中学生を対象にした福祉授業に招かれた。
僕は、見えない世界を伝えながら、
共に生きていく社会について語った。
授業が終わった後、
彼は、僕を控え室まで案内した。
日直か、当番なのか、
彼は僕を手引きしながら、
ほとんどしゃべらずに、
黙々と歩いた。
身体の動きからも、彼の緊張が伝わってきた。
控え室に着く直前、
突然、彼がつぶやいた。
「雪。」
僕は立ち止まって、
「降ってるの?」
彼に投げかけた。
「大きな雪・・・、ふわふわ・・・、たくさん・・・。」
彼は、一生懸命、僕に伝えようとした。
「綺麗?」
「はい、とっても。」
僕は、彼の声が示す方向を眺めた。
一瞬の沈黙の後、
また、僕達は歩き始めた。
控え室に着いて、彼は、授業で僕が教えた通り、
僕の手を取って、椅子の背もたれを触らせた。
僕がちゃんと座るのを見届けると、
小さな声でつぶやいた。
「ありがとうございました。」
その声の小ささの中に、
少年の誠実さがにじみ出ていた。
綺麗な雪が、少年によく似合うと思った。
(2012年12月12日)
少年
運勢
朝、いつものバス停からバスに乗った。
バスは、沢山の乗客だった。
大吉の日は、乗車した時点で、
僕に気づいた運転手さんとか乗客の方が声をかけてくださる。
空いている席を教えてくださったり、譲ってくださったり。
中吉の日は、途中で誰かが声をかけてくださる。
小吉の日は、たまたま偶然、僕の立っている前の座席の乗客が途中下車して、席
が空く。今日ははずれだった。
朝から20分の立ちっ放しはきついよなぁ。
しかも、いつものバス停からだいぶ離れたところでバスが止まってしまったので、
点字ブロックを探すのに一苦労して、時間もかかった。
でも、見えなくなってから、時間的に余裕を持って動くようにしているので大丈
夫。
ちょっとブルーになった気分をはげましながら目的地に向かう。
阪急電車は、いつものごとく混んでいて、
これは仕方ない。
四条で地下鉄に乗り換えようと動き始めたら、
サポートの女性の声。
早速肘を借りて歩き出したら、行き先も同じ駅。
楽チンで歩いて、電車に乗って、しかも予定外に座れて、
めったに使わない目的地の駅の改札口までスイスイ。
「ありがとうございました。」
「お気をつけて。」
笑顔の挨拶で、気分は一気にバラ色に。
ニュースでは、ぶっそうな事件が報道され、
危険な社会が強調される。
でも、人間の社会には、やさしい人がいっぱいいるんだよと、
今日も、講演先の中学生達に伝えました。
最後の講演を終えて帰る際、
寒い中、学校長はバスがくるまでずっと、僕と付き合ってくださった。
北風の中で握手した手が、やさしく感じられた。
バスは満員で、目的地までの40分間立ちっ放しだった。
でも、最終的に、僕の今日の運勢は、
プラスマイナスで算数しても、
やっぱりついてる一日でした。
ありがとう、やさしい人達。
(2012年12月8日)
忘年会
昨夜は、今年最初の忘年会。
京都ライトハウスで訓練を受けた仲間達の会、フェニックス会の忘年会だった。
見えない、見えにくい仲間達と、見える友達と、楽しいひとときだった。
僕達は、たまたま、同じ時代に、視覚に障害をもってしまった。
そして、京都ライトハウスで、白杖歩行や、点字やパソコンなどの訓練を受けた。
訓練終了後は、それぞれが、それぞれの地域で、
それぞれの人生をおくっている。
それぞれの人生が、キラキラと輝いていることを、
お互いに認め合う、居心地のいい会だ。
参加した一人の全盲の女性は、
自宅でのお父様の介護に向かい合った一年だったと振り返った。
「未来に向かう子供の命、大切です。
現役世代の私達の命、大切です。
そして、人生の終わりに近づきながら、
日々生きようとする命も、
同じように大切なのだと感じました。」
この言葉を聞いた時、
僕達は、また心から、彼女に拍手を送った。
いい忘年会だった。
ひとつ年を取るごとに、
ひとつ学べる人生でありたい。
(2012年12月3日)
おとうさんと娘
舞鶴へ向かう電車の中で、
中年の男性が声をかけてくださった。
「ひょっとして、松永さんですか?」
福祉専門学校で僕の授業を受けた娘さんのおとうさんだった。
娘さんが卒業して、もう7,8年になる。
当時、娘さんに勧められて、おとうさんは僕のエッセイも読み、
その後、僕が新聞に連載したコラムも読んだとのことだった。
そして、そのコラムを切り抜いて、
他府県で就職した娘さんに郵便で送ってあげておられたそうだ。
だから、当時の新聞などで、僕の顔を記憶しておられたのだ。
電車の中で僕を見かけ、
ひょっとしたらと思い、念のために携帯で僕のHPを確認し、
今日のスケジュールに舞鶴という文字を見つけて、僕だと確信されたとのことだ
った。
出会った学生が、理解や共感を家族に伝えてくれていたこと、
こうして、こんな場所で、こんな形でそれに気づき、
僕は、彼女に、心から感謝する気持ちが湧き上がった。
そして、学生時代の彼女の誠実そうな印象が、
本当にそのままだったことに驚いた。
おとうさんは、その娘さんが、つい先月、結婚されたと話された。
うれしそうに話された。
その言葉のひとつひとつに、
大切に育てた娘さんへの愛情がにじみ出ていた。
一緒に写真をとの申し出を、僕は快く引き受けた。
二人の笑顔のおっさんが、カメラに向かった。
おとうさんは、この偶然の写真を、きっと娘さんに届けるのだろう。
うれしそうに、笑いながら、届けるのだろう。
素敵な娘さんに乾杯!
