東山散策

久しぶりの休日、
東北からの友人を案内して、
晩秋の東山を散策した。
坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓参りをした。
階段を数え切れないくらい上って、息を切らせて辿り着いたお墓からは、
京都の街中が見渡せる。
150年前に、この国の未来と向かい合っていた若武者たちは、
今、どんな思いでいるのだろう。
笑顔になってくれるだろうか。
僕が京都で暮らし始めて37年、
ここに来たのは初めてだ。
改めて、歴史のある町なのだと実感する。
散策を終えて、お気に入りの和食屋さんで昼食をとることにする。
早めに到着してしまった僕に気づいたおかみさんが、
まだ準備中のお店の待合に、
そっと案内してくれる。
僕は見えないのだから、
声をかけられない限り、こちらから気づくことはできない。
おかみさんのさりげないやさしさに、
ちょっとかじかんだ手と心がぬくもる。
舌も胃袋も満足して店を出て、
八坂神社に立ち寄って、
それから四条通りを歩く。
ラッシュアワーの電車みたいな人波だ。
ただ歩きながら、
幕末の頃の視覚障害者は、どうしていたのかなと思ったりする。
こうして、白杖を持ちながら、この京都の町に存在していることに感謝する。
東北の状況を聞きながら、
日本中が、もっともっと、僕達にとっても歩きやすい町になってくれるように願
う。
(2012年11月24日)

阿久根の海にて

阿久根の港、
防波堤に腰を下ろす。
東シナ海に向かって腰を下ろす。
波の奏でる音楽が僕を包む。
漁船のエンジン音がパーカッションだ。
時々聞こえる海鳥の鳴き声は、
金管楽器だろうか、
丁度いいアクセントになっている。
少年時代に見ていた風景が、見事に蘇る。
見えなくなって15年、
もう自分の顔さえ思い出せないのに、
この風景は、灯台の錆付いた色合いまでをも記憶している、
僕にとっては、一枚の絵だ。
青色、水色、紺色、どれを使っても表現しきれない、海色。
思い出すだけで、心が穏やかになる。
思いっきり空気を吸って、
ゆっくりとはきだす。
存在している自分自身に、自然に感謝する。
生きていること、感謝する。
(2012年11月18日)

故郷

故郷の居酒屋さん、
小中学校時代の同級生達が集った。
名前を告げられても、
ほとんど顔は思い出せない。
もう40年も前のことだもの、
卒業アルバムも見れないし、仕方ない。
でも、確かに僕達は、
ここで生まれ育ち、それぞれの人生を歩んできた。
どこにあるのか、どんなものなのか、
はっきりとは判らない、
幸せというやつを求めて生きてきた。
勿論、まだ悟りというものはない。
でも、確かに感じられるのは、
今が幸せだということ、
生きている今が、大切だということ。
故郷の方言、飾らない言葉、
力強い握手が胸を揺さぶる。
今日、僕は幸せです。
(2012年11月17日)

手引き、足引き

確か、この辺りのはずなんだけど、
僕は、何度か来店した時の記憶をたどりながら、
白杖でさぐりながら、
数回、行ったり来たりした。
それでも、お目当ての店の入り口は見つけられなかった。
僕の日常では、たまに起こることだ。
落ち着いて、のんびりと、慌てずに、
そう自分に言い聞かせて、再チャレンジ。
でも、やっぱり見つけられない。
あきらめようと思うと、前回の来店時のおいしかった焼きそばの味が蘇る。
悔しいなぁ。
後ろ髪をひかれながら立ち去ろうとした瞬間、
「お兄ちゃん、どうしたん?」
近寄ってきたのは、まぎれもない、おばちゃん軍団。
僕はもうお兄ちゃんではないけれど、この場合、それはどうでもいいこと。
行きたい店を告げると、
「私らも、そこ行くねん。一緒に行こうか、すぐそこやけど。」
「ありがとうございます。助かります。」
僕は咄嗟に、一人のおばちゃんの肘を持った。
「あんた、久しぶりに、男前と歩くやろ。」
「ドキドキしてるやろ。」
「ぶつけたらあかんで。」
僕はもちろん男前ではありません。
でも、飛び交うヤジをかわしながら、外野の声援に笑いながら、僕達は歩いた。
一筋、道を間違っていたらしく、
店まで数十メートルはあった。
店に着いた時、
「ごめんね。足みたいな腕で。」
僕を手引きしてくれたおばちゃんが笑った。
「大助かりですよ。手でも足でも、大助かり。」
僕も笑った。
「じゃあ、この次は、おんぶしてあげるわ。」
僕達は、大声で笑った。
その流れで食べた焼きそば、やっぱりおいしかった。
おばちゃん、大好き!
(2012年11月9日)

