最近の外出、社会からのサポートの声は確かに少なかった。
夏休みということで人の流れに変化があるのかもしれない。
あまりの暑さに皆自分のことで精一杯ということも考えられる。
サポートの声が少ない日はやはりちょっと悲しい。
点字ブロックを伝って歩きながら、電車の入り口で手すりを握りながら、自分の目線が下を向いていることに気づく。
そして自分に言い聞かせる。
この状況を少しでもよくするために活動がある。
未来に向かって歩くんだ。
いい歳をしてと自嘲する気持ちもないわけではないが、素直でいたい。
電車は10分遅れで地元の駅に到着した。
電車から降りて階段を知らせる小鳥の音を探そうと思った時だった。
「どうぞ持ってください。」
男性は同じ電車から降りられたようだった。
僕は彼の肘を持たせてもらって改札へ急いだ。
急いでいる時のホームでのサポートの声、本当に有難い。
バスの発車時刻は記憶していないが、1時間に2本ということだけは分かっている。
僕は改札口で彼にお礼を伝えてバス停へ急いだ。
バス停の近くまで辿り着いたらバスのエンジン音が聞こえた。
「よしっ、間に合うぞ。」
僕は心の中でつぶやきながら少しスピードを上げて音に向かった。
バスの車体を白杖で確認し始めた時だった。
「このバスは違います。電車が遅れたから日吉台行きのバスはもう発車してしまいました。」
どうやら僕の経路を知っておられるようだった。
「次のバスの時刻を教えてください。」
僕は彼女にお願いした。
「次は18時07分です。
今37分ですから、丁度30分後です。」
僕はくじける気持ちを押さえながら彼女にお礼を伝えた。
バス停には太陽がまだ熱すぎる夏の光を注いでいた。
流れる汗を感じながら深呼吸をした。
簡単にタクシーを選ぶほどの経済力もないし、そんな状況でもない。
待っていればいいだけだ。
ただ30分はやっぱりきつい。
数分経った時だった。
「近くのベンチがひとつ空いたので案内しましょう。」
先ほどの女性だった。
ベンチがあるのは知ってはいたが、どこが空いているかは分からない僕には使えないものだった。
僕は遠慮なく、いや心から感謝して椅子に座らせてもらった。
電車の中もずっと立っていた。
後30分、立ち続けるのはしんどいのは間違いなかった。
椅子に座ると、僕はすぐにハンカチを出して汗を拭いた。
リュックからお茶を出してゴクゴク飲んだ。
それからスマホを操作してニュースを聞いたりした。
同じ30分でも、立ち続けるのとは体力的にも気分的にもまったく違っていた。
20分ほど経過した時だった。
「バスがきたら声をかけますからね。」
先ほどの女性の声だった。
声の場所の高さから、彼女が立って話されているのが分かった。
彼女はきっと同じバス、僕をベンチに座らせた後は自分はずっと立ったまま過ごされたのだろう。
彼女のさりげないやさしさが身体中を駆け巡っていくのを感じた。
笑顔になった。
うれし過ぎて、涙がこぼれそうになった。
どこの誰かも分からない彼女に、僕は心から感謝した。
つい先日、視覚障害者仲間で話をしたことを思い出した。
最近のAIの目まぐるしい進歩についてだった。
アイフォンがあればもう誰の助けも借りずに歩けるようになるかもしれない。
いやもうすぐそうなるだろう。
それをうれしいと感じているのも事実だ。
でも、今日のような喜びはAIでは生まれない。
人間同士のふれあいの中で生まれるもの、それは人を幸せにする力もあるのだ。
悲しい日があっても、辛い日があっても、そのやさしさに出会える人生の方が素敵だと思う。
少なくとも、僕はそっちを希望する。
(2025年8月25日)