まだまだおにいさんです。

今朝は、9時過ぎのバス、ちょっとのんびりの出勤だった。
込んではいないだろうなと思いながら、バスに乗車した。
確かに、込んではいなかったが、ガラガラの雰囲気でもなかった。
僕は、座席に座ることをあきらめて、
手すりを掴んで立っていた。
突然、静かな社内で、ちょっと大き目の声が聞こえた。
「おにいさん、こっちこっち。」
僕は、もうおにいさんではないよなと思いながら、
でも、声の向きからひょっとしてと思って、
自分を指しながら、
「僕ですか?」
「そうそう、おにいさん。」
ちょっと離れた場所から、
僕に空いてる席を教えようとするおばあちゃんの声だった。
「腰が痛いから、そこまで行かれへんねん。私の横が空いてる。」
僕が、その声に向かって動き始めた瞬間、
別の乗客が、
僕の手を持ってサポートしてくださった。
僕は、おばあちゃんの横の席に座った。
僕が、おばあちゃんにも、そのサポートしてくださった方にもまだお礼を伝えな
いうちに「お嬢さん、ありがとうね。」
おばあちゃんが、サポートをしてくれた女性に声をかけた。
「いいえ。」
女性は、ただそれだけの返事だったけど、
確かに、笑顔の返事だった。
大正生まれだというおばあちゃんは、
足腰は痛いし、耳も遠くなったし、
動くのは口だけと笑った。
「でもな、生きてる限りは、世間様の役に立ちたいねん。」
耳が遠いのを理解するにはじゅうぶんの大きな声だった。
しばらくして、
おばあちゃんは、また突然話し出した。
「こうして見たら、おにいさん、いい男やな。」
ヒソヒソ話にはならないボリュームだった。
僕は、さすがに恥ずかしくなって、下を向いた。
僕の様子を見て、おばあちゃんはまた、大きな声で笑った。
楽しそうに笑った。
おばあちゃんの笑い声が、朝の車内に充満した。
のどかな空気が充満した。
(2013年5月9日)

水色のマニュキア

休日の午前8時台なのに、
京都市内に向かう電車は、
さすがにゴールデンウィークで込んでいた。
同行の友人は、「結構込んでますね。」とつぶやきながら、
僕の左手を持って、吊革に誘導した。
僕の手が吊革に届くか届かないかのタイミングで、
「どうぞ。」、
前の場所から、席を譲ってくださる若い女性の声がした。
「ありがとうございます。」
座りながらの僕の声と、友人の声が、
自然に同じ言葉で重なった。
爽やかな5月の風に似た朝を感じた。
胸ポケットから、いつもの「ありがとうカード」を取り出して、
座席を譲ってくださった方に渡してくださいと友人に預けた。
自分で渡せればいいのだが、
見えない僕には、
その方が、立ちながら、どちらに移動され、
どこに立っておられるかは判らない。
だから、よっぽどの確信がないと、
自分では渡せない。
友人が、通路の反対側に移動されていた女性に、
そっと、ありがとうカードを渡してくれた。
そして、その後、小声で報告してくれた。
「水色のマニュキア!」
見えなくなって15年くらい、
その間に随分変化したものもある。
爪のおしゃれもそのひとつだろう。
僕が見えていた頃は、
きっと、夜の蝶でも、その色はなかったかもしれない。
今は、若い女の子達は、いろんな色があって、いろんな絵柄があるらしい。
きっと表現のひとつなのだろう。
確かに今朝の若い女性、5月の空の色を思い出した。
そして、似合うと思った。
でももし、これがピアスみたいに、男性まで広がったら、
やっぱり、想像するのもいやだなぁ。
握手の後で、七色の爪のおじさんだったと聞かされたら、
5月の空が一気にどしゃ降りの雨空になるよなぁ。
(2013年5月4日)