バス旅行

朝一番に、
神戸に引っ越した友人からメールがあった。
新しい住所の連絡と、どこにいても応援するとのメッセージだった。
朝から気を良くして家を出た。
今日は、年に一度の、地元の視覚障害者協会の日帰り遠足の日、
僕も楽しみにしていて、ほとんど毎年参加している。
僕達とサポーターで、ほぼ満員状態の貸切バスは、
笑い声に包まれながら、
山間にあるわらぶき屋根の民家が点在する村に向かった。
仲間達との笑い声に満ちた時間は、
いつもそっと、人生の豊かさの意味を教えてくれる。
僕達は、同じ時代に、同じ地域で、視覚障害になった。
それぞれが、それぞれの理由で、それぞれの時期に、視覚障害になった。
そして、それぞれが、それぞれの明日に向かって生きている。
キラキラと輝いて生きている。
この人達と出会えたという幸運に、
知らず知らず感謝してしまっている僕がいる。
「ブログ、読んでるよ」
仲間や、仲間の家族の声に、またまた、僕は気を良くした。
昼食後は、少し歩いて、
近くの小川の川原に腰を下ろした。
石っころの地面に、腰を下ろした。
ゆっくりと、せせらぎを聞いた。
手を、川の水につけた。
冷たさを感じた。
その行為だけで、幸せを感じた。
時々、鳥が鳴いた。
お日様が、微かに、右耳をくすぐった。
おだやかな空間だった。
いい、リフレッシュの一日となった。
遠足から帰り着いて、近くのスーパーに買い物によった。
買い物を終えて、音響信号の横断歩道を渡った。
もうそろそろ終わりかなというくらいのタイミングで、
「ずれてますよ。」
女性は、僕の手を引いて誘導してくださった。
ちょっと疲れていたのかな。
自分では、まっすぐ歩いていたつもりだったもの。
でも、この辿り着けない横断歩道の悲しさを、
たった一言が、
また、僕の気を良くしてくれるのだから、
やっぱり、人間の声っていいよなぁ。
人間の声って、すごいよなぁ。
(2012年11月4日)

視能訓練士の卵

寝坊してしまった。
10時の会議には間に合いそうになかった。
外は雨降り、
学生時代に、仮病による休みという理由を使い果たしている僕は、
仕方なくタクシーを呼んだ。
道は込んでいて、会議にはぎりぎりのセーフだった。
会議の行われたライトハウスは、
一年に一度のお祭りで、
たくさんの人でごった返していた。
会議はスムーズに運び、
予定よりも少し早めに終わった。
僕は、午後の用事までのわずかな時間、ライトハウス祭りを覗くことにした。
館内のサポートをしてくれたのは、
ボランティアで協力してくれている、視能訓練士を目指している専門学校の学生
だった。階段を上って、少し歩いたところで、
「ブログ、毎日読んでいます。どんどん書いてください。」
彼女が突然、耳元でささやいた。
ちょっと疲れを感じていた身体に、
彼女の肘を通して、エネルギーが注がれていくような感じだった。
素直に、うれしかった。
彼女は、きっといつか、眼科のスタッフとなるだろう。
そして、僕の後輩達に出会うだろう。
人間のぬくもりが感じられる医療スタッフになるに違いない。
いつか、現場で白衣を着て活躍している彼女に会いたいと思った。
ライトハウス祭りには、医療だけでなく、
福祉や教育を専攻している学生達もたくさん参加してくれていた。
同じ未来を見つめる仲間達だ。
ありがとう。
そして、それぞれの世界で、がんばれ、卵達!
(2012年10月28日)

