春近し

年明けの大学の講義がスタートした。
キャンパスは学生達でにぎやかだった。
僕は21号館の教室へ向かうため、エレベーターを待っていた。
突然、横から挨拶の声が聞こえた。
前年度、僕の科目を受講していた学生だった。
背がとても高かったし、声も記憶していたのですぐに判別できた。
その頃は金髪だったのも憶えていた。
「今、髪の毛は何色?」
僕は笑いながら尋ねた。
「今は赤茶色ですよ。」
彼も笑いながら答えた。
それから、卒業後の進路が決まったことを教えてくれた。
愛知県に行くとのことだった。
初めての一人暮らしへの期待と不安が感じられた。
夢に向かって歩き始めている若者の姿があった。
彼の笑顔はキラキラしていた。
まぶしかった。
僕達は自然に握手した。
彼もうれしそうに笑った。
もうすぐ春が来るんだと思った。
(2019年1月18日)

少年達の笑顔

大学の社会福祉学科に通っていた僕が養護施設を知ったのは21歳の時だった。
親と離れて過ごさなければならない子供達に出会って愕然とした。
大学を卒業して、何の躊躇もなくそこに就職した。
見えなくなる直前の39歳まで働いた。
我武者羅に必死に働いた。
労働時間も収入も一般社会とはかけ離れていたが使命感はそれを越えていた。
子供達への愛情もあっただろうし、社会の不合理への怒りみたいなものもあった。
憤りも悔しさも抱えながらの毎日だった。
若いエネルギーが僕を支えてはいたが、薄っぺらい正義感だったのかもしれない。
振り返れば恥ずかしく思うことばかりだ。
卒園生の一人の女の子は神戸の震災で命を落とした。
19年という短い生涯だった。
震災の直前、最後に会った日のことを僕は忘れることはできない。
それから毎年、1月17日の前後の休日にお寺にお参りをしている。
当時の保母さん、亡くなった女の子と同じ年の子供達も一緒だ。
子供達ももう43歳になった。
親の顔を知らないで育った子供達が親になっている。
不思議な感じがする。
そして見えなくなった僕を彼らは自然に受け入れてくれている。
普通に介助をしてくれ、普通に手伝いをしてくれる。
「比叡山が頂上までくっきり見えていますよ。」
洛北のホテルのレストランから見える風景を語ってくれる。
勿論、僕に殴られた話はいくつも出る。
和やかな時間が通り過ぎていく。
そして僕の前にはいつも、あの頃の少年達の笑顔がある。
亡くなった女の子の笑顔がある。
映像があの頃のままで止まってしまっているのは、
ひょっとしたら幸せなことなのかもしれないとさえ思う。
(2019年1月14日)

中学校

講演にお招き頂いた中学校、挨拶をすませた後、出されたお茶を頂いていた。
「松永さんが以前京都新聞に連載されていたコラムを楽しみに読んでいました。」
先生はそっと僕に伝えてくださった。
新聞に写真も掲載されていたので、待ち合わせの場所でもすぐに僕を見つけられたと
もおっしゃった。
「見た目に変化はないということですね。」
僕は笑いながら返した。
京都新聞への連載はもう10年以上前のことだ。
視覚障害を正しく知って欲しい、誰もが参加しやすい社会になって欲しい、
そして一人でも多くの人に読んで頂ければという願いを持って書いていた。
10年の時を超えて、願いが届いていたことを実感した。
僕と先生との距離は一気に縮まった。
わずかの時間ではあったけれども、福祉や教育について大人同士として語り合った。
教育者と当事者、同じ未来を見つめていることを確認した。
それから会場に向かい、生徒達に話をした。
いつものように話をした。
次の時代を創っていく生徒達に希望を話した。
未来への種蒔きだ。
いつかきっと、種は発芽する。
一人一人が大切にされる未来、誰もが笑顔になれる未来につながる。
今年ももっともっと頑張ろうという思いを強くしながら学校を後にした。
(2019年1月12日)

