メジロの地泣き

健康を考えての散歩が日課になってきた。
父ちゃんも高齢になってから毎日散歩していた。
見えなくなってから一度だけ父ちゃんと一緒に歩いたことがある。
父ちゃんに手引きしてもらって歩いた。
うれしい思い出だ。
ただ、そのコースは白杖の僕が単独で歩くには難易度が高い。
一部だけを往復するのを僕の散歩コースにしている。
そのせいか歩きながらよく父ちゃんを思い出す。
無口で地味で努力家の人だった。
あの父ちゃんの子供がどうしてこんなのだろうと考えると悲しくもなる。
海の近くで育った僕は海に関わる仕事をしたいと思っていた。
父ちゃんと魚釣りをしながら幾度もそう思った。
子供の頃描いた夢の中に見えない僕はいなかった。
どうしようもないことを運命と呼ぶとしたら、
それは悲しすぎることなのかもしれない。
いろいろな人生の岐路で考えながらここまできたのだろう。
仕方なかったのかもしれない。
次生まれてきたらやっぱり海の近くで釣りをしながら暮らしたい。
そんなことに思いを巡らせながら歩いていたらメジロの地泣きに気づいた。
足が止まった。
父ちゃんが好きだった鳥だ。
父ちゃんが何か言ったのかもしれない。
父ちゃんに再会するまでのもう少しの時間、しっかり生きていきたい。
なんとなくそう思った。
(2019年3月27日)

卒業式

専門学校の卒業式に出席していてふと気づいた。
昨年までおられた先生の姿がなかった。
先生は牧師という仕事をしながら専門学校の非常勤講師をしておられた。
入学式や卒業式では大きな声で讃美歌を歌ってくださった。
僕はその歌声が大好きだった。
不思議と心に沁み入るような感覚になった。
先生が講師という仕事を卒業されたのだと分かった。
淋しい気分になった。
そんな中で今年の卒業生の名前が呼ばれ、卒業証書が手渡された。
自然に拍手をしていた。
拍手には力が籠った。
拍手ををする毎に気持ちはどんどん清々しくなっていった。
専門学校の学生達は若者ばかりではない。
僕と同世代という学生も珍しくはない。
それぞれの学生がそれぞれの人生で踏み出そうとする一歩を力強く感じた。
そして美しいと思った。
一人一人の人生に幸あれと心から願った。
(2019年3月23日)

夢占い

久しぶりに夢を見た。
高校時代の友人と再会する夢だった。
駅の改札口の近くで彼は待っていてくれた。
眼鏡は昔と変わっていなかった。
体格も服装も普通のおじさんだった。
ただ、黒々としていた髪は白くなっていた。
顔にも少しシワが出ていた。
笑顔はそのままの気がした。
声もそんなに変化はなかった。
でも、歳月の流れは感じた。
握手をしてそれから彼の肘を持たせてもらって歩き始めた。
そこで気づいた。
僕は見えないはずなのにどうして彼の顔が見えるのだろう。
見えるはずがないのにどうしてだろう。
そう思いながらまた彼の横顔を見つめた。
しばらくして、夢から覚めた。
夢だから話に一貫性も合理性もない。
それは理解できるのだが、
見たことのない現在の彼の顔がしっかりと出てきたのはどうしてだろう。
不思議な感覚でしばらく呆然とした。
夢占いでもしてみたい気分になった。
とにかく、今度会ったら髪の毛がどうなっているか尋ねてみよう。
もしハゲていたら、なんとなくショックだな。
(2019年3月19日)

夜の声

雨が降っていた。
19時過ぎという時間からすれば、もう夜の帳が降りているのだろう。
街灯も少ない道だった。
街灯は僕自身の役には立たないのだけれど、
少なそうなのはなんとなく心細かった。
雨音で他の音も聞き辛かった。
僕は白杖を慎重に左右に振りながら足を一歩一歩前に出した。
足裏で地面を確かめながら歩いた。
点字ブロックがあるところまでたどり着けば無事に帰れる。
自分に言い聞かせながら歩いた。
どこを歩いているかは分からなかったが祈りながら歩いた。
「松永さーん!ボランティアの者でーす。大丈夫ですか?」
道を隔てた反対側から大きな声が聞こえてきた。
「大丈夫です。ありがとうございます。」
僕は声の方に向かって頭を下げた。
そして無意識に手を振った。
うれしさを身体全体で表していた。
人間の声にはぬくもりがある。
ぬくもりには力がある。
不安がそれをキャッチしたのだろう。
あともう少し!
また自分に言い聞かせて歩き始めた。
なんとなく先ほどまでよりも背筋が伸びていた。
(2019年3月16日)

5年

講演のお礼の電話だった。
彼女は5年前くらいにも僕の話を聞いたと教えてくださった。
その頃と比べれば、スマートフォンの話題が増えていたとのことだった。
話す内容も順番も少しずつ変えてきた。
限られた時間に何をどうやって伝えるか、試行錯誤の連続だった。
それは今も続いている。
視覚障害者数は全国で34万人、その中で全盲は4万人。
まさにマイノリティだ。
電車の中に優先座席があったとしても、
それを見つけられないのが見えないということだ。
そんなささやかな事実をしっかりと伝えていくのが当事者の役目だと思っている。
見える人も見えない人も見えにくい人も、皆が笑顔で参加できる社会。
目標はまだまだ先にある。
でも、5年前を憶えていてくださったということは、
ほんの少し、そこに近づけたということの証だろう。
ほんの少し、ほんの少し、それがいつかきっと力になる。
憶えていてくださって、またお招きしてくださったことに心から感謝した。
(2019年3月12日)

