朝一番に、ベランダで洗濯物を干し終わって、
冷たくなった手をすりあわせながら台所のガラス窓を閉めた時、
窓越しの春に気づいた。
顔や手に、ぬくもりを感じたのだ。
僕は、そっと、手のひらを外に向けて差し出した。
小さなバンザイみたいな格好だ。
春の光が、手にまとわりついた。
夏の光のような、肌を焦がすようなものではないが、
確かに、強い光だ。
何かエネルギーみたいなものを含んでいる。
前かがみになっていた身体が、ゆっくりと起き上がる。
顔が、日差しに向かって、少し上を向く。
光は、見える人に、明るさを届ける。
それは、とても大切なこと。
でも、見えない僕達にも、
ぬくもりでそれを知らせてくれる。
それは、見えても見えなくても素敵なこと。
光は、手にまとわりつき、身体に吸収されていく。
身体の中から幸せを感じる。
お日様は、平等だなって思う。
(2013年2月12日)
陽光
トイレの梅一輪
さわさわの男子トイレで用を足して、
水洗のボタンを押そうとした瞬間、
手に何か、細い木の枝が触れた。
僕はそっと、それを触った。
小便器の横に、片方は水を含ませた布でくるんで、
そっと吊るしてあった。
僕は、右手の人差し指の腹で、その枝を触った。
10センチくらいの短い木の枝の途中に、ひとつ、小さな花を見つけた。
直感的に、梅の花だと思った。
見える人に確かめたら、
やっぱり、一輪の梅の花だった。
トイレに神様がいるかどうかは、僕は知らない。
でも、トイレに、梅の花一輪を飾ることのできる感覚は、
日本人ならではの財産のような気もする。
そう思える自分でありたいし、
そういう仲間がいることを幸せだと思った。
トイレを出たら、
舞い降りる雪が顔にかかった。
今年初めての、春のささやきを知った。
うれしくなった。
(2013年2月9日)
黒いサングラスに大きなマスク
いつものように白杖を持ち、
いつものようにリュックサックを背負い、
いつものように歩いた。
いや、いつもより、ちょっとスピードを落として、
いつもより慎重に歩いた。
風邪気味で少しふらついているのが判っているからだ。
ところがここ数日、サポートを申し出てくださる人に出会わない。
極端に出会わない。
僕ははっと気づいた。
マスク!
少し咳き込むのでマスクをしているのだ。
ふっと、自分の姿を思い浮かべた。
黒いサングラスに大きな白いマスク、
見える人から、きっと、僕の表情などは判らないだろう。
不審者かな?
かと言って、マスクをはずして咳き込むのも迷惑だし、
マスクにハートマークでも描いてもらおうか。
でも、余計に不審者の気もするし。
早く風邪を治したい!
(2013年2月4日)
発熱
体育館での講演、
ちょっと寒いなとは感じていたが、
無事終了して次の会議に出席する頃には、
強い悪寒を感じた。
会議が終わってから、
友達にお医者さんまで運んでもらった。
一日、寝て過ごした。
きっと発熱しているなと思っても、
体温計を見ることはできない。
いつもの家の中を、
ふらついて歩くので、
あちこちにぶつかる。
方向が判らなくなる。
薬を飲むことも、確認が大変。
日常と違う場面になると、
やっぱり、目があったらなと弱気になる。
56歳、今はまだ、白杖に身をたくして歩ける。
でも、そのうち、
老いていったら、
きっと自信がなくなる日がくるだろう。
恐怖心をコントロールできなくなる日がくるだろう。
一日でも長く、一人で歩くためには、
やっぱり、助けてくださる人を増やすしかない。
見える人も、見えない人も、見えにくい人も、
皆が笑顔で参加できる社会、
それを目指さなくっちゃ。
まだ、ノドが痛いけど、
今日も頑張ります。
(2013年1月31日)
雪
ガイドヘルパー講座の最終日、
予定の内容を終えて、
少しの疲労を感じながら会場を後にした。
早速、講座を受けてくれていた女性が僕の手引きをしてくれた。
疲労は決して重たいものではなく、
自分なりに精一杯取り組めた後の、
快い部類のものだった。
僕は彼女の肘をつかんで、
身をゆだねた。
去年の今日、僕達は他人だった。
それがこうして、命を預けて歩いている。
友達とか近所の知り合いとか、そのレベルではない。
ひょっとしたら、恋人や家族に近い関係かもしれない。
僕は、彼女の名前さえ正しくは判っていない。
でも、人間同士の絆が、間違いなく存在していた。
僕は歩きながら、
先週行った小学校で、
