僕が彼女と出会ったのは高校の特別授業だった。
二度目の授業の日、通勤途中の僕を見つけた彼女が声をかけてくれた。
学校まで彼女の肘を持たせてもらって一緒に歩いた。
たった数分の時間だったが少しの会話があった。
そんな時は景色の話とか気候の話とかが普通なのだが違っていた。
彼女は自分の人生に起こってしまった災難を告白した。
それもつい最近の出来事のようだった。
話をすることができたのは、
きっと最初の授業の時に、失明してしまった僕の人生の話を聞いてくれたからだろう。
ただ、彼女の災難は失明なんかよりもはるかに困難を想像できるものだった。
高校3年生の少女には過酷な現実だった。
10回目の最後の授業が終わるタイミングで僕は生徒達に話をした。
「目が見えない僕のことを不幸だと思ってしまっている人達がいます。
いや僕自身も、障害者の人は不幸かもしれないと、昔は思っていたかもしれない。
でもね。幸せは自分の心が決めることです。
ちなみに、僕は幸せです。
君達も人生いろいろあるだろうけど、きっと幸せになってね。」
授業が終わって生徒が去った教室にはいつもの空気が流れていた。
点字で書かれた手紙をリュックに入れて僕は教室を出た。
カフェに立ち寄って手紙を読んだ。
「いきる ゆうきを おしえて もらいました」
彼女からの点字の手紙はそんな文字で始まった。
一文字一文字を僕はゆっくりと読んだ。
噛みしめながら読んだ。
「ありがとうございました せんせいに あえて よかった」
手紙の最後には彼女の氏名も書いてあった。
点字を読む指先が震えた。
僕の幸せな人生、たくさんの人の支えがあっての結果だ。
出会った人達には伝えきれないほどの感謝の気持ちがいつもある。
どこかで悲しんでいる人と出会ったら、
いつか苦しんでいる人と出会ったら、
僕はしっかりと僕の人生を伝えよう。
それがほんの少しでも誰かの力となってくれればいい。
それが僕にもできる仕事のひとつかもしれない。
(2017年6月16日)
Category: 松永信也からのお知らせ&エッセイ
手紙
ゾウさん
体育館には1年生から6年生までの全校生徒が集まった。
保護者や地域の人達も来てくださった。
視覚障害者の話を直接聞くのは初めての人が多かっただろう。
僕は視覚障害というのはどういうことなのか、
何故そうなるのか、
どういうことに困るのか、
順序を考えながら話を進めた。
のんびりとゆっくりと話を進めた。
「僕達は動物に手伝ってもらって歩くこともあるんだよ。」
何の動物か1年生に尋ねてみた。
最初にゾウさんが出てきた。
サーカスのゾウ使いを想像したのかもしれない。
次はラクダさんだった。
月の砂漠の絵にあったかな。
どちらも乗り心地がいいだろうなと僕も思った。
それからクマさんも出てきた。
これはきっと森のクマさんだろう。
会場には笑顔が溢れた。
悲しみや苦しみや不便さや不自由さを伝えるのはそんなに難しいことではない。
でもそれだけが伝わってしまったら同情しか生まれない。
正しく理解してもらうことが大切だ。
共感はまさに共に生きていく社会につながっていく。
子供達は次の時代を創造していくのだ。
機会をくださった学校関係者に御礼を伝えてから最寄りの駅まで送ってもらった。
慣れない駅で電車を待っていたら若い女性がサポートしてくれた。
勘違いしてホームの反対にいた僕に気づいてくれたのだ。
電車に乗り込んで空いている座席まで誘導してくれた。
シートに腰を下ろして僕はさきほどの小学校での豊かな時間を思い出していた。
ゾウさんと答えてくれた子供達がいつかきっとこういう女性になってくれるだろう。
いや、ゾウさんやラクダさんをプレゼントしてくれるかもしれない。
そんな妄想を楽しんでいたらワクワクしてきた。
最近少し体力の低下を感じていたけれど、
まだまだ頑張りたいなと思った。
(2017年6月12日)
イネ
朝の雨はすっかりあがっていた。
バス待ちのわずかな時間にボランティアさんが周囲の景色を説明してくださった。
すぐ近くには田植が終わったばかりの田んぼがあった。
緑色のイネを思い浮かべた。
自然にその映像が蘇った。
きっと子供の頃毎日見ていた風景の中にあったからだろう。
緑色のイネが雨の中で生き生きとしながら育っていく姿は美しかった。
夏の太陽の下で大人になったイネには堂々とした雰囲気があった。
秋になると銀色に輝いていた。
実がはいるほどに首を垂れる姿は生きるということを教えてくれているようだった。
ふと今日出会った看護学校の学生達を思い出した。
夢に向かって育ち始めた時期の人達だったかもしれない。
教室には生き生きとした雰囲気があった。
僕は特別講義の180分、思いを込めて学生達に向かい合った。
科学技術は進歩していろいろなことを機械ができるようになってきている。
でも人間にしかできない部分があるような気がする。
そしてそれがひょっとしたら一番大切な部分なのかもしれない。
すくすくと成長した学生達がいつかどこかで誰かを支えてくれればいいな。
ふとそんなことを思った。
(2017年6月8日)
寝起き
毎年のことなのだが春から秋にかけては時間が足りない。
専門学校の講義などが前期に集中していることもあるのだが、
一番の理由はプロ野球だ。
