5年生の子供達から届いた手紙に心が震えた。
福祉授業で僕の話を聞いてくれた子供達からのメッセージだった。
視覚障害についての正しい理解ができたとのことだった。
障害への考え方が変わったとも書いてあった。
人間の生き方について考えたというのもあった。
自分達が未来を作っていくという宣言もあった。
一人一人のひとつひとつの言葉がキラキラと輝いていた。
キラキラとした眼差しで書いてくれたのが伝わってきた。
愛が溢れていた。
愛には力があるのだと思った。
子供達と向かい合う時、いつも全力の僕がいる。
ある意味、必死になっている僕がいる。
子供達に話しかけるということは未来に語りかけるということなのだ。
こうして子供達のメッセージを読みながら、ほんの少しそれができたことに気づく。
そして充実感が僕自身をも幸せにする。
僕にできるささやかなこと、これからもまだまだ頑張りたい。
メッセージを届けてくださった先生方にも心から感謝したい。
(2020年3月7日)
5年生からの手紙
菜の花
僕は自宅で電話をしていた。
晴眼者の彼は戸外を歩きながらの電話らしかった。
仕事の話だった。
突然、彼は会話を遮った。
「空き地が菜の花でいっぱいですよ。黄色一色です。
売地という看板が出ています。」
僕は一気にうれしくなった。
「700円だったら、僕が買うよ。」
僕はすかさず答えた。
どこから700円という数字になったのかは自分でも分らない。
40歳で見えなくなって仕事を失った。
その後、頑張ってトライしたけどちゃんとした就職はできなかった。
いろいろな書類の職業欄には自由業と書き続けて20年が過ぎた。
僕の人生、僕の経済力では土地を購入するなんてあり得ない。
自嘲しながらの数字だったのかもしれない。
でも、ここまでの道をどこかで満足しているのだろう。
土地を買えないことよりも、菜の花を喜ぶ自分を受け止めている。
電話を切って気づいた。
六畳の僕の部屋は菜の花の黄色で埋め尽くされていた。
幸せの黄色だなと思った。
(2020年3月4日)
マスク
バスや電車の中ではマスクをしている。
マスクは息苦しい感じがして嫌いなのだけど社会情勢からして仕方ない。
僕は毎年この季節は咳が出やすくなる。
何かのアレルギーなのかもしれない。
でも、今年はバスや電車の中では咳き込むのを我慢している僕がいる。
咳をしてしまうと何となく視線を感じてしまうのだ。
罪悪感みたいな感覚になってしまう。
恐怖が曇り空みたいに社会を覆っているせいだろう。
見えないもの、
聞こえないもの、
匂わないもの、
触れないもの、
それは厄介だ。
被害者になるのは嫌だし、加害者になるのはもっと嫌な気がする。
でも、どうしようもない。
仕方ないからしばらくはマスクをつけて歩くのだろう。
しばらくがいつまでかも想像できない。
「松永さん、サングラスにマスク、不審者みたいですね。
野球帽はかぶらないでくださいね。」
先日出会った眼が見える知り合いに茶化された。
確かにマスクを付け始めてからサポートの声は激減した。
早く平穏になりますようにと祈るだけだ。
(2020年3月1日)
鹿児島弁
先日の会議で頂いた名刺を確認した。
見えない僕には裏表も上下も分からない。
とりあえず、名刺を机の上に置いた。
それから、スマートフォンのカメラ部分をその方向に向けた。
そして話しかけた。
「これ読んで。」
スマートフォンはほぼ完璧に読んでくれた。
子供の頃、ワクワクしながら見ていた鉄腕アトムの世界が現実になってきている。
化学の進歩というのは凄いことなのだ。
写真のアプリを使えば、撮影された風景をスマートフォンが説明してくれる。
でも、同じ説明でも人間にしてもらった方がうれしく感じるのは何故だろう。
人間の言葉にはぬくもりがある。
