美術館

バス停まで送ってくれた学生が、
到着したバスが込んでいるのを教えてくれた。
僕は、学生にさよならを言いながら乗車して、
乗車口の近くの手すりを探そうとした。
でもすぐに、親切な女性が僕の手をとって、
座席まで誘導してくださった。
僕は、ありがとうございますと言いながら座った。
ありがとうカードを渡したいと思ったが、
座った時には、女性がどこにおられるかが判らなくなった。
あきらめていたら、
僕のななめ前から、さっきの女性の声が聞こえた。
僕の横に座っておられる女性との会話だった。
僕は、そっと、ありがとうカードをさしだした。
彼女は、「当たり前のことをしただけなのに。」と言いながら、
カードを受け取ってくださった。
そして、カードのデザインが素敵だと、お二人がほめてくださった。
それから、時々聞こえてくるお二人の会話は、気持ちのいい上品さが漂っていた。
濃茶とか、茶道らしき単語も多く、
バスを降りたら、デパートで和服を覗くような内容もあった。
お二人がどんな関係なのかは判らなかったが、
何かとてもあたたかかった。
お二人の会話の終盤に、京都市美術館での竹内栖鳳展の話が出てきた。
久しぶりに、美術館を思い出した。
見えている頃、毎年数回は足を運んだ。
絵画のセンスのない僕は、
見るのは好きだった。
旅先でも、美術館にはよく立ち寄った。
バックパッキングでヨーロッパをウロウロした時も、
お金がなくて、パンをかじりながらの旅だったけど、
アムステルダムのゴッホ美術館とか、
パリの印象派美術館には立ち寄った。
一番最後に行ったのは、東京駅近くのブリジストン美術館だったかな。
いろいろな絵画に接しながら、
のんびりとした時間が流れるのも好きだった。
今日行った小学校で、
「もし、いつか目が見えたら、何を見たいですか?」という質問をうけた。
「空も見たいな。窓からの景色も見たいな。君達の顔も見たいな。」
言い始めて、思いが心を揺さぶって、言葉が続かなかった。
医学も理解しているし、運命みたいなものも受け止めている。
でも、いつか見えたらなんて、
想像する自由くらいは、いつまでも大切にしたい。
いつか見えたら、美術館で、一日のんびり過ごします。
(2013年10月26日)