Category: 松永信也からのお知らせ&エッセイ

雑踏の中で

いつものように点字ブロックに従って進んだ。
改札口で白杖が前の人に後ろからぶつかった。
「すみません。」
僕はすぐに謝った。
前の人は無言だった。
ゆっくりと歩いているしちょっと触れたくらいだから痛くはないと思う。
でもぶつかったのは僕なのだからいつも謝るようにしている。
一歩後ずさりして少し時間を置いてからまた進んだ。
またぶつかった。
僕はまた謝った。
やっぱり無言だった。
外国人なのかもしれないと思った。
三度目も同じだった。
「改札を通りたいのですが。」
僕はお願いした。
やっぱり無言だった。
僕に気づいてくれた駅員さんが通路を確保してくださった。
僕は改札を通り抜けて歩き始めた。
それから駅員さんは僕がぶつかった人に話しかけていた。
「どうしました?」
「地下鉄に乗り換えて京都駅へ行きたいのですが、この改札口でいいですか?」
声の主は利発そうな少女だった。
はっきりとしっかりと質問していた。
外国人でもなかったし聞こえない人でもなかった。
知らない人とは関わらないようにと教えられているのだろうか?
それとも白い杖を持ったサングラスのおじさんが怖かったのだろうか?
僕は何か不思議な気持ちになった。
少し寂しかった。
点字ブロックを確かめながら地下鉄の改札口に進んだ。
「松永さん!」
人込みの中で誰かが僕を呼んだ。
僕は立ち止った。
「今日はどこまでですか?」
僕はオープンキャンパスに向かう学校の名前を告げた。
「相変わらずお休みなしなのですね。未来のために頑張ってください。」
彼女はそれだけ言って立ち去った。
誰だったかも判らなかった。
「未来のために」というフレーズが僕の心の中でこだました。
白杖を握り直して背筋を伸ばして僕はまた歩き始めた。
(2018年7月29日)

歌の力

学校は夏休みでひと段落したはずなのだが、
仕事に追われている感じがある。
締め切りのある執筆の仕事も抱えているからだろう。
少しでもやらなければと時間を見つけてさわさわの二階の和室にこもった。
段取りはいいのだが元来のなまけものだからなかなか仕事はすすまない。
ふと階下から歌声が聞こえてきた。
BBの歌声だ。
BBは40歳代の男性、さわさわのスタッフの一人だ。
何故BBなのかは定かではないが皆がそう呼んでいる。
歌っていたのは長渕剛のマイセルフという歌だった。
堂々とそして一生懸命歌っているのが伝わってきた。
歌声がさわさわを包んだ。
僕の心もとてもうれしくなった。
立ちすくんで聞いてしまった。
聞き終わって、仕事頑張らなくちゃと思った。
うれしくなった。
(2018年7月25日)

見えない僕と聞こえない人と

京都市盲ろう者向け通訳・介助員養成講座が開催された。
僕は視覚障害を伝える講師ということで参加した。
視覚、聴覚、両方に障害がある人はとても少ない。
そのサポートなので受講生も少ない。
どちらの障害も正しく学び障害特性も理解しなければならないから大変だ。
受講生の半分は聴覚障害の人だった。
僕の話を手話通訳の方が通訳するという形で実施された。
僕は理解がスムーズになるようにポイントは板書した。
視覚障害とはどういう状態なのか、
どうしてなるのか、
何に困るのか、
現状を分析しながら説明した。
「人間は生きているから病気をしたりケガをしたりする。
その結果障害者になることがある。
誰もなりたくないのになってしまうことがある。
だからこそ、誰がなっても参加できる社会を構築することが人間の英知だと思う」
僕はいつものように当たり前のことを説明した。
そして、最後に、人間の生きる力の素晴らしさも付け加えた。
講座が終了して会場を出る時に、数人の聴覚障害の方と握手した。
聞こえない人に僕はありがとうございましたと声を出した。
その瞬間、僕の手は強く握られた。
そして見えないはずの僕に笑顔が見えた。
見えないよりも見えた方がいい。
聞こえないよりも聞こえた方がいい。
でもね。
見えなくても見えるものもあるんです。
聞こえなくても話せることもあるんです。
そして豊かな気持ちにもなれるんです。
(2018年7月23日)

38度

僕の平熱は35度台だ。
38度の気温ということは体温よりも2度以上高いということになる。
熱中症にならないようにしっかりと水分補給もしているので問題はないが、
歩きながらふと意識が飛ぶような感じにもなってしまう。
いつもはいろいろな音や匂いにアンテナを張っているのがそれどころではなくなるの
だろう。
まさに青息吐息で歩いている感じだ。
帽子をかぶったらとよく言われるのだが、
なんとなく不似合いそうな気がしてかぶる気にならない。
見えなくてもカッコつけなのだろう。
天気予報は明日は39度を予想している。
科学の進歩なのかこの予想が結構当たる。
僕が子供のころは履いてた靴を空中に放り投げて、
その裏表で一喜一憂していた。
予想できないことが幸せにつながることもあるのにな。
また明日も仕事で出かける。
とにかく「夏の暑さにも負けず」そういう人に僕はなりたい。
(2018年7月18日)

