返事

まだ17時前だった。
急いでいるつもりでもなかった。
考え事をしていたわけでもなかったと思う。
それでもきっと何かが微妙に違っていたのだろう。
バスを降りて駅へ向かう僕の身体は歩道の左側の電柱にぶつかった。
身体が左を向いていたか白杖が右に寄り過ぎていたかのどちらかだ。
驚いたけど痛くはなかった。
久しぶりにぶつかったなと思いながら次の一歩を踏み出した。
バターン。
今度は派手な音がした。
白杖が停めてあった自転車に触れてしまったらしい。
僕は白杖を地面に置いて自転車を起こそうとした。
走り寄ってくる足音が聞こえた。
「大丈夫ですか?」
彼女は心配そうに僕に尋ねた。
それからまた別の男性が近寄ってきた。
「自転車は僕が直します。」
彼は手際よく自転車を起こしてくださった。
最初の女性は白杖を拾ってグリップを僕の右手に握らせてくださった。
そしてその僕の右手をしばらく包むように握ってくださった。
きっと言葉を探しておられたのだろう。
少しの時間が流れた。
「気をつけて行ってらっしゃい。」
思いもかけぬ言葉が彼女の口から発せられた。
夕暮れ時には不似合の言葉だった。
でも勿論僕はちゃんと返事をした。
「ありがとうございます。行ってきます。」
(2018年2月23日)

内気な人

バスを降りて点字ブロック沿いに歩き始めた。
頭の中に地図がある場所は一応なんとかなる。
でもあくまでも一応だ。
ついこの前はこの場所で迷子になった。
バスを降りていつもと同じ方角に歩き始めた筈だった。
それなのにいつもと同じくらい歩いても最初の目印の分岐の丸い形状の点字ブロック
が現れなかった。
僕は不安になって立ち止まった。
頭の中にはハテナマークがいくつも並んだ。
しばらく他のいろいろな音などを聞いてやっと判った。
バスが停車した場所はいつもと違っていたのだ。
道が混んでいたのか迷惑駐車などで停車位置が変更になたのかは判らない。
とにかく僕のスタートした地点は頭の中の地図とは違っていたのだ。
起点が違うのだから迷って当たり前だ。
迷ったせいで予定の電車には乗り遅れた。
前回の苦い思い出があったので今回はいつも以上に慎重に歩き始めた。
「お手伝いしましょうか?」
ささやかな声がした。
ちょっと不安そうな声だった。
僕は喜んで改札までのサポートをお願いした。
「たまにしか使わない駅なので時々迷子になったりするんです。助かります。」
僕は笑いながら感謝を伝えた。
少し道を歩きエスカレーターに乗った。
「見える人にはちょっとの距離でしょうが本当に助かるんですよ。」
僕は前回を思い出しながら再度彼女に感謝を伝えた。
「そう言ってもらえるとうれしいです。」
彼女はやっぱりささやかな声だった。
内気な性格の人なのだろう。
でもそのささやかな声は確かに微笑んでいた。
(2018年2月21日)

悲しみ

講座の振り返りの時間に彼女は語った。
言葉の数は少なかった。
難病だった娘さんとの思い出の一場面だった。
10歳まで生きられなかった娘さんが彼女の心の中にいた。
天国の娘さんが彼女を見つめていた。
悲しみは少ない方がいい。
例えあっても小さい方がいい。
忘れられるものならきっとそうしたい。
時々悲し過ぎる経験をした人達と出会う。
僕には想像さえできないような悲しみだ。
胸が締め付けられるような思いになる。
ただその後ふと気づく。
悲しみはその人の心の中で変化している。
時間をかけて熟成していくのかもしれない。
悲しみを思い出す瞬間、その人は無意識にとてもやさしい人になっている。
あたたかな人になっている。
講座が終了して僕は彼女と握手をした。
僕達はともだちになった。
(2018年2月16日)