人間の声にはぬくもりがある。
ぬくもりに出会うとうれしくなる。
故郷の言葉を聞くとうれしくなるのはそういうことなのだろうか。
今日、電車の中で鹿児島弁の会話を耳にした。
そっとうれしくなった。
(2020年2月25日)
のどか
白杖でバス停の点字ブロックを探した。
僕はその上に乗って深呼吸をした。
のどかな光を顔に当たるぬくもりで感じていた。
そよ風さえものどかだった。
「何番に乗るの?」
突然、少し離れたところから声がした。
バス停の待合の椅子に座っていたおばあちゃんだった。
横に座るように勧められたが、立ったままで会話を続けた。
彼女は最近膝が痛くて出かけるのがおっくうになったことなどを話してくださった。
話の途中にバスが近づくと、その行先と番号をしっかり教えてくださった。
それから、どこの病院が新設だとか話を続けられた。
風が気持ちいいとかの話題もあった。
「ブゥー。」
突然、でも確かに聞こえた。
「ごめんごめん。聞こえてしもたなぁ。
年取るとお尻までいうこときかんなぁ。」
おばあさんのおならだった。
「春だからいいですよ。」
僕は咄嗟に訳の分からない返事をした。
「そうかぁ。春やしなぁ。」
おばあさんも何となく納得されたようだった。
僕は心の底からのどかさを感じてうれしくなった。
(2020年2月20日)
笑顔
講師陣は愛媛、大阪、京都、埼玉、東京から集合した。
受講生は鹿児島からも北海道からも、日本の各地から参加してくださった。
同行援護を勉強するための当事者対象の研修会が東京で開催されたのだ。
同行援護というのは視覚障害者にとってとても大切な制度だ。
同行援護の資格を取得したガイドヘルパーさん達が視覚障害者の外出をサポートして
くださる。
ガイドヘルパーさんのサポートによって安心して外出ができるのだ。
ガイドヘルパーさんがおられなかったら、買い物も通院もままならないという方もた
くさんおられる。
とにかく、視覚障害者にとってはとても大切な制度ということになる。
それを学ぼうという当事者の方々のモチベーションは高い。
僕は講師役なのだが、教えることより教えられることの方が多い。
受講生の中には元々聴覚障害でありながら視覚障害になってしまったという盲ろうの
女性がおられた。
彼女には盲ろう者通訳・介助員という専門家の方が同行してサポートしてくださって
いた。
僕達が話したことを彼女の微かに見える目の前で手話をされたり、彼女がその手話を
触って確認したりして伝え合うのだ。
通訳の方は彼女が少しでも見えやすいようにわざと黒い上着を着ておられた。
僕は彼女に挨拶をした。
それから握手を求めた。
僕達はしっかりと手を握り合ってお互いを確認した。
「頑張ります。」
通訳・介助員の方が彼女の言葉を僕に伝えてくださった。
それから、彼女の笑顔を教えてくださった。
それを知った僕も笑顔が弾けた。
見えない聞こえない、イメージだけだと大変さを先に思ってしまう。
そして実際に大変なことなのかもしれない。
ついついお気の毒にとか可哀そうという感情につながりやすい。
ただ、現実に生きている本人に会えば、その命のきらめきの方がはるかに大きいこと
に気づく。
そしてその気づきはこちらの幸せ感にもつながり生きる力にも変化していくのだ。
彼女の笑顔に、そしてその笑顔をさりげなく会場に溶け込ませてくださった関係者の
皆様に心から感謝したい。
(2020年2月15日)
雪ウサギ
グーグルホームの目覚ましの音で目が覚めた。
「OKグーグル、目覚ましとめて。」
僕はベッドの中から声を出した。
それからいつものようにぼぉっとしながら起き上がるための小さな勇気を探した。
特に寒い冬はなかなかベッドから出れない。
幾度も現在時刻をグーグルに尋ねながらの朝の始まりだ。
そしてふと気づいた。
