コオロギ

「コオロギ、鳴き始めたね。」
彼女はうれしそうに僕にささやいた。
「僕も数日前に気づいたよ。」
僕は相槌を打ちながら答えた。
ほとんど同じ時期に僕達は光を失った。
ということは、それぞれに20年の時間が流れたということになる。
彼女が僕と同じ病気での失明だということと、
僕よりお姉さんということ、趣味が社交ダンスということくらいしか僕は知らない。
彼女は最初は白杖を拒否していた。
近所では折りたたんでリュックに隠した。
わずかな光を頼りに恐る恐る歩いた。
見えるふりをして歩いた。
やがてそのわずかな光も確認できなくなっていった。
白杖がなければ足を前に踏み出せなくなった。
彼女は仕方なく白杖を使い始めた。
その頃のことを彼女は懐かしそうに話した。
その頃の僕達は歩くこと自体に必死だったような気がする。
白杖で前を探って歩くという行動が恐怖心の中にあった。
余裕もゆとりもなかった。
そしてその姿を他人に見られているような気がした。
悲しい姿だと勝手に想像していた。
今でもそんなに余裕があるわけでもないし、恐怖心が消えたわけでもない。
少しずつ姿も受け入れていった。
白杖があってもなくても変わらない自分に気づいた。
白杖姿の自分も好きになっていった。
立ち止ることを憶えただけなのかもしれない。
立ち止れば深呼吸ができる。
深呼吸をすれば風に気づく。
音にも匂いにも気づく。
そしてちょっと幸せになれる。
あの頃、淋しそうにしか聞こえなかったコオロギの鳴き声、
今では歌声に聞こえる時もある。
「見えなくなって豊かになった部分もあるよね。不思議だね。」
僕がつぶやいた。
「確かにあるよね。」
今度は彼女が相槌を打った。
(2019年8月20日)

絵日記

電車は混んでいたので僕と友人は通路まで移動した。
僕は二人座りのシートの角にある取っ手を持って立っていた。
窓際が少女で通路側がお母さんだった。
しばらくして少女は僕に気づいた。
二人は席を僕達に譲ってくれた。
「白い棒を持った人は目が見えない人って学校で教えてもらったの。」
少女は自慢気にお母さんに説明した。
お母さんは気づくのが遅れたことを僕に謝って、気づいた娘にお礼を伝えていた。
それだけで素敵な親子だなと感じた。
当たり前のように僕と少女の間に会話が生まれた。
少女は点字や盲導犬の話を僕にしてくれた。
僕は触針の腕時計を見せたりした。
点字の付いた名刺もプレゼントした。
少女はうれしそうに指で触っていた。
あっという間に僕達は目的の駅に着いた。
僕達は親子にお礼を伝えて電車を降りた。
少女がどんな格好だったかなどを友人が細かに説明してくれた。
赤いハンドバッグが似合っていたそうだ。
そして満面の笑みだったと教えてくれた。
やさしさに包まれた時間が僕の心の中で絵日記になった。
今年の夏の大きな思い出になるのを自覚した。
(2019年8月15日)

仲間

ガイドヘルパーのスキルアップ研修が開催された。
僕も彼女もその当事者講師だった。
研修が始まる前のわずかな時間を見つけて、彼女は僕に小さな紙袋を渡してくださっ
た。
「この前のお礼ね。」
最初は何のことか分からなかった。
一か月ほど前にこの研修の打ち合わせがあった。
その時彼女は少しのどの調子が悪そうだった。
僕はいつも持ち歩いているミンティアを彼女に渡した。
数粒齧ると清涼感が口中に広がるお菓子だ。
その時のお礼にとの説明だった。
ささやかなお菓子でわざわざお礼を受け取るようなものではない。
「お煎餅。海苔巻きではないけれどね。」
彼女は笑いながら手渡してくださった。
僕はその意味がすぐに分かった。
何の躊躇もなく頂いた。
彼女は僕のブログを時々読んでくださっている。
以前、お煎餅が好きなことを書いたことがある。
彼女はそれを思い出して準備してくださったのだ。
彼女らしい細やかな心遣いがほのぼのとうれしかった。
彼女がたくさんの時間を使って活動されているのは知っている。
一か月の半分くらいはライトハウスに来ておられるのかもしれない。
仲間のために地域のために、そして未来のために。
日々の活動の中でこうして素敵な仲間と出会う。
その姿に自分自身が励まされる。
視覚障害者にはなりたくなかったとそれぞれが思っている。
でも、そんなこととは関係なく、豊かな人生を生きていきたいと思っている。
お互いの顔さえ見えない僕達は笑顔で同じ未来を見つめている。
帰宅して味わったお煎餅は格別の味だった。
(2019年8月11日)