素敵なおとうさんに、乾杯!
(2012年12月1日)
種
見えない世界を伝える活動を始めてから、
毎年、数千人の人達に、
講演会とか福祉授業という機会に、直接話を聞いてもらっている。
いや、1万人を超えた年もあるかもしれない。
見えなくなって、もう15年、
延べ人数はどれくらいなのだろう。
数万人にはなるだろうか。
いつも、見える人も、見えない人も、見えにくい人も、
皆が参加しやすい社会になるように願いながら、
心を込めて話をしている。
未来への種蒔きだ。
今年の春、偶然、バスの中で、
僕に座席を教えてくださった方は、
小学校でも中学校でも、僕の話を聞いたという女性だった。
彼女は、24歳になっていた。
昨日、彼女から届いたメール、
「あれ以来、なかなか出会うことはありませんが、またいつか、バスの中などで
お会いして、お手伝いができないかと、楽しみにしています。」
10年前に蒔いた種は、しっかりと発芽して、花を咲かせてくれている。
僕たちが笑顔になる、可憐な花だ。
今日は、午前中が小学校4年生の子供達、午後は、私立高校の女生徒達、
夜は、社会奉仕団体の皆様、
また、何百粒の種を蒔くことになる。
しっかりと未来を見つめて、
心を込めて、
言葉を紡ぎたい。
(2012年11月29日)
東山散策
久しぶりの休日、
東北からの友人を案内して、
晩秋の東山を散策した。
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓参りをした。
階段を数え切れないくらい上って、息を切らせて辿り着いたお墓からは、
京都の街中が見渡せる。
150年前に、この国の未来と向かい合っていた若武者たちは、
今、どんな思いでいるのだろう。
笑顔になってくれるだろうか。
僕が京都で暮らし始めて37年、
ここに来たのは初めてだ。
改めて、歴史のある町なのだと実感する。
散策を終えて、お気に入りの和食屋さんで昼食をとることにする。
早めに到着してしまった僕に気づいたおかみさんが、
まだ準備中のお店の待合に、
そっと案内してくれる。
僕は見えないのだから、
声をかけられない限り、こちらから気づくことはできない。
おかみさんのさりげないやさしさに、
ちょっとかじかんだ手と心がぬくもる。
舌も胃袋も満足して店を出て、
八坂神社に立ち寄って、
それから四条通りを歩く。
ラッシュアワーの電車みたいな人波だ。
ただ歩きながら、
幕末の頃の視覚障害者は、どうしていたのかなと思ったりする。
こうして、白杖を持ちながら、この京都の町に存在していることに感謝する。
東北の状況を聞きながら、
日本中が、もっともっと、僕達にとっても歩きやすい町になってくれるように願
う。
(2012年11月24日)
阿久根の海にて
阿久根の港、
防波堤に腰を下ろす。
東シナ海に向かって腰を下ろす。
波の奏でる音楽が僕を包む。
漁船のエンジン音がパーカッションだ。
時々聞こえる海鳥の鳴き声は、
金管楽器だろうか、
丁度いいアクセントになっている。
少年時代に見ていた風景が、見事に蘇る。
見えなくなって15年、
もう自分の顔さえ思い出せないのに、
この風景は、灯台の錆付いた色合いまでをも記憶している、
僕にとっては、一枚の絵だ。
青色、水色、紺色、どれを使っても表現しきれない、海色。
思い出すだけで、心が穏やかになる。
思いっきり空気を吸って、
ゆっくりとはきだす。
存在している自分自身に、自然に感謝する。
生きていること、感謝する。
(2012年11月18日)
故郷
故郷の居酒屋さん、
小中学校時代の同級生達が集った。
名前を告げられても、
ほとんど顔は思い出せない。
もう40年も前のことだもの、
卒業アルバムも見れないし、仕方ない。
でも、確かに僕達は、
ここで生まれ育ち、それぞれの人生を歩んできた。
どこにあるのか、どんなものなのか、
はっきりとは判らない、