いつもと違う静寂だ。
「雪が積もっている!」
僕は確信した。
そして飛び起きた。
上着を羽織ってベランダに出た。
それからベランダの手すりにそっと手を触れた。
人差し指がうっすらと積もっている雪を感じた。
僕は幾度も指を動かして雪を感じた。
うれしくなった。
ほんのわずかな時間の中で、
子供の頃に作った雪ウサギの映像が蘇った。
木の葉で耳を作った。
赤い目玉はナンテンの実だっただろうか。
誰が創り方を教えてくれたのだろう。
父ちゃんだったのだろうか母ちゃんだったのだろうか。
雪ウサギの向こう側に父ちゃんと母ちゃんの顔を思い出した。
やっぱり僕は雪が大好きだ。
(2020年2月10日)
フルート
中学校での講演を終えて近鉄向島駅まで先生方に車で送ってもらった。
生徒達に伝える機会を頂いたことへの感謝を伝えて先生方と別れた。
有人改札口で駅員さんにチケットの購入を手伝っていただいた。
それからホームに続く階段に向かった。
この駅は一応の地図が頭に入っている。
毎年前期だけ週一回、この駅の近くの専門学校に通勤しているからだ。
それでも見えていないのだから点字ブロックを利用しながら慎重に歩く。
階段の始めと終わりは白杖で確認する。
踊り場で一旦立ち止って白杖で次の階段を確認した時だった。
「階段です。」
隣から小さな声が聞こえた。
恥ずかしそうに、それでも伝えたいという感じの声だった。
僕はお礼を伝えながら、電車の車内への誘導をお願いした。
目的地までは距離があるので座りたいと思ったからだ。
電車が到着するまでのわずかな時間、僕達は少しだけお互いの自己紹介をした。
彼女は音楽を専攻している大学生だった。
フルートをやっているとのことだった。
フルートが似合いそうな学生さんだなと思った時だった。
「空が真っ青でとても綺麗です。雲一つありません。」
彼女は唐突に僕に空を教えてくれた。
僕達はほんの数十秒、一緒に空を見上げた。
冬枯れの真っ青な空が頭の中で蘇った。
心が晴れ晴れとなっていくのを感じた。
今日中学校に向かう時の電車ではずっと立っていた。
声をかけてもらって誘導してもらった時だけ座れる。
座れる日の方がはるかに少ない。
もう慣れているし特別に辛さを感じるわけでもないが、
ほんの少しだけ、それぞれが参加しやすい社会になればいいのにという思いはある。
そのために活動しているのも事実だ。
こうしてたまにあるささやかな出会いが僕に勇気をくれている。
彼女が吹くフルートの音色を聴いてみたいと思った。
(2020年2月5日)
初老
「松永さん、おはようございます。」
ラッシュアワーの人込みの中で彼女は僕を見つけてくれた。
僕は右手で白杖を使いながら階段を下りている最中だった。
朝の駅の階段は急流のように人波が動いていた。
彼女は波をかいくぐって僕の左に着いた。
僕の動きに合わせながらそっと彼女の右手が差し出された。
僕達は当たり前のように一緒に階段を下りてホームに到着した。
それから少しでも混雑の少ない場所に移動した。
「今日は大学ですか?」
僕の活動を知っている彼女が尋ねた。
「今日は午前中に国際会館の近くの小学校、午後から専門学校だよ。
だから烏丸で地下鉄に乗り換えだね。」
僕は直近の経路を説明した。
「私、四条烏丸の会社なので地下鉄の改札まで一緒に行きますね。」
自分の出勤時間と駅の込み具合などを計算しながら彼女が出した答えだった。
小学校の時に出会った彼女はもう一児の母となっている。
「よく頑張らはりますね。」
僕の活動歴を知っている彼女の感想だった。
「中年フリーターだから仕方ないね。」
僕は笑った。
「中年ではなくて初老のですね。」
彼女は悪戯っぽく笑ってちゃかした。
僕達は到着した電車に飲み込まれて烏丸に向かった。
