草むらから聞こえてくる虫の声に足が止る。
コオロギ、マツムシ、クツワムシ、カネタタキ、スズムシ・・・。
名前だけは知っているけれど、判別はできない。
どの虫がどんな姿をしていてどんな声で鳴いているのか、
見える頃にもっと学んでおけばよかったと後悔がある。
それは虫の声だけではない。
草花の名前、空に浮かぶ雲の種類、いろいろな魚の特徴、鳥の声、すべてそうだ。
もっとちゃんと見ておけばよかった。
ちゃんと知っておけばよかった。
きっと、どうでもいいことに視線は向かっていたのだろう。
知らなくていいことを知ろうと頑張っていたのかもしれない。
それはそのまま人生の反省につながっていく。
でももう戻れない。
否定してもやり直すこともできない。
それも含めて僕の人生なのだろう。
人生の秋にさしかかって思う。
見えなくなって見えてきたことも確かにある。
それを大切にしながら生きていきたい。
今年の秋が始まった。
(2021年9月8日)
虫の声
仕事
同行援護研修が舞鶴市で開催された。
受講生は舞鶴市内だけではなく周辺の地域からも参加されているとのことだった。
日本中でガイドヘルパーさんが僕達視覚障害者の日常を支えてくださっている。
僕は当事者の講師としてこの制度の大切さと感謝を伝えた。
帰路に予定していた特急電車はコロナ禍での減便対象となってしまっていた。
仕方がないので普通列車を3回乗り継いで帰ることになった。
僕は普通列車は好きだ。
それぞれの地域の香りがある。
故郷なまりの乗客の会話も楽しい。
若い頃は経済的理由だけではなく、そこに魅かれてよく乗車した。
ただ、見えなくなってからは単独で乗り換えができないという現実がある。
今回も3つの駅で駅員さんのサポートを受けることになった。
二つ目の乗換駅の駅員さんは声が若かった。
乗り換え時間も10分程あったので自然に会話も生まれた。
18歳の今年の春に入社した駅員さんだった。
いろいろな会話の後、僕は尋ねてみた。
「鉄道が好きで駅員さんになったのですか?」
「嫌いではないですけど、特別に好きということもありません。
誰かの役に立つ仕事をしたいと思っていました。」
彼はちょっとはにかみながら応えてくれた。
「ありがとう。頑張ってくださいね。」
午前中の受講生の皆さんとの時間が重なった。
いろいろな人達のいろいろな力が集まって社会が成り立っている。
仕事って、誰かの幸せを支えるものなのだ。
その中で僕も生きていける。
当たり前のことに改めて感謝しながら次の電車に乗り込んだ。
そして、僕もそんな仕事をしていきたいと思った。
(2021年9月3日)
ガラスの風鈴
団地の傍を歩いていたら聞こえてきた。
間違いなくガラスの風鈴だ。
乾いた澄んだ音が風に揺られた。
少年時代の記憶が鮮やかに蘇った。
阿久根大島の海の家、たくさんのガラスの風鈴が揺れていた。
毎年、夏になると出かけた。
港から15分程の船旅、海も波も美しかった。
船の後ろに出来る波をじっと見つめていた。
波の先に見えた赤茶色に錆び着いた灯台さえも美しいと感じた。
阿久根大島の桟橋から海の家までの遊歩道が思い出された。
白い砂浜、茶褐色の岩、緑の松の木。
まるで昨日見たような活き活きとした色彩だった。
砂浜には手漕ぎボートが無造作においてあった。
海の家の前にはカラフルな浮き輪や水中メガネなどが並んでいた。
テーブルに腰かけて食べたかき氷には着色剤の赤色のシロップがかかっていた。
妙に甘い砂糖の味もそのどぎつい色さえも夏によく似合った。
空はどこまでも蒼かった。
海風に揺れるガラスの風鈴の音色はその風景の中に存在していたのだ。
当時はもちろん気づかなかった。
あぶり出しの絵のようなものなのだろう。
今年の夏も過ぎ去ろうとしている。
半世紀前の記憶、そっと音の中に仕舞っておこう。
色あせないように大切に仕舞っておこう。
またいつかの日のために。
(2021年8月29日)
会話