粉雪

先日、ふと色を思い返していた。
赤色はどんな色だったか、
緑色はどんな色だったか、
山吹色はどんな色だったか、
自分の記憶のテストみたいにして挑戦してみた。
すっと脳裏に浮かぶ色もあれば、
なかなか思い出せない色もあった。
群青色や藍色、紫色などはなんとなくゴチャゴチャになって難しくなっていた。
意外と出てこなかったのが白色と肌色だった。
一生懸命に記憶をたどったがなかなかたどり着けなかった。
途中で仕方がないとあきらめた。
今朝団地を出て歩き始めたら、顔に何かが当たった。
すぐに粉雪だと分かった。
小さな粉雪がいくつも僕の顔を触った。
歩きながら感じ続けた。
やがて白い粉雪が僕の頭の中で舞い始めた。
うれしさがこみあげてきた。
僕は立ち止って空を眺めた。
真っ白な粉雪が空一面にあった。
真っ白が踊っていた。
なんとなく安心した。
記憶のアルバムは少しずつ古くなってきた。
それは時の流れの結果だ。
一喜一憂しても仕方ない。
でも、なんとなく、神様からのプレゼントみたいな気になってうれしかった。
(2019年1月10日)

初日の出

視覚障害の仲間達との初詣に出かけようとして、
さわさわの玄関を出た瞬間、顔にお日様の光を感じた。
正確にはおでこでぬくもりをキャッチした。
僕にとっては今年最初のお日様だ。
初日の出かな。
目で光を確認できなくなってもう20年、それが当たり前で暮らしている。
慣れているから特別な感傷もない。
時々目の前がどんな感じなのかと尋ねられる。
目の前はグレー一色だ。
明るいコンクリートの壁のような感じかな。
これは人によって違うらしく、白色という方も黄色という方もおられる。
黄土色という方、緑っぽい色という方もおられた。
不思議と、黒という方はあまりおられない。
光が分からなくなるということは影も分からなくなるということなのだろう。
グレーとかの色は視覚からのものではなくてそれぞれの脳が感じているものなのだ。
だからお日様に気づいてもその色は変化はない。
でも心は明るくなる。
うれしくなる。
やっぱりお日様はいい。
初詣の神社では入院している友達の回復だけを願った。
100円のお賽銭だから願い事はひとつだけにしておいた。
その後ひいたおみくじは大吉だった。
友達が笑ってくれたような気がした。
(1月8日)

62歳

62歳になった。
僕が生まれた日、鹿児島県も寒い日で小雪が舞っていたらしい。
未熟児で生まれて、体重は1キロなかった。
小さな田舎町にはまだ保育器もなかったし、電化製品もない時代だった。
僕が育つのは難しいと多くの人が思ったらしい。
それでも産婆さんはあきらめなかったし、
両親は寝ずに湯たんぽを取り替えてくれた。
それから、22,265日、生きてきたということになる。
その間、ずっと呼吸してきたのだ。
気が遠くなるような数字だ。
たくさんの人達の愛情に支えられて生きてこられたのだろう。
すべての人にありがとうと言いたい。
振り返れば、道がある。
自慢できるようなものではないけれど、
僕なりに歩いてきた道がある。
そして見渡せば笑顔がこぼれる。
まだまだ道は続くのだろう。
一歩一歩、しっかりと、でものんびりと歩いていきたい。
(2019年1月5日)

幸せな一年に

晴れ渡った空を眺めたら、幸せ。
おいしい食事の時、幸せ。
お風呂に入っている時、幸せ。
季節の花に出会ったら、幸せ。
小鳥のさえずりに気づいたら、幸せ。
コーヒーの香り、幸せ。
ぼぉっとしている時間、幸せ。
いい映画を観たら、幸せ。
昼寝ができたら、幸せ。
柿の種を食べている時、幸せ。
潮風に吹かれたら、幸せ。
いい音楽を聞いたら、幸せ。
一日一万歩達成したら、幸せ。
せせらぎの音が聞こえたら、幸せ。
風を感じたら、幸せ。
笑顔に出会ったら、幸せ。
ありがとうって言われたら、幸せ。
ありがとうって言えたら、もっと幸せ。
幸せいっぱいの一年になりますように。
(2019年1月1日)

遠くからの音

ホームページの来訪者数は2018年がスタートする時、556,000だった。
そして大晦日の前日、67万を超えた。
毎月延べ1万人近くの方が覗いてくださったということになる。
たまにという方もおられるだろうし、一度きりという方もおられるだろう。
ひょっとしたらほとんど毎日という方もいらっしゃるかもしれない。
いや、これは希望的観測なのですが・・・。
とにかく、自分でも驚く数字になっている。
メッセージを発信する方法としては一定の成果だ。
その数は僕自身の励みにもなっていて、ブログの更新につながっている。
インターネットの素晴らしさなのだが、
いろいろな世代の人が日本の各地で読んでくださっているらしい。
外国でという方もおられるらしい。
視覚障害の仲間にも読んでくださっている人がいる。
これはとても光栄なことだと感じている。
数日前、遠音さんからブログへの感謝のメールが届いた。
1年に1回あるかないかのメールだ。
遠音というのは本名ではなくて、彼女のブログのペンネームだ。
どういういきさつで僕のホームページを覗くようになられたのか分からない。
以前のメールに書いてあったのかもしれないが、憶えていないのも僕らしい。
遠音さんは僕よりもお姉さんで道東に住んでおられる。
面識はないし、会うこともないのかもしれない。
それでも人間はつながれる。
人間だからつながれる。
遠音、遠くの音、遠くからの音、未来からの声なのかもしれない。
この1年、読んでくださったお一人お一人に心から感謝申し上げます。
未来からのエールにありがとうです。
(2018年12月31日)

