僕が彼と初めて出会ったのは45年くらい前だった。
僕は大学を出たばかりの22歳、世間知らずの青二才だった。
彼は小学校1年生、6歳だった。
当時の養護施設には2歳から15歳まで、60人くらいの子供達が暮らしていた。
いろいろな事情で家族と一緒に暮らせない子供達だった。
子供達は社会のひずみやゆがみの影響を一番に受けていたのかもしれない。
そして施設はとても貧しかった。
僕は昼夜の別なく働いていた。
社会に対する悲しさと悔しさがエネルギーになっていたのだと思う。
そうするしかなかった。
でも、「お父さん」、「お母さん」という単語を使わない子供時代、やはり僕には理
解できなかったのかもしれない。
そして、子供達のために、ほとんど何もしてあげられなかった。
彼が15歳で独りぼっちで社会に出ていった日のことを薄っすらと憶えている。
当時の日本は既に高校進学率は90パーセントを超えていた。
世間は高度経済成長の中でどんどん豊かになっていく時代だった。
でも、それは施設には届いていなかった。
僕はただ祈るしかできなかった。
見えなくなって何が一番辛かったかと尋ねられることがある。
それは大好きだった仕事を続けられなくなったことだろう。
働き続ければ、もう少しは何かできたかもしれないと今でも思う。
「おにいさん、変わっていないですね。」
53歳になったおじさんは会うなり僕にそう言った。
あの頃のままの呼び方だ。
懐かしい話は尽きなかった。
「今の時代だったら、お兄さんはきっと警察に捕まっていますよね。」
子供達とよく格闘していた僕を彼は笑った。
僕の脳裏には少年時代の彼の顔が蘇っていた。
それから僕達はお互いの人生を振り返った。
彼は見事に一人の人として生きてきてくれたのを感じた。
ただただうれしく思った。
忘れていた言葉が蘇った。
当時の子供達の部屋に掲げていた言葉だ。
僕が汚い字で書いたものだった。
「愛するやさしさと 生きていく強さを あなたに伝えたい」
伝えられたとは思っていない。
でも、彼は社会の中でそれを学んでくれたのを知った。
「今日は貴重な時間をつくってもらい、ありがとうございました。
たまには人生立ち止まって振り返ってみると、違う景色が見れますね。
有意義な時間を過ごさせてもらいました。」
彼から届いたメールには豊かな言葉があった。
また来年の再会を僕達は約束した。
愛するやさしさと生きていく強さ、今日僕は彼から学んだような気がした。
おにいさんもしっかりと前を向いて生きていこうと思った。
(2025年12月29日)