僕達だけが参加しやすい社会を望んでいるのではない。
僕達も参加しやすい社会であって欲しいと思っている。
鹿児島県薩摩川内市での講演活動をスタートしてから20年の時が流れた。
僕の最初の著書が出版された時、高校時代の仲間達が「風の会」という支援グループを作ってくれた。
薩摩川内市の子供達を中心に、僕の話を聞いてもらうという取り組みだ。
20年の間に出向いた学校は100を超えているだろう。
社会人の様々な団体も支援の輪を広げてくださった。
有難いことだと思う。
今年は小学校が3校、中学校が1校、社会人の団体が3つだった。
充実した4日間を過ごしたことになった。
最終日の活動を終えて川内駅のホームまで仲間達が見送ってくれた。
20年前と比べて、駅員さんのサポートが変化してくれていることにふと気づいた。
ふと気づいたのには理由がある。
僕の地元の京都、大阪、時々出張で訪れる東京、新幹線も含めて、駅ホームでの支援方法はほぼ同じだった。
電車がホームに入ると、駅員さんはマイクで放送される。
「業務連絡、車内対応あり。」
すると、電車の車掌さんがマイクで確認の返事をされる。
「了解。」
駅員さんはそのアナウンスを確認された後、僕をサポートして座席まで案内してくださる。
「到着駅には連絡をしておきます。お気をつけて。」
駅員さんは僕が座席に着くのを確認して降りていかれる。
やがて、ホームでの最後の放送が流れる。
「車内対応、完了。」
それからドアが閉まり、電車は発車する。
ところが、川内駅は違っていた。
新幹線の停車時間が少ないから駅員さんは車内には入れないとのことだったのだ。
結構苦労したのを憶えている。
いつ頃から変わったのか分からない。
今回の駅員さん、新幹線がホームに入るとマイクでおっしゃった。
「車内対応あり。」
駅員さんは僕と一緒に電車に乗り、僕を座席に座らせておっしゃった。
「気をつけてお帰りください。」
「ありがとうございます。助かりました。」
僕は心からの感謝を伝えた。
僕も駅員さんも笑顔だった。
やがて、ホームの放送が聞こえた。
「車内対応、完了。」
20年の歳月、確かにひとつ進んだことを確認した。
こういうことの積み重ねが未来につながっていく。
20年、僕も仲間達も初老を感じるようになった。
いつまでとはとても言えない。
でも元気にしてさえいれば、なんとか来年もできるかもしれないと思った。
帰り着いて、早速来年の予定をスケジュールに入れた。
(2025年10月12日)