三日間のガイドヘルパー講座が無事終了した。
僕はいつものように全力で取り組んだ。
受講生とはほとんどが初対面で今後の再会の予定はない。
僕が僕達のことを伝えるということではワンチャンスということになる。
いつの間にか知らず知らずのうちに力が入ってしまう。
受講生はいろいろな立場の方がおられる。
教育関係者、福祉関係者、家族、一般の方、学生・・・。
最終日の意見交換、
「知ったふりをしていることもあったので」
専門学校の先生は淡々と感想を述べられた。
僕は仕事柄たくさんの先生と出会う。
先生と呼ばれる職業の方達と出会う。
「知らない」と告白することは難しい場合もあることは知っている。
まして教え子の前では先生を演じきらなければならないこともある。
学ぶということは知らないことを知ったり勘違いしていたことを修正したりする作業
だ。
そこには基本的には立場はない。
でも講座の中でその立ち位置に立つには勇気もいるだろう。
感想を述べられた先生を素直に素敵だと思った。
そういう先生方と出会う学生達がきっと得をするのだろう。
僕ももうすぐまた新しい学生達と出会うことになる。
自分を戒めて、そんな先生にならなくちゃと改めて思った。
(2018年3月25日)
先生
春景色
ふきのとう、タラの芽、タケノコ。
季節がてんぷらになって出された。
僕はひとつ食べるとお茶で舌を整えて次の食材に箸を進めた。
それぞれの苦みやえぐみがそれぞれの春を主張した。
愛おしいと思った。
春を迎えられたという普通のことを純粋に幸せだと感じた。
子供の頃、苦みを美味しいとは思わなかった。
年を重ねながら味覚は変化してきたのだろう。
人生の苦しみや悲しさに出会いながら、
その深さと豊かさに築いていったのかもしれない。
東京は雪の舞い降りる中に桜が見えた。
忘れられない春景色になった。
(2018年3月22日)
桜
介護施設で働く教え子から連絡があった。
卒業してから5年の歳月な流れていた。
高齢になって目が不自由になってこられた女性との会話に僕の本が登場したらしい。
素直にうれしいと感じた。
僕の本が誰かの力になってくれたとすればそんな光栄なことはない。
僕が失明したのは40歳くらいの時だった。
それまでの仕事を続けられなくなって社会での居場所を失ったような気になった。
挫折感もあったし孤独感にも襲われた。
ただ体力はあった。
まだまだ気力もあったのかもしれない。
目だけではないが、高齢になってから身体のあちこちが不自由になる人がおられる。
その辛さや口惜しさは僕には想像できない。
でも人は生きていく。
きっと生きていく。
長い暗いトンネルの中でただ押し黙って呼吸する。
頬を伝う涙が、自らの吐息が、雪解けのように少しずつ何かを解かしていく。
僕は突き動かされるように一気にメッセージを書いた。
それを教え子に託した。
「見えなくなって20年という時間が流れました。
今でも見たいという気持ちと決別することはできません。
でも、見えていた頃の僕も今の僕も、やっぱり僕は僕なんだと自信を持って言えます。
たくさんの先輩や仲間達との関わりの中で、
障害へのイメージは変わりました。
人間の価値と障害は無関係です。
そしてどんな状況でもキラキラと生きていけることを学びました。
貴女と教え子との出会い、そして僕の本との出会い、
人間同士のつながりって素敵ですね。
貴女の生活が少しでも笑顔の中にあるように、
心から願っています。
そして、いつか出会える日がありますように。
もうすぐ、今年の桜が咲きますよ。
それぞれに春を楽しみましょう。
感謝を込めて。」
書き終わってラジオをつけたら東京の桜が咲いたとニュースが流れた。
千鳥ヶ淵の桜を見たいと思った。
(2018年3月18日)
手引き
「つい昨日手引きをさせて頂いたんです!
