地方都市

彼と知り合ってからもう10年以上の時間が流れた。
僕の方が少しだけ年上だ。
居住地も仕事も環境は何もかもが違う。
同じなのは同じ病気で同じように失明したということだけだ。
彼の地本で視覚障害者の移動とボランティアというテーマで研修会が開催された。
その講師ということで僕を招いてくれたのだ。
参加者は20人程度だった。
知名度の低い僕ではそんなに人は集まらない。
申し訳ない気もあったが、彼はその数にも満足していた。
白杖の人を見かけることは少ないという地方の都市ではそれが現実だった。
参加者の中にはガイドヘルパーさんもおられたし、ボランティアの方もおられた。
当事者もおられた。
5人の女子高校生が明るく華を添えてくれた。
その存在だけで会場は明るくなった。
「未来につながりましたね。」
別れ際に僕と彼は堅い握手を交わした。
時々、こうして京都以外の地域に出かけることがある。
当事者の研修会、教育や福祉関係者の勉強会、学校や企業など様々だ。
出かける度に、僕が暮らしている京都が進んでいる場所であることを実感する。
感謝の思いになる。
日本中が京都のように、いやもっともっと、皆が暮らしやすい社会になって欲しいと
強く思う。
僕にできる活動をコツコツと続けていきたい。
ささやかでも続けていけば、それは力となる。
1から始まったホームページのアクセスが80万を超えた。
きっといろいろな地域の皆様が覗いてくださっているのだろう。
一緒に未来に向かいましょう。
宜しくお願い致します。
(2019年11月4日)

やさしい人の数

小学校の福祉授業を終えて校門からタクシーに乗車した。
最寄りの地下鉄の駅に向かった。
降車後の階段の入り口までのサポートを運転手さんにお願いした。
快くという感じではなかったけれど引き受けてくださった。
僕はしっかりとお礼を伝えた。
慣れない場所を単独で動くには誰かの助けを受けなければ無理だ。
援助を頼む力が外出の力となる。
その駅は年に数回しか利用しないから構造も理解できていなかった。
とりあえず階段を下りれば点字ブロックがあるはずだと考えて動き始めた。
最初の踊り場で方向が分からなくなった。
白杖で壁を確認しながら階段を探した。
「どこまで行かれますか?」
通りかかった女性が声をかけてくださった。
僕は改札口までのサポートをお願いした。
彼女の肘を持たせてもらって歩き出した。
地下鉄の改札口は思ったよりも深い場所にあった。
いくつもの踊り場を過ぎてやっと改札口に着いた。
彼女はその流れで電車までのサポートも申し出てくださった。
途中までは僕達は同じ経路だった。
僕達は僕の希望した後部車両までホームを移動して電車に乗車した。
シートに腰を降ろしたらすぐに電車は発車した。
僕はありがとうカードを渡しながら感謝を伝えた。
一人で移動していたらこの電車には間に合わなかったこと、
座れなかったことを伝えた。
白杖の人が電車の入り口の手すりを持って立っているのは、
座席が見つけられないからということには気づかなかったとおっしゃった。
僕も見える頃は分からなかったと返した。
あっという間に僕の降りる駅に着いた。
僕は彼女に再度しっかりとお礼を伝えて電車を降りた。
歩き始めて、今日の小学校の女の子を思い出した。
隣で一緒に給食を食べていたその子は、そっと僕に尋ねた。
「助けてくれるやさしい人ってたくさんいるのですか?」
「見える頃は予想していなかったけど、本当にたくさんいるよ。
やさしい人にたくさん出会えるのは僕の幸せのひとつかもしれないね。」
僕は答えた。
「ありがとう。」
その子は小さな声で言った。
少女はいつか今日の女性のようになるのだろうなとなんとなく思った。
未来への種蒔きができたような気がした。
(2019年10月30日)

