Category: 松永信也からのお知らせ&エッセイ

聞こえない人

弱視の友人に手引きしてもらって歩いていた。
信号待ちのところで誰かが僕に近づいてきた。
僕に少し触れながら声を出された。
一生懸命に声を出された。
二人の女性だった。
聴覚障害の二人の言葉は聞きなおしても難しかった。
手話をしながらお二人が僕に何かを言っていると弱視の友人が教えてくれた。
言葉も手話も分からなかった。
僕は聴覚障害者団体が主催する盲ろう者通訳介助人の研修に毎年講師として参加して
いる。
そこでたくさんの聴覚障害の方と出会う。
手話通訳の方が間に立つことで僕の講演を聞いて頂けるのだ。
きっとそこで出会った人達に違いない。
僕は妙な確信を持って彼女達に手を差し出した。
「久しぶりやなぁ。ありがとう。」
彼女達はしっかりと僕の手を握り返してくださった。
僕達の間で笑顔が弾けた。
お一人がまた声を出された。
「ありがとう。」
はっきりとした言葉にはなってはいなかったが、間違いなくそうおっしゃった。
僕は、聞こえないことがどんなことか分からない。
その悲しみも苦しみもよく分からない。
ただ、見えない僕にも楽しい時間があるのだから、
聞こえない人にもきっと幸せがあると思っている。
そこを知っていくことが理解していくということのような気がする。
今日のお二人はとってもうれしそうだった。
幸せが伝わる再会だった。
(2019年5月23日)

英語

ホームは結構混んでいる感じだった。
電車が到着してドアが開いた。
僕は耳を澄ませて降りてくる人の足音を聞いていた。
その音と雰囲気で乗り込むタイミングを決めるのだ。
人の話し声やアナウンス、ゴロゴロ旅行かばんの音、発車を知らせる効果音、
その騒々しさの中にいるのだからほとんど勘の世界だ。
乗り込むのが早過ぎれば降りてくる人にぶつかる。
遅過ぎればドアが閉まってしまうかもしれない。
一瞬の判断だ。
「今だ。」と思った瞬間、誰かがそっと僕の肩を押した。
その押し方は僕にタイミングを教えているものだった。
「ありがとうございます。」
僕はつぶやきながら、そして安心して乗車した。
その流れの中で彼に話しかけられた。
英語だった。
情けないが僕の英語は中学生レベルだ。
きょとんとしている僕に彼は再度話しかけた。
「シート」という単語だけが聞き取れた。
「OK.」
僕はそう言いながら彼の肘を持った。
彼は近くの椅子まで移動して僕の手をシートに触らせた。
僕は座ることができた。
「サンキュー ベルマッチ!」
僕はそう言って頭を下げた。
彼は何か返してくれたがやっぱり判らなかった。
もっとちゃんと英語の勉強をしておけば良かったと後悔する瞬間だ。
彼は同伴の女性と話し始めた。
美しい発音だなと思ったが、やっぱり何も理解できなかった。
電車が京都駅に到着する直前、彼が僕に話しかけた。
「グッバイ!」
これは僕にも判った。
僕は瞬間的にポケットからありがとうカードを取り出して渡した。
「サンキューカード プリーズ!」
伝わったようだった。
彼は受け取ると下手な日本語でお礼を言ってくれた。
「ありがとございます!」
僕達は笑顔を交換して別れた。
英語の下手な日本人と日本語の下手な外国人。
ほんのひとときの出会いだった。
人間同士のやさしさは言葉を越えていくのだと思った。
英語なんかできなくても何とかなる、
また妙な言い訳が頭に浮かんで恥ずかしくなった。
(2019年5月20日)

ガラスコップ

さわさわの初めての研修旅行に出かけた。
中型のバスを借りて北陸まで出かけた。
たくさんのボランティアさんが協力してくださって実現できた。
一人の視覚障害者に一人のサポーターというベストの条件が整っていた。
仲間と一緒にお風呂に入ったり食事をしたり、くつろいだ二日間だった。
一人一人の声に耳を澄ますとそこにはお互いへのエールが感じられた。
生命のきらめきがあった。
かけがえのない人生があった。
僕自身を見つめなおす時間にもなった。
二日目の行程に視覚障害者が体験できそうな実習を職員が探してくれていた。
オリジナルデザインのガラスコップの制作だった。
シールを貼ったコップを工房のスタッフの人に機械で削ってもらうと、
そのシールの部分だけが削れないで残るというものだった。
ボランティアさんの目を借りながらそれぞれがガラスの色を選んだ。
それからシールの形や大きさを選んでコップに貼り付けていった。
ひとつひとつを手作業で削るのだからスタッフの人も大変だ。
1個が3分でできても1時間以上かかってしまうということになる。
浅く削れば時間は短縮できる。
でもスタッフの人はいつもより深く削っていかれた。
時間は刻々と過ぎていった。
削り終えた最後の1個を持ってスタッフの人は僕達の待機している場所に駆け込んで
こられた。
仕上げられたコップを持ってバスに乗り込んだ。
1分の遅れでバスは発車した。
見送ってくださったスタッフに向かって僕達は手を振った。
心を込めて手を振った。
僕はありがとうってつぶやいた。
削る担当ではない別のスタッフから僕はこっそり聞いていた。
僕達が手で触ってデザインを確認しやすいように、
削るスタッフの人はいつもより深く削っていかれたのだった。
そして最後までそんなことはおっしゃらなかった。
それぞれが作ったガラスコップはそれぞれの旅の思い出となる。
思い出に触れたらきっとやさしい笑顔になるだろう。
素晴らしい研修となった。
(2019年5月15日)