レモン

小雪のちらつく夜だった。
僕達は初対面だった。
彼女はテレビのドキュメンタリー番組で僕のことを知ってくださったらしい。
ただそれだけなのにわざわざ会いに来てくださった。
僕が尾道市に宿泊していることを知って来てくださったのだ。
瀬戸内海に浮かぶ小島から仕事を終えて来られたので21時を過ぎていた。
玄関先で立ったまま挨拶をして握手をしてわずか数分の出会いだった。
名前もおっしゃらなかった。
彼女はレモンを僕に渡すとすぐに帰っていかれた。
島でできたレモンだった。
京都に帰り着いてからレモンの輪切りを口に入れた。
レモンが口中に広がった。
幸せが口中に広がった。
これからレモンに出会う度に行ったことのない瀬戸内海の小島を思い出すのだろう。
やさしい光を思い出すのだろう。
彼女は見えなくなった僕に光を届けてくださったのだ。
届ける思いは時間も距離も越えてしまうのを知った。
(2018年2月14日)

スケジュール

職業はと問われて戸惑うことがある。
専門学校や大学の非常勤講師をしているがそれだけでは経済的な自立には繋がらない。
著書もあるが作家ではない。
お招きいただいて講演をすることも多くなったがそれも職業ではない。
何かを求めて活動してきた結果が現状ということだろう。
決して夢見たものでもないし満足もしていない。
目が見えなくなってしまって仕方ないから白杖を持って歩き始めた。
どっちに行ったらいいのかも判らずに右往左往した。
止まってしまうのは怖かったし悔しかった。
だから歩いてきた。
そしてこれからどこへ向かうかも実は不安だ。
でもやっぱり歩く。
それはきっとまだまだ自分の人生に納得がいかないということなのだろう。
僕には大きなことはできない。
ささやかなことでいいから自分自身が笑顔になれる生き方をしたい。
スケジュールの整理をしていて気づいた。
まだ2月なのに来年度の予定が半分近く埋まっている。
参加できる社会が存在することに心から感謝したい。
まだまだ歩かなければいけないということだろう。
白杖をしっかりと握って前を向いて歩いていこう。
僕にもできることがきっとある。
きっとある。
(2018年2月10日)

立春

いつものように白杖を左右に振りながら歩いていた。
もうすぐバス停というところで挨拶の声が聞こえた。
「おはよう。」
「おはようさん。寒いね。」
しかも二人の女性がほとんど同時だった。
僕は白杖で点字ブロックを確認しながら御礼を言った。
「おはようございます。ありがとうございます。」
彼女達の挨拶には僕にバス停を教えようという気持ちが含まれていた。
それはタイミングや声の調子で伝わってきた。
バス停を通り過ぎてしまう僕を見た経験を持っておられるのかもしれない。
僕はお二人が誰なのか判っていない。
きっと近所の人達だろう。
引っ越してきてからの3年という時間は僕を少し街の風景に溶かしてくれたのかもし
れない。
「寒いけどお日さんはだいぶあったかくなったね。」
「立春を過ぎたからね。」
お二人はそれぞれに僕に語りかけてくださった。
しばらくして別の足音がバス停に近づいてきた。
足音は僕の横で止まった。
「おはよう。立春が過ぎたせいか少し春が近づいてきたね。
お日さんがまぶしい。」
彼は笑いながら話してくださった。
彼が誰なのかはやっぱり僕は判ってはいなかった。
女性達と男性は見識はなさそうだった。
点字ブロックに立つ僕の左側には先程の二人の女性、右側には男性、
きっと皆人生の先輩達だろう。
僕達はバスがくるまでのほんのわずかな時間、やさしい光に包まれた。
それは寒さの中のぬくもりだった。
人間の社会の豊かさをしみじみと感じた。
光を浴びながら立春が過ぎたのを実感した。
(2018年2月7日)

ラジオ放送 変更のお知らせ

お知らせしていました大船渡市のラジオ放送ですが、
ラジオを聴いてくださった方から朗読がなかったと指摘を頂きました。
調べてみましたら、手違いで日時が誤っていました。
ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。
新しい放送日時は以下の通りです。
宜しくお願い致します。
3月6日(火) 午前6時30分 午後7時
3月9日(金) 午前6時30分 午後7時
3月11日(日) 午前9時30分