エスコートゾーン

大きな交差点で道も直角に交わっているわけではなかった。
音響信号も付いているのだが音源だけで正確な方向は確認できなかった。
僕は週に一度くらいの頻度でそこの横断歩道を渡らなければならなかった。
渡る前にいつも深呼吸して気合を入れていた。
横断歩道の手前にある点字ブロックを足の裏で確認して方向を決める。
それから白杖を身体の中心に持ってきて同じ振り幅で同じリズムで歩く。
耳は音響信号の音と左折右折で進入してくる謝恩を確認する。
歩行訓練の先生に教えてもらった通りにやるのだがなかなか難しかった。
見えないでまっすぐというのはやはり勘の世界なのだ。
ちゃんと渡れるのは7割くらいだった。
どちらかに曲がってしまうのだ。
雨の日に傘をさしたりしていたら成功率は3割もなかった。
最近、その横断歩道が平気になった。
エスコートゾーンが敷設されたのだ。
横断歩道のスタート地点から終了地点まで足の裏で感じられる凹凸が付いたのだ。
その上を歩けばまっすぐに向こう側に到着できる。
これを使うのは視覚障害者でも全盲の人だけなので、点字ブロックのような色は付い
ていない。
触覚だけで分かるようになっている。
今朝もそのエスコートゾーンを利用して横断歩道を渡った。
何の問題もなく渡れた。
渡り終えて喜びが身体を突き抜けた。
大袈裟ではなくそんな感覚になった。
裏返せば、いつも怯えていたということだろう。
エスコートゾーンを発明してくださった人、
ここに敷設すると認めてくださった人、
そして地域の人、
本当にありがとうございます。
皆様に心から感謝です。
何十回も頭を下げて回りたいほど感謝です。
(2019年10月28日)

キビナゴ

故郷の鹿児島県に帰省した時だけ食べるお魚がある。
キビナゴだ。
塩焼きも美味しいが酢味噌で食べるお刺身は最高だ。
今回も2度食べた。
食べる時、必ずその姿を思い出す。
人差し指ほどの長さだろうか、太さは指よりは細い。
銀色と薄青色の縦じまが輝いている。
はっきりと思い出す。
子供の頃によく見ていたのだろう。
暮らしの中にその姿があったのだ。
子供の頃は美しいなどと思ったことはなかった。
大人になってからそう思うようになった。
美の概念も変化していくのだ。
当て字なのだろうが「貴美女児」と書くのを知ったのは故郷を離れてからだった。
文字の確かさに感動したのを憶えている。
キビナゴが何万匹の群れをなして泳ぐ姿は想像しただけで胸がときめく。
いつか見える日がきたら見てみたいと素直に思ってしまう。
素直に思えるくらい美しいということなのだろう。
そして、素直に思っている自分自身を感じた時、何故かちょっとうれしくなる。
(2019年10月24日)

ぬか漬け

注文したぬか漬けがテーブルに置かれる。
微かな香りが食欲をくすぐる。
大根ときゅうりと人参と3種類をゆっくりと味わう。
塩辛いこともなく酸味もほどよく絶妙の味だ。
歯ごたえや食感で素材の良さも伝わってくる。
料理人は堅物で偏屈な男だから素材にもとことんこだわっているのだろう。
普通は料理の端っこに脇役としてあるのだが、
ここのぬか漬けはそれだけで十分主役となっている。
京都だけではなく旅先のいろいろなところでもぬか漬けを口にするのだが、
このお店より旨いと思うのにはまだ出会えない。
料理人は高校時代の友人だからひいき目なのかと自問自答してみたがそうではない。
純粋に旨い。
口に入れて幸せになるものをご馳走というのだとしたら、
ここのぬか漬けは間違いなく一流のご馳走だ。
器も料理の見た目も分からない僕は嗅覚と味覚だけが勝負だ。
その僕が参ってしまう。
30年という時間は料理人の腕もぬか床も熟成させてきたのかもしれない。
鹿児島県薩摩川内市、割烹なかうち。
近くにいらしたら、是非召し上がってみてください。
(2019年10月19日)

