ひとひらの雪

始まりはきっと悲しさだった。
口惜しさだった。
むなしさだった。
つらさだった。
目が見えなくなった僕が見えていた僕と同じ僕であり続けるために
僕は話さなければならなかった。
僕は歩かなければならなかった。
だから少しずつそうした。
努力も継続も苦手な僕が20年もやってこれたのは
僕自身を守るためだったのかもしれない。
いつの間にかそれはやりがいになり生きがいになった。
活動は充実感を伴い出会いが勇気をくれた。
ただ立ち止まって振り返ると厳しい現実が横たわっている。
何も変化は起こっていないのかもしれないと感じてしまう。
無力感に打ちのめされそうになる。
砂漠にジョーロで水を撒いているのだろうか。
僕は無意味に踊るピエロなのだろうか。
答えを欲しがる自分を情けなくも思う。
静かな気持ちで空を眺めた。
友人から聞いた雪の話を思い出した。
雪は地面に降りた瞬間に消えていく。
数えきれない雪が消えていく。
それでも降り続ける。
ただ降り続ける。
そしてある瞬間から消えなくなる。
積もりだす。
一気に真っ白な世界が生まれる。
社会が変わるってそういうことなのだそうだ。
深呼吸をしたら元気が出てきた。
今年も頑張ろう。
頑張ることしか僕にはできない。
正直に話そう。
コツコツと歩こう。
真っ白な世界を夢見ながら消えていくひとひらの雪でありたい。
(2018年1月1日)

煩悩

小学校低学年の頃、高学年はお兄さんに見えた。
高学年になったら中学生がお兄さんに思えた。
中学生になったら高校生が大人に見えた。
そして高校生になった時そうではないことに気づいた。
妄想という言葉を知った。
きっといつもなにがしかの目標もあって向上心もあったのだろう。
大人になってもそれは変わらなかった。
ただ、いつの間にかあきらめる自分を認められるようになった。
反省も上手になった。
作り笑いもできるようになったし謝罪もこなせるようになった、
それでも立ち止まってしまう勇気は持てない。
のろまな足でよたよたしながら歩き続けている。
煩悩に振り回されながら生きている僕がいる。
108の喜び、悲しみ、苦しみ、怒り、そして感謝。
過ぎ去った時間にありがとう。
出会った人にありがとう。
2017年にありがとう。

このブログが今年108個目になると
故郷のガールフレンドから連絡がありました。
狙ったわけでもなくたまたまなのですが不思議です。
そうそう、最近思うようになったことがひとつあります。
歩き続けていれば奇蹟は起こるのかもしれないということです。
根拠があるわけではありません。
でも例えば、ささやかに始まったこのブログ、
一か月に1万人くらいの人がアクセスしてくださっているらしいです。
始めた時には誰も予想しなかった数字です。
その数字、2万になり3万になり、そしていつか・・・。
奇蹟を信じて、奇蹟を愛して、また明日からも歩きます。
歩くために今夜は白杖をしっかりと拭きます。
来年も僕の歩調で僕の歩幅で歩き続けます。
一年間のご愛読、ありがとうございました。
これからも、引き続き読んでいただければうれしいです。
皆様も良いお年を!
(2017年12月31日)

手袋

手袋をしていると白杖で感じる触覚は少し弱くなる。
だから少々の寒さでは手袋はしない。
寒がりだけど我慢する。
例えしても人込みとか慣れない場所でははずす。
それだけ触覚が重要だということだろう。
今朝はあまりの冷たさを感じてバス停まですることにした。
いつもより少しスピードを落として慎重に歩いた。
耳を澄ませて歩いた。
バス停は点字ブロックがあるのでそれが目印だ。
ただ途中の路面も結構デコボコなので判りにくい。
点字ブロックのでこぼこ感と素材のつるつる感、ざらざら感で判断しなければならな
いのだ。
まだかなと思いながら歩いていた。
「ここだよ。」
周囲には誰もいないと思っていたのに突然の声だった。
数歩後ずさりすると確かに点字ブロックがあった。
僕がちゃんと止まれるか見ていてくださったのだろう。
通り過ぎようとしたので声をかけてくださったのだろう。
「ありがとうございます。」
僕は照れ笑いを浮かべながら御礼を伝えた。
「今年ももうあとわずかだね。
お兄ちゃんもよく頑張ったね。」
彼は時々僕を見かけているらしい。
年齢は90歳を超えていて一人暮らしらしかった。
「今年もまだお迎えがこなかったから、もう少しは生きているんだろうね。
お兄ちゃんはまだまだやなぁ。」
彼は独り言のようにつぶやいた。
お兄ちゃんと呼ばれたのが判るような気がした。
そして褒めてもらえたことをなんとなくうれしく思った。
6歳の時、父ちゃんから頭を撫でてもらいながら褒められたことを思い出した。
一瞬、幸せに包まれた。
バスが来た。
おじいさんはまるで父ちゃんが僕にしてくれていたように誘導してくれた。
不思議な感じがしたが違和感はなかった。
いい一年だったのかもしれないと思った。
(2017年12月30日)