視覚障害者関係の会議に出席するためにライトハウスまで出かけた。
バス、阪急、バスと乗り継いで1時間20分くらいはかかる。
天気予報、コロナの状況、いろいろ考えるとどうしてもお尻は重たくなる。
こういう活動は手弁当が原則なのでお財布も軽くなってしまう。
なかなか厳しい現実だ。
それでも結局は出かけるということは使命感のせいなのだと思う。
自分のためだったら辞めてしまうだろう。
仲間や後輩のためになるのかもしれないという思いがエネルギーになるのだ。
自分自身を冷静に見つめると情けないほど欠点が多い。
恥ずかしくなる。
それでもこの使命感の部分だけは自分のことを好きだと想える。
微かな薄っぺらいものかもしれないけれどそう想える。
会議の前にライトハウスの近くのコンビニにペットボトルを買いに行った。
買い物を済ませてコンビニを出て少し歩いたところで呼び止められた。
以前専門学校で一緒に仕事をしていた先輩の先生だった。
先生はとってもうれしそうに話された。
失敗して遠回りのバスに乗ってしまわれたらしい。
乗り換えのためにライトハウスのバス停で降車したら僕を見つけたとのことだった。
失敗してもいいことはあるんだとおっしゃった。
そんな大層なことではないと思うけれど再会はうれしかった。
お互いにまだまだ元気で頑張りましょうと誓い合って別れた。
ライトハウスに向かう足取りが軽くなっているのを感じた。
人が人と出会う、人間同士が会話する、それはとても大切なことなのだと感じた。
(2021年8月25日)
幸福色
土砂降りの雨だったが出かけなければならなかった。
変更が厳しい約束だった。
僕は意を決して出発した。
案の定雨音で外界の音は確認が難しかった。
白杖で前方の路面を確かめながらゆっくりと歩いた。
路面があるのを確認できれば、そこに足を運べばいいのだ。
それを交互に繰り返せば前に進んでいることになる。
しばらく歩いて足の裏で点字ブロックを感じた。
交差点までたどり着いたのだ。
頭の中の地図に従って進んでいることが確認できた。
信号のある交差点を渡るのが最大の難関だ。
雨音で車のエンジン音はまったく確認できない。
ドライバーの視界が遮られる状況なのも想像できた。
僕はスマートフォンを取り出してボリュームを最大にした。
それから「Be my eyes」のアプリを立ち上げた。
すぐにボランティアさんに繋がった。
「僕は日常、車が停止した時、発車した時のエンジン音で信号を確認しています。
今日は土砂降りで車のエンジン音が聞こえないので、信号の青が分かりません。
信号が青になったら教えてください。」
「分かりました。スマートフォンを少し左に動かしてください。
信号がありました。今、青です。」
僕のスマートフォンのカメラから見える映像がボランティアさんに届いているのだ。
カメラは外を向いているので僕自身は映らなくて景色だけが届いているのだ。
まさに僕が見えたら僕の目に映っている映像だ。
僕は再度お願いをした。
「途中で赤になったら怖いので、青になったタイミングで渡り始めたいです。
少し時間がかかりますが、次に青になった時点で教えてください。」
「分かりました。今点滅になりました。今赤に変わりました。」
「時間がかかってしまってすみません。」
「大丈夫ですよ。凄い雨ですね。音も聞こえています。あっ、今青になりました。」
「助かりました。ありがとうございました。」
僕は精神を集中して白杖を左右に振りながらゆっくりと歩き始めた。
無事反対側にたどり着いた。
それからアプリを閉じてスマートフォンを片付けた。
どこの誰だったかも分からないボランティアさんに今度は心の中でつぶやいた。
「目を貸してくださってありがとうございました。本当に助かりました。」
それからしばらく歩いてやっとバス停にたどり着いた。
ずぶ濡れの傘をリュックサックにぶら下げた。
友人が濡れた部分が内側になる不思議な傘をプレゼントしてくれた。