寒蘭

春が始まった頃に寒蘭の植え替えをした。
寒蘭用の土を妹夫婦が送ってくれたのだ。
寒蘭を育てることが父ちゃんの趣味だった。
父ちゃんが亡くなった後、残った寒蘭の鉢植えを親交のあった人達と分けた。
僕は団地に住んでいるし、世話も大変なので一鉢だけ頂いた。
日当たり、水、温度、湿度、いろいろな条件を管理できないとなかなか花は咲いては
くれない。
毎年11月くらいになると、咲いてくれた花を父ちゃんはうれしそうに眺めていた。
飽きもせずずっと眺めていた。
僕も清楚で上品な花を特別に美しいと思った。
そして無言でそれを眺めている父ちゃんが好きだった。
僕が預かった寒蘭は一度も咲いてくれない。
僕にしたらある意味予定通りだ。
元々そう簡単に咲いてくれないことは知っている。
でも水やりの後しばらく眺めて美しいと感じている僕がいる。
咲かせられない負け惜しみでもない。
すっと伸びた葉っぱをそっと触ってそう感じるのだ。
あの頃、父ちゃんは花だけではなくて葉っぱの美しさも見ていたのかもしれない。
きっとそうだ。
最近そう思うようになった。
植え替えの後、葉っぱが元気になってきた。
活き活きとした深緑色の葉っぱに触れて笑顔になっている。
触れて色を感じるような気になることもなんとなくうれしい。
(2019年5月12日)

葉っぱ

いつも白杖を前方で左右に動かしながら歩いている。
この左右というのは僕自身よりも少しだけ広めの幅だ。
その部分に障害物がなければいいわけだ。
路面に触ることで段差や坂道も検知できる。
そして白い色で目が不自由ということを社会にアピールしている。
視覚障害者の人が白杖を持つようになってから他人とぶつかることが少なくなったと
いう声はよく耳にする。
白色に気づいた目が見える人達が避けてくださっているのだろう。
本当に素晴らしい道具だと感じる。
この白杖がなかったら、その使い方を教えてもらわなかったら、
こうして毎日一人で出かけるということはなかっただろう。
見えなくて歩くなんて想像できなかったし、
見えなくなった最初の頃は恐怖感でいっぱいだった。
見えないで歩いているのではなくて、白杖で見ながら歩いているという感じかな。
ただ、目のようには優れてはいない。
触った部分しか分からないから目前のものしか分からない。
空中に飛び出したものなどもどうしようもない。
でも、それだから分かることも実はある。
今朝、いつもの道で頭に新しい葉っぱが当たった。
昨日までは何もなかった。
勿論、一晩で僕の身長が伸びたわけではない。
新しい葉っぱが成長して枝が少し垂れ下がってきたのだろう。
目が見えたら無意識に避けて歩いているはずだ。
僕の頭に触ってくれたから僕は葉っぱの成長に気づけた。
誰も知らないことを僕だけが知ったような気になった。
ちょっと得をした気になった。
僕は新しい葉っぱを触って内緒話するみたいにこっそりつぶやいた。
「ありがとう。」
それからまた白杖を左右に振って歩き出した。
(2019年5月9日)

緑の匂い

目が見えなくなって他の感覚がよくなることはない。
老眼になった人の聴力がよくはならないのと同じだ。
老いと伴にどちらもが悪くなってくる人も多い。
この科学的な事実からすれば、鼻が成長する筈はない。
それなのに昔感じなかった匂いを感じることがある。
この季節の緑の匂いもそのひとつだ。
一枚一枚の葉っぱに鼻を押し付けても何も匂いは感じない。
それなのに緑の中をそよぐ風には確かに匂いがあるような気がする。
僕の思い過ごしだろうか、勘違いだろうか。
立ち止って鼻を主人公にしてゆっくりと呼吸してみる。
やっぱり微かに緑の匂いがする。
確認ができたらうれしくなる。
今度は口を開けて深呼吸する。
そしてもっとうれしくなる。
(2019年5月6日)

