真っ白

真っ白が落ちてくる。
何万個、何億個、数えきれない真っ白が落ちてくる。
次々と落ちてくる。
音もたてずに落ちてくる。
子供にも大人にも落ちてくる。
男性にも女性にも落ちてくる。
見える人にも見えない人にも見えにくい人にも落ちてくる。
僕の上にも落ちてくる。
世界が真っ白に変化していく。
真っ白に包まれた僕はどんどん浄化されていく。
少年に戻っていく。
心は何度でも生まれ変われることに気づく。
真っ白に抱きしめられて笑顔になる。
笑顔が好きだと言ってくれたあの人に無性に逢いたくなる。
(2018年1月25日)

ラジオ番組のお知らせ 2月6日

本はいろいろな場所でいろいろな人と出会います。
そして風のように伝わっていくことがあります。
まさに活字の力です。
岩手県大船渡市のFMねまらいんというラジオ局で
『風になってください』が朗読されるという情報が出版社から届きました。
ラジオ番組の名前は、「グッドオールディーズ」です。
大船渡市で音声訳を行っているボランティア団体「オープンハート」による番組で、
お気に入りの本の読み聞かせを放送されているそうです。

放送日時は、2月6日の、午前6時30分から7時。
再放送が2回あり、
9日の午前6時30分から7時と、11日の午前9時30分から10時。

ローカルラジオ局ですが、無料スマートフォンアプリで、全国どこででも
聞くことができるそうです。
ラジオ局のHPのアドレスを貼り付けておきます。
http://fm-nemaline.com/

僕も感謝しながら聞きたいと思っています。
楽しみです。

仲間

視覚障害者の代筆代読、移動の支援などを行う同行援護という制度がある。
その資質向上当事者研修が二泊三日で東京で開催された。
日本のあちこちから定員を超える受講者が集まった。
全盲の方もおられたしロービジョンの方もおられた。
生まれつきの視覚障害者の方もおられたし人生の中途でという方もおられた。
性別も世代も居住地も職業も異なっていた。
思想も宗教も違っていた。
この国で同じ時代を視覚障害者として生きているということだけが共通点だった。
いろいろな意見が出た。
いろいろな考えが交差した。
それぞれの人間の個性が輝いた。
キラキラと輝いた。
見えにくい目が見えない目が未来を見つめていた。
三日間は無事に終わった。
東京から京都に帰る新幹線の中で僕は無性にコーヒーが飲みたくなった。
ホットコーヒーを注文した。
疲労感をコーヒーに混ぜながらゆっくりと飲んだ。
充実感がじわじわと身体に浸透していった。
講師としての僕はやっぱり力不足だった。
それでも充実感につながったのは何故だろう。
見たことのない仲間の笑顔が脳裏に浮かんだ。
講師と受講生、それはいつもの大学での先生と生徒という関係ではなかった。
優秀な生徒達が出来の悪い講師を支援してくれているという構図だった。
僕は心から仲間に感謝した。
僕も当事者の一人としてしっかりと未来に向かいたい。
(2018年1月22日)

カキフライ定食

その食堂はライトハウスの近くにある。
冬がきたら毎年一回はその店のカキフライ定食を食べることにしている。
僕の年中行事のひとつだ。
味もいいがとにかくボリュームが凄いのだ。
最初知らずに頼んだ時、お腹が空いていたのに残してしまった。
それからは毎年気合を入れてお店に向かった。
でもさすがに食べられる量にも限界を感じるようになってきて、
数年前からは定食をSサイズにしてご飯も小にしている。
もちろんそれでも満足している。
お店はだいたいの場所は判っているつもりなのだけれど、
一か月に一回行くか行かないかくらいなので自信はない。
手前で止まってしまうか通り過ぎてしまうかが多い。
二週間ほど前にもチャレンジしたが失敗した。
行ったり来たりしているうちにさっぱり判らなくなってしまった。
仕方なく通行人の足音を探したがなかなか出会えなかった。
10分以上立ち尽くしていた。
やっと止まってくれた男性がお店の前までサポートしてくださって、
臨時休業の案内を読んでくださった。
溜め息が出る程がっかりした。
運が悪い日だった。
学習した僕は今度はあらかじめ電話で開いているかを確認して出かけた。
おいしいものを食べる時にだけ丁寧に努力する性格は自分でも恥しいくらいだ。
そろそろお店かなと思って歩き、いつものように通り過ぎたかなと引き返した。
そしてまた通行人に教えてもらおうと思って止まった瞬間声がした。
「どこか探しておられますか?」
僕は食堂の店名を告げた。
「ここですよ。」
僕がこの辺かなと思って止まった場所はばっちりだったのだ。
僕の迷子状態に気づいた彼女は躊躇なく声をかけてくださったのだろう。
僕はグッドッタイミングの彼女に御礼を言って店に入った。
今年もSサイズのカキフライ定食をおいしく完食した。
例年よりもおいしく感じた。
お店に入る瞬間にやさしい人に会って心が喜んでいた。
その状態で好物のアツアツのカキフライを食べたのだからおいしさは倍増したに違い
ない。
見えなくて歩くというのは危険もある。
怖い時もある。
でも、とっても幸せになる時があるのも真実だ。
相手が見えるか見えないかなんて関係ない。
見えても見えなくてもやさしさは伝わってくる。
やさしさに出会う確率は見えない方が高いかもしれない。
(2018年1月18日)