みかん

みかん色を思い出しながらみかんの皮をむく。
香りの中でみかん色が鮮やかさを増す。
白い内皮を指先できれいに取り除く。
唇に触れながらみかんを吸い出す。
甘いみかんの汁が口中に広がる。
口の中でみかんの粒粒がまたみかん色を主張する。
ふとみかんを届けてくれた故郷の友人に思いを寄せる。
「とっても甘いから送るね。」
突然の電話だった。
人生の初冬を過ごしている僕達だからこそ、
そんなお洒落な理由でプレゼントを送れるし受け取れるのだろう。
素敵だと思う。
コタツに足を突っ込んで冬を楽しむ。
まだまだ人生も楽しまなくちゃ。
きっと少し黄色くなっているであろう指先をそっと見つめる。
「ありがとう」
独り言のようにつぶやいた言葉を自分の耳で聞いて笑顔がこぼれる。
(2017年12月28日)

クリスマス

「今夜はイブイブだよ。」
小学校5年生の少女と一緒にコンサートホールに出かけた。
大学の吹奏楽の定期演奏会だった。
目が見える頃も幾度もコンサートに出かけたが、
見えなくなってからの方がなんとなくしっかりと楽しんでいるような感じがする。
目の関係ではなくて年齢のせいかもしれないとも思う。
耳で聴いているのではなくて身体全体で聴いているのだ。
それぞれの楽器の音色、振動で震える空気、ホール全体が僕を包み込む。
心がゆっくりと微笑み出す。
自然とリラックスしていくのが自覚できる。
アンコールの拍手の中、学生達は赤い帽子をかぶったらしい。
クリスマスメドレーを聴き名ながら僕にもサンタが来てくれたような気になった。
ちょっと幸せなクリスマスになった。
(2017年12月24日)

けちん坊

バス停で彼は待っていてくれた。
久しぶりの再会だった。
再会を喜ぼうとする僕を静止して彼はすぐに手引きで歩き出した。
狭い歩道で他の通行人の妨げになったらしい。
彼はいつも通りに見えない僕の安全を優先させていた。
それから広い道に出てすぐに教えてくれた。
「とってもきれいな青空ですよ。」
僕達は師走の微風に吹かれながらゆっくりと歩いた。
それから近くのレストランに入った。
とりとめもない話をしながらお互いの近況を確認した。
僕は目が見える人と時間がある時にはできるだけ歩こうと思っている。
健康のためだ。
彼に買い物の手伝いと地下鉄で一駅の歩行をお願いした。
彼は引き受けてくれた。
レストランを出て歩きながら彼はまたつぶやいた。
「とってもきれいな青空です。雲一つありません。」
僕は空を眺めながら歩いた。
一歩一歩足を前に出しながらのんびりと歩いた。
歩いていることを幸せだと思ってしまった。
地下鉄で移動して買い物をすませそれからまた歩いた。
途中コーヒー豆を焙煎する香りに誘われてカフェに入った。
コーヒーを飲みながらふと気づいた。
専門学校で彼と出会ってもう10年になる。
僕は彼の顔を見たことがないのになんとなく思い出している。
不思議な感じがした。
カフェを出てバス停に向かいながら彼はまた言った。
「本当にきれいな青空です。見ないで歩いている人はもったいないですね。」
急ぎ足で行き交う人達に向けられた感想だった。
その言葉が空の美しさを証明しているようだった。
バス停に着いてしばらくしてバスが来た。
僕は彼に御礼を伝えてバスに乗車した。
もうすっかり慣れている彼は僕の背中越しに声で空いてる席に誘導してくれた。
椅子に座ってから僕は手でバイバイをした。
笑顔の彼の顔を見ながらバイバイをした。
バスが動き出して僕はポケットラジオのイヤホンを耳にさした。
音楽を聴きながらふと窓越しの空を眺めた。
今日4回目の雲一つない真っ青な空があった。
しばらく眺めていた。
けちん坊の僕はもったいないことをしなくて良かったと思った。
そしてまた彼と歩きたいと思った。
(2017年12月20日)

夜が明けていく。
だんだんと明けていく。
きっと空は白み始めているのだろう。
少しずつ光は溢れ出しているのだろう。
祈りの中に身を置いてみる。
だけど僕には判らない。
心を無にして空気に溶け込んでみてもやっぱり判らない。
気恥ずかしさみたいな感情がそっと微笑む。
朝が静かに動き出した。
(2017年12月17日)

