5年ぶり

彼女は、下御霊神社からの風に誘われるように、
ひょっこりと、町家カフェさわさわに入ってきた。
そして、僕を見つけ、声をかけてくれた。
5年前、どこかの駅で、僕のサポートをしてくれたらしい。
それから、僕の著書も読んだとのことだった。
またいつか、どこかで会えればと思いながら、
5年という時間が流れたのだという。
毎日、どこかで誰かが、サポートの声をかけてくださる。
バス停まで、お店の入り口まで、駅の改札まで・・・。
そういう人達がいてくださるから、
僕達の毎日が存在する。
毎回感謝を込めて、お礼を伝えるけれども、
記憶することはできない。
何も画像のない僕にとっては、
声や雰囲気だけで記憶するのは、
それは無理なことなのだ。
見知らぬ人、いや、見知ることができない人、
時には、年齢どころか、性別さえ判らないこともある。
ただ、絶対に間違いないのは、
「にんげん」だということ。
やさしいとか、あたたかいとか、
心を持った、
「にんげん」という素敵な生き物だということ。
それにしても、不思議だなぁ。
僕がさわさわに顔を出せるのは、一週間に数時間程度。
それでも、こんなこともあるのだから、
やっぱり、人生って面白い。
(2012年10月12日)

休日

三連休の最終日、やっと僕にも休日が訪れた。
HPのスケジュールには、関わっている団体の会議などは掲載していない。
空白でも、会議などが入っている日はしょっちゅうで、
何も用事のない、いわゆる休日は、
一ヶ月に二回くらいのペースだ。
もうちょっとのんびりした時間が欲しいなと思うことはあるけれど、
こうして毎日、社会に参加できるということは、
失明直後の数年間を思えば、
とても幸せなわがままだということは判っている。
それに、55歳という年齢を考えると、
今が一番頑張れる時期なのかもしれないとも思う。
でもやっぱり、休日は、とてもうれしい。
休日だというだけで、幸福感を感じてしまう。
昼時、近所で暮らす両親と近くのレストランで食事した。
90歳を超えた父は、まず、歩くのが大変になっている母の手を引いて、
レストランへ行く。
母を、椅子に座らせて、
それから、僕を、団地の下まで迎えにくる。
僕は一人でレストランまで行けると説明しても、
聞き入れてくれない。
僕を手引きして、母の待つレストランへ歩く。
肘から伝わってくる歩き方に、
父の足元も随分不安になっていることを知る。
補聴器の耳に向かって、
「たまには散歩してるの?」
やっぱり、聞こえていないらしい。
横断歩道を渡って、
交差点の角を曲がろうとした瞬間、
僕の顔のななめの空中が破れて、
ほんの少しの、キンモクセイの香りがこぼれた。
こんなところで、今年初めての香り、
神様って粋だなって微笑む。
鼻も悪くなっている父には、わからないだろう。
だから、僕は止まることもなく、何も告げずに歩く。
しばらく歩いて、
レストランの玄関に着いた時、
「風が気持ちいい。秋になったなぁ。」
突然、父がつぶやいた。
休日って、やっぱりいいな。
(2012年10月8日)

うれしい勘違い

朝、バス停までの道を歩きながら、
今日は曇りだなと思った。
いつも、風や音や、雰囲気で、そんなことを思うのだ。
バス停に着いた時、
「おはようございます。」の声が聞こえた。
僕も、すぐに返した。
この声の女性は、年に数回、このバス停で出会う。
自由業の僕は、日によって、出かける時間が違う。
利用するバス停も数箇所ある。
だから、出会えるのは、年に数回という感じだ。
挨拶の後は、季節の話や、世間の話。
バスが来るまでのわずかな時間を楽しむ。
白杖で歩き始めた頃、
近所で声をかけてくれる人はいなかった。
見えていた頃の会釈もできなくなってしまったし、
誰とすれ違っているのかも判らないし、
僕に声をかけるのを、戸惑った人もおられただろう。
毎日の白杖での外出、
少しずつ、挨拶の声をかけてくださる人が増えていった。
僕が歩く風景も、
きっと、この街に溶け込んできたのだろう。
「今朝は、とっても高い、きれいな青空ですよ。」
彼女が教えてくれた。
「えっ、曇り空ではないのですか?」
「澄み切った秋の空です。」
僕の大きな勘違いだった。
僕はうれしくなった。
教えてもらったことが、得をした気分になった。
それを彼女に伝えると、彼女もうれしそうに笑った。
間もなくバスが到着して、僕達はそれぞれの行き先に向かった。
今日の僕の行き先は、大阪の高校だった。
僕は、授業の途中で、
「ほら、窓から空を見てごらん。きれいな秋の空だよね。」
自慢げに、生徒達に話した。
生徒達も、ちょっと驚きながら、空を眺めた。
(2012年10月3日)