おすそ分け

彼女は白杖を使いながら単独で駅に向かっていた。
「お手伝いしましょうか?」
自転車に乗った男性が横にきて声をかけてくれた。
自転車をひきながらのサポートは難しいと判断して彼女は丁重に断った。
しばらく歩いたらまた声がした。
「先ほどの者です。自転車を置いてきました。駅までお手伝いしましょうか。」
彼は自転車を置いて引き返してきてくれたのだった。
彼女は駅まで彼のサポートを受けて歩いた。
近くにある高校の生徒だと分かった。
『短い間でしたが、血の繋がった孫と歩いたようなほのぼのとした幸せなひと時でし
た。今時こんな若者がいることに感激と嬉しさで胸が熱くなりました。』
彼女から届いたメールからは喜びが溢れていた。
ささやかな喜びは間違いなく確かな幸せだった。
幸せはメールから零れて僕の心にも染み渡った。
僕も自分がサポートを受けたような気分になっていた。
僕と彼女は視覚障害者協会の仲間だ。
見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が参加しやすい社会になるように日々一緒に活動している。
僕達は生まれも育ちも何もかもが違う。
同じなのは視覚障害でたまたま同じ地域で暮らしているということだ。
そして、同じ未来を見つめているということだ。
そういう仲間に出会えたことに感謝したい。
幸せをおすそ分けしてくれた彼女に心からありがとうを言いたい。
(2019年3月8日)

雨上がり

半日以上降り続いた。
大雨ではなかったけどしとしとと降り続いた。
しとしとと冬が溶けていった。
なんとなくだけど春が生まれている気がした。
風が教えてくれた。
空気が教えてくれた。
光が教えてくれた。
白杖を左右に振って歩きながら自然と笑顔が生まれた。
足元で生まれたての春が微笑んだ。
車の運転ができない僕は歩くことが多い。
歩けば風を感じる。
匂いに気づく。
光を浴びる。
フェラーリの乗り心地よりも豊かな時間を味わっているのかもしれない。
なんて思いながら歩いたら、
負け惜しみに気づいてちょっと悲しくなった。
足元でまた春が微笑んだ。
いや、春が声を出して笑った。
(2019年3月6日)

クレメンタイン

故郷の同級生が送ってくれた宅急便に入っていた。
大きさは普通のみかんくらいだった。
持ったらなんとなくちょっと重たく感じた。
皮をむこうとして親指を突き刺した瞬間に柑橘系の香りが溢れてきた。
皮はむきやすくはなかったが一応むけた。
一房を口に放り込んだ。
内皮は柔らかかった。
果汁がいっぱいだった。
噛んだら何とも言えない甘さが口中に広がった。
甘さと酸っぱさのバランスが絶妙だった。
一房、また一房、あっという間に一個を平らげてしまった。
食べながら同級生の声を思い出した。
空港まで送ってくれた彼女は微笑みながら言った。
「健康に気をつけて頑張ってね。」
本当に気をつけようと真面目に思った。
(2019年3月4日)

医療関係者

著書へのサインを求められたらすることにしている。
最初の頃は照れくささがあった。
凡人なのだから仕方がない。
いつの頃からか好んでするようになった。
感謝を表現できるひとつの方法だと思えるようになったからだろう。
今回も講演後のサイン会に準備された本はすべてなくなった。
医療関係者の学会だった。
有難いことだと感謝した。
そしてそのやりとりの際に会話が生まれたりすることも多い。
「いいお話でした。心に沁みました。」
「本、小学生の息子に読ませます。」
「またいつかどこかでもっと話が聞きたいです。」
「明日からの仕事、頑張ろうと思いました。」
「障害を持った人に声をかける勇気が出ました。ありがとうございました。」
「応援しています。頑張ってください。」
身に余る言葉が並んだ。
40歳代だという男性は彼が出会った病魔について話をしてくださった。
突然、身体がどんどん動かなくなっていったらしい。
告げられた病名を調べるためにスマートフォンを握っても、
その指さえが動かなくて愕然としたとのことだった。
絶望感の中でやっと呼吸をしておられたのが想像できた。
幸い、彼は効果的な治療と出会うことができた。
「治って本当に良かったですね。」
僕は自然に彼の手を強く握った。
いろいろな病気がある。
治るか治らないか、それは仕方のないことなのだろう。
どの時代なのか、どの国なのか、様々な環境が医療を変えていく。
いつか僕の病気も治る日がくるのかもしれない。
ただ、僕の人生に間に合うかは分からない。
例え治らない病気に出会っても人は生きていく。
そしてその命を人は応援していく。
生きていく価値を人は認め合う。
そこが人間の素晴らしさなのだと思う。
彼は僕の手を強く握り返した。
(2019年2月28日)

各駅停車

鹿児島中央駅から川内駅まで新幹線なら12分だ。
でも僕はわざと鹿児島本線の各駅停車に乗車する。
所要時間は約1時間、のんびりとタイムスリップできるのだ。
伊集院、湯之元、市来、串木野、木場茶屋、
記憶にある駅名のアナウンスが流れる。
高校時代に幾度も乗車した列車はまだSLだったかもしれない。
キラキラした眼差しで車窓の風景を見ていたのだろう。
あれから半世紀近くの時間が流れた。
風景は確認できなくなったが、思い出は生きている。
その思い出に触れる度に人生を振り返る。
これで良かったのか分からない。
でも一生懸命に走ってきた結果が今なのだろう。
そしてもう戻れない。
ここまできて気づいたこと、
早いことがいいのでもなく、勝つことがいいとも限らないということ。
残りの時間、せめて各駅停車で過ごしていこう。
寄り道しながら、休憩しながら過ごしていこう。
僕なりに生きていきたい。
(2019年2月25日)