ワールドカップ

昭和51年3月28日、僕は国立競技場のスタンドにいた。
19歳だった。
寒い日だったのを憶えている。
ジャパンとニュージーランド学生選抜の試合の観戦だった。
結果は6対46でジャパンが負けた。
ある意味、予想通りの結果だった。
勝つなんてあり得ないことだと思っていたし、善戦を期待しての観戦だった。
ジャパンは善戦した。
必死にボールをつなぎ、大男達に果敢にタックルしていった。
ノーサイドの笛の後、競技場は拍手に包まれた。
桜のジャージの戦士達に惜しみない拍手が届けられた。
ワールドカップの試合をラジオで聞きながら、冬枯れの空の下の風景が蘇った。
あり得ないということをあり得るにした人達に心が震えた。
うれしくて幾筋かの涙が流れた。
青空も戦士達も桜のジャージももう僕は見れない。
試合に夢中になってそんなことさえ忘れていた。
僕の魂は確かにスタンドの片隅にあった。
19歳の時と同じだった。
同じであったことに気づいて、また熱い涙がこぼれた。
(2019年10月15日)

スーツ

最低気温が15度になった日、半そでからスーツに衣替えした。
僕のスーツはほとんどが襟の立ったスタンドカラータイプだ。
若い頃はジーンズなどラフな格好が多かった。
いろいろな会議に出席したり人前で話をするような機会が増えて、
ちょっとは格好も気にしなければならなくなった。
失礼にならないようにというのが一番の理由だ。
スーツは上下が同じ生地で同じ色なので中のシャツは何でもいい。
見えなくても自分でコーディネイトがしやすい。
元々ネクタイは窮屈な感じがして好きではなかった。
そこでこのスタイルにたどり着いたということだ。
半年間眠っていた上着に袖を通したらなんとなく背筋が伸びるような気になった。
秋が始まったと感じながらバス停まで歩いた。
「松永さん、おはよう。スーツになったなぁ。よう似合うで。」
バス停に着いたらご婦人が声をかけてくださった。
「おはようございます。やっと涼しくなりましたね。」
僕は照れ笑いをしながら挨拶を返した。
「模様かと思ったらひっつき虫やん。」
ご婦人が僕に近寄っておっしゃった。
「ほんまにいっぱいつけて。」
別のご婦人が言いながら取り始めてくださった。
ちょっとの距離を歩いただけだったが、たくさんのひっつき虫を付けていたらしい。
もう一人も加えて3名のご婦人が取ってくださった。
「男前やしひっつき虫もようけい付いてきたんやなぁ。」
笑いながら取ってくださった。
「美女3人がかりで取ってもらえて幸せやろ。」
「はい、その通りです。」
僕は恐縮して答えた。
「3人とも後期高齢者やけどな。」
その部分ではつい笑ってしまった。
笑いながらしみじみとうれしくなった。
見えない僕と見える地域の人達、
僕はご婦人達の顔も名前も知らない。
さりげない秋の始まりの中に一緒に生きている。
ただそれだけなのに、つくづくと幸せだと思った。
(2019年10月11日)

少年

竹田駅から地下鉄に乗車した。
大学の帰りにたまに利用する駅だ。
一か月に数回の利用ということになる。
駅の構造は勉強をしたので一応理解している。
問題はホームにたどり着いてからだ。
階段を下りた場所はホームの端なので少し移動しなければならない。
始発の駅なので既に電車が停車していることもある。
この時点では音はしていないので分からない。
なんとなくの気配、他の人の足音などで判断する。
光が分かれば影が分かる。
きっと電車にも気づくだろう。
僕は光も感じられないのでどうしようもない。
停車しているのかもしれないと思ったら白杖をそっと出して車体を確認する。
判断が間違っていて電車がなければ前につんのめりそうになる。
落ちかけてしまうということだ。
重心を残したまま慎重にそっと探るのが大切だ。
毎回肝試しをしているような感覚になる。
今日もやっと電車に乗車した。
無事乗車して入り口の手すりを持ったらやっぱりほっとした。
今日は少し急いでいたので慌ててしまった。
反省した。
電車が四条駅に到着した。
この駅は安全策が付いているので安心だ。
落ちることはない。
ただ、自分のホーム上での正しい位置は分かっていない。
竹田駅から勘で乗車しているのだから仕方がない。
右に進むか左に進むかも勘だ。
ちなみに9割以上の成功率だ。
今日は1割だったらしい。
左に向かって少し歩いたところで誰かが僕の手を二度ノックした。
腰丈ほどの少年だった。
か細い声だったので聞き取れなかった。
僕は腰をかがめて再度尋ねた。
「階段は反対側にあります。」
少年は少しだけボリュームをあげて教えてくれた。
「ありがとう。助かるよ。」
僕は心からの感謝を伝えた。
少年はすぐに姿を消した。
ありがとうカードを渡す間もなかった。
階段を上りながらしみじみとうれしくなった。
夕方のラッシュのホーム、たくさんの人が動いていた。
そのホームの片隅に小さな幸せが待っていた。
未来を予感させる感じがした。
僕はしっかりと白杖を握り直した。
(2019年10月7日)

