2年ぶりに再会したサシャはとても日本語が上手になっていた。
セルビアの出身でカナダに住んでいる。
日本出身の彼女とカナダで出会い、
今回は彼女の故郷で結婚式を挙げるために来日したのだ。
彼女はカナダで視覚障害の子供の教育に関わる仕事をしていて、
たまたま僕の著書も読んでくれていたというご縁で知り合った。
繋がることでお互いにスキルアップできればという思いはあったけれど、
僕にとったらサシャと知り合えたことも大きかった。
京都の真ん中の御池通りをサシャに手引きしてもらって歩いた。
身長は2メートル近くあるのだろうか、
この前までカナダの海軍で軍艦に1年近く乗船していたとのことで、
まさに強靭という感じだった。
サシャの人生を詳しく知っているわけではないが、
地球サイズの感覚を持っている彼に比べれば、
僕は貧弱なものだ。
素直にうらやましく感じた。
日本で困ることを尋ねたら、
タトゥがあるから大浴場の入浴などを断られると笑った。
あらかじめ申し出れば宿泊さえ断られることがほとんどとのことだった。
カナダではファッションのひとつで、
学校の先生も警察官もタトゥがあるのにと説明してくれた。
サシャの手引きは何も問題はなかった。
誰かが誰かを手伝うということ、
言葉以上のものが存在するのだろう。
やさしさに国境はないのだ。
素敵な二人が幸せでありますように!
(2016年3月20日)
サシャ
兄妹
お兄さんに促された彼女は僕の手をそっと握った。
「ずっと会いたいと思っていました。」
小さな声で控えめな口調ではあったけれど、
何故かつぶやきは僕の心にしっかりと届いた。
僕は照れ臭かったけど感謝を伝えた。
僕と彼女に特別な接点はない。
たまたま僕が出演していたラジオを聞いてからそう思っていてくれたとのことだった。
僕が何を話、それが彼女にどう響いたのかは判らない。
でもそれが希望につながる話しになっていたとしたら光栄なことだ。
12歳で失明してから二十数年を地方都市で過ごしている彼女の人生、
きっと僕には想像できないようなこともあるのだろう。
でも、人間としての思いは同じなのだ。
きっとそれを直接確認するために彼女は京都まで来たのだろう。
「目は見えなくても幸せになろうね。」
自分でも驚くような言葉が僕の口からこぼれた。
彼女は微笑んだ。
妹を京都まで連れてきたお兄さんも微笑んだ。
そして僕も微笑んだ。
(2016年3月18日)
後悔
ライトハウスでの会議が終わったのは21時前だった。
今年度の活動の整理とか来年度に向けての協議事項とか年度末らしい会議だった。
ちょっとの疲労感を感じながらバス停に立っていた。
四条大宮までの市バス、桂駅までの阪急電車を乗り継いで、
桂駅から洛西へ向かう最終バスにギリギリくらいの時間だった。
間に合わなかったらタクシーを利用することになるのだが、
できるだけ公共交通機関を利用したいといつも思っている。
そんなことを考えていたらバスがきた。
右手で持った白杖でステップを確認しながら乗車し、
そのまま左手をななめ上に挙げて空中にあるはずの手すりを探した。
考え事をしながら乗車したせいか、
少し勘が狂ってしまったようでなかなか見つからなかった。
やっと手が手すりに触れた時バスは発車した。
運がいい時は運転手さんや乗客の方が僕に気づいて空席を教えてくださる。
それがない時はこちらから声を出す。
「どこか空いていませんか?」
これも雰囲気で満員ではないと確信が持てた時だけにしている。
目は見えないけどまだ足腰は丈夫なので立っているのもできるからだ。
ただ、例えばライトハウスから四条大宮までの25分間、空いていれば座りたい。
今日は仕方ないなとあきらめて立っていた。
車内はとても静かだったので満員ではない感じだった。
いくつかのバス停を過ぎた時、
「ご主人、お座りになられますか?」
突然紳士の声がした。
「どこか空いていますか?」
「ほとんど空いていますよ。
ご主人の前も空いています。」
彼はそう言いながら僕に近づき、
僕が座るのを確認してまた元の席に戻っていかれたようだった。
「ありがとうございます。助かりました。」
僕はいつものようにしっかりとお礼を伝えた。
しばらく時間が流れてから、
「もっと早くお声かけしたら良かったのですが、すみませんでした。」