花おじさん

小学校での秋祭り、
今年もまた地域の社会福祉協議会の委員さん達が、
視覚障害者のサポート体験コーナーを開催してくださった。
僕も、地域で暮らす視覚障害者の一人として、
だいたい毎年参加している。
そして、地域の人達や子供達に、
サポートの方法などを伝えている。
この取り組みが行われるようになって、もう10年くらいになるらしい。
サポート体験をした子供や地域の人達の数は、
千人を超えるかもしれないとのことだ。
京都市内の各地域で行われているこういう取り組みが、
僕達にも歩きやすい京都につながっているのだろう。
本当に、有難いことだと思う。
このイベントを終えて、帰りに、近くのスーパーに買い物に立ち寄った。
入り口を入ったところで、
女性が声をかけてくださった。
「さっき、私の前を歩いておられましたが、
何回か、道端の木にぶつかっておられましたよね。」
ぶつかるという表現だったが、
実際には、身体の一部を何度か木にこすって歩いていた感じだった。
自分ではまっすぐ歩いているつもりでも、
曲がってしまうことは、日常茶飯事だ。
それが、見えないということだ。
「はい、何度かこすりましたよね。」
「その時だと思うのですけど、頭に、花が一輪ついています。小さな白い花。」
彼女はそう言って、僕の頭の花を取ってくださった。
「可愛い、花おじさんで歩いていたんですね。」
僕は笑った。
彼女も笑った。
たったそれだけ、それだけの会話。
人間って、いいよなぁ。
(2012年10月27日)

時代祭

八泊九日の旅の翌日、
専門学校の1時限目の授業はきつかったけど、
なんとか無事終えて、
ランチは、久しぶりに、町家カフェさわさわへ行くことにした。
さわさわまでは、学生の手引きで、のんびりと寺町通りを歩いた。
さわさわには、外国人のお客様がお二人だけだった。
カレーと、げんきコーヒーを頼んだ。
げんきコーヒーは、スタッフのげんき君がいる時だけあるメニューで、
わざわざコーヒー豆をひいてから入れてくれる極上の一杯だ。
さわさわを出て、バス停で学生と別れた。
バスに乗るとすぐに、
空いてる席を教えてくださる声がした。
彼女の後ろの席に座った。
しばらくして、彼女が話しかけてきた。
「迂回運転で、四条河原町は通りませんよ。」
「ありがとうございます、烏丸まで行くので大丈夫です。」
間もなく、バスは、渋滞に入った。
バスの横を、太鼓や鐘の音が通り過ぎた。
「時代祭が終わると、紅葉が始まりますね。」
後部座席から声が聞こえた。
「これから、秋が深まりますね。」
また、別の席からも声が聞こえた。
僕に席を教えてくださったご婦人が、
時代祭には最高の秋晴れであることを教えてくださった。
渋滞で遅れているバスに、クレームを言う人はいなかった。
乗り合わせたバスの中で、
僕達は、秋の祭りを楽しんだ。
烏丸に着いて、バスを降りた。
先ほどのご婦人が、まるでともだちのように、
僕をサポートしてくださった。
いや、バスの中で、僕達はともだちになった。
(2012年10月22日)