ありがとう助かりましたって言われ、わたしが幸せになりました!」
昨年出会った学生から半年ぶりくらいに届いたメールで笑顔になった。
手引きというのは視覚障害者のサポートの方法だ。
見える人の肘を視覚障害者に持ってもらって移動する。
視覚障害者の半歩くらい先を見える人が歩くという感じになる。
一般の人達は僕達をサポートする際につい僕達を掴もうとされる。
腕などを掴まれて引っ張られたり押されたりすると恐怖心が出てしまう。
でもなかなかやめてくださいとは言えない。
少々の距離だったらそのまま動く。
咄嗟に手を離して持たせてくださいと説明することもある。
少々怖くても「ありがとうございます。」と言ってしまっている僕がいる。
それは善意からの行動だからと判っているからだ。
僕達に声をかけるのにいくらかの勇気が必要なのも知っているし、
無視されるのが一番危険で悲しいことは日常の経験が教えてくれた。
だからまず感謝を伝えるのだ。
でもちょっとでいいから、知ってもらう機会があればなとはいつも思っている。
今月の末には銀行の新人職員研修に参加する。
講演と手引き体験がセットになっている研修だ。
少しずついい時代になってきているのだろう。
「教わったからこそ意識するようになり、こうなれていることがわたしも嬉しいで
す。」
彼女のメールにはそうも書いてあった。
「ありがとう」は言う人も言われる人も幸せにしてしまう不思議な言葉だ。
そしてそれを知った僕も幸せになった。
(2018年3月16日)
卒業式
僕はノーネクタイのマオカラースーツを愛用している。
一応スーツなのでいろいろな会議や講演でもそんなに失礼にはならないだろうと勝手
に思っている。
似合うかどうかは別問題だが形状も気にいっている。
その僕が年に数えきれるくらいのネクタイ姿になるのが冠婚葬祭といくつかのセレモ
ニーの時だ。
厳粛な空気の中ではなんとなくネクタイが気持ちを引き締めてくれるからだろう。
卒業生は名前を呼ばれるとしっかりと大きな声で返事をして壇上に上がった。
拍手の中で卒業証書を受け取ると、
一歩一歩足音を刻みながら自分の席に帰っていった。
僕は学生の顔なんて見たことはないはずなのに、
たくましく凛々しくなった姿をカッコいいと感じた。
1人ひとりを目で追いながら拍手をした。
講師という仕事柄たくさんの学生達と出会いがある。
画像がない僕が全員を記憶するなんてできない。
でもそれはどうでもいいことなのだといつの頃からか判ってきた。
限られた時間の中で思いをこめて伝える。
そんなにいい講師ではないがそれくらいがいいと開き直っている。
出会いがいろいろと教えてくれるのはお互いさまだ。
大切なことを学生達に教えられることも多い。
うれしくなる。
帰り際に二人で記念撮影をした女子学生は自然と僕の手を誘導して触らせてくれた。
「先生、ほら、着物を着たのですよ。」
絵柄には桜があった。
今年初めての桜を美しいと思った。
(2018年3月14日)
隠し味
あつあげと青大豆のご飯、
大根とあつあげの煮物、
自家製鶏肉のハムと三つ葉の酢味噌和え、
きのこと鶏肉ミンチ団子のスープ、
久しぶりに本当においしい食事を頂いたような気がした。
ロービジョンの女性達が作ってくださった。
目が少しずつ悪くなる中で
大好きな料理ができなくなるのではと心が折れそうになっていたらしい。
「調理の時、誰も手元なんか見ていないわよ。」
何気ない言葉にハッと気づかされたとのことだった。
見えないと包丁は危ないのではと尋ねられることがある。
でも実際には何の問題もない。
そんなに料理をしない僕でもリンゴの皮むきくらいはできるし手を切ったりすること
はない。
指先の皮膚感覚で見ているからだろう。
目が見えなくなる頃、何もできなくなってしまうという思いになった。
失敗することやできないことを数えていった。
きっと恐怖心がそうさせていたのだろう。
実際には見えなくてもできることは結構あると判った。
道具を使ったり工夫をしたりすることでそれがもっと広がることも知った。
少しずつ元々の自分を取り戻していった。
できる喜び、それは幸せ。
そんな思いが隠し味になっているのだからおいしいのが当たり前なのだろう。
また食べたいと思った。
(2018年3月10日)
雨の日
白杖での単独歩行には最悪の条件だった。
土砂降りで強風も吹いていた。
会議を欠席しようかと邪念が脳裏を横切ったがやっぱりそれはできなかった。
他のメンバーが忙しい僕のスケジュールに合わせて決めてくれた日程だった。
仕方ないからタクシーをと思って何度も電話したがそれもつながらなかった。
いつものようにバスと電車を利用して出かけることにした。