風景

家の裏の線路を走っていく黒くて長い貨物列車。
小学校へ向かう上り坂のその上の真っ青な空。
中学校の手前の田んぼの青々とした稲穂。
防波堤の先にある赤茶けた灯台。
砂浜で見つけた薄桃色の桜貝。
楕円形のボールを追いかけた黄色と黒の横縞のユニフォーム。
憧れた都会で初めて出会った巨大な看板。
北国で知った一面の雪の真っ白な世界。
旅先で見た世界の街並み。
僕だけの数えきれないくらいの昭和の風景がある。
確かに少し色あせてきたけれど消えることはないだろう。
平成が始まった時、僕は施設の子供達とグラウンドにいたような気がする。
挨拶をするためにまたいだ白線のまぶしさを憶えている。
それから10年近くは見えていた。
今暮らしている京都の風景も記憶にある。
休日に訪れた寺社仏閣、毎年通った美術館。
あちこち旅した時の自然の色彩も残っている。
神戸の震災の後の倒壊しかかったビルの姿も忘れられない。
そして少しずつ風景は遠ざかっていった。
令和という新しい時代を風景のない状態で迎えた。
不思議な感覚だ。
きっともう風景と出会うことはないのだろう。
ないものねだりが悲しみにつながることは分かっている。
だからあきらめたふりをする。
見えなくてもこの世界で生きていきたい。
僕は僕の人生を大切にして生きていきたい。
心のアルバムに何かを残せればと願う。
(2019年5月1日)

医療

昨日は京都LVネットワークの運営委員会、総会、そして夜は懇親会だった。
LVとはロービジョンの頭文字だ。
医療と福祉がつながっていくことを目的にネットワークが生まれた。
見えにくくなった人が、あるいは見えなくなった人が、
より豊かな人生を送れるようにとの願いがスタートとなった。
眼科医の先生方がけん引力となってくださっているのがうれしい。
こういう取り組みが広がれば笑顔を取り戻す患者さんが多くなる。
懇親会が終わって料理屋さんを出た。
バス停までは少し距離があった。
副会長の先生がさりげなく僕の手引きをしてくださった。
病気を治したかった僕、
病気を治してあげたかった先生、
お互いの希望はかなわなかったけれど、お互いの気持ちは通じ合った。
医学はパーフェクトではない。
でも、治してあげたいという思いが治療を切り開いていくのだろう。
僕の病気もいつか治るようになるのかもしれない。
僕には間に合わないとしても、それは心からうれしいことだ。
先生はバスの乗車位置の点字ブロックまで僕を誘導してくださった。
僕はお礼を伝えて別れた。
それから深呼吸をしたらしみじみとうれしくなった。
風に吹かれて歩いて帰るとおっしゃった先生の後ろ姿にこっそり手を振った。
(2019年4月29日)

電気

慣れているはずの校内でも迷子になることがある。
それが見えないということなのだろう。
ウロウロしているのに気づいた女子学生達が声をかけてくれた。
「どこに行くのですか?」
僕はトイレに行きたいことを伝えた。
昨年僕の授業を受けていた学生達だったので、
視覚障害者の手引きの方法はマスターしてくれていた。
スマートにサポートしてトイレまで連れていってくれた。
僕はお礼を言ってトイレのドアを開けて中に入った。
外で先ほどの学生達の声が聞こえた。
電気をつけ忘れたという内容だった。
僕はドアを開けて彼女達の声の方に向いた。
そして自分の目を指さしながら言った。
「大丈夫。電機は要らない。」
ほんの少し間が空いてから笑い声が聞こえた。
「分かりました。ごゆっくり。」
僕も笑った。
ほのぼのとした空気が流れた。
こんな感じ、いいなと思った。
(2019年4月26日)

温泉

晴眼者の後輩と温泉にいった。
後輩は脱衣所から洗い場、浴槽、露天風呂、しっかりとサポートしてくれた。
身体を洗っている途中に声をかけてくれた。
「背中流しましょうか?」
僕はその暖かな言葉だけいただいて辞退した。
でもうれしかった。
そして父ちゃんを思い出した。
見えなくなった僕を父ちゃんは幾度かここに連れてきてくれた。
その頃僕は40歳を過ぎていたし父ちゃんは80歳を過ぎていた。
他のお客様の邪魔にならないように、ツルツルの床ですべらないように、
見えない僕の世話は大変だったと思う。
父ちゃんは湯船に入ると必ず同じことを言った。
「温泉は気持ちいいなぁ。」
僕はその言葉を聞くと何故かとてもうれしくなった。
そしていつも、洗い場で父ちゃんと並んで身体を洗いながら迷っていた。
父ちゃんの背中を流してあげたい。
でも、距離感もアバウトだし、失敗して逆に心配させてもいけない。
ちゃんとできるかの自信もなかった。
勇気が出なかった。
父ちゃんがいつまでも生きているわけではない。
僕はある時、そう自分に言い聞かせながら決心をした。
まさに一か八かだった。
タオルに石鹸をつけて、数歩隣に動いて手探りで父ちゃんの背中を探した。
「背中流すよ。」
僕はそれだけ言って父ちゃんの背中を流した。
父ちゃんは驚いた感じだったが黙っていた。
最後にありがとうと言ってくれた。
僕は気恥ずかしさをシャワーで流した。
それから温泉に行く度に父ちゃんの背中を流した。
ささやかな僕の幸せだった。
父ちゃんが亡くなってから温泉に行くこともほとんどなくなった。
久しぶりに温泉に入って思った。
「温泉は気持ちいいなぁ。」
湯煙の向こう側で父ちゃんが笑ってくれたような気がした。
(2019年4月22日)