ひまわり

見えなくなってからひまわりがとても好きになった。
理由は自分でも分らない。
触った時に映像が一瞬で蘇るからかもしれない。
葉っぱの大きさ、太い茎にある産毛の感じ、背の高さ、まっ黄色な花弁、種になる部
分のザラザラ感、すべてが愛おしく感じてしまう。
そしてそれが夏の青空にとてもよく似合う。
笑顔のようだ。
青春時代、リュックサックを背負ってヨーロッパを旅したことがある。
お金はなかったけど時間はあった。
貧しさを貧しさと感じていない頃だった。
心のおもむくままに時を過ごした。
パンをかじって野宿をしながらの旅だった。
いきさつは忘れてしまったがアムステルダムにあるゴッホ美術館を訪ねた。
フィンセント・ファン・ゴッホの描いた「ひまわり」。
その絵の前で立ちすくんだ。
思い出がいつか宝物になることをその時の僕はまだ知らなかった。
切り取られた思い出が夏に溶けていく。
今年はまだひまわりを触っていない。
どこかのひまわり畑に行ってみたくなった。
(2019年8月7日)

37度

バスも電車も冷房が効いている。
建物の中も涼しい。
問題は移動中だ。
暑さが尋常ではない。
37度ということは体温よりも高いということだ。
灼熱を感じながら歩く。
さすがにここまでくるとセミ達も押し黙ったままだ。
僕の心も無言で歩く。
思考が停止しているような状態だ。
ただ、そんな中でも右手だけは頑張ってくれている。
白杖をしっかりと握っている。
歩行のリズムに合わせて左右に規則的に動かす。
無意識の中で動かしているのだから我ながら凄いと思う。
進む道を白杖で見ているのだろうな。
初めて手にした時は悲しい道具に思えた。
それが今では大切な存在となった。
道具が身体の一部になったということだろう。
いつでもどこでも一緒なのだ。
ありがとう、白杖。
(2019年8月5日)

のんびり

バスを降りたところで声をかけてくださった。
「先生、一緒に行きましょうか?」
「ありがとうございます。肘を持たせてください。」
僕は彼女の肘を持った。
僕達は駅に向かって歩き始めた。
彼女の歩幅は僕の半分くらいで、歩くスピードもとてもゆっくりだった。
彼女は駅の反対側から別のバスに乗るとのことだった。
整形外科への通院の途中で僕を見つけてくださったのだ。
僕のことを先生とおっしゃったのでどこでお出会いしたかを尋ねた。
地元での講演会で話を聞いてくださったらしい。
きっと僕の苗字までは憶えてはおられないのだろうと思った。
いつもは階段を利用している駅なのだが、僕達は自然にエレベーターに向かった。
エレベーターの中で彼女の息が乱れていることに気づいた。
エレベーターを降りてからはもっとスピードを落とした。
ゆっくりとのんびりと歩いた。
改札口の近くまで着いたので彼女の肘を離した。
「熱中症に気をつけてくださいね。ちゃんと水分補給をしてくださいね。
本当に助かりました。ありがとうございました。」
僕はしっかりとお礼を伝えた。
「先生もお気をつけて。
たまにお見掛けしているんですよ。」
彼女はうれしそうに返事をしてくださった。
僕は再度お礼を伝えてホームに向かった。
予想通り、予定の電車に乗り遅れた。
ホームでしばらく佇んだ。
夏の空気を感じた。
乗り遅れたことへの残念な気持ちはまったく起きなかった。
回り道や寄り道が豊かさにつながるのかもしれないと再認識した。
男性の平均年齢が81歳だとの今朝のニュースを思い出した。
そこまでいけるとしたらあと19年ある。
のんびりと生きていくのも大切なことなのだとなんとなく思った。
彼女が教えてくださったのだなと感じた。
(2019年8月1日)

7年もの間、土の中にいたんだって?
凄いね。
暗い世界で生きてきたんだね。
景色のない世界でずっと生きてきたんだよね。
地上の空気はどう?
風はどう?
そして目に映る真っ青な空、真っ白な雲。
輝く光はどう?
うれしいに決まっているよね。
うれし過ぎるよね。
だから身体中のエネルギーを使って鳴くんだね。
叫んでいるんだね。
叫び続けて一週間で命が途絶えたとしても、それは幸せなことなのかもしれない。
思いっきり叫んだらいいよ。
「やったぁ。やったぁ。」
万歳しながら小躍りしながら叫び続けたらいいよ。
こみ上げる涙も笑いも全部そのままで、真っ青な夏の空に抱かれたらいい。
光を感じながら、ね。
おめでとう。
(2019年7月29日)