傘をさしたらやっぱり微妙にバランスは崩れた。
強風がその傘で遊ぼうと駆け回った。
僕は必死で傘を支えながら白杖を左右に動かした。
雨の音で他の音がさえぎられて不安もどんどん膨らんだ。
バス停に着いた時はびしょ濡れになっていた。
近づいてきたバスのエンジン音が何故か懐かしく感じた。
やっとバスに乗り込んで吊革を探して手を空中に挙げた。
その僕の手を誰かの無言の手がそっとつかんだ。
そして空いてる席に誘導した。
僕はイスに深く腰掛けた。
濡れた身体がほっこりと伸びをした。
やがてバスは終点の駅に着いた。
外は相変わらずの土砂降りだった。
見えない僕にはバスを降りながら傘をさすなんてできない。
とりあえず降りて他人の邪魔にならない場所まで移動して傘をさすつもりだった。
その間濡れるのは覚悟していた。
バスを降りた瞬間から誰かの無言の傘が僕の頭上にあった。
気のせいかなと思いながら動いたら一緒に傘も動いてきた。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は御礼を言いながら自分の傘をさした。
「ひどい雨だね。」
彼はただそれだけを言い残して雨の中に消えていった。
無言の手が彼の手だったのかは判らない。
でもそれはどうでもいいことだった。
雨の日も捨てたもんじゃないってうれしくなった。
(2018年3月6日)
ウグイス
ホーホケキョどころではない。
まだケキョケキョさえも話せない。
でも一生懸命話している。
早朝のまだまだ冷たい空気の中で話している。
頑張って話している。
山の麓からはどれくらいの距離があるのだろう。
大声で返事をしても僕の声は届かないだろう。
そんな向こう側の声が聞こえてくるということは、
小さな身体全体を使って話してくれているということだろう。
選ばれたエリートのような話を拒否するわけではない。
僕の単純な好みなのかもしれない。
上手ではなくても精一杯話をしている姿の方が好きだ。
きっと伝えたいことがあるのだろう。
「頑張れよ。僕も頑張る。」
届かない小さな声でつぶやいた。
(2018年3月5日)
山椒味のおかき
おかきや柿の種には目がない。
と書いて気づいた。
「目がない」って面白い表現だ。
見えない僕が使うと変な感じがするかな。
とにかくおかきや柿の種が大好きだということだ。
おかきはしょうゆ味で硬めで海苔巻きや山椒風味がいい。
柿の種にも好みのメーカーがある。
メタボを気にしながらついつい食べてしまう。
何十年も飽きないのだから好物ということなのだろう。
昨日届いたプレゼントが僕の好きなメーカーの山椒味のおかきだった。
慌てん坊の彼女は差出人を書くのを忘れたらしい。
でもすぐに彼女からだと判った。
「なるみやの さんしょーあじの おかき」と点字で書いてくれてあった。
僕の好きなメーカーの好物のおかきだった。
誕生日でも何かの記念日でもないのにプレゼントしてくれた。
きっとおかきを見つけて僕を思い出してくれたのだろう。
僕にプレゼントするためにおかきを探したのではないということも判っている。
見えなくなって間もなく知り合ったのだからもう20年近いお付き合いになる。
程よい距離感なのだろう。
こういう感じもいいな。
なんて思いながらおかきをパリパリポリポリ。
メタボが進んだら彼女に文句でも言うことにしよう。
(2018年3月1日)
足湯
京福電鉄嵐山線を京都の人達は嵐電(らんでん)と呼んで親しんでいる。
1両とか2両の路面電車だがのんびりが似合っていて僕も年に数回乗車する。
その嵐電嵐山駅のホームに足湯がある。
タオル付きで利用料200円、その値段で幸せになれるからうれしい。
毎年のように利用している。
20人も入れば満員になるくらいの小さな場所に老若男女が並ぶ。
国際的な観光地だから外国人の方が多いかもしれない。
見えない僕もサポーターと一緒に並んで足湯につかる。
最初はぬるめに感じるくらいだが時間とともに身体全体がポカポカしてくる。
思いついたように風が通り過ぎていく。
植え込みの竹林の笹が微かに歌う。
やがて記憶の走馬灯が動き始める。
40年くらい前、レンタサイクルで幾度か嵯峨野巡りをした。
寺社仏閣、野辺の道、様々な風景が記憶にある。
季節を伴った写真が心のアルバムにある。
若さはしなやかで傷つきやすかった。
そのくせ乱暴だった。
大切な人を悲しませた。
それさえももう思い出になってしまった。
後悔も懺悔も役に立たないことを知るのに時間はかかり過ぎた。
それを知ることが生きるということだったのかもしれない。
残りの人生を少しでも豊かにおくりたい。
自分に正直に生きていきたい。
赤くなった足を拭きながら自然とそう思った。
(2018年2月25日)