ついラジオで野球中継を聞いてしまう。
特に阪神タイガースの試合がある時にはだいたいラジオをつけてしまう。
ペナントレースもスタートしたばかりで「今年こそは優勝!」という期待がある。
だいたいどこかの時期にそれは夢だったということに気づくのだが、
春先はまだまだ夢一杯の時期だ。
ラジオを聞きながら仕事をしようとするのだが、
不器用な僕はなかなかそれができない。
つい手が止まり思考が止まりラジオを聞いてしまっている。
ラジオの中継には元々画像はないのだから、
見えるとか見えないは関係なく楽しめるということなのだろう。
だいたい3時間はかかるから結構影響がある。
でも勝った時には上機嫌になってしまっている。
「仕事なんかまた今度やればいい。」なんて太っ腹になってしまっている。
そしてそれが積もってどこかで後悔してしまうのだ。
例年のデータを分析すればちゃんと予想できるのだけれど実行は伴わない。
これも依存症なのかな。
プロ13年目にして初のホームラン、
僕の人生にもどこかでそういうことないかな。
一か八かでスクイズ失敗が多いからなあ。
とにかく昨夜も勝ちました。
寝起きのいい朝を迎えています。
阪神タイガース、ありがとう。
(2017年6月4日)
見えているように
通勤途中のバスの中、僕はイヤホンでラジオを聴いていた。
ふと誰かが僕の手をノックした。
「松永さん、西山です。おはようございます。久しぶりやね。」
彼女は名乗りながら朝の挨拶をくださった。
以前僕が住んでいた団地の人だった。
その頃も見かけたら声をかけてくださって手引きしてもらったことも幾度かあった。
数年ぶりの再会だった。
年齢を尋ねたことはないけれど80歳前後だろう。
バスの中での会話はいつもと同じだった。
お孫さんの成長と心配、それに自分の健康状態。
ひとしきりその話が終わると僕の目のことを尋ねられた。
「うっすら見えてはんのか?」
「残念ながら何も見えません。」
「不自由やなぁ。頑張ってなぁ。」
「勘で歩いてはんのか?」
「この杖を使って歩いているんですよ。」
これもいつもと同じ流れだった。
「少しは見えているのですよね。」
時々この質問を受ける。
一応説明をするのだけれどなかなか理解してもらえないこともある。
それはきっと僕の動きが見えている人とあまり変わらないということなのだろう。
見えなかったらそんなに動けるはずがないと思われるのだろう。
訓練も受けたし元々の勘も良かったのかもしれないが、
社会に参加したいという強い気持ちが少しずつ僕の動き方も育ててくれたのだと思う。
僕達は終点の桂駅でバスを降りた。
僕はちょっと急いでいたので彼女に挨拶をして歩き始めた。
「階段、大丈夫?」
「大丈夫です。失礼します。」
僕は階段に向かいいつものように手すりも持たずに上っていった。
彼女は僕の後ろ姿を見ておられたと思う。
きっと次お会いしてもまた同じことを尋ねられるだろうな。
苦笑しながら改札へ向かった。
(2017年6月2日)
誤字脱字
「お疲れですか?」
友人からメールが届いた。
ブログの誤字が複数あったらしい。
目が見えない僕はパソコンを使ってメールを書いている。
普通のパソコンに画面の文字を音声化してくれるソフトを入れて使っているのだ。
画面上の矢印が動いても判らないし文字の色が変化しても判らない。
だからマウスは外してありキーボードを使って文字を書いている。
キーボードのFとJには触って判る印がついているし、
エンターキーなどよく使うキーには自分で点字シールを貼っている。
mを押すとエムと聞こえる。
画面にはmと書かれているのだろう。
その次にaを押すとマと聞こえる。
tを押すとティ、次にuを押すとツと聞こえる。
マツナガと書いてからスペースキーを押すと、
「松の木のマツと永いのエイ」と音声が聞こえる。
松永の漢字変換を説明してくれているのだ。
ゆっくりとしっかりと聞きながら書けばいいのだけれど、
ついちょっと聞こえただけでエンターキーを押してしまうこともある。
同音異義語、意外と多い。
階段、会談、怪談、戒壇、解団・・・。
音は同じなので間違ったことにも気づかない。
パソコン力の低い僕はメールを書くくらいが精一杯で難しいことはできない。
送信後に気づいても自分では直せないから管理してくれる友人に頼んでいる。
視覚障害者の機器などへの対応力は個人差が大きい。
凄い人はスマホでナビを使ったり本を読んだり写真を撮ったり・・・。
僕から見たら宇宙人みたいだ。
「勉強すればすぐにできますよ。」
先日も後輩からそうアドバイスされた。
勉強、努力、本当に苦手だ。
これは見えている頃からそうだったから障害とは関係ない。
皆様、僕の五時脱痔、いや誤字脱字にお付き合いください。
(2017年5月29日)
記憶の声
午前中の仕事を終えて13時には大学に着いてしまった。
専門学校の先生が車で送ってくださったのだ。
キャンパス内にあるカフェで時間を過ごすことにした。
僕の講義は15時からなので時間はたっぷりあった。
学生達が講義に行ってしまったあとのお昼過ぎのカフェは閑散としていた。
のんびりとした時間が流れていた。
微かに漂っているBGMのピアノの音が心地よかった。
コーヒーを飲みながらふと気づいた。
当たり前のことなんだけど、画像がない!
