大正15年9月9日に生まれた母が99歳を迎えた。
自分の母ではあるが、よくもまあそれだけ生きてこられたものだと感心する。
母の人生に思いを巡らせると、人間の一生の長さやそこに横たわる時代を考える。
時代は個人の力ではどうしようもない。
93歳で亡くなった父の人生を振り返ってもそう思う。
父と母の人生、そこには戦争の影がある。
ふと、僕の人生も振り返ってみる。
昭和、平成、令和と生きてきたのだ。
戦争のない時代に生きてこられたのは何よりも幸せなことなのだろう。
昭和を考えると、豊かな時代だったと思ってしまう。
僕にとって一番長かったからだろうか?
少年時代を過ごしたからだろうか?
目が見えていたからだろうか?
いや、それだけではない。
最近、AIが僕の生活を助けてくれるようになってきている。
少年時代に夢中になっていた「鉄腕アトム」の世界がどんどん現実になってきた。
もうそこを超えたのかもしれない。
でも、素直に喜べない自分がいる。
豊かさって何だろう。
先日も電車に乗った際、サポートしてくれた学生に尋ねてみた。
「込んでるの?」
「ほぼ座席は埋まっています。数人立っておられます。」
「それにしても静香だね。」
「皆さんスマホを見ておられますから。」
「皆さんって、皆さん?」
「はい、ほぼ全員です。」
しばらくして、僕はまた学生に尋ねた。
「今日の空はどんな空?」
「夕日が雲に当たって、ピンクやオレンジやパープルやブルーやいろんな色に染まっ
ていますよ。とても綺麗です。」
僕は視線を反対側の窓の少し上に動かした。
スマホなんか縁のない母ちゃんは今も夕日を眺めながら生きている。
いい人生だと思う。
僕もそんな人生を送りたい。
(2025年9月10日)