FM COCOLO

うれしそうな声で、知人から電話があった。
朝、FM COCOLOというラジオ放送を聞いていたら、
ヒロ寺平さんというDJの方が、
僕の著書「風になってください2」を紹介してくださり、
しかも、とても熱意のあるエールだったとのことだった。
音楽番組での本の紹介も珍しいし、
ひとつひとつの言葉に、共感が溢れていたとのことだった。
実は、つい一週間程前の放送でも、
ヒロ寺平さんは、僕の本を紹介してくださったらしい。
メディアの影響力は大きく、
その日は、アマゾンの在庫が一日でなくなった。
僕とヒロ寺平さんとは、面識がない。
僕を応援してくださっている放送関係者の方が、
ヒロ寺平さんに本をプレゼントされたということは聞いた。
それを読んでくださってのことだ。
僕の経験からすれば、
本とか音楽ソフトとかプレゼントされても、
なかなか読んだり聞いたりにはエネルギーが要るものだ。
たまたま読んでくださり、そして、共感してくださったのだろう。
本をプレゼントしてくださった方も、
共感してくださってのことだった。
共感がつながってのことだ。
時々、僕の本をプレゼントに使ってくださっている人がいる。
きっと喜んでもらえるからとおっしゃる。
自信はないけれど、光栄なことだし、素直にうれしい。
いろんな人達がいろんな場所で、
風になってくださっているのだろう。
見える人も、見えない人も、見えにくい人も、
皆が笑顔で暮らせる未来に向かって吹く風だ。
未来の仲間達と一緒に、
風になってくださった皆様に感謝します。
もちろん、ヒロ寺平さんにも、うれしそうに電話をくれた知人にも、
心から感謝です。
(2013年5月1日)

ゴールデンウィーク

世間は大型連休だけど、
僕にはあまり関係ない。
障害者団体の会議など、皆が集まりやすいということで、
このタイミングで実施されることも多いのだ。
僕は関わっている団体なども多いので、
結局、何かしら用事があるということになる。
仕方ないのだが、
いろんな仲間達との交流もできて、
それなりに楽しみの部分もある。
でもちょっとは、
海外旅行などに出かける人達、うらやましいかな。
そんなことを思いながら、
いつものように、桂駅から阪急電車に乗車して、
入り口の手すりを掴んで立っていると、
「まーつなーがさーん!」
屈託のない笑顔の、女子中学生二人だった。
以前、福祉授業に行った学校の生徒で、
僕を憶えていてくれたのだ。
さりげなく手引きして、空いている座席に座らせてくれた。
私立中学の運動部で、今日も大会に出かける途中とのことだった。
休日なんてないのだろう。
電車が次の運動公園のある駅に着くと、
「失礼しまーす!」
爽やかに挨拶して降りていった。
仲間に出会ったような、ちょっと変な喜びを感じた。
やっぱり負け惜しみかなぁ。
(2013年4月30日)

夢を見た。
夢の中では、見たことのない人が微笑んでいる。
顔も記憶にないし、表情もわからない。
どうして微笑んでいると感じるのか、
自分でもわからない。
でも間違いなく微笑んでいるのだ。
ふと、もしこうして考えているのが夢だったらと思う。
見えなくなってしまったという長い長い夢の中にいるとしたら、
夢から覚めた時に、
僕は何を感じるのだろう。
新しい医療によって、目が見える日がくるかもしれないという話題になった時、
先天盲の先輩は、絶対いやだと言い切った。
何故と怪訝そうに尋ねる僕に、
今更見えたら怖いからと、先輩は答えた。
そんな答えがあることを知った。
夢の中で、ツツジの花が咲いていた。
それははっきり見えた。
どこで見たツツジなのかは判らない。
でも、うれしかった。
(2013年4月28日)

ツツジ

駅前のカフェで、20歳の女の子は、
重たい話でごめんなさいと言いながら、
就職活動や、これからの生き方への不安を打ち明けた。
僕はただ聞いて、
予定通りの人生なんてありえないとつぶやいた。
振り返れば、失敗だらけだよと付け加えた。
彼女は、僕の言葉を受け止めて、
ほんの少し楽になったと笑った。
カフェを出た帰り道、
ツツジの花が咲き出したと知った。
白やピンクの花が咲き出したと聞いた。
小学校の帰り道、
花びらに唇を近づけて、
甘い蜜を吸った日を思い出した。
ただそれだけで、幸せだった。
あれから半世紀の時間が流れた。
イミテーションの幸せに振り回されながら、
大切なものをいくつも失ってしまったのかもしれない。
そして、見えなくなるという予定外の出来事は、
不思議なことに、そんなことをいくつも僕に気づかせてくれることとなった。
見えなくなったのは、幸せなことではありません。
かと言って、不幸なことでもありません。
でも、もう一度、あの青空の下で白やピンクの咲き乱れるツツジを見たいのも事
実です。だから今度、ツツジの花に出会ったら、
そっと唇を近づけてみます。
(2013年4月25日)