地下鉄の改札まで送ってもらって彼女と別れた。
「気をつけていってらっしゃい。」
背中から彼女の声が聞こえた。
今日出会う子供達の中から将来の彼女が育っていくだろう。
正しく知る機会があるかないかはとても重要だ。
でも、その時、僕は初老ではなくて後期高齢者ということになるのだな。
もう活動はしていないだろうけど、それまで元気でいたいなと思った。
(2020年2月4日)
公共交通機関
桂川駅の改札口で駅員さんにチケットを見せながらお願いした。
「京都駅から新幹線利用です。
品川経由で常磐線の北千住駅までのサポートをお願いします。」
「少し時間がかかるので、構内の椅子に座って待っていてください。」
若い駅員さんの返事だった。
少し時間がかかるのは当たり前なので余裕を持って駅には到着していた。
「椅子はどこにあるかも空いているかも分からないので案内してください。」
僕は笑顔でお願いした。
こういう繰り返しで理解が深まっていくのだ。
駅員さんは快く案内してくださった。
しばらくして椅子まで迎えにきてくださった。
「すべて連絡が終わりました。
26分発の京都行の電車に乗車してもらうのでホームに移動しましょう。」
僕は駅員さんの肘を持たせてもらってホームに移動した。
「二駅だけですから立っていますので、乗車したら手すりを教えてください。」
僕は駅員さんにお願いした。
電車が到着して予定通りに乗車した。
「ありがとうございました。」
ドアが閉まる直前、僕はサポートしてくださった駅員さんに感謝を伝えた。
電車が京都駅に着くと、ホームには京都駅の駅員さんが待っていてくださった。
「階段でもエスカレーターでも何でも大丈夫です。」
僕は駅員さんの肘を持ちながら伝えた。
「じゃあ、近い場所にあるエスカレーターで動きましょう。」
これはちゃんと伝えないと、時々遠いところにあるエレベーターまで案内されること
になってしまうのだ。
新幹線の改札口で駅員さんの交代があった。
JR西日本の駅員さんからJR東海の駅員さんへのバトンタッチだ。
東海の駅員さんとホームに移動した。
間もなく予定ののぞみ号が到着した。
乗降口で、僕は東海の駅員さんから新幹線のパーサーにバトンタッチされた。
指定席に案内してパーサーがおっしゃった。
「品川駅までですね。また近くなったら迎えに参ります。」
僕はいつも窓側の指定席をとることにしている。
通路側だと窓際のお客様の出入りに気を使わなければならない。
窓側だとのんびり座れる。
それにコートをかけることもできるし、パソコンで仕事する時のコンセントもある。
東京までの2時間、パソコンで仕事をしていることが多い。
今回もそうして時を過ごした。
アナウンスが品川駅を案内すると同時にパーサーが迎えに来てくださった。
そしてデッキまで案内してくださった。
品川駅のホームにはやはり駅員さんが待機していてくださった。
東海の駅員さんから東日本の駅員さんへバトンタッチ、そうして常磐線の電車に乗せ
てもらって北千住駅に到着した。
改札口には講演にお招きくださった高校の先生と笑顔の生徒達が待っていた。
学校の授業の一環でガイドヘルパーの資格を取得した生徒達だった。
高校生で資格を取得するのは全国的にも珍しいことだが素晴らしい取り組みだ。
担当の高校生は堂々と僕をサポートしてくれた。
その光景を想像してかっこいいと思った。
無事、学校に到着した。
公共交通機関のある場所なら、基本的にどこでも一人で出かけることができる。
新幹線でも在来線でも飛行機でも同じだ。
北海道の高校にも鹿児島県の高校にも一人で出かけた。
昔はそんな訳にはいかなかっただろう。
社会が成熟してきているということなのだろう。
今日往路だけでも7名の駅員さんのサポートを受けた。
心から感謝したい。
(2020年1月29日)