ささやかな日々

団地ではいつもエレベーターを使用している。
エレベーターの前に着くと柱の左側を触ってボタンを探す。
2個の丸いボタンが縦に並んでいて上が上方向のボタン、下が下方向のボタンだ。
僕にも押せる。
エレベーターに乗ると出入り口の左の壁に行先ボタンがあって点字表記もある。
数字はちゃんと書いてあるし、閉めるボタンには「しめ」と書いてある。
僕にも楽に使えるのだ。
点字を勉強していて良かったと思う瞬間でもある。
今日もいつものように1階に降りるために下のボタンを押して待っていた。
エレベーターが到着してドアが開く音がした。
エレベーターのドアはシースルーらしいが僕には分からない。
上がる時に同乗者があるのはたまにあるが、下りる時にはほとんどない。
だから、つい誰もいないと思って乗り込んでいる。
ところが今日は先に乗っている人がいた。
突然、しかも思いっきり乗り込んだのだからぶつかりかけた。
「おっとっと。」
先に乗っていた男性が声をかけながら僕の身体を支えてくださった。
「すみません。」
僕は慌てながら声を出した。
「大丈夫ですよ。1階ですね。」
彼は笑いながら僕の行先を確認してくださった。
エレベーターが1階に到着して、僕が先に降りた。
後から降りた彼は僕の横に並ぶと、前の道路までのサポートを申し出てくださった。
僕は有難く彼の肘を持って歩いた。
「団地の方ですか?」
僕は歩きながら尋ねた。
「違います。荷物の配送業者です。」
それだけの会話だった。
道路に着くと僕はお礼を伝えて歩き始めた。
やがて彼がトラックのドアを開ける音が聞こえた。
僕はその横を歩いて行った。
それから大きな声が僕の後ろから追いかけてきた。
「良いお年を!」
僕は振り返って頭を下げた。
満面の笑みで頭を下げた。
深々と下げた。
こんな爽やかな気持ちで一年を終えられる。
人間っていいな。
うれしすぎて涙がこぼれそうになった。
(2018年12月30日)

歩く

ゆるやかな下り坂を歩き始める。
しばらく歩くと横断歩道がある。
信号機が設置されているが音は出ない。
車のエンジン音に集中して青になったタイミングを確認する。
そこから先はもう横断歩道はない。
行き交う自転車だけに気をつけて歩けばいい。
白杖の振り幅が大きくなり過ぎないようにしながら歩く。
やがてせせらぎの音が聞こえてくる。
小川にかかる橋の上だ。
水の音の清らかさにいつも心が和む。
それからしばらく歩くと点字ブロックが現れる。
バス停を知らせる点字ブロックだ。
行程のおおよそ半分を歩いたことになる。
さらに緩やかな下り坂が続く。
道を隔てた病院の入り口の誘導鈴の音が聞こえてきたらもう少しだ。
その先に鉄製の交通標識があるから少しスピードを落として慎重になる。
二度ぶつかって学習したものだ。
そこを越えれば路面の舗装が変わる。
それを合図に左に90度曲がって溝蓋沿いに歩けば目的のバス停に到着。
点字ブロックの上で深呼吸をする。
2千歩くらいだから1キロはない。
一日のスタートには丁度いい距離だと感じている。
人間の感覚って本当に素晴らしい。
見えなくなった頃はほんの少し歩くのも怖かった。
何も見えない状態で白杖だけでこんなに歩けるなんて想像できなかった。
慣れというものなのかもしれない。
バス停の点字ブロックの上で深呼吸した後、
感謝のような感情が僕を包む。
どこに向けられた感謝なのかは分からない。
歩けたことへの感謝なのか、
生きていることへの感謝なのか。
それから空を見上げる。
その瞬間、いつも幸せを感じている僕がいる。
(2018年12月26日)