久しぶりに、東山にある和食の店「阿吽坊」で食事をした。
年に幾度か訪れる店だ。
格子戸をくぐり抜けて、石畳を歩く。
玄関の土間で挨拶をして、
座敷にあがる。
入り口の近くの火鉢の炭火に手をかざして、
少しだけ暖をとる。
それから、案内された掘りごたつの席に座る。
ゆっくりと時間が流れていく。
僕よりはだいぶ若いおかみさんの、
いつものやさしい声がする。
僕にそれぞれの器を触らせて、
それぞれの料理の説明をしてくださる。
急ぐわけでもなく、かと言って、料理がさめるようなこともない、
あらかじめ、僕の耳から脳に伝わるスピードを知っているような、
ほどよい言葉の数と速さ。
ひとつひとつの味に、
ため息がこぼれる。
外は、名残の雪が舞っている。
僕の口の中では、竹の子の苦味がほの甘い酢味噌に溶け込む。
こういう瞬間を、しあわせって呼ぶのだろう。
見えるとか見えないとか無関係に、
無条件に、幸せになっている。
幸せになりたい方、どうぞ、格子戸をくぶってみてください。
(2014年3月7日)
阿吽坊
6名の卒業式
「春の匂いがしています。
春の音がしています。」
在校生代表の送辞の言葉は、
風景を超えた春模様から始まった。
京都府立盲学校の第133回目の卒業式、
わずか6名の卒業式、
京都府視覚障害者協会の役員の僕は、来賓として出席させていただいた。
以下同文の言葉はなく、
一人ひとりにしっかりと、卒業証書が授与された。
校長先生の式辞から、保護者の挨拶、送辞、答辞、
それぞれの言葉が、
重みを持ちながら、意味を持ちながら、
静かに、そしてしっかりと会場を包んだ。
すべての人が、6名の卒業を心から祝福し、
そして、これから始まるであろう社会の現実との試練に思いをはせ、
それぞれの未来に、心からのエールを送った。
式典が終わり、6名の卒業生が退場した。
6名は、ゆっくりと講堂の中を一周して出ていった。
送り出す後輩達、保護者、先生方、
関係者の拍手はなりやまなかった。
僕も、精一杯の拍手を送った。
気がつけば、
痛さを感じるほど、
手をたたき続けている自分がいた。
こみあげるものを我慢しながら、
必死に手をたたき続けている自分がいた。
鳴り響く音だけの世界の中で、
一人の大人として僕にできることを、
ささやかでもいいからしっかりとやりたいと、
強く強く思った。
(2014年3月3日)
赤いバラ
帰宅した時、一階にあるポストのカギを開けて、
郵便物を持って階段を五階まで上る。
僕の日課のひとつだ。
小学生に、カギを開けるのは大変ではないかと尋ねられたことがあるが、
慣れればそんなに難しいことでもない。
今日もいつものように持って上がった郵便物の中に、
点字で書かれた葉書があるのを僕の手が見つけた。
13歳の少女からのものだった。
先日のあいらぶふぇあのイベントの感想などが書かれていた。
会場で出会った時のことを思い出した。
講演の後、少女はお母さんと僕のところに来た。
口数の少ない少女は、
折り紙で作った赤いバラを、
僕の手にそっと乗せた。
そのバラにも、僕が誰からもらったか判らなくならないように、
点字で書いた名札がつけてあった。
10歳の時に僕から教わった点字を、
少女はしっかりと使ってくれていた。
僕は講演の帰り、
その赤い折り紙のバラをスーツの胸ポケットにつけて歩いた。
どんなバラよりも、僕には愛おしく思えた。
こうしてエールをおくってくれる人達がいる。
あいらぶふぇあの後も、数え切れない人と握手をした。
たくさんのエールをいただいた。
それは光栄という感覚を通り越して、
僕を幸せにしてくれた。
頂いたエール、心の中の赤いバラに代えて、
しっかりと歩いていこう。
(2014年2月27日)
トイレ
外出先でのトイレは大変だ。
ギリギリになって走ることもできないし、
探すこともできない。
だから、工夫をしている。
まず、よく利用する駅のトイレの場所とか構造を記憶している。
そして、記憶が風化しないように、
わざと時々利用する。
できるだけ、ユニバーサルトイレを使う。
見えなくなってから、立ちションはやめた。
汚してしまう危険性があるからだ。
ユニバーサルトイレは個室だから、
慌てずに、自分のペースでペーパーとか水洗のボタンなどを探せる。
便座が汚れていないかも判らないので、
とりあえず、必ず一度拭くことにしている。
結構大変だ。
それと、もよおさなくても、トイレをすますようにしている。
見える人と一緒の時など、
行きたくなくてもトイレに行くのだ。
こうしてなんとかなっているけれど、
もう少し老いてきたら、
紙パンツ・・・。
まだ、もうちょっと先かな。
今日は、よく使う駅の地下にある久しぶりのトイレに向かった。
結構穴場で、込んでいないし、行きやすい。
点字ブロックに沿って歩き、エレベーターの前まできた。
点字を探して、地下2階のボタンを押した。
ドアが開いて、ほっとしたのが失敗だった。
数歩動いて、トイレのドアの取っ手を開けようとした瞬間、
「そこは女子!」
おばちゃんに怒られた。
結構大きな声で、きつく怒られた。
僕はごめんなさいと言いながら、
もう少し先にあるユニバーサルを探した。
それでも、「ほんまにオッサンは!」と言う声が追いかけてきた。
ユニバーサルに入ってから、妙に悲しくなった。
一瞬、紙パンツを思い浮かべた。
でもな、やっぱりな。