紳士がおっしゃった。
僕は驚いてしまい「いえいえ。」としか返事できなかった。
彼の誠実さとやさしさがしみじみと伝わってきてうれしかった。
何か言いたいのに言葉を見つけられない自分がいた。
目が見えていた時の僕は、
気づいても勇気がなくて最後まで声をかけることはできなかった。
彼が乗車してから少しの時間をかけて行動に移してくださるまでを考えたら、
しかも、静かな車内で他の乗客もおられる中ということを考えたら、
僕は感謝の気持ちでいっぱいになった。
感謝の気持ちが大きすぎて言葉が探せなかったのだろう。
紳士がどこで下車されたのかも判らなかったのだけれど、
「いえいえ。」としか言えなかった自分が情けなかった。
離れていたからありがとうカードも渡せなかった。
いや、頑張れば渡せたはずだ。
彼に比べて、僕は勇気がなかったのだろう。
結局最終バスには間に合わなかった。
タクシーの中で自分自身への腹立たしさや不甲斐なさを感じていた。
いつでもどこでも、
しっかりと感謝を伝えられる人になりたい。
(2016年3月17日)
京都紅茶クラブ
講演が始まる前のわずかな時間、
柔らかな口調の紳士は僕のところまで来て声をかけてくださった。
「近くに来られる時があったら立ち寄ってください。」
そして点字模様の小さな紙袋を僕に手渡された。
紙袋には丁寧に包装された数種類の紅茶のパックが入っていた。
帰宅して早速飲んでみた。
その豊かな香りに驚いた。
このお店に行ってみたいと思った。
僕が思ったというより、僕の鼻がそう決心したようだった。
数日後、午前中の用事を終えてから夕方の会議までに3時間程あった。
僕は躊躇なく京都紅茶クラブまでのサポートを目が見える友人に頼んだ。
祇園宮川町の近く、いにしえから流れている街の空気を感じながら歩いた。
これから仕事に行くらしい舞妓さんと何人かすれ違ったりした。
京都紅茶クラブはすぐに見つかった。
メニューには何十種類もの紅茶の説明書きがあったが友人の代読を僕は途中で止めた。
香りをイメージするという作業がとても困難なのに気付いたからだ。
結局、僕は「砂時計」というオリジナルブレンドを注文した。
ティーカップもたくさんの中から自分の好みでチョイスするというこだわりようだっ
た。
ティーポットもいろんな種類があった。
小さなお店なのだが、
やっぱり喫茶店ではなくて紅茶クラブなのだと実感した。
豊かな香りの中、舌先で感じる渋みが脳を麻痺させていくようだった。
砂時計を幾度かひっくり返したくらいの時間を過ごした。
幸せだと感じた。
目が見えないことなんて忘れてしまっている自分にふと気づいて、
何か可笑しかった。
見えた方がいいし、見たいと思っているし、
でもそれが叶えられなくても幸せはすぐ隣にいてくれたりするものなのだ。
それを探すのは目ではないのだろう。
いつ来れるか判らないけれど、
次は「風のささやき」を飲むことだけを決めて店を出た。
(2016年3月13日)
清水寺の紅梅
寒くもない暑くもない早春の昼下がり、
久しぶりに清水寺を訪れた。
東山区が主催したユニバーサルツーリズムに参加したからだ。
いろいろな立場の人達が東山に観光に来られた時どう対応するのかという勉強会だ。
昨年は車いすの方、一昨年は外国の方、今年は視覚に障害のある方へのおもてなしが
テーマだった。
行政だけで進めるのではなく企画から学生達が若い感性で関わっていて、
その柔らかさと真摯な姿勢が講座全体にいい刺激になっていた。
参加者も定員を超える盛況ぶりで心地よかった。
僕はいつものように見えない世界を伝え、共に生きていく社会の実現をお願いした。
そして実際のサポートの方法も実習してもらった。
皆さん熱心に体験されていた。
参加者の中には東山区長もおられてこれまた熱心に体験されておられたのには驚いた。
それから皆で清水寺まで出かけた。
参道は大賑わいだった。
半分以上が外国からの観光客だった。
受講生のお一人の陶器屋のおかみさんらしい人が僕のサポートをしてくださたのだが、
何の違和感もなく、まるで昔からの知り合いと観光にきているような感じだった。
学ぶ機会というのは勿論大切なことなのだが、
きっと元々のセンスもある人だったのだろう。
聞こえてきた風鈴の音色から話しがつながって、