お陰で他の人に迷惑をかける不安もなく片付けることができた。
目的のバスが到着した。
乗り込んだ僕に向かって運転手さんの声が聞こえた。
「そのまま前に進んでください。もうちょっと、もうちょっと、そこです。
右が一番前の席です。段差を昇ってください。」
運転手さんの完璧な音声誘導だった。
段差を上る座席は高齢の方には難しいと思う。
運転手さんは僕が視覚障害者でそこは大丈夫と判断されたのだ。
僕は座席に座ると大きな声で伝えた。
「ありがとうございました。助かりました。」
運転手さんだけではなく他の乗客の方にも聞こえるようにわざと大きな声で伝えた。
プロの運転手さんの対応を皆で共有できればいいと思った。
皆で拍手をおくりたいような気分だった。
「ありがとうございました。助かりました。」
そしてふと気づいた。
その言葉が僕自身を幸せにして、僕自身を応援してくれているのだ。
僕は更にうれしくなった。
リュックサックからワイヤレスイヤホンを出して装着した。
ブルートゥースでスマートホンにつなげてあるのだ。
僕は躊躇することなく桑田佳祐を選んだ。
歌声が僕を幸福色に包んだ。
人間っていいなとしみじみと思った。
(2021年8月19日)
相合傘
僕は大学は社会福祉学科だった。
何の仕事をしようか、何の仕事が僕にできるのか、生き方探しの旅だったような気が
する。
特別な技能もなかったし優秀な学生デモなかった。
それでも、何か社会に貢献できることをしたいという思いだけはあった。
3回生の頃、大阪の児童福祉施設での実習があった。
一か月間、施設の寮に泊まり込んでの実習だった。
僕はその仕事にのめり込んでいった。
実習が終わって、京都の施設を大学から紹介してもらった。
ボランティアという名目の雑用係みたいなものだった。
雑用係の仕事は少しずつ増えてアルバイト勤務となった。
僕は21歳から39歳までのほとんどの時間をその施設で過ごすことになった。
雑用係を続けたのだ。
頑張れば僕にもできることだった。
収入は乏しかったがやりがいだけはあった。
視覚障害になって辛かったことがあるとすれば、
その仕事を辞めなければならなくなったということだったと思う。
退職の後、思い出につながるものすべてを処分した。
見えていた自分自身との決別だったのかもしれない。
それから25年の歳月が流れた。
今でも時々、当時の子供達と会うことがある。
当時の僕はそれぞれの人生の重たさを理解できていなかったのだとつくづく思う。
若さ故の過ちが多過ぎたような気がする。
懺悔の思いが大きい。
久しぶりに当時少女だったおばちゃんと歩いた。
彼女の肘を借りて相合傘で歩いた。
服役中の内縁の夫についての相談だった。
僕は彼女が幸せであることだけを願いながら話を聞いた。
「お兄さん、変わらへんなぁ。」
彼女は笑った。
どんな意味があるのかは分からない。
僕もいろいろな人と相合傘で歩いてきた。
助け助けられて生きてきた。
生き方探しの旅はまだまだ続くということなのだろう。
見えても見えなくても僕は僕にしかなれないのだ。
(2021年8月15日)
高校野球
ラジオで高校野球の開会式を聞いた。
「栄冠は君に輝く」の歌声が心に染み渡った。
人間の声って本当に美しく力強いと感じた。
歌声が夏の空に吸い込まれていくような気がした。
見えている頃、幾度か高校野球観戦に甲子園に出かけた。
ギラギラと輝く夏の空が眩しかったのを憶えている。
思いでさえも眩しく感じるから不思議だ。
夏の中にいながら夏を懐かしく思う。
過ぎ去った若い日を懐かしく感じるということなのかもしれない。
過ぎ去った夏は遥か遠くになってしまった。
淋しく感じるのも事実だ。
それでもまだもうちょっとは人生は続いていくのだろう。
豊かであって欲しいと願う。
今年もまたしっかりと応援しよう。
悔いのないプレー、悔いのない試合、悔いのない日々。
悔いがあるからそう思ってしまうのかな。