少女

5年程前、京都ライトハウスで、ハンドベルコンサートがあった。
確か、クリスマスの頃だったような気がする。
中学校のハンドベル部が、僕達に澄んだ音色を届けてくれたのだ。
その時の少女が、看護を学ぶ大学生となって、
再び僕の前に現れた。
ボランティアとして、僕のサポートをしてくれたのだ。
雨風の中、傘を持って、僕に肘を貸して歩く姿勢には、
何か力強ささえ感じた。
歩きながら、あの澄んだ音色が、遠くで聞こえるような気がした。
僕は、あの時の少女も、ちょっと大人になった大学生も、
勿論、見たことはない。
でも、確かに、少女は成長していた。
交わす言葉の端々に、
生きることと向かい合う若者特有の真剣さがあった。
まぶしくも感じた。
僕自身はどうだろう。
5年前と、今日の僕。
ちょっと恥ずかしくなる。
定年予定までの後10年。
まだまだ頑張らなくちゃ。
もうちょっと、頑張らなくちゃ。
希望を見つめて、しっかり歩かなくちゃ。
(2012年10月2日)

深呼吸します

兵庫県の田舎で暮らす友人からのメール。
「今年は彼岸花の開花が遅いようで、
今朝はまだ蕾が朝露に濡れて太陽に照らされていました。
一年で一番深呼吸をしたくなるこの季節に
稲穂の傍らであぜ道を赤く染めるように咲くこの花が
僕はとても好きなんです。
心地良い、おだやかな貴重な季節を楽しくお元気でお過ごし下さい。」
たったこれだけの文章が、
実った稲穂の銀色、
高く澄んだ青空、
彼岸花の見事な朱色、
そして、この国の、素敵な秋を、
僕に届けてくれた。
友人と言っても、僕はまだ、彼と会ったことはない。
ふとしたことで知り合って、何度かのメールをやりとりしただけだ。
つい先日も、別の友人から、
大阪の街の空で見つけた虹の風景が届いた。
確認できた色を並べてあった。
その文章を読んだ時も、僕は幸せな気持ちになった。
見えないことは、仕方ない。
人間は、あきらめる勇気も、我慢する力も持っている。
だから、見えない日常で、
いちいち落胆なんかしていない。
それなりの喜怒哀楽に包まれた、
それなりの日々が存在している。
でも、こうして、目を貸してくれる人達との交わりは、
見えなくなってから知った、
人間社会の素敵な事実だ。
ひょっとしたら、見えている頃に気づかなかった風景が、
いや、見過ごしていたかもしれない季節の色合いが、
そっと届けられる。
ちょっと贅沢な気分になる。
ラジオの天気予報が、今日の降水確率0%を告げた。
よし、今日はどこかで、両手を広げて、
思いっきり深呼吸しよう。
秋の空を眺めながら、
思いっきり深呼吸しよう。
これを読んでくださっている貴方も、どこかでどうぞ!
(2012年9月27日)