「宝物は何ですか?」という質問があったのを思い出した。
「いっぱい出会える、素敵な人達が宝物だよ。」と答えた。
街灯の明かりの中で舞い踊る雪の姿を、
彼女は僕に伝えた。
もう、いつ見たのかも忘れてしまった雪の画像が、
フラッシュバックした。
僕はきっと、もう二度と、それを見ることはないだろう。
それは、悲しいことなのかもしれない。
でも、絆は、その悲しさを超えるうれしさを生み出す。
雪の映像がフラッシュバックした瞬間、
僕はうれしくて、かぶっていた帽子を脱いだ。
顔にあたる雪を、愛おしく感じた。
(2013年1月27日)
風になってください Ⅱ
新刊『風になってください Ⅱ』がデビューして、
今日で10日が過ぎた。
一人でも多くの人が手にとってくださればと、
もうこれは、願いを越えて、祈りの気持ちに近いものがある。
でも、現実は厳しい。
僕は、いわゆる作家でもないし、著名人でもない。
出版社も、歴史のある出版社ではあるけれど、大手でもない。
全国の書店にならぶということはない。
地元京都でも、書店の取り扱いはいろいろだ。
置いてない本屋さんもあれば、1冊だけ置いてあるという本屋さんもある。
話題の本とか、ベストセラーのコーナーに置いてくださっている本屋さんもあれば、
僕のポスターまで飾ってくださっているところもある。
本当にいろいろだ。
でも、よくもまあ、
こんな状況の中で、
最初の『風になってください』を、
たくさんの人達が読んでくださったものだ。
今更ながら、驚きながら感謝だ。
ベストセラーではないけれど、ロングセラーにはなっている。
応援してくださった人達に、あらためて、
ありがとうございますの気持ちを届けたい。
今日は、専門学校での授業のあと、
本屋さんへの挨拶回りをして、
久しぶりに、明るい中での帰宅だった。
クリーニング屋さんに立ち寄って、
頼んでいたスーツを引き取って、
どうやったら、いろんな人に読んでもらえるのかなと考えながら、
団地の中を歩いていた。
「松永さん、こんにちは。新しい本、読みました。」
突然、声がした。
以前、僕が講演に出かけた訪問介護ステーションの、二人のヘルパーさんだった。
障害を持った人のお宅に伺い、
お世話をしての帰り道だった。
読後の感想を聞かせてくださった。
母にも読ませますと言ってくださった。
晴れやかな気持ちになった。
そして、数にこだわる必要はないなと思った。
こうして、読んでくださって、
良かったよとおっしゃってくださる人がいる。
それはきっと、未来へ向かう力となる。
動くことさえ困難になった人達のお世話をしている彼女達の、
屈託のない笑顔が、
大切なことを教えてくれたような気がした。
ありがとうございます。
僕も、コツコツ頑張ります!
(2012年1月21日)
アンギョンハセヨ
「アンギョンハセヨ」
「こんにちは。」
韓国視覚障害者協会訪日団との合同研修会が京都で開催された。
僕たちは、それぞれの国の現状や課題を話し合った。
通訳を交えての会議は、難しそうな単語を避けながら、
そして、ゆっくりとしたスピードで、
日本でのいつもの会議と比べれば、倍くらいの時間を要した。
それでも、それなりに、学ぶことも多く、
充実したものだった。
訪日団の中には、視覚障害の国会議員もいたし、若い視覚障害者もたくさんいた。
確か、ブレア政権時代のイギリスの文部大臣も全盲だったことを思い出した。
彼が、女性問題などのスキャンダルで失脚したらしいと聞いた時、
不謹慎な僕は、かっこいいと思ってしまった。
アメリカでは、視覚障害の弁護士が、千人を越えているという。
日本も、頑張らなくちゃ。
会議の後、予定にはなかったのだけれど、
誰かが、記念写真を撮ろうと言い出した。
僕たちは、カメラの人の声の方に向かって、
「キムチィー!」と笑った。
そして、僕は、隣に座った韓国の男性と、
しっかりと手を握り合った。
世界には、まだ、生きることさえ保障されない国もたくさんある。
地球サイズで、考えられる人でありたい。
それにしても、
あの記念写真、誰が見るんだろう。
なんかおかしいけど、楽しいな。
今日、訪日団が帰国する。
次は、いつか、僕達が行こう。
(2013年1月20日)
天使の声
いつもは20分くらいで駅に着くはずのバスが、
渋滞にまきこまれて、40分近くかかってしまった。
大学のゼミの学生達への講義が、
9時10分、ライトハウスという予定だ。
