メジロ

ベランダに出て洗濯物を干していたら、
団地の向こう側から聞こえてきた。
間違いなくメジロの鳴き声だ。
距離は判らないがきっと里山のふもとからだろう。
僕は手すりに寄りかかって聞き入った。
少年時代を思い出した。
はこべなどの野草を摘んですり鉢で丁寧につぶした。
薄茶色のすり鉢の中で緑色が美しかった。
それからぬかと混ぜてエサを作った。
そのエサを小さな白い陶器のエサ入れに入れて竹製の鳥かごに置いた。
うれしそうに飛び跳ねながら泣いてくれるメジロをずっと見ていた。
飽きもせず見ていた。
ウグイス色の羽根が綺麗だった。
少しずつ泣き方が上手になっていくのがうれしかった。
口笛で真似したりしていた。
季節は春だったのだろうか。
鳴き声に気づいただけなのに、
ほこりをかぶっていた記憶が見事に蘇っていた。
色彩までが鮮やかなのに驚いた。
幸せを感じた。
ふと空を見上げた。
いつもと同じだった。
映像はなかった。
もう見るということはないのだろう。
でもこれからも美しいものに出会いたい。
耳で聞いててで触れて感じながら生きていきたい。
(2017年4月7日)

春風

彼女と初めて出会ったのは地元の小学校の教室だった。
僕はたまたまその小学校の総合的な学習にゲストスピーカーとして参加していた。
熱心だった彼女とニュータウンの中を歩いたような気がする。
中学校での福祉授業でも出会った。
手引きや点字も勉強してくれた。
毎年いろいろな学校に出かけるけれどそれは要請があってのことだ。
昨年出かけた学校に今年行けるかは判らない。
ちなみに10年という単位で継続しているのは1割くらいだろう。
複数回出会うというのは縁があるということだろう。
ところが、たまたまなのだが、彼女とはその後も出会うことになった。
彼女が通っていた高校の先生方の研修にお招き頂き、
学校までのサポートを彼女にお願いした。
教師を目指していた彼女は教育大に進学した。
大学時代は駅で僕を見かけたら幾度か声をかけてくれた。
この春彼女は大学を卒業し大学院に進学することになった。
お祝いを兼ねてささやかなランチタイムを一緒に過ごした。
食事の後、彼女の手引きで烏丸通りをのんびりと歩いた。
出会った時僕の胸までくらいしかなかった少女は僕よりも少し高くなっていた。
手引き、そこにつながる理解、彼女は10年以上の経験があるということになる。
実際、技術もプロ級だった。
僕は春風を感じながら歩いた。
そんな余裕があったということだろう。
思いを込めて祈りながら種を蒔く。
見えない向こうに種を蒔く。
答えが出るにはやはり時間がかかる。
でもきっと発芽する種があり育ってくれる種がある。
希望を失わないことの大切さ、
春風がささやいた。
(2017年4月4日)

さくらまつり

毎年4月の第一土曜日と日曜日に洛西さくらまつりが開催される。
小畑川沿いの桜並木が桜色に染まる頃だ。
会場ではボランティアさん達が点字や手引きの体験コーナーを開設してくださる。
地域での大切な啓発活動の場となっている。
地味な企画だから特別ににぎわうことはないが、
参加してくださる人は毎年必ずいる。
参加してくださればきっと正しい理解につながっていくだろう。
コツコツと継続することがとても重要だ。
僕もほとんど毎年参加している。
今年の桜はまだつぼみだったがそれなりの人出だった。
数十名の方が点字や手引きの体験をしてくださった。
僕も精一杯頑張った。
年度始めという設定も僕の気持ちを強く推してくれた。
休憩でテントの奥に腰を下ろしていた時、
1人の女性が僕を尋ねてきた。
「小学生の時に松永さんのお話を聞きました。
それから何度かお手伝いをしました。」
28歳になっていた彼女が笑った。
地味な活動でもコツコツやり続ければ、
必ず未来につながっていく。
彼女はそれを伝えるために僕を尋ねてくれたような気がした。
抱っこされていた彼女の赤ちゃんも笑った。
未来が笑った。
(2017年4月1日)

チューリップ

僕達は様々なことを社会にお願いする。
企業に対してであったり地域や行政に向けてであったりする。
見えない人も見えにくい人も参加しやすい社会になって欲しい。
思いはいつも同じだ。
見える人と同じように「普通」に生きていきたい。
ただ何もかもが一気に解決するとは思っていない。
あきらめないということが大切なのだろう。
それぞれの人がそれぞれの立場を超えて理解が深まる時に社会は一歩前に進む。
社会が成熟していくとはそういうことだ。
僕自身も自分のことになれば欲が出る。
それをコントロールするのは難しいから、
50年先の後輩達がと考えるようにしている。
そうすればそんなに大きな間違いにはならないだろう。
今日も行政関係者に相談をするために市役所を訪ねた。
難しい案件だったが丁寧に話を聞いてくださった。
誠実さが伝わってきた。
解決したわけでも好転したわけでもなかったが、
感謝の思いで市役所を出た。
市役所の花壇にはチューリップがあった。
膨らみかけた蕾をそっと触った。
力強く感じた。
うれしくなった。
風はまだまだ冷たい。
でもきっといつか開く。
春がくる。
(2017年3月28日)