知るということ

酷暑の中の講座は大変だった。
教える方も学ぶ方も体力勝負だった。
無事終了してどちらもに笑顔が生まれた。
安堵感の笑顔だった。
二人の学生が講座の帰りに僕の買い物を手伝ってくれた。
将来病院の眼科で働こうと考えている学生達だ。
正しく知るということは凄いことなのだろう。
見えない人と会話さえしたことのなかった学生達がほぼ完璧に僕のサポートをした。
一緒に街を歩き電車やバスに乗車した。
スーパーマーケットでは僕の欲しい商品を見つけてそれを僕に触らせた。
賞味期限も値段も読んでくれた。
もうすぐ土用の丑という店内広告も教えてくれた。
ウナギ大好きの僕はついつい買ってしまった。
買い物が終わると持参したエコバッグに商品を詰めてくれた。
それからバス停に向かった。
丁度バスが到着していた。
僕たちは走った。
ギリギリ間に合った。
そこで学生達とはお別れだ。
僕はバスに乗り込んだ。
すぐに乗客の方が僕を座らせてくださった。
閉まりかけた乗り口から学生達の声が聞こえた。
「ありがとうございました。」
僕は顔をそちらに向けて手を振った。
学生達も笑顔で手を振った。
どこかで困っている僕の仲間を見かけたら、
きっと彼女達は声をかけてくれるだろう。
そう思うと僕はバスの中でまた笑顔になった。
(2018年7月16日)

セミの声

東京から帰ってきたのは22時だった。
シャワーを浴びてすぐに寝た。
寝たというよりもほとんど気を失ったというような感じだった。
気がついたら5時だった。
目覚ましを止めてもなかなか身体が動こうとしてくれなかった。
やっとベッドから立ち上がってまず栄養ドリンクを飲んだ。
おまじないみたいなものだ。
それから洗面と髭剃りとシャンプーが日課だ。
そこまで済んだら音楽を聴きながらコーヒータイム。
パソコンで今日の予定を再確認してしばしボォッとする。
このボォッが好きだ。
8時45分に学生と新大阪駅で待ち合わせをしている。
7時15分には出発して桂川駅へ向かった。
駅員さんに新大阪駅までのサポートを依頼した。
準備ができて駅員さんとホームに向かった。
「今日も暑くなりそうですよ。」
電車待ちの少しの時間、駅員さんが僕につぶやいた。
何気ない一言で身体の力が少し抜けて軽くなったように感じた。
今年初めてのセミの声に気づいた。
夏がきた。
(2018年7月12日)

相合傘

大雨警報が出ていたが大学は平常通りだった。
僕は土砂降りの雨の中を出かけた。
右手に白杖、左手に傘、雨音で聞こえにくい音。
やっとの思いで桂駅のコンコースにたどり着いた。
濡れた傘をたたもうと手探りで付属のひもを探したがなかなか見つけられなかった。
いつもはあちこち触っているうちに手に触れて分かるのだが、うまくいかなかった。
時間も気になってあせっていた。
いつの間にか手はびしょ濡れになっていた。
斜め後ろから近づいてくる二人連れの女性のちょっと大き目の声に気づいた。
いわゆる面倒見のいい関西のおばちゃん風だった。
「すみません。」
僕は傘のひもを探してもらいたくて声をかけた。
二人の女性は会話を止めて、それから間もなく急ぎ足で立ち去った。
想定外の動きだった。
僕は内心驚きながら別の通行人の足音に声をかけた。
どの足音も止まらなかった。
年に数回訪れる運の悪い日なのだろうか、
結局10人くらいには声をかけたがすべてだめだった。
僕は何か顔についているのだろうかとか、服が変になっているのだろうかとちょっと
心配にもなった。
誰も手伝ってくれる人はいない。
どうしようもないのでたたみかけた傘を再度開いてひもを探した。
見えてさえいれば何でもないことだ。
悔しかった。
そのひもを持ったまま傘を閉じてやっと片付けることができた。
心がびしょ濡れになっていた。
大学の最寄りの駅に着いた。
学生が迎えに来てくれた。
帰りも別の学生が送ってくれた。
僕は彼女達と相合傘で歩いた。
びしょ濡れの僕の心を見透かしたように彼女達はやさしかった。
僕が濡れないように水たまりに足を入れないように気を遣って歩いていた。
そしてずっと笑顔だった。
相合傘が愛々傘になっていた。
いいもんだなと思った。
(2018年7月6日)