3LDKの団地のベランダ、
形状も広さも身体が憶えている。
時々一人でそのベランダを歩く。
白杖を持たずに勘で歩く。
父ちゃんが大切にしていた寒蘭の鉢植えに水をやるのが僕の仕事だ。
ジョーロで水をやりながらふとお日様のぬくもりに気づく。
最後の一滴まで水をやってからジョーロを置いて腰を下ろす。
僕はお日様の方に両手を出してぬくもりをすくう。
お日様の光をすくう。
指の隙間から零れ落ちないように両手をしっかりとお椀の形にしてすくう。
光が少しずつ蓄えられていく。
やがて溢れだす。
僕は静かにそれを凝視する。
見えない光の美しさに圧倒される。
ふと小さな風が通り過ぎる。
うれしいのか悲しいのか区別できない涙が一筋流れる。
見えない目から当たり前に流れる。
(2018年2月4日)

講演

ランチは名古屋飯だった。
名古屋コーチンのだし巻、手羽先、味噌カツ、エビフライ。
関係者と歓談しながら食事をした。
風景のない僕はその土地の言葉や食事などが旅の楽しみのひとつになる。
風景がないというのは悲しいことなのかもしれないが、
人との出会いはそれを越えて幸せまで感じることがあるから素敵だ。
どこかで僕の本を読んでくださった方が講演を聞きたいと思ってくださる。
いつか講演を聞いてくださった人がもう一度と言ってくださる。
有難いことだと思う。
名古屋駅近くの会場はたくさんの人だった。
音訳、点訳、副音声の製作に関わっておられる人達などが集まってくださった。
視覚障害に関わるボランティアの方々だ。
僕はいつものように話をした。
目の前はグレー一色の状態なので自分がどちらを向いているのかは判らない。
演台を触ることで方向を確認している。
会場の皆様の顔も一人も判らない。
目隠しをして講演しているようなものだ。
それなのに僕はいつも笑顔で話をしているらしい。
無意識にそうなっている僕が要る。
未来を見つめた時、人は笑顔になれるのだろう。
ありがとうを伝える時、人は笑顔がこぼれるのだろう。
ということは、講演をしている僕は幸せということになる。
幸せをいただいているのかもしれない。
お招きくださる人達に、講演を聞いてくださる人達に、心から感謝したい。
(2018年2月2日)

視覚障害者同士の再会

同世代の僕達は京都の小料理屋で再会した。
彼と知り合ったのは二年程前の東京での研修会だった。
お互いに見えなくなってから知り合ったのだから顔は知らない。
それぞれの暮らしぶりも思想も宗教も知らない。
知っているのはお互いの年齢と失明した時期とその原因、
そして僕は京都で彼は横浜で生きているということくらいかもしれない。
たわいもない話をしながらの歓談だった。
僕達はなんとなくそれぞれの人生を愛おしんだ。
彼は突然携帯電話で僕のホームページにアクセスしてみせた。
機械音痴の僕は携帯電話のメールもできない。
彼はインターネットにアクセスしたりYouTubeで音楽を聴いたりできるのだそうだ。
いつもそういう人に会えばうらやましいとは思うのだけれど、
生来の勉強嫌いが邪魔をしてしまう。
僕はこれでなんとかなっているからいいんだと言い訳はいつも雄弁だ。
彼の言葉から、彼が僕のブログを楽しみに読んでくれているのが判った。
時々そういう仲間に出会う。
とてもうれしくなる。
僕の言葉が仲間の思いとどこかで重なることがあるとすれば、
それはこの上もなく光栄なことだと思う。
同じ未来を見つめているということになる。
彼は知り合いの気になる20歳代の若い視覚障害者の職業について語った。
できる応援をしたいと言った。
僕も僕にできることをコツコツとやっていこう。
僕は彼と彼のチャーミングな奥様と硬い握手をして別れた。
(2018年1月29日)