10刷り

2003年の師走、僕はボランティアさんと京都駅近くの喫茶店で話をしていた。
彼女は出版関係で仕事をしていた人だった。
たまたま僕のメールの文章を読んでくれた彼女は本を書くということを僕に提案して
くれた。
本を書くなんて素人の僕には何もイメージすることはできなかった。
不特定多数の人が読むかもしれないということへの気恥ずかしさに、
僕の気持ちが硬直したのも事実だった。
それでも決心ができたのは「活字の力」への希望が膨らんだからだろう。
いざ始まるといろいろと大変だった。
まず自分自身が読むかもしれないという現実から逃れたかった。
結局、原稿を書いたらすぐに彼女にメールで送信し、
僕の履歴からは削除するという方法で取り組んだ。
その後の著書もこのブログも方法は受け継がれている。
僕の手元には何もないので自由と平穏が保たれているのだと思う。
2004年12月に「風になってください」がデビューした時専門家に尋ねたことがある。
「どれくらい売れたら成功と言えるのですか?」
その際重版という言葉を知った。
きっと出版社も専門家も勿論僕自身も無縁のことだと思った。
それが重版になってしまった。
たくさんの子供達が読んでくれたということが大きかったような気がする。
それから10年以上の時間が流れた。
どこの本屋さんでも注文も購入もできるけど、
メジャーではないし年数が経っているからほとんど店頭には置かれていない。
それでも少しずつ売れ続けているのはインターネットのせいだろう。
この時代の物流のしくみが後押ししてくれたことになる。
フェイスブックやラインやツイッターなどの口コミも現代の力なのかもしれない。
まさに「活字の力」は僕の活動の力となった。
この春「風になってください」はとうとう10刷りを迎えた。
社会の中にあるやさしさが起こした奇蹟だ。
春のぬくもりのようなやさしさだと思う。
心から感謝申し上げます。
ありがとうございます。
(2017年3月24日)

先生

僕に点字を教えてくださった全盲の先生が亡くなられた。
先生はぬくもりのある厳しさを持っておられた。
手を抜くことは許してくださらなかった。
でもつまずきそうになったら励ましてくださった。
マンツウマンの授業を繰り返しながら少しずつ点字が読めるようになっていった。
先生はいろんな話をしてくださった。
ひょっとしたら、
見えないで生きるということを伝えようとしてくださっていたのかもしれない。
いつも豪快に笑っておられた。
先生の失明原因を知ったのは随分後だった。
思春期の少女が通り魔事件の被害者として光を失うということがどんなことなのか、
僕には想像することも理解することもできなかった。
薄っぺらな言葉は同情につながりそうで僕は何も言えなかった。
先生と二人ぼっちの教室で共有した時間は僕の感情を変化させていった。
いつの間にか生きていく命の美しさを感じるようになっていった。
僕もそんな風に生きていきたいと願うようになっていった。
棺の中の先生はいつものサングラスをはずしておられた。
そして微笑んでおられた。
何が幸せで何が不幸せなのかそんなことは誰にも決められない。
もし決められるとすれば、それは最後の瞬間の自分自身なのだろう。
僕もその時に微笑んでいたい。
先生、ありがとうございました。
(2017年3月21日)

現役

受講者の大半は大学生だったが、僕より年上の方も多く参加しておられた。
ディスカッションでは「高齢」とか「シルバー」というような単語が幾度も聞かれた。
それなのに講座全体は活気に満ちていた。
しかもその活気には品位があった。
「学んだことを周囲に伝えたい。」
「自分にできることをしっかりとやっていきたい。」
活動とか仕事とかを超えていく言葉が会場をどんどん明るくしていった。
まさしく未来を創造していく姿勢がそこにあった。
年をとるということはどういうことなのだろう。
「老い」って何なのだろう。
体力も気力も若い頃のようにはいかない筈だ。
それなのに活き活きとしておられるのは、
社会に現役として関わっていこうとする力のせいなのかもしれない。
講座で一番得をしたのは間違いなく大学生達だった。
その雰囲気の中で大学生達がどんどん成長していった。
そして終了した時の僕の気持ちもとても爽やかだった。
(2017年3月19日)