最近の若者は

研修会の会場の前からバスに乗った。
バス停まで送ってくれたスタッフは、
僕がバスに乗る瞬間に、
真正面の座席が空いていること、一人がけの座席であること、肘掛があることを、
僕に伝えてくれた。
お陰で、僕は、徳島駅までの20分をのんびりと座って過ごした。
バスが徳島駅に着いた。
バスを降りて、深呼吸をした。
そこから、駅のロータリーの反対側にあると教えてもらっていた、
高速バス乗り場まで行かなければならない。
白杖を使っても、方向も判らないし、僕には無理だ。
足音に向かって声を出すしかない。
そのための、気持ちを整える深呼吸だ。
少し大きめの靴を引きずるような、
若者特有の足音が聞こえた。
「高速バス乗り場を教えてください。」
僕は、足音に向かって声を出した。
予想通り、足音は通り過ぎた。
と思った直後、
足音は引き返してきた。
「高速バス乗り場ですか?」
声の主は、20歳前後だと思える男性だった。
彼は、僕の依頼を快く引き受けてくれた。
遠くの町から、バスケットの試合を見にきた帰り、
この辺りの地理は判らないけれどと言いながら、
周りを見渡して、
乗り場を探して、僕を連れて行ってくれた。
慣れない街角、見えない55歳の僕と、今風の若者、
真っ青な秋空の下、こうして歩いている。
ちょっと離れた乗り場まで歩きながら、
僕は、なんとなくうれしくなった。
研修会で知り合った人達も、いい感じの人達だった。
今日はいい日だなと、思った。
徳島発京都行きの高速バスは、
3時間あまりで、京都駅へ着いた。
バスを降りて歩き出したけれど、
自分の位置が確認できない。
とりあえず、点字ブロックを探し出して、
それから、盲導鈴の音を手がかりに歩き始めた。
何とか地下街へ辿り着いたが、そこで降参。
流れる足音の群れに向かって、
「地下鉄を教えてください。」
これまたすぐに、20歳前後と思われる女性の声、
地下鉄の改札口までは結構あったが、
彼女はそこまで手引きしてくれた。
最近の若者は、結構素敵ですよ。
少なくとも、
若かった頃の僕よりも、ずっと素敵です。
僕は、若い頃、障害のある人のお手伝いをする勇気がありませんでしたからね。
(2012年10月21日)

一万人

今年の夏に、どうなるだろうと思って始めたホームページ、
昨夜、アクセス数が10000を超えた。
一万人目の閲覧者は、アメリカ在住の日本人女性、
一万人目を狙っての、見事なアクセスタイミングだったようだ。
一万人目を逃した閲覧者の数人からは、
悔しいという感想や、二万人目に挑戦するとのコメントも、既に届いた。
本当に有難いことである。
読んでくださっているということは、
共に未来を見つめてくださっているということだと思う。
そして、それは、僕の活動へのエールでもある。
見えなくなってから、ここまで歩き続けられたのは、
頑張れよと肩をたたいてくださる人がいて、
一緒に歩こうと、肘を貸してくださる人達がおられたからだ。
このホームページを覗いてくださった延べ一万人の皆様、
皆様が、今日も一緒に歩いてくださっておられることを、
僕は実感しています。
ありがとうございます。
そして、もうひとつ、
高校時代の同級生達が、
「風になってください」の風になり、
「風の会」を結成して7年。
毎年、故郷に招いてくれて、
子供達に見えない世界を伝える活動を応援してくれている。
その故郷での講演活動、
70回を重ね、話を聞いてくれた延べ人数が、今日10000人を超える。
一万粒の種を、未来に向けて蒔いたことになる。
もう1時間もしないうちに、
休暇を取った風の会のたけちゃんとピーちゃんが、
僕の泊まっているホテルの部屋をノックするだろう。
55歳にもなれば、
損得も、打算も理解できる。
ただ、それを超えたところで、
人は動くこともできる。
そこにあるのは、共に生きる未来への希望だ。
車には、今日の資料と、しげきが早起きして作ってくれるお弁当が積まれる。
本当の言葉は、言葉を超えたところにあることを、
お弁当が語りかける。
一万人目の子供に会いに、
行ってきます!
(2012年10月18日)