あいらぶふぇあのご案内

僕が所属している京都府視覚障害者協会、僕が理事をしている京都視覚障害者支援セ
ンター、そして京都ライトハウス、僕が評議員をしている関西盲導犬協会の4団体が
協力して毎年啓発イベントを開催しています。
今年は1月25日(木)から28日(日)の4日間、
例年と同じ大丸デパート京都店の6階のイベントホールが会場です。
見えない人、見えにくい人の暮らしなどを知ることができます。
アイマスクでコーヒーを飲んだりの体験もできます。
入場は無料です。
1人でも多く参加してくださることが僕達も参加しやすい未来の社会につながってい
きます。
僕の講演は初日の25日(木)15時半からです。
また「風になってください」と「風になってください2」のサイン本が特別価格で販
売されています。
詳しくは京都ライトハウスのホームページをご覧ください。
(2018年1月16日)

初釜

赤い毛氈に静かに座る。
久しぶりの正座で背筋が伸びる気がする。
運ばれた花弁餅をゆっくりと味わう。
微かな白味噌の風味とごぼうの食感が口の中で調和する。
サポーターが床の間の掛け軸や米俵の置物などを耳元でそっと説明してくれる。
やがて薄茶の茶碗が僕の前におかれる。
「お点前、頂戴致します。」
両手を畳にについて挨拶をする。
昔教わった作法はもうほとんど忘れてしまっている。
見よう見まねもできない。
仕方がないので僕流で頂くことにする。
美味しくが一番大切と教えてくださった先生を思い出しながら茶碗を口元に運ぶ。
ほろ苦さが心を落ち着かせる。
僕の茶碗には梅と松の絵が描かれてあった。
なつめにも宝ヅくしの絵が描かれてあるらしい。
初春という言葉がとてもよく似合う空間で
時間は止まったふりをする。
心が穏かになっていく。
この穏やかさの向こうに平和が存在するのだろう。
世界中が平和でありますようにと何故か願っている僕がいた。
(2018年1月14日)

恐怖心

久しぶりの道を歩いた。
数年前までよく歩いていた道だ。
難関の六車線の長い横断歩道も無事渡った。
そこでほっとしてしまったのかもしれない。
直角に曲がるつもりが斜めに歩いてしまったらしい。
それにさえ気づいていなかった。
いつの間にか車道に飛び出して歩いてしまっていた。
「そこ車道だよ。」
信号で停車中の車の運転手さんが大声で教えてくださった。
遠くからだったけど男性の太い声が僕に向けられているのが判った。
僕は慎重にゆっくりと歩道側と思われる方向に動いた。
身体中に広がる恐怖心をあやすようにしながら動いた。
どこからかまた別の女性が近寄ってきて支えてくださった。
そして横断歩道の点字ブロックまで誘導してくださった。
見るに見かねてのことだったのかもしれない。
御礼を言うのがやっとだった。
なんとかそこからバス停までたどり着いてバスに乗車した。
座席に身体を預けたらまた恐怖心が蘇った。
泣きそうになった。
僕は目が見えないんだ。
見えない状態で歩いているんだ。
恐怖心が現実を直視させた。
事故に遭いたくない。
強く思った。
今度目が見える人とあの場所まで行って練習をしよう。
頑張ればきっとクリアできる。
頑張ればきっとクリアできる。
何度も呪文のように言い聞かせていたらちょっと楽になった。
2018年1月10日)