三世代

数年ぶりに偶然バスの中で出会った。
小学校5年生の一人息子の成長をうれしそうに話してくれた。
夏休みが始まって大変になるとも話してくれた。
普通のお母さんの姿があった。
バスを降りて駅までのサポートを依頼した。
わずかな距離だったが僕はわざと彼女に依頼した。
彼女と歩きたいと思ったのだ。
「素肌でごめんなさい。」
彼女はちょっと照れながら肘を持たせてくれた。
彼女と歩くのはこれで何回目だろうか。
10回にはならないのかもしれない。
初めて一緒に歩いた日を僕ははっきりと憶えている。
22年前、僕が初めて参加した視覚障害者協会のイベントだった。
彼女はボランティアのお母さんに連れられて参加していた。
小学校5年生か6年生だったと思う。
僕自身もまだ手引かれることに慣れていなくてドキドキしていた。
少女はもっとドキドキだっただろう。
「僕が初めて手引きしてもらった小学生だからね。」
僕は不思議な喜びを伝えた。
「息子は生まれてすぐに松永さんに抱っこしてもらったんだから、
私よりデビューが早いですよ。」
彼女はうれしそうに笑った。
夏休みのうちに息子と歩きたいとふと思った。
三世代でサポートしてもらうということになる。
(2019年7月25日)

仕事

午前中は「京都市盲ろう通訳・介助員養成講座」での講師の仕事だった。
視覚障害、聴覚障害の重複障害の方々の支援をする大切な制度だ。
視覚障害の意味、支援のポイントなどを伝えるのが僕の役目だった。
受講生の方に感謝をしながら話をした。
もし僕自身が、今後耳も不自由になったらと考えると恐怖を感じる。
でも現実にそういう方々がおられるのだ。
その支援を志すこと自体が素晴らしいことなんだと思っている。
終了後、同行したボランティアさんと急いで京都駅に向かった。
学生時代によくガイドをしてくれた彼女は、卒業して障害児の教育に関わる仕事に就
いた。
縁とは不思議なものだ。
今回はボランティアとして僕のアシストをしてくれた。
食事を済ませて、地下鉄の改札で彼女と別れた。
僕は次の仕事のために向島にある京都福祉専門学校に向かった。
オープンキャンパスでの講師が仕事だった。
福祉に興味を持った若者達に視覚障害者という立場で話をした。
いつもそんな感じなのだが、つい力が入ってしまう。
もう少し手抜きも必要なのかもと反省もするのだが、
一期一会に感謝して心が熱くなってしまう。
終わった時には疲労感もあった。
近鉄、地下鉄、阪急、市バスと乗り継いで帰らなければならない。
アイマスク状態で白杖だけを手がかりに歩くのだから、我ながら凄いことだと思って
いる。
でも、やっぱり不安はある。
乗り換えの四条烏丸の混雑は半端じゃない。
夏休み、日曜日、祇園祭、想像しただけで足が竦む。
頑張るしかない。
地下鉄四条駅の改札を出て歩き出した時、女性が声をかけてくださった。
僕はすぐに彼女の肘を持たせてもらった。
「人込みは大変ですね。」
彼女の的を得た言葉が僕の身体を軽くした。
阪急の改札口までのわずかな距離の中で彼女はいくつか話をしてくださった。
彼女は難聴の障害を持っておられた。
先天性で補聴器を装着しているのだとおっしゃった。
通勤の際も視覚障害者のおじさんがいるのでよく声をかけているとのことだった。
数えきれない数の人が僕の横を歩いていかれたが、
声をかけてくださったのは彼女だった。
僕は何故かとてもうれしくなった。
人間としてのきらめきがある彼女を素敵だと思った。
「可哀そうな人を支援するのではなくて、障害を持った人の幸せをアシストするのが
仕事だと思ってください。」
午前中の講座で話した言葉が蘇った。
心からのお礼を彼女に伝えてさよならした。
見えない僕にもできる仕事がある。
そう自分に言い聞かせたらまた元気が出た。
(2019年7月22日)

無言の手

バスはほぼ満員状態だった。
祇園祭の山鉾巡行の日だからと予想していたし、
座るなんて無理と最初からあきらめていた。
僕は押し流されるようにバスの中まで移動してから吊革をにぎった。
その僕の手を誰かが握った。
間違って握られたのだと思ったが違った。
僕の手を握った手がそのまま僕をゆっくりと引っ張った。
そして僕が立っていた後ろの席に誘導した。
ずっと無言だった。
座ろうとした時、また別の手が僕のもう片方の手を握った。
それもまた無言の手だった。
両方の手を支えられるようにしながら僕は座った。
僕がちゃんと座るのを見届けたように手は離れた。
「ありがとうございます。」
僕は声を出した。
それを聞き終えたように手の持ち主が会話を始めた。
二人の若い感じの女性だった。
韓国語だった。
無言だった理由が分かった。
僕はふと今朝のニュースを思い出した。
日本と韓国のもめ事のニュースだった。
同じ人間の手がこぶしを握れば悲しくなる。
武器を持てば恐ろしいことが起こる。
お互いに触れれば優しくなる。
同じ人間の手なのに。
僕は手の持ち主に再度「ありがとうございました。」と伝えてバスを降りた。
韓国語のありがとうを憶えておきたいと思った。
(2019年7月17日)