大学時代からの45年くらいを京都で過ごした。
生まれ育った鹿児島県阿久根市、薩摩川内市が最初の故郷、二つ目が京都市、そして
終の棲家に選んだのが滋賀県大津市ということになった。
京都で暮らしている頃、39歳で失明した。
それからリハビリを受けた後、再度の社会参加を試みたがうまくいかなかった。
どうしようもない社会の壁の前でただ自分の無力さを思い知らされた。
僕は当時住んでいた京都で、京都府視覚障害者協会に入会した。
そこに入れば何か道が開けるかもしれないという微かな希望もあった。
でもそれは甘い考えで、希望は希望で終わった。
ただそれを超えるようなことがいくつかあった。
仲間との出会いもそうだろう。
自分と同じ病気の人だけでなく、視覚障害のいろいろな仲間と出会えた。
仲間との活動の過程で、命の輝きや人間の価値まで教えてもらったような気がする。
結局、大津市に引っ越すまでの20年程の長い時間を会員として過ごした。
後半は役職も多く経験した。
その経験は現在の活動などにも大きな影響をもたらすこととなった。
大津市に引っ越して、すぐに大津市視覚障害者協会に入会した。
京都時代は役員だったので、会の運営に関わる予定を優先していた。
大津では一般会員なので、自分のスケジュールを優先しながら、タイミングがあった
時だけ参加している。
気楽なものだ。
たまたまなのだが、新年会は4年で3回も参加できた。
今年の新年会、地域のガイドヘルパーさんにサポートしてもらって参加した。
司会者が参加者の名前を読み上げてくださり、僕達は返事をする。
大きな声、可愛らしい声、厳粛な声、笑いのある声、いろいろあって面白い。
その声で誰が参加しているか、どの辺りに着席されているのかが分かるのだ。
会長の年始の挨拶の後、お弁当での会食だ。
それから、それぞれに懇談しながら元気な再会を祝う。
僕は新参者だから知っている人も少ないが、こういう機会に少しずつ増えていく。
それもまた楽しい。
記憶の苦手な僕は僕なりの努力をしている。
一番に憶えた人、「糠漬けの○○さん」だ。
もう30年くらいになるらしいぬか床で漬けたお漬物を持参して振る舞ってくださる。
僕はこっそりと楽しみにしている。
こういう事で記憶していくのだから、食いしん坊の僕らしいと自分で思う。
彼女は僕より少しお姉さんだが、同じ病気だと今回始めて知った。
学生時代はソフトボールの選手だったとかで、現在の趣味もラジオでの野球観戦らし
い。
まだ光は確認できるとおっしゃった。
「光が感じられて良かったですね。人生の最後までそれが続きますように。」
もう光を確認できなくなっている僕はこっそりと心の中で願う。
新年会の最後は大津吹奏楽団の方達の演奏だった。
これもまた、ひとつひとつの楽器を説明してくださった。
どんな形か、どんな大きさか、そしてどんな音が出るかをやってくださったのだ。
視覚障害者の僕達へのお年玉みたいな配慮だなと感じた。
数曲の演奏があったが、やはり「琵琶湖周航の歌」はあった。
滋賀県での視覚障害者の集いでは必ず耳にする。
100年以上も県民に愛されている歌となっているらしい。
「琵琶湖周航の歌」のメロディが心に染み込んでいった。
僕は今、この滋賀県大津市に住んでいるんだなとしみじみと思った。
僕の人生での三つ目の故郷、今年もいい一年になりますように。
(2026年1月11日)