ぼぉっと

午前中の中学校での講演を終えてさわさわに向かった。
夕方の会議まで時間が空いたのだ。
僕はさわさわを運営しているブライトミッションという法人の理事長をやっている。
でもほとんど名前だけであまり役に立ってはいない。
申し訳ない思いもあるのだけれど
取り巻きの仲間達の協力に甘えてやらせてもらっている感じだ。
だからせめて一か月に一度くらいは覗かなくてはと思っている。
でもその時間もままならないのが現実だ。
ということで久しぶりにさわさわへ向かった。
京都市役所前駅で電車を降りて方向が判らなくなってしまった。
耳を澄ませて他の乗降客の足音に集中した。
そのタイミングで一人の女性が声をかけてくださった。
僕は改札口までのサポートをお願いした。
改札口を出たら行けるところまで行ってみるつもりだった。
途中までは頭の中の地図でなんとか行ける。
そこから先は電話してさわさわの関係者に迎えに来てもらおうと思っていた。
改札口を出たところで先程の女性が再び声をかけてくださった。
僕の行先を確認して同じ経路ということでサポートを引き受けてくださったのだ。
彼女は本当はひとつ前の駅で電車を降りるつもりだったらしい。
ぼぉっとしていて降り損ねたということだった。
通勤途中だったのだがたまたま時間の余裕もあったらしい。
彼女のぼぉっのお蔭で僕はサポートを受けられた。
地下道を歩き階段を上り麩屋町を北に向かった。
結構な距離なのだがさわさわの玄関まで送ってくださった。
昨日駅でぶつかった女性もぼぉっとしていたと言っておられた。
二日連続でぼぉっとしていた女性と出会ったということになる。
何か不思議な感じがした。
ぼぉっとした人はやさしい人なのかもしれない。
いやいやたまたまかな。
僕も結構ぼぉっとしているけど・・・。
(2017年12月13日)

問題点

出かける前に携帯が鳴った。
急いで話をしたけれど時間がかかってしまった。
中学校での講演に行くための予定のバスには乗れなかった。
タクシーを呼ぼうか迷ったけど次のバスに乗ることにした。
この判断が間違っていたのだろう。
バスが桂駅に着いた時には間に合うかがとても不安になっていた。
僕はあせる気持ちを抑えながら歩き出した。
少しスピードが出てしまっていた。
駅の改札に向かう直前で女性とぶつかった。
その瞬間女性がおっしゃった。
「ぼぉっとしてしまっていました。すみません。」
素直な言葉だった。
急いでいた僕はそのまま返事だけして通り過ぎようとした。
その直後また別の人にぶつかりかけた。
連続なんて初めての経験だった。
ぶつかりかけた瞬間、さっきの女性が咄嗟に僕を支えてくださった。
その流れで僕は彼女のサポートで改札口へ向かうことになった。
「ぼぉっとしてしまっていました。」という彼女の再度の言葉。
「とっても急いでいるので助かります。」という僕の言葉。
僕達は改札口までのたった十数メートルを急ぎ足で歩いた。
「ごめんなさい」と「ありがとう」が一緒に歩いた。
他にも数個の会話があったような気がするが憶えてはいない。
とにかく僕はあせっていた。
点字ブロックのある改札口に着いた。
「気をつけて。」
彼女の言葉に僕の「ありがとう。」が重なった。
友達同士の笑顔が一瞬重なった。
結局関係者との待ち合わせ時間には遅れてしまったが講演には影響はなかった。
帰りはのんびり移動しながら朝の反省をした。
急いでいる時は躊躇せずにタクシーを使おう。
そして直後にもう一人の僕がささやいた。
タクシー代もかからなかったし彼女とも出会えたし、これでいいにしよう。
問題点は判断力ではなくて優柔不断な性格にあるのかもしれません。
とにかく緊張感を持って気をつけて歩きます!
(2017年12月12日)

感想文

講演の感想文が届いた。
ボランティアさんや学生に読んでもらった。
「差別はしていなかったけど区別はしていました。」
「困っている視覚障害者と出会ったら声をかけようと決めました。」
「また来てください。」
「知ることの大切さを痛感しました。」
「白杖が似合っていて素敵でした。」
「障害への考え方が変わりました。」
「誰もが笑顔で参加できる社会を目指します。」
「また会いたいです。」
「楽しくてあっという間の講演でした。」
「声をかける勇気をもらいました。」
言葉が身体に吸い込まれていくようだった。
ひとつひとつの言葉が心に沁みこんでいった。
言葉は時々握りこぶしにもナイフにもなる。
誰かを傷つけたり悲しませたりすることもある。
でもこうして、誰かを包んでくれることもある。
木枯らしの街角で入ったカフェの一杯のホットコーヒーのようだ。
少し寒くなっていた心にゆっくりと広がっていった。
うれしかった。
(2017年12月11日)