グッチのサングラス

打ち合わせが終わり、
カップに残っていたコーヒーを飲み干して、
リュックサックを背負って、
たたんでいた白杖を元に戻した。
準備万端、最後に、テーブルの上に置いていたサングラスをかけようと持った瞬
間、
左側の耳にかける部分がポロリと外れた。
一瞬、何が起こったか判らなかった。
打ち合わせをしていた相手の女性が、
すぐに見てくださり、
ネジが取れて無くなっているのを教えてくださった。
テーブルの上、足元、探してくださったが、
ネジは見つからなかった。
白杖で、単独で移動することの多い僕にとっては、
サングラスは必需品だ。
白杖では確認できない空中の物体、
例えば、木の枝、お店の看板、バスの中の縦の手すりの棒、
しょっちゅう顔に当たる。
サングラスが、クッションの役割をしてくれる。
だから、一歩外に出て動き始める時、必ず、僕の顔にはサングラスがある。
白杖、リュックサック、サングラス、
いつもの三点セットだ。
昔は、100円ショップのサングラスをかけたりしていたが、
最近は、グッチというブランドのものが多い。
特別に、ブランドが好きなわけではない。
お誕生日プレゼントなどに頂いたのが、
たまたまグッチで、しかも、数人から頂いたので、
グッチのサングラスが複数あったのだ。
道具としては、100円ショップもグッチも同じなのだけれど、
庶民の僕は、グッチで、ちょっと優雅な気持ちになっているのは事実だ。
でも、結局、やはり、いろいろなものにぶつかって壊れていく。
僕達にとっては、消耗品になるのかな。
今回も、さすがにあきらめたのだけれど、
その女性が、打ち合わせのカフェの近くの眼鏡屋さんへ連れて行ってくださった。
対応してくださった店員さんは、
僕を椅子に座らせて、数分後には、
新しくネジをはめてちゃんと直ったサングラスを、
僕の顔にかけてくださった。
恐々と、「おいくらですか?」と尋ねる僕に、
「御代は要りません。」
一瞬で、僕は笑顔になった。
サポートしてくださった女性が、
店を出ながら、
「グッチが、笑顔に似合いますね。」
そう、僕は、ただ目が見えないだけの、
正真正銘の庶民です。
眼鏡屋さん、ありがとう!
(2012年9月26日)

コオロギ

バスを降りて、歩き始めた時、
老婦人が声をかけてくださった。
「22棟の人やね。私も同じだから、一緒に帰ろうか。」
「ありがとうございます。じゃあ、肘を持たせてください。」
僕達は歩き始めた。
ゆっくりゆっくり歩いた。
ご主人とは死別され、子供達は成人して家を離れ、
今は、一人暮らしだとのことだった。
「寂しいですね。」
僕の問いかけに、
「もう慣れてしまったわ。」
彼女は笑った。
同じ団地で暮らし始めて、
お互いに、もう、30年近くの時間が流れていることを知った。
もし、僕が、見えていたら、
ひょっとしたら、最後まで、
話す機会はなかったかもしれない。
たった、数百メートル、たった数分間、
僕達は、それぞれの人生に思いを重ねた。
コオロギの声を聞きながら、
歩いている道を確認するように、
歩いてきた道を確認するように、
僕達は歩いた。
団地の前に着いた時、
「初めてこんなことしたから、うまくできなくて。」
彼女が微笑んだ。
「助かりました。ありがとうございました。
また、声をかけてください。」
僕は、しっかりと頭を下げた。
僕達の足元で、
また、コオロギが歌った。
(2012年9月20日)

高校生

夏休み明けの、久しぶりの授業、
彼女は、僕と会うとすぐに、
どこかの駅で、白杖を持った視覚障害の人のサポートをしたということを、
うれしそうに報告してくれた。
僕は、ありがとうって言いながら、
右手を差し出した。
笑顔がつながった。
毎年、この高校で、
家庭看護の中の、福祉という特別授業を受け持っている。
担当教師と協力しながら、体験実習なども実施している。
今時の、普通の高校生、
きっと寝ている生徒もいるだろうし、
おしゃべりが止まらない生徒もいる。
話を聞いてくれているのかなと、
不安になることもある。
でも、年度の最後に、生徒達の書いたレポートを読むと、
伝えることの大切さを、
いつも実感する。
僕達へのエール、そして、
「これから、白い杖の人を見かけたら、サポートをします。」などの、
共に暮らす社会へ向かうメッセージが並ぶ。
報告してくれた彼女も、
白杖の人を見かけた時、声をかけていいのか、どうしたらいいのか、いつも迷っ
ていたとそして、何もしなかったと、
担当教師に話していたらしい。
何度かの授業で、彼女は理解し、そして、勇気も培った。
若者達が行動する社会は、
そのまま、未来を創造していく。
楽しみだ。
(2012年9月15日)