(2021年8月11日)
ひまわり
暑さの中でふと思い出した。
この夏、僕はまだひまわりを見ていない。
それだけ外出の機会が減ってしまっているということだろう。
夏になれば毎年どこかでひまわりに出会った。
そしていつもうれしく感じた。
自分の命が夏の中で生きていると感じていたのだと思う。
それを教えてくれる花なのだろう。
僕が見るというのは触るということだ。
ひまわりに出会うとまずその高さを触った。
それから黄色の花弁、花の中央の種になる部分を触った。
大きな葉っぱも太い茎もそれぞれを触った。
手から夏のエネルギーを感じたような気がする。
もうどれくらい前だろう。
ひまわり畑に出かけたことがある。
一面のひまわり、実際には見てはいないはずなのに忘れられない映像だ。
思い出がキラキラと輝いている。
今年の夏、このまま夏を終えるのは残念過ぎる。
せっかくの夏、どこかのひまわりに会いに行こう。
(2021年8月7日)
テニス部
気温が30度を超すようになって朝の散歩を中止した。
マスクをしての散歩はきつ過ぎるのだ。
近くに人がいない時はマスクを外してもいいとのことだが、
僕達は近くに人がいるかが分からない。
外してもいい場所とタイミング、見えないと難しい。
コロナ禍、仕事もプライベイトも含めて外出の機会はだいぶ少なくなってしまった。
家にいたらついおやつを食べてゴロゴロしている。
体重計に載るのが怖くなっている状態だ。
困ったものだ。
地域にある福祉施設での仕事、せめてこれくらいは歩いていくことにしている。
月に2回だけなので気分的にも苦にはならない。
今朝も歩いて出かけた。
僕の足で30分、2キロはないだろう。
8時を過ぎたくらいの夏の朝は既に過酷だった。
セミの合唱をうるさくも感じながら青息吐息で歩いていた。
「松永さん、おはようございます。大丈夫ですか?」
女の子の声だった。
僕の福祉授業を受けてくれた地域の中学生だった。
彼女はこれからテニス部の練習に向かうらしい。
「大丈夫だよ。ありがとう。」
僕は彼女と別れてまた歩き始めた。
「気をつけてくださいね。」
背中から彼女の明るい声が追いかけてきた。
中学生、テニスの朝練、夏がよく似合う気がしてうれしくなった。
中学校の頃のガールフレンドがテニス部だったのを思い出した。
ラケットを持った笑顔を思い出した。
キラキラとした笑顔だった。
夏の映像だったような気がする。
うれしくなった。
(2021年8月2日)
セミ
セミが大きな声で鳴いている。
一匹一匹の鳴き声は普通なのかもしれないが、
何百匹何千匹と集まった音量は凄まじい。
その音量はすべての音をかき消す。
僕はセミの鳴き声の中におぼれていく。
セミの鳴き声が記憶の旅路をエスコートしてくれているようだ。
カンカン照りの水色の空の下に少年の僕がいる。
半ズボンにランニングシャツ、ゴム草履を履いている。
麦わら帽子をかぶっている。
僕の後ろには僕の影がある。
少年はどこに向かって歩こうとしているのだろうか。
思い出そうとしても思い出せない。
手がかりもない。
まっすぐ前を向いて歩いている。
とぼとぼ歩いた方が絵になるのかもしれないが、
少年は元気に歩いている。
やせこけた身体は日に焼けている。
突然少年の足が止る。
立ち止った少年の顔を覗き込む。
頬が涙で濡れている。
濡れているのに笑っている。
戸惑う僕の耳にセミの鳴き声が再び届く。
僕は現実に引き戻される。
ほんの一瞬、僕の魂は50年以上前にスリップしていたようだ。
どこに向かおうとしていたのか、
何故涙があったのか、
何故笑っていたのか判らない。
不安なのか希望なのか判らない。
間違いないのはずっと歩いてきたということなのだろう。
ずっとずっと歩いてきたということなのだろう。
そして明日も歩いていく。
明後日も歩いていく。
まだまだ歩いていきたいと思う。
なんとなくそう思う。
(2021年7月28日)