
やかな一歩になってくれると感じています。どうぞ、ご一読ください。
http://www.sankei.com/column/news/160819/clm1608190003-n1.html

2、イベント案内
公益財団法人動物環境・福祉協会Eva理事長でタレントの杉本彩
さんのイベントで講演とサポートのデモンストレーションをすることになりました。
以下が案内です。
よかったらお出かけください。

杉本彩と考える 動物愛護週間イベント
HAPPYあにまるFESTA2016 in京都

テーマ:「人と動物の心のバリアフリー」
動物愛護週間にむけて、Evaは9月17日(土)と18日(日)に京都にて「HAPPYあにま
るFESTA2016 in京都」を開催します!
「人と動物の心のバリアフリー」をテーマに、健常者も体が不自由な方もお年寄り
も、そして身近な動物も、それぞれの個性や立場を尊重し、みな同じかけがえのない
一つの命として、優しい社会作りについて考えていきます。
ぜひ多くの皆さまのご来場をお待ちしております!

9月18日(日)
●第1部 11:00〜(10:30開場)
「Eva活動報告」
(11:00〜11:25)
2016年4月~9月までのEvaの活動報告をいたします。
(出演:杉本彩)

○講演「見えない世界を伝えたい」
(11:25〜12:05 ※手話通訳有)
40歳の頃に目が不自由になられた当事者の立場から視覚障害について「見えない人の
ことを正しく知ってもらいたい」と、講演活動を積極的に行っておられる松永信也さ
んに目の見えない世界がどのようなものか、体験談などお話していただきます。
(出演:松永信也)

○松永信也さんの「知ろう!学ぼう!手引き」
(12:05〜12:25)
視覚に障害のある方をどうやってご案内したらいい?道に迷っているようだけど、ど
う声をかけたらいいかわからない!そんな疑問を解決する手引き方法と、実際に見え
ない世界の中で手引きをされる体験です。
(出演:松永信也、杉本彩)

松永信也さんのご紹介
1957年 鹿児島県阿久根市生まれ。佛教大学卒業後、児童福祉施設に勤務、40歳の
時、難病の「網膜色素変性症」で失明。現在、見えない壁を破り、理解と共感の広が
りについて視覚障害者への理解を深める活動をされています。多くの大学や高校、専
門学校などで非常勤講師、特別講師などを勤めていらっしゃいます。NPO法人ブライ
ト・ミッション 理事長、京都視覚障害者支援センター 理事。

【会場】
ウィングス京都
(京都市中京区東洞院通六角下る御射山町262)
http://www.wings-kyoto.jp/
<アクセス>
地下鉄烏丸御池駅(5番出口)または地下鉄四条駅、
阪急烏丸駅(20番出口)下車徒歩約5分
【入場料 】
第1部:1,000円(当日清算)

詳細は以下のEvaのホームページでご覧いただけます。
http://www.eva.or.jp/happyanimalfesta2016_kyoto

メーター

決して几帳面ではないし真面目な性格でもない。
なのについ全力投球で仕事をしてしまう癖がある。
不器用なのだろう。
それぞれの仕事の向こう側に未来が垣間見えることがある。
いつの間にか必死になってしまっているという感じだ。
今日も学生達対象の講座だった。
成長する学生達を実感してうれしくなり、
それぞれのやさしさに触れて幾度も胸が熱くなった。
残務を終えた時には最終バスの時刻を過ぎていた。
タクシーに乗り込んだ。
「お疲れの様子ですね。連日暑いですからね。」
タクシードライバーはそう言いながら走り出した。
「そう見えますか?年齢のせいですかね。」
僕はごまかしながら家までのルートを説明し目印も伝えた。
しばらくタクシーは走り続けた。
「失礼かもしれませんが・・・。」
前置きの後、彼は僕に全盲なのかとか何故失明したのかなどを尋ねた。
会話の中で僕達はお互いに九州出身で同じ酉年だと判った。
「お客さん、私よりだいぶ若く見えはりますよ。」
ドライバーの投げかけに、
「苦労が足りませんからね。」
僕は笑いながら返した。
それから少年時代の話とか故郷の話などに花が咲いた。
共有してきた時代を笑顔で振り返った。
最近報道された視覚障害者のホーム転落のニュースなども話題となった。
結局、元気に今日生きていることが一番の幸せだというところで話は落ち着いた。
家の近くまで着いて料金を精算した。
「ありがとうございました。お互いもうちょっとは頑張りましょうか。」
僕は笑いながら車を降りた。
「お客さん、事故とか気をつけてくださいね。ありがとうございました。」
背中越しに彼の言葉が追いかけてきた。
車が100メートル以上前の交差点で停車した時、
彼がそっとメーターを切ってくれたことを、
僕は最後まで気づいていないふりをした。
勿論彼も何も言わなかった。
しばらく歩いて、タクシーのエンジン音が遠ざかってから、
僕は振り返って深々と頭を下げた。
また明日も頑張れる、
そう思った。
(2016年8月24日)

オリンピック

今日こそはちょっとでも早くベッドに入ってしっかり眠ろうと思いながら、
ついついラジオのスイッチを入れてしまう。
明け方に目が覚めて時間を確認したら、
もうちょっと眠れるなと思いながら気になってラジオのスイッチを入れてしまう。
そしていつの間にか夢中になって聞いている。
いや必死に応援している。
メダリストとなった選手の喜びのインタビューに胸が熱くなり、
口惜しさを語る選手の一言に涙がこぼれそうになる。
日本人だからとか記録がどうだとか、
そんな次元のものではないのだろう。
夢に向かって努力している人間の姿は美しいものなのだ。
そしてその美しい姿を人間は自然に愛し応援するのだろう。
応援している時の自分自身はとても清らかになっている。
そんなになれる瞬間もうれしいのかもしれない。
オリンピックが終わるとパラリンピック。
仲間達のパフォーマンス、心を込めて応援したい。
(2016年8月21日)

お盆

小さなお仏壇の周囲をそっと手でなぞる。
仏花もお供えもそっと触る。
線香を立ててもらって、それから自分で鐘をたたく。
自然に合掌する。
日常、僕には特別な信仰心はない。
お通夜でもお葬式でもどの宗派でも合掌するし、
お正月には神社に詣でる。
クリスマスには教会に出かけたこともある。
敬虔なイスラムの信者の友人がお祈りをし、
豚を食べない様子を素敵だと感じる。
それなのにそこにたどり着かない僕は何故なのだろう。
命が終わったら土に帰るだけだと思ってしまっている生意気な僕がいる。
でもこうしてお盆に合掌すると心は落ち着く。
不思議なものだ。
記憶にあるご先祖様の顔を思い出す。
とうちゃんの顔も思い出す。
お線香の香りが心にまで浸みてくる。
鐘の音が呼吸と共鳴している。
間違いなく僕は真剣に祈っている。
祈る時、僕自身も清らかな気持ちになっている。
お盆は好きです。
(2016年8月17日)