この場所でこのタイミングで気づくということはいつもは忘れているということだ。
見えない日常というのはそういうことなのだろう。
自分でも可笑しくなった。
今朝最初に会話をかわしたのは阪急桂駅の駅員さんだった。
「お手伝いしましょうか?」
「ここは慣れているから大丈夫です。ありがとうございます。」
それからお昼までに専門学校の教職員、学生達、30人くらいとは話したかもしれない。
数人の声は記憶があって見分けがつくがほとんどは誰か判らない。
それでも支障なく生活できるのだ。
数を重ねれば記憶できることもあるが必ずしもそうでもない。
どういうメカニズムか自分でも判らない。
美人は記憶しやすいと言いたいけれど、これも判別不可能だ。
そんな感じで時間と遊んでいたら突然声がかかった。
「松永先生、お久しぶりです。4回生になった・・・。」
彼女が名乗るのと僕が名前を呼ぶのとが同時だった。
「絵を描くのが好きだったよね。」
3年ぶりに出会ったのだけれど僕の記憶は間違っていなかった。
僕達はそれぞれの近況などを話して別れた。
うれしい再会だった。
次出会った時、またすぐに判るかそれは判らない。
でも名前が判るかとかはどうでもいいのかもしれない。
微笑むことができる時間を共有できたということが素敵なことなのだろう。
この再会も彼女が声をかけてくれたから実現したのだ。
声がなかったら隣にいても判らないだろう。
彼女のさりげないやさしさがうれしかった。
またいつかどこかで会えますように。
そんな出会いがたくさんありますように。
(2017年5月25日)
イスのクッション
京都のバスは車体の後方に乗車ドアがある。
後ろ乗り前降りというタイプだ。
乗車したら狭い通路を必ず前へ移動しなければならない。
他の乗客の真横を歩くということになるのだから、
座席を譲ってくださったり空席を教えてくださったりする方に出会う確率は高くなる。
電車はそういう訳にはいかない。
たいてい同じドアから乗り降りするからドアの近くの手すりを持って立っている。
通勤時間帯などはその手すりの確保さえ大変だ。
日常の電車での単独移動で座れることは滅多にない。
仕方がないといつの間にかあきらめている僕がいる。
乗降しやすいからドア付近に立っていると思っておられる一般客も多い。
見えないから空席を見つけられないだけなのだ。
見えないで社会に参加するということは、
出来ないことを受け入れて穏かに生きていくということなのかもしれない。
悲しんだり俯いたりしても生活は成り立たないのは事実なのだ。
毎週木曜日は午前中に専門学校、午後は大学での講義があるので移動は大変だ。
バスで桂駅まで行きそこからは電車を乗り継ぐ一日となる。
阪急で桂から烏丸、地下鉄に乗り換えて竹田、また近鉄に乗り換えて向島まで行く。
向島から専門学校までは学校関係者が車で送迎してくださる。
午前中の講義が終わると移動開始だ。
向島から近鉄で丹波橋まで行き京阪に乗り換えて深草。
深草から大学はこれも職員の方が送迎してくださる。
講義が終わると帰路につく。
京阪で深草から丹波橋、近鉄で竹田、地下鉄に乗り換えて四条、
最後は阪急で桂という具合だ。
この帰路は遠回りなのだが僕が単独で白杖で移動するには一番安全なルートなのだ。
一日に9回の電車利用が基本ということになる。
そのすべてで座れることはほとんどない。
地下鉄京都駅は乗降客が多いので、
僕の立っているドアに一番近い席の乗客が音を立てて立たれた時だけ
たまに座れることがあるくらいだ。
それも2割くらいかな。
「座席が空いていますけど座りますか?」
地下鉄に乗り込んだ僕に声がかかった。
「座ります。」
僕は即答で誘導をお願いした。
僕と彼女は並んで座った。
今年度、4月から学校が始まってもう2か月くらいになるのだが、
出勤時に初めて座れたということになる。
うれしさが込み上げてきた。
イスのクッションがとても気持ちよく感じた。
「宝くじに当たったほどではないですが、座れたのはとてもラッキーです。」
僕は宝くじに当たったこともないのにそう表現した。