まだ、決心にはたどりつかない。
鈍感そうに見えるかもしれませんが、
結構引きずるタイプかもしれません。
これからも、女子トイレにまぎれこみそうになっても、
故意ではないので、許してください。
(2014年2月21日)
熟成されたもの
見えない人がいた。
見えにくい人もいた。
ガイドヘルパーもいた。
松葉杖の人もいた。
車椅子の人もいた。
聞こえない人も、
難聴の人もいた。
手話通訳や要約筆記の人もいた。
京都から特急電車で約1時間、
人口3万5千人程の京都府北部にある綾部市、
障害者団体の研修会にお招きいただいた。
当事者のほとんどは、僕より年上だった。
僕は、僕のことを話し、
僕達も参加しやすい社会に向けての希望を語った。
障害者になりたい人なんていない。
でも、人は生きているから、
病気や怪我でなってしまうことがある。
なってしまえば、
そこには、悲しみや苦しみや挫折がある。
でも、人は必ずそれを受け止める。
受け止めて、生きていく。
幸せに向かって生きていく。
皆さん、真剣に聞いてくださった。
暖かな拍手がうずまいた。
講演が終わった後、
何人もの人達と握手をした。
一人の男性は、
自分の右手で僕の右手を持ち、
彼の左の肩に誘導した。
付け根から、手はなかった。
「これで、80年生きてきたよ。」
彼はただそれだけを言い、
僕と握手した手に力を込めた。
何度も何度も、力をこめた。
暖かな手だった。
彼の眼から、熱いものがこぼれているのが判った。
僕は、ただ、
「ありがとうございます。」
という言葉を伝えるしかできなかった。
確かに、講演をしたのは僕だった。
でも、大きなエールをもらったのは、
間違いなく僕だった。
悲しみも苦しみも、少ない方がいい。
できれば、避けたい。
でも、悲しみや苦しみは、
心の中で熟成して、
やさしさやぬくもりに変わっていくのも事実なのだ。
80年も熟成されたものは、
たった数分間で、僕を本当の幸せに導いた。
(2014年2月16日)
雪のバレンタイン
昨夜、遠方の友人から届いたメールには、
雪の予報と、雪の中での僕の移動への心配が綴られていた。
彼が心配してくれた通り、
朝、家を出たら、一面の銀世界だった。
僕はすべらないように、一歩一歩雪を踏みしめて歩いた。
バス停を探そうにも、点字ブロックが雪に埋もれて役にたたなかったが、
気づいた近所の人がサポートしてくださって、
予定のバスに乗車できた。
バスが桂駅に着いて、
ころばないように気合を入れて歩かなくてはと思った瞬間、
中年の男性が声をかけてくださった。
僕はいつもよりしっかりと、
彼の肘をつかんだ。
安心感がひろがった。
河原町で彼と別れて、
予定の女子中学校に向かった。
授業を終えて帰ろうとしたら、
「バレンタインだから。」
少女は照れくさそうに、
ハート型のチョコレートを2個、僕の手のひらに乗せた。
そうか、今日はそんな日だったんだな。
そんなイベントとは縁遠い世代になってしまった。
いや、世代のせいではなくて・・・。
でも、今日は遠方の友人からのメール、
桂駅でサポートしてくださった男性、
二人の男性のやさしさに触れたいい日だった。
うれしかった。
僕にとっては、やっぱり愛の日かな。
勿論、チョコレートを拒否しているわけではありません。
誤解のないように。
(2014年2月14日)
あい・らぶ・ふぇあの御案内
2月22日(土)、23日(日)の二日間、
ゼスト御池で「あい・らぶ・ふぇあ」が開催されます。
京都府視覚障害者協会、
京都ライトハウス、
関西盲導犬協会、
京都視覚障害者支援センターの4団体が共催で、
毎年、啓発イベントとして取り組んでいます。
今年で38回を数える歴史のあるものです。
こういうイベントが続けてこられたのも、京都ならではなのでしょうね。
ゼスト御池の地下街の河原町広場、市役所前広場、寺町広場の3会場で、
ステージ発表、小学生の絵画コンクール、ブラインドカフェなどの催しがありま
す。
販売コーナーでは、京都視覚障害者支援センターの仲間がつくった手芸などを始
め、
盲導犬グッズ、事業所さわさわのごま製品なども販売されます。
また、23日(日)河原町広場で、
13時から、さわさわ楽団の演奏、
14時からは、僕の講演もあります。
どうぞ、覗いてください。
もちろん、入場無料です。
子供でも大人でも
毎年のことだが、この季節は大人を対象にした講演が多い。
今月だけでも、
PTA、公務員のOB会、消防署、銀行と、
話を聞いていただくチャンスがあった。
大人向けの講演は、子供達を相手にするのと比べてこちらも若干緊張するのだけ
れど、
それなりの楽しさみたいなものもある。
子供達への取り組みは、未来への種蒔きだと思っているけれど、
大人は、現実的な社会の改善につながっていく。
銀行の職員研修、実際に話を聞いて頂いた後、
二人一組でアイマスクをしてもらって、
サポートの体験をしてもらった。
「こわいなぁ。」とか「こうすればいいんだね。」とかの声が聞こえてきた。
最後に挨拶をされた代表者の方が参加者に質問されたら、
8割が初めての体験とのことだった。
その数字を聞いただけで、
僕は来て良かったなと思った。
実際に、全盲の人が単独で銀行の窓口に行くことは、
ほとんどないのかもしれない。
でも、参加者の人達は一生懸命学ぼうとされているのが伝わってきた。
それはきっと、職