幸せというやつを求めて生きてきた。
勿論、まだ悟りというものはない。
でも、確かに感じられるのは、
今が幸せだということ、
生きている今が、大切だということ。
故郷の方言、飾らない言葉、
力強い握手が胸を揺さぶる。
今日、僕は幸せです。
(2012年11月17日)
手引き、足引き
確か、この辺りのはずなんだけど、
僕は、何度か来店した時の記憶をたどりながら、
白杖でさぐりながら、
数回、行ったり来たりした。
それでも、お目当ての店の入り口は見つけられなかった。
僕の日常では、たまに起こることだ。
落ち着いて、のんびりと、慌てずに、
そう自分に言い聞かせて、再チャレンジ。
でも、やっぱり見つけられない。
あきらめようと思うと、前回の来店時のおいしかった焼きそばの味が蘇る。
悔しいなぁ。
後ろ髪をひかれながら立ち去ろうとした瞬間、
「お兄ちゃん、どうしたん?」
近寄ってきたのは、まぎれもない、おばちゃん軍団。
僕はもうお兄ちゃんではないけれど、この場合、それはどうでもいいこと。
行きたい店を告げると、
「私らも、そこ行くねん。一緒に行こうか、すぐそこやけど。」
「ありがとうございます。助かります。」
僕は咄嗟に、一人のおばちゃんの肘を持った。
「あんた、久しぶりに、男前と歩くやろ。」
「ドキドキしてるやろ。」
「ぶつけたらあかんで。」
僕はもちろん男前ではありません。
でも、飛び交うヤジをかわしながら、外野の声援に笑いながら、僕達は歩いた。
一筋、道を間違っていたらしく、
店まで数十メートルはあった。
店に着いた時、
「ごめんね。足みたいな腕で。」
僕を手引きしてくれたおばちゃんが笑った。
「大助かりですよ。手でも足でも、大助かり。」
僕も笑った。
「じゃあ、この次は、おんぶしてあげるわ。」
僕達は、大声で笑った。
その流れで食べた焼きそば、やっぱりおいしかった。
おばちゃん、大好き!
(2012年11月9日)
バス旅行
朝一番に、
神戸に引っ越した友人からメールがあった。
新しい住所の連絡と、どこにいても応援するとのメッセージだった。
朝から気を良くして家を出た。
今日は、年に一度の、地元の視覚障害者協会の日帰り遠足の日、
僕も楽しみにしていて、ほとんど毎年参加している。
僕達とサポーターで、ほぼ満員状態の貸切バスは、
笑い声に包まれながら、
山間にあるわらぶき屋根の民家が点在する村に向かった。
仲間達との笑い声に満ちた時間は、
いつもそっと、人生の豊かさの意味を教えてくれる。
僕達は、同じ時代に、同じ地域で、視覚障害になった。
それぞれが、それぞれの理由で、それぞれの時期に、視覚障害になった。
そして、それぞれが、それぞれの明日に向かって生きている。
キラキラと輝いて生きている。
この人達と出会えたという幸運に、
知らず知らず感謝してしまっている僕がいる。
「ブログ、読んでるよ」
仲間や、仲間の家族の声に、またまた、僕は気を良くした。
昼食後は、少し歩いて、
近くの小川の川原に腰を下ろした。
石っころの地面に、腰を下ろした。
ゆっくりと、せせらぎを聞いた。
手を、川の水につけた。
冷たさを感じた。
その行為だけで、幸せを感じた。
時々、鳥が鳴いた。
お日様が、微かに、右耳をくすぐった。
おだやかな空間だった。
いい、リフレッシュの一日となった。
遠足から帰り着いて、近くのスーパーに買い物によった。
買い物を終えて、音響信号の横断歩道を渡った。
もうそろそろ終わりかなというくらいのタイミングで、
「ずれてますよ。」
女性は、僕の手を引いて誘導してくださった。
ちょっと疲れていたのかな。
自分では、まっすぐ歩いていたつもりだったもの。
でも、この辿り着けない横断歩道の悲しさを、
たった一言が、
また、僕の気を良くしてくれるのだから、
やっぱり、人間の声っていいよなぁ。
人間の声って、すごいよなぁ。
(2012年11月4日)