外国からの観光客がどんな陶器に興味をもたれるかなど、
内輪話も聞けて楽しかった。
僕はそれだけで満足していたのだが、
清水寺の正門に近づいた時、
「門の横に濃い赤色の梅が咲いていてきれいですよ。」
彼女がさりげなく教えてくださった時には
何か胸がジーンとした。
初めて出会った日に、人間同士ってとても素敵なことをしてしまうのだ。
こんな豊かな時間、日本中のいや世界中の視覚障害者に分けてあげたいと思った。
いつか白杖や盲導犬の人がたくさん行き交う観光地になればいいな。
(2016年3月9日)
今半のお弁当
いつものことだけれど日帰りの東京出張はつらいものがある。
高田馬場での会議が多いのだが、
自宅から会場まで片道4時間近くかかる。
5時前に起床して6時には家を出る。
10時半から会議がスタートするのだけれど、
審議事項も多いせいか終了は16時を過ぎてしまう。
途中の昼食もゆっくりというわけにはいかない。
だから帰る頃はへとへとになっている。
最近東京駅からのぞみに乗車する前に今半のすきやき弁当を買う。
ちっちゃなお弁当が1,500円でちょっとおつりがくるくらいだから僕には高級品だ。
今半は浅草にあるすきやきの老舗らしいのだが勿論入ったことはない。
友人にこのお弁当を紹介されてすっかりファンになってしまった。
ほどよい硬さのごはんの上に柔らかい牛肉とお豆腐と玉ねぎが並べてあって、
つつましやかな味わいだ。
味覚が幸せを運んでくる。
食べ終わった時、心までが座席に深く沈み込む。
くつろぎとでもいう感覚だろうか。
一日がかりでの出張だが報酬はない。
時々驚かれるけれど、僕達の活動の基本は手弁当だ。
交通費だけが保障されている。
この会議に参加するということはその日は収入につながる仕事はできない。
そして内容も過酷なのに何故参加するのか、
きっと自分を駆り立てる何かがあるのだろう。
会議に参加することが僕達の未来につながっていくのだ。
だから帰りののぞみの中での今半のお弁当は、
ちょっとだけ頑張った自分へのごほうびなのかもしれない。
特に僕はおいしいごほうびには弱いですからね。
(2016年3月5日)
ごめんなさい
見えない僕が一人で白杖を頼りに歩く時、
失敗や迷子は日常的に発生する。
いつものバス停でさえ通り過ぎることもあるし、
見えている頃に歩いた経験のある地域でも記憶はパーフェクトではない。
音、匂い、路面の変化など時間帯によってどんどん変化していくし、
季節や天候やその日の自分自身の体調などでも感覚は変わってくる。
見えないで歩くということはやはりとんでもないことなのだ。
僕は失敗して人にぶつかったりする度に
「ごめんなさい。」とまず謝ることにしている。
謝るというのは自分に落ち度があると認めるということだから、
安易に謝らない方がいいと助言を受けたこともある。
なんとなく判るような気もするのだけれど、
でもやっぱりつい謝ってしまう。
その方が僕自身の気持ちが落ち着くのかもしれない。
今朝は傘をさしての歩行だった。
風もあったのであっちにこっちにフラフラしながらの歩行だった。
案の定、ぶつかった。
その瞬間、僕はいつものように謝った。
「ごめんなさい。」
何も返事はなかった。
たまにはそんなこともあるので、
仕方ないと思って再度歩き始めた時、
ぶつかったのは人ではなくてバス停の支柱だったことに気づいた。
何も反応がなくて当たり前だったのだ。
以前はそんな時の自分をちょっと恥ずかしいと感じたりしていた。
多分他人の目が気になっていたのだろう。
いつの頃からか平気になった。
電信柱や停めてある自転車に謝っている自分を好きになっていったのかもしれない。
バス停の支柱だと気づいたら、
支柱が「頑張れよ。」とささやいてくれているような気分になるから不思議だ。
僕は少し笑顔になってまた歩き始めた。
やっぱり、ごめんなさいと言える人生が素敵だな。
いつまでも「ごめんなさい」と言える自分でありたい。
(2016年2月29日)
サイン
「サインしてください。」
少女は恥ずかしそうに小さな声でささやきながら、
「風になってください2」を僕の手に載せた。
僕は表紙を開いて、
最初のページに少女の名前と僕の名前を書いた。
それから一緒に写真も撮った。