視能訓練士

京都府の北部の病院で働いている彼は、
仕事が終わってから、
3時間車を走らせて、
僕達との会食に来てくれた。
昨夜の会食は、皆、自己負担。
交通費も出ない。
でも、彼は、喜んでと、来てくれた。
見える人3人、見えない人3人、
ささやかな食事をしながら、
僕達は、目のことを話した。
日本のあちこちで、
まだうつむいて、
僕達との出会いを待っているはずの仲間のことについて話した。
僕達に、どんなことができるのだろうと、話した。
彼の職業は、視能訓練士、
目の検査などに携わる専門家だ。
彼は、医療に携わる彼の立場で、
僕達も笑顔で生きていける同じ未来を見つめた。
丁寧な語り口に、彼の誠実さがにじみ出ていた。
僕達は、笑いながら、時には、シビアな意見にも耳を傾けながら、
あっという間の3時間を過ごした。
それぞれが、それぞれの収穫みたいなものを実感しながら、
次のステージでの再会を誓った。
僕は、烏丸で皆と別れて、
阪急電車で、地元の桂駅へ向かった。
桂駅に着いて、改札を出て歩き出した時、
僕を呼ぶ声がした。
僕が御世話になっている眼科のドクターだった。
ちょっとの時間の立ち話で、お互いに、会食の帰宅途中だと判った。
白衣を脱いでいる彼は、一市民として、僕のサポートを申し出てくれた。
点字ブロックまでのわずかな距離を、手引きで歩きながら、
手引きしている、されている、この二人のオッサンの風景をイメージした。
かっこいいと思った。
ドクターと別れて、乗車したバスの中で、
また、3時間かけて帰路に着いている視能訓練士の彼を思い出した。
僕達の未来に、思いを寄せてくれ、力を貸してくれる医療スタッフがいてくれる
ことを、心から有難いことだと思う。
そして、きっと、つながりが、
大きな力となっていくだろう。
(2012年9月9日)

姫りんご

あの頃、僕は、大徳寺の近くに部屋を借りて、
千本北大路にある仏教大学に通っていた。
彼女は、同じ大学の同じ社会福祉学科だったが、
一緒に授業を受けた記憶は残っていない。
僕は、たまにしか学校に行かない学生だったし、
彼女は、確か、勉強よりも、バレーボールに夢中になっていた。
女子学生には縁が薄かった僕にとっては、数少ないガールフレンドの一人だった。
たまに会って、どんな話をしていたのだろう。
卒業後、一度だけ、お茶をしたが、
その後、会うことはなかった。
それぞれの人生を歩んでいった。
50歳になった時、彼女が、たまたま見たテレビに、
たまたま、僕が出演していた。
偶然が、僕達を再度結んだ。
と言っても、幾度かのメールだけで、
まだ、再会はしていない。
今回も、さわさわに彼女が来てくれた時、僕は、仕事でタイミングが合わなかっ
た。
彼女が置いていった花篭を触った。
バラの花の横に、姫りんごがあった。
それを触った時、
僕のことを、おにいちゃんと呼んでいた彼女の、
屈託のない笑顔が蘇った。
人は、視線が合っただけで、友達になれることがある。
人は、ちょっと会話をしただけで、友達になれることがある。
人は、握手をしただけで、友達になれることがある。
そして、何十年経っても、築いた思いは変わらない。
人間って、素敵な生き物だと、つくづく思う。
(2012年9月8日)