電話

電話が欲しいとメールがあった。
10年以上の長い付き合いだが初めてのことだった。
彼女は悔しかった体験をゆっくりとゆっくりと話した。
言葉を選びながら確認しながら話した。
幾度も話は立ち止った。
僕はのんびりと待ち続けた。
そしてタイミングを見計らってそっと背中を押した。
話し上手な人なら3分で終わるような話を彼女は10分以上かかって話した。
話し終わると彼女はまず時間がかかってしまったことを詫びた。
僕はそれも貴女の個性だよねと笑った。
電話の向こう側で彼女も笑った。
彼女は視覚障害なのだが心の病気も持っている。
でも僕はそれを病気と感じたことはない。
参加できる社会がなかったことが彼女を苦しめた結果なのだろうと思っている。
苦しんだり悲しんだりしている仲間にたくさん出会った。
失明後の僕にはある意味幸運があった。
本を出せたこともそうだろう。
学校から講師の仕事を頂けたこともそうだろう。
メディアにも取り上げて頂いた。
参加できる社会が少しずつ広がっていった。
いつの間にか多忙さに追われるような生活になった。
いつの間にか悲しさや苦しさを感じる時間がなくなっていった。
たまたまラッキーだったのだ。
ひとつ何かが間違えば、ひょっとしたら僕もまだ怯えの中にいたのかもしれない。
目が見えなくなるってそういうことだ。
苦しみや悲しみの中にいる仲間と出会った時、
ほんの少しでもいいから力になりたいと思ってしまう。
同乗とか憐れみとかの感情ではない。
自分自身を重ねているのだと思う。
でも、現実はなかなかうまくいかない。
自分の無力さを思い知ることがほとんどだ。
「話をしてくれてありがとう。」
電話を切った後、僕はお礼のメールを届けた。
本当にうれしかった。
こんな僕でも彼女の人生にほんの少し寄り添えたのかもしれないと感じた。
そしてまた新しい力が僕の中で生まれていくのを自覚した。
僕には大きなことはできない。
ささやかなささやかな歩みを続けていきたい。
(2019年10月3日)

かたつむり

見えない僕は車の運転はできない。
バイクにも自転車にも乗れない。
ただひたすら歩くだけだ。
しかも白杖で確認しながらなのでスピードは出せない。
車に追い越され、バイクや自転車に追い越され、人にも追い越される。
自分では頑張っているんだけど、見た目にはノロノロだろう。
かたつむりみたいなものだ。
今朝もそう思いながら歩いていた。
突然、香りの空気の塊が僕を包んだ。
キンモクセイの香りだ。
少し湿度が高く微風の日だった。
そこからキンモクセイの香りの中を歩いた。
気づく時はだいたいいつも一瞬なのだが今回はしばらく続いた。
僕の歩くスピードと風の速さが重なったのかもしれない。
幸せがどんどん膨らんだ。
横の道を車が行き交った。
車の中の人達は香りに気づくことはないだろう。
カタツムリにもいいことがあるんだ。
宝物を独り占めしたような気になった。
余計にうれしくなった。
やっぱり根っからの貧乏人なのだろうな。
ごめんなさい。
(2019年9月30日)