卒業式

厳粛な空気の中で1人1人の氏名が読み上げられる。
それぞれの学生がそれぞれの声で返事をする。
それから壇上に上がっていく足音が聞こえる。
卒業証書を手にした学生達が僕達講師陣の前を歩いて席に戻っていく。
その足音にも個性がある。
僕は学生達の顔を見たことはないのだから、
氏名を聞いても足音を確かめてもピンとこない。
見えないと耳が良くなるかとか記憶力がいいのかと尋ねられることがあるがそんなこ
とはない。
僕なんか元々記憶力には自信がない上に職業柄出会う人数も半端じゃないのだからお
手上げだ。
それでも特別に支障はない。
それぞれの学生達に心をこめて拍手を送る。
おめでとう!
卒業式が終わって次の用事のために急いで会場を出ようとする僕に、
卒業生達が自分の氏名を名乗りながら挨拶をしてくれる。
僕が伝えたかったことを学生達はいつの間にか身に着けてくれていることに気づく。
新しい春、それぞれに次のステップで頑張ろうね。
頑張って笑顔になろうね。
僕も頑張ります。
(2017年3月15日)

運勢

運がいい日もあればあまり良くない日もある。
気にしないと言いながら朝のテレビの運勢占いが聞こえれば聞いてしまう。
基本的には小市民なのだろう。
目が見えるとか見えないとかは関係のないことなのかもしれない。
僕のその日の運勢はバスから始まる。
僕が空いてる席に座るためには運転手さんや乗客の方からの情報が必要になる。
運が悪かったら何度バスや電車を乗り換えても座れない日もある。
今朝は運が悪かった。
座れる時にはほとんど乗車した瞬間に声がかかる。
今朝は何の気配もなく桂駅までの20分を立ったまま過ごした。
大宮へ向かう電車もそうだった。
せめてここくらいはと思いながら乗車したライトハウス行のバスもだめだった。
結局30分近くを立ったまま過ごした。
悔しいとか悲しいと思うのはいやだから、
座れない日は体力作りだと自分に言い聞かせることにしている。
負け惜しみみたいなものだ。
その後の移動も運は良くはならなかった。
午後再度ライトハウスへ向かうため市役所前からまたバスに乗車した。
やっぱりだめかとあきらめようとした時、
誰かが僕のリュックに合図をくれた。
「席、空いていますよ。」
ご婦人が自分の横の空席を僕に教えてくださった。
40分の立ちっ放しを覚悟していた僕は本音をつぶやいてしまった。
「これで座ったままライトハウスまで行けます。本当にありがとうございます。」
それから僕とご婦人との会話が始まった。
ご婦人が途中下車されるまでのわずかな時間、僕達の間に暖かな空気が流れていた。
人間同士が醸し出すことができるものだった。
豊かな時間だった。
運勢は一気に好転した。
午前中は体力作りで午後は心の栄養補給、今日はとってもいい日だな。
現金な僕はうれしくなっていた。
(2017年3月13日)

健康のために

モーニングコーヒーを飲みながらパソコンに向かう。
僕の日課だ。
常備のコーヒーは何種類かあるのだけれど、
イノダのインスタントコーヒーが一番のお気に入りだ。
決して通ではないけれど、
香りと味のハーモニーがなんとなく好みに合うのだろう。
一杯分がスティックタイプになっていて手軽で美味しい。
スターバックスの同じタイプのものも甲乙つけ難いのだけれど、
イノダの方がリーズナブルというのが決めてになっている。
庶民には大切なポイントだ。
それでも普通のインスタントコーヒーよりは結構割高だけど、
お酒も嗜まない自分へのちょっとのご褒美みたいな感覚だ。
豊かな時間でありたいのだろう。
パソコンを開いて今日を含めただいたい一週間分のスケジュールを確認する。
自由業の僕は行先も時間も毎日違う。
しかも時間厳守の仕事が多いから確認は大切だ。
それからメールチェックをする。
講演依頼などはホームページから夜に届いている場合が多い。
そういう場合はスケジュールを確認して調整をしなければならない。
そこから僕の社会参加が始まっているのだ。
有難いことだと思う。
失明した当時は何もスケジュールはなかった。
社会に関われない口惜しさや寂しさの中で日々を過ごしていた。
でもそれは僕の個人的努力ではどうしようもないことばかりだった。
僕の活動の原点はその日々にある。
鹿児島県から講演の依頼が届いた。
11月の予定だ。
スケジュール調整をしながら、
一か月に札幌、東京、鹿児島と移動することに気づいた。
光栄なことだ。
と同時に健康の大切さを感じている。
元気でいなくちゃいけない。
先日会った先輩は一週間に3日はジョギングをしているとおっしゃった。
僕も何か始めなければと思いながら、
すっかり怠け癖のしみついた心身が邪魔をする。
何かをと考えることを考えることから始めようか。
(2017年3月9日)