うれしすぎて言葉が見つからなかったのだろう。
それから少し世間話をして、彼女が降りる駅に着いた。
「ありがとうございました。いい一日を!」
僕が言おうとこっそり心の中に準備していた言葉、
タッチの差で彼女に言われてしまった。
僕は笑いながら彼女の後姿に頭を下げた。
人間って素敵だよなぁ。
僕は幸せを膝に乗せて柔らかなイスのクッションに深く座り直した。
(2017年5月20日)
尾道
晴れ渡った空を眺めながら坂道を上った。
ゆっくりとゆっくりと上った。
澄んだ朝の風が僕を追い越していった。
いつもの京都とは違う速さで時間は流れていた。
そこにはそこの時間があって、
そこにはそこの空気があるなと思った。
全盲の先輩に研修会への参加を頼まれたのはもうだいぶ前だった。
彼女は同じ鹿児島県の出身だった。
幼児期にはしかで失明した彼女を父は外に出そうとはしなかったらしい。
学校に行ったのは成人してからだった。
結婚もして、それからの人生を尾道で過ごすようになった。
楽しい日々だったらしい。
ただ長くは続かなかった。
突然の病魔が彼女のご主人を奪った。
それからの日々を大きな家で一人で過ごしておられる。
きっと寂しさも大きいのだろうが前向きに生きておられる。
80歳を過ぎた彼女へのプレゼントのつもりで僕は尾道へ出かけた。
研修会は仕事ではなかったが、いつも以上に気持ちのスイッチが入っていた。
彼女のためでもなく講座のためでもなく、
いつのまにか僕は自分自身のために頑張っていた。
無意識に自然とそうなっていた。
そこにはそこの空気があって、
そこにはそこの幸せがある。
人間同士の営みの中にきっとある。
僕もその空気の一部になりたいと思ったのだろう。
またいつか、今度はゆっくりと尾道を訪ねてみたい。
坂道をゆっくりともうちょっと長く歩いてみたい。
(2017年5月16日)
真実
引っ越ししてきて2年半あまりの時間が流れた。
前の団地は目が見える頃から暮らしていたので、
街全体がイメージできた。
一本違う筋も理解できていたし、
近道も知っていた。
今度の団地は見えなくなってからの学習だから大変だ。
根気のない僕はすぐにいろいろなことをあきらめ、
結局バス停と団地の経路しか判っていない。
それで困ることもないからいいのだと納得している。
日常生活に必要な最低限のルートだけを身に着けたということになる。
エレベーターを降りたら右斜め前のコンクリートの壁を確認し、
そのまま右方向へ進む。
壁が終わったら直角に左へ向きを変える。
道の両側は芝生なのでこの道は白杖の感覚で判りやすい。
道なりに進んでまた壁に突き当たる。
そこで左に曲がって歩くと一般道にたどり着く。
そこから左に方向転換して自転車の音に気をつけながら進む。
点字ブロックが横断歩道の合図だ。
車のエンジン音を手がかりに青を判断する。
直進と右折の二度の信号を渡ったら左に向かってまた歩き出す。
バス停の点字ブロックを目指して歩く。
団地からたった500歩くらいの道のりだけど、
見えない僕にとっては緊張の時間だ。
バス停にはいろいろなバスがくるので、
そこからはバスが停車した際の案内放送をしっかりと聞き分けるという作業になる。
全盲の僕が単独で歩くというのはそういうことの積み重ねなのだ。
ところが2年半の時間は少しずつ僕を街の日常の風景に溶かしていったのだろう。
「ここですよ。」
バス停を教えてくれる声が聞こえるようになった。
「おはようございます。」
挨拶をしてくれる人が増えてきた。
バスのエンジン音が近づいたタイミングで、
「8号のバスですよ。」
耳元でつぶやいてくれる人も出てきた。
僕は住民の人の顔を一人も知らない。
二日続けて出会っても判らない。
メディアは社会の危険性を連日報道している。
それは事実だろうし否定もしない。
でも、街にはあちこちに人間のやさしさが生まれている。
これもまた真実のひとつなのだ。
偶然でもないし思い過ごしでもない。
自信を持ってそう言える。
何故なら今朝も昨日もそうだったから。
(2017年5月12日)