バス待ち

一日の仕事を終えてやっと地元の駅に着いた。
白杖を振りながら急ぎ足でバスターミナルへ向かった。
そこまでは一般の人と同じだ。
バスターミナルには一つの降り場と三つの乗り場が並んでいる。
僕は頭の中の地図で階段を右に降りて点字ブロックを探す。
点字ブロック沿いに歩けば一番手前の乗り場に行くことができる。
その乗り場からは5種類の行先の違うバスが発車する。
乗り場にはバスを待つ人々の行列ができていて、
自分の乗るバスがきたら列から離れて順番に乗車していくようになっている。
僕はその列がどこまであるのか分からないから最後尾に並ぶことはできない。
バスから流れる案内放送で行先を確認するので近くにいなければならない。
列を離れて順序良く歩くこともできない。
だからいつも乗り場近くの点字ブロックの上で待っている。
僕には僕なりの仕方ない理由があるのだけれど、
見方によっては順番抜かしには違いない。
社会に対して申し訳ないという気持ちもあるし、
咎められるようなことがあったらきちんと説明する義務もあると思っている。
幸いそういうことは一度もない。
ただその状況でバスのエンジン音や到着時に流れる一回きりの案内放送を確認しなけ
ればならないのだからいくらかの緊張感は必要だ。
気を抜けずにバスを待っている日常がある。
「松永さん、何かお手伝いすることはありますか?」
行列の中から声がした。
僕は自分の乗りたいバスの番号を伝えた。
彼女はそのバスが間もなく到着するという掲示板の情報を教えてくれて、
それから乗りやすい地点まで僕を誘導してくれた。
小学校4年生の時に僕の福祉授業を受けてくれた彼女は大学3回生になっていた。
僕の著書を小学校の頃に読んで今でも大切に持っているとのことだった。
11年ぶりの再会だった。
未来に向かって蒔いた種が発芽していることを実感した。
発芽率がどれくらいあるかは想像もできない。
でも信じて蒔き続けるしかない。
それが僕にできること、僕がしなければならないこと。
乗車したバスの背もたれに背中を押し付けながら、また明日も頑張ろうと思った。
そしてありがとうとつぶやいた。
(2018年7月2日)

サイン

京都市の西北にキリスト教系列の男子の中学校がある。
この中学校にくるようになって10年は経っただろうか。
毎年二日間だけ来ている。
一日目に全員を対象に話をし二日目はクラス毎に質疑応答の時間を取っている。
生徒達はそれぞれの疑問を僕に投げかけてくる。
5時限連続の授業は体力も気力も要るのだが、
僕は楽しみながらやっている。
「何故サングラスをしているのですか?」
「地震などが起こったらどうするのですか?」
申し合わせたように5クラスから同じ質問もあった。
中学生らしいまだ幼い内容の質問もあるし、
人間の幸福や生き方に関わるようなものもある。
ひとつひとつの疑問に丁寧に答えていくことが正しい理解につながっていく。
最後のクラスが終わって控室に戻った時、
一人の少年がノートとボールペンを僕に差し出した。
「記念にサインをください。」
僕は著書以外には基本的にサインはしないことにしている。
芸能人でもスポーツ選手でもないし、
そういうことでうぬぼれてしまう自分自身が怖いからだ。
でもキラキラとまっすぐな少年の視線に見つめられて断ることができなかった。
少年の氏名、僕の氏名、そして「ありがとう」という言葉を書いた。
未来の扉に心をこめてサインした。
(2018年6月29日)

くちなしの花

彼女は突然何の前触れもなく車を道の左側に停車させた。
そして僕が乗っている助手席側の窓を全開にしてから質問した。
「この匂いわかりますか?」
鼻をピクピクさせている僕に彼女はうれしそうに言った。
「くちなしの花ですよ。」
それだけ言うと車を動かし始めた。
彼女は仕事の休みの日など時々僕の移動のボランティアをしてくれている。
長い付き合いの中で僕が興味を示すものなどが判ってきたのだろう。
一週間もしない今日、別のボランティアさんと買い物に行ったら、
お店の近くの道端で突然止まって質問された。
「この匂いわかりますか?」
鼻をピクピクさせている僕に、彼女はうれしそうに言った。
「くちなしの花。」
僕は花を触らせてもらった。
僕にはくちなしの花の映像の記憶はない。
渡哲也さんの歌なら知っている。
でも見た記憶はなかった。
真っ白な花びら、
黄色い花粉は料理にも使われるそうだ。
もっとたくさんの花の名前を憶えておけばよかったと後悔もある。
でも見えなくなっていく時はそれどころではなかった。
花の名前は知らないけれど、
咲いている命をうれしく感じるようになった。
そして、見えない僕に季節の移ろいを伝えようとしてくれる人がいる。
幸せなことだと思う。
(2018年6月26日)