眼差し

昨日は大阪市、今日は綾部市、
仲間の集いに出かけた。
それぞれ別の団体だけど、
視覚障害の人達の団体だ。
どちらの会場でも、
僕の新しい著書「風になってください2」を朗読してくださった。
そして、私も同じ経験があるよとか、
僕も同じ思いをしたよとか、
たくさんの共感の声が寄せられた。
とても光栄なことだと思っている。
僕は、特別に文学の勉強をしたわけでもないし、
いわゆる作家でもない。
でも、こうしてたまたま、
書くというチャンスにめぐまれたのだから、
僕達みんなの思いや願いを発信できればと願っている。
そして、少しでも、未来につながる力になりたいと思っている。
僕と小学生との交わりの話が好きだと言ってくださった女性は、
きっと僕よりは20歳は年上だろう。
硬い握手の後、
冷たい霧雨に濡れながら、
ずっと見送ってくださった。
見えない目で、見えない僕を、
ずっと見送ってくださった。
暖かな眼差しがうれしかった。
見えなくても、見つめることはできます。
眼差しに、愛をこめることもできます。
そして、見えなくても、その眼差しをうけとめることもできます。
(2013年4月21日)

横断歩道

横断歩道の点字ブロックを足裏で確認する。
誘導ブロックの直線に足を合わせることで、
進行方向を確定するのだ。
そして、音響信号が鳴り始めたら、
向こう側に歩き出す。
まっすぐに歩くことを心がけるのだが、
実は、見えないでまっすぐなんて、
神業みたいなものだ。
白杖を左右同じように振りながら、
周囲の音を確認しながら、
自分を信じて進む。
長い距離の横断歩道だと、だいたい8割くらいの成功率だ。
2割は、途中で曲がってしまって、たどり着いたらガードレールだったりする。
その時慌てずに、それに対応する方法を身につけておくのが大切だ。
僕の場合は、だいたい右に曲がるので、到着地点がガードレールだったら、
そのガードレールを白杖で探りながら、
左に動けば、到着予定地点に着くということになる。
今朝は、ほとんどまっすぐに行けていたはずだったが、
途中から突然聞こえ始めた道路工事の音で、
不安のスイッチが入ってしまった。
結局、だいぶ右に曲がっていたようだ。
一度狂うと、なかなか修正できなかったりする。
横断歩道からバス停までの、
わずか100メートルくらいの歩道を、
右に行ったり、左に行ったりしながら、
バス停にたどり着けない結果になった。
解決できなくて立ちすくんだ。
頭では判っているのに、納得できない悔しさがこみあげた。
しばらくして、通行人が助けてくださった。
誰かはわからなかったけれど、
名前を読んでくださったので、
僕を知っておられる方だったようだ。
バス停の点字ブロックの上に僕を乗せると、
「行ってらっしゃい。」
僕の耳元で、小声でささやいて立ち去られた。
彼女の言葉が、身体にしみこんだ。
「行ってきます。」
僕も心の中でつぶやいた。
(2013年4月19日)

花水木

花水木の白やピンクの花の風景を、
ここ数日で何人もの人が届けてくださった。
一緒に歩きながら、
同乗させていただいた車の車窓を見ながら、
あるいはメールで。
実は、僕は、花水木の花を知らない。
もっと、目が見えた頃に、
たくさんの花や木のの名前を憶えておけばよかったと、
今頃後悔はしているのだが、
後の祭りだ。
それは、草花や木だけでなく、
小鳥の名前や、トンボやセミなどの昆虫の種類まで、
すべてに言えることだ。
もっと、いろいろ憶えておけばよかった。
記憶にあるものは、思い出すことができる。
先天盲で見た記憶のないともだちは、
あらゆる画像が、この状態なのだろう。
それは、大変なことなのかもしれない。
でも、人間同士のまじわりは、それを超える力を持っているのも事実だ。
見た経験のない人が、
豊かな感性で生きておられることに気づいて、
心が震えたことは幾度もある。
実際、見えなくても、思い出せなくても、
4月の花水木は、
僕の中では、やさしい春物語のひとつになった。
(2013年4月18日)

春風

休日の朝10時、僕達はライトハウスの中の小さな会議室に集まった。
京都府視覚障害者協会の部会だ。
たった5人の部会、15時半までの予定だ。
15時半というのは、
僕が次の会議へ向かうためのギリギリの時間。
時間いっぱい、僕達の現実と向かい合い、仲間の暮らしに思いを寄せ、
未来の社会を語り合った。
昼食は、近くの定食屋さんに行くことになった。
白杖をつきながら、
僕達は点字ブロックを頼りに歩いた。
信号を待つ数分間、
誰かがつぶやいた。
「春風。」
冷たくもなく、熱くもない、
ほどよい暖かさの風が、
気ままに吹いていた。
僕達を包んだ。
そして、誰が指示するでもなく、
僕達の目玉は、空に向かった。
ほとんど見えない目も、全然見えない目も、
空に向かった。
きっと人間は、空が好きなのだろう。
いや、未来は青空の向こう側にあるのかな。
(2013年4月14日)