陽だまり

30歳代で光を失った彼女は50年以上の歳月を見えない世界で過ごしたことになる。
活発で活動的だった彼女にも少しずつ老いが忍び寄ってきた。
体力の衰えは緩やかだけれど記憶はどんどん失われていっているようだ。
特に新しい過去の記憶はなかなかしんどいみたいだ。
予定を勘違いしたり間違ったりが目立つようになってきた。
僕が誰かもわからなくなる日はそんなに遠くはないのかもしれない。
冬の陽だまりの中で彼女はふと背中のぬくもりに気づいたらしい。
お日様の光が背中に当たっていると言いだした。
それから突然やさしい声で思い出を語り始めた。
目を細めるようにして語り始めた。
紙を鉛筆で黒く塗ってそこに虫眼鏡で光を当てた。
光の輪が小さく小さくなるように虫眼鏡を動かした。
光の輪はキラキラと輝いた。
やがて光の輪から煙が立ち上った。
うっすらと白い煙が出て紙に穴が開いた。
それが不思議でとてもうれしかったらしい。
幾度もたくさんのお日様の光を集めたと思い出を結んだ。
70年以上昔の少女の頃の記憶が鮮明に語られた。
新しい記憶から消えていく理由が少し判ったような気がした。
人は一番やさしいものを最後まで抱きしめて生きていくのだろう。
いつかひょっとしたら見えなかった人生さえも彼女の記憶から消えるのかもしれない。
それは頑張って生きてきた彼女へのご褒美なのかもしれない。
冬の陽だまりが静かに彼女を包んだ。
光はそっとやさしく彼女を抱きしめた。
(2018年1月7日)

61歳

61歳になりました。
61年間生きてきました。
たくさんの人に支えられて生きてこられたのだと思います。
こうして今存在しているのはそれぞれの時代に巡り合って絆を結んだ人達のお蔭のよ
うな気がします。
もう会えなくなった人もいます。
生存さえ判らなくなった人もいます。
見えなくなってから出会った人もいます。
去年出会った人もいます。
偶然は必然なんだといつの頃からか感じるようになりました。
すべての人に感謝です。
見えない時間が人生の三分の一を越えました。
見えている頃の話をする時、ちょっと気恥ずかしさを感じるようになってきました。
それだけ遠くのことになってきたのでしょう。
それはまだまだ進行形です。
もし80歳まで生きられたら、
人生の半分が見えない世界で生きたということになります。
不思議な感じです。
61歳になった今思うこと、
やっぱり僕は僕なんだということです。
当たり前のことなんですけれどね。
目をキラキラさせながら過ごした青春時代の僕も、今の僕も変わらない僕です。
そしてまだ気力も体力も現役です。
61歳の時間、しなやかに優雅に生きていきます。
(2018年1月5日)

箱根駅伝

箱根駅伝の応援が年始の恒例となったのはいつからだろう。
2日と3日の午前中はラジオにかじりついている。
見えている頃からスポーツ観戦は好きだったが、
見えなくなって遠ざかってしまったのも幾つかある。
サッカー、バスケット、バレー、卓球などは解説だけではついていけない。
想像して楽しめるかがポイントなのかもしれない。
野球はワンプレーずつ止まって解説が入るので問題はない。
ラグビーは好きだったから昔見た光景が蘇る。
フィギアスケートとかシンクロナイズドスイミングなどはお手上げだ。
ボクシングなどの格闘技も一瞬が見えないとあまり面白くない。
陸上も短距離はどうしようもないがマラソンとか駅伝は楽しめる。
そこにスポーツならではのドラマがあるからかもしれない。
東洋大学は従兄のなおちゃん、中央大学は従弟のひでおちゃん、駒沢大学は親友のよ
しゆき君、国士館大学はまなぶ君・・・。
それぞれの関係者と一緒に自分の青春時代を重ねたりもする。
講演に招かれた帝京大学にも愛着はある。
二日合わせて6時間くらいはあるので想像も回顧もゆっくりとたくさんできてしまう。
そしていつも最後に残るのはすがすがしさだ。
初春によく似合う。
僕が走るなんてそれはあり得ない。
でもいつか白杖で同じコースを歩いてみたいなとか思ってしまう。
こういうのを初夢っていうのかな。
2018年1月4日)