そしてしっかりと握手をして本を少女に渡した。
1部始終を見ていたサポーターが、
少女が終始満面の笑みを浮かべていたと教えてくれた。
それを聞いて僕もとてもうれしくなった。
僕が子供だった頃、
見えない人は悲しい存在だった。
それは見えない人だけではなくて、
聞こえない人も歩けない人も知的障害の人もすべてそうだったと思う。
どこかですれ違っても正視することさえはばかれた。
誰が教えるでもなく、いつの間にかそう感じるようになっていた。
きっと社会の未熟さゆえのことだったのだろう。
そんなに悪意があったとも思えない。
それに比べれば、少女の柔らかな感性は別の次元のものなのかもしれない。
この少女達が創る未来はどうなっていくのだろう。
何かワクワクするような感じさえする。
(2016年2月27日)
講演
一日に三ケ所での講演は疲れないかと尋ねられた。
講演は僕達のことを社会に正しく理解してもらう大きなチャンスだ。
言葉に思いがかぶさった時、初めて聞いてくださる人の心に届く。
そのためには会場の一人一人に対して真剣に向かい合わなければいけない。
対象が子供でも大人でも人数が多くても少なくても、
男性でも女性でもどんな職業の人でも立場の人でも、
美辞麗句を並べても伝わらない。
真剣でなければ伝わらない。
逆に言葉足らずでも、思いがあれば伝わっていくこともある。
真剣に向かい合う姿勢が大切なのだろう。
真剣になるということはそれなりのエネルギーが要る。
だから疲れないということはないのかもしれない。
でも疲れを感じることはほとんどない。
一人でも二人でも伝わったことの方がうれしく感じるからだろう。
話を聞いてくださったことへの感謝の気持ちが大きいのだ。
伝わるということは共感してもらえるということ、
それは見える人も見えない人も見えにくい人も、
誰もが参加しやすい社会につながっていくということ。
未来への種蒔きなのだ。
(2016年2月22日)
小さな勇気
小学校で5,6年生に視覚障害について話をした。
放課後には教職員の研修会に参加した。
たくさんの子供達や先生方と交流ができた。
不思議なもので、こういう場合はどちらかがうまくいくということはない。
いい時はどちらもがいいのだ。
悪いということはほとんどないけれど、
どちらもがとてもいいというのはやっぱりうれしい。
学校を出て地下鉄の駅に向かっていたら、
「今日は本当にありがとうございました。」
通りかかった少年が僕に向かって深々とおじぎをした。
帰宅途中の6年生の男子児童だった。
これが今日の活動の答えだなとうれしく思いながら、
僕は少年としっかりと握手をした。
そして逆の立場だったらと考えたら、
僕に向かって声を出してくれた少年の小さな勇気に教えられるような思いがした。
そんなことを考えながら急ぎ足で駅へ向かった。
山科から新快速電車で新大阪へ行き、
なんとか17時59分発の新幹線みずほに間に合った。
駅員さんに座席まで誘導してもらって、
お弁当を食べてのんびりしていたらウトウトしてしまった。
気がついたら博多を過ぎたあたりだった。
新大阪ではほとんど満席に近い感じだったのに、
夜遅いせいか乗客はまばらになっていた。
車掌さんは僕の近くを通りかかった際、
「御用のお客様はおられませんか?」とおっしゃった。
僕はたいして気にとめてはいなかったのだが、
しばらくしてまた通りかかった際もほぼ同じ場所で同じようにおっしゃった。
車掌さんは僕を見ていてくださったのだ。
僕の周囲にはほとんど人の気配はなかった。
多分車掌さんはそれとなく僕に伝えようとしてくださったのだろう。
車掌さんの一声がどれだけ僕に安心を与えてくれたか、
それは言うまでもない。
たとえ業務でも、ほとんど乗客のいない車中で、
白杖を壁に立てかけているサングラスの中年男性に聞こえるように声を出すのは、
きっとちょっと勇気がいることだろう。
やさしさには、ちょっとした勇気が必要なのだ。
鹿児島中央に到着してパーサーが降車のサポートをしてくださった。
「車掌さんが僕の近くを通る時、御用の方はと毎回声を出してくださいました。
きっと見えない僕に届くようにです。
とても安心できてうれしかったとお伝えください。」
僕も少し勇気を出してパーサーに伝言を頼んだ。
(2016年2月18日)