僕は、いつもの四条大宮からバスというルートを、
タクシーに変更することにした。
横断歩道を渡り、バス停を越え、
社会の邪魔にならないと思われる場所まで移動して、
人の足音を待った。
画像のない僕にとって、流しのタクシーを停めるというのは難しい。
見える人に手伝ってもらうしかない。
待っている時には、なかなか現れないのは、不思議なものだ。
しばらく立っていても、足音は聞こえなかった。
あせりながら、何も景色のない空間に向かって、
「誰か手伝ってください。」
独り言がこぼれた。
その瞬間、
「どうされました?」
声が聞こえた。
僕にしたら、天使の声だ。
「タクシーを停めてくださいませんか。」
天使は、きっと朝の慌しい時間に違いないのに、
引き受けてくださった。
しばらくして、タクシーが捕まった。
「左ななめ前です。」
天使の声が誘導した。
僕がタクシーに乗車した時、天使は、運転手さんに向かって、
「お願いします。」と言った。
家族でもないし、友人でもない。
それなのに、僕のことを頼んでくれた。
タクシーがライトハウスに着いたのは、
9時03分だった。
セーフ。
朝から天使に出会った。
素敵な一日の始まりになった。
(2013年1月17日)
バスを降りるという行動
バスが終点の桂川駅に着いた。
白杖で前を探りながら、
少しずつ降車口の前方へ進む。
乗客は、普通に運賃箱に料金を入れる人もいれば、
運転手さんに定期を見せて降りる人もいれば、
両替をする人もいる。
だから、それぞれのスピードも必要時間も違う。
僕は、白杖が、前を歩く人にできるだけ当たらないように、
そして、間が開きすぎないように、
ゆっくりゆっくり、狭い歩幅で歩く。
降車口は、階段になっている場合が多いので、落っこちないように注意も必要だ。
目が見えていれば何でもないことが、
音や雰囲気だけで対応するのは、とても難しい。
バスを降りるという行動だけで、結構エネルギーを使うのだ。
今朝も、降車口の近くだと判断して、
降りるタイミングを計っていたら、
「どうぞ。」と後ろから声がして、
同時に、そっと背中を押してくださる手を感じた。
「ありがとうございます。」
僕は、ほっとした気持ちでバスを降りた。
点字ブロックを歩き始めた僕に、
「改札までご一緒しましょうか。」
先ほどの声の主が続けた。
「子供がウロウロしますけど。」
僕を手引きして歩く彼女の横を、
小さな子供が僕達の様子を伺いながら一緒に歩いた。
子供連れのおかあさんが声をかけてくださったのだった。
子供は、お母さんの行動を見ていた。
きっと、その子供が大人になったら、
また、声をかけてくれる人になっていくのだろう。
僕は、とっても幸せな気持ちになった。
改札口に着いて、ありがとうカードを渡したら、
2枚目ですよとの返事だった。
爽やかな朝になった。
(2012年1月15日)
拍手
後輩達と、ティータイムをした。
視覚障害に加えて、
もうひとつ障害がある人、
生命の危機につながるような病気と付き合っている人、
長い時間、家に引きこもっていた人、
でも、後輩達に重たさはない。
楽しいおしゃべりは続き、笑い声が止まらない。
「誕生日って、また年をとるんだという感覚だったのに、
命が終わるかもしれないという経験をした後は、
心からうれしく感じるようになったよね。」
「毎日の暮らしで、出かける用事があるって、
それだけで、うれしいね。」
「こうして、毎日があるのが幸せだよね。」
さりげない会話が、僕の心に染み渡る。
僕は、後輩達のおしゃべりを聞きながら、
ファミリーレストランのドリンクバーの、
ちょっとぬるいコーヒーをすすった。
日常、コーヒーをよく飲むにしては、
コーヒーの味はわからないのだけれど、
今日のコーヒーは格別だった。
後輩達の輪の中に入れてもらえていることに、
心から感謝した。
年齢は、僕が上だけど、
教えてもらうことの方が多い。
このきらめく生命に、
拍手を送れる自分でありたい。
送り続けられる生き方をしたい。
帰宅してメールチェックをしたら、
最近の講演を聞いてくださった先輩から
初心忘れるべからずとの提言が届いていた。
講演が日常のようになっている僕にとって、
拍手されることに慣れていってしまっている現実がある。
拍手される人生よりも、
誰かに拍手をおくれる人生が、
豊かであることは知っている。
謙虚な心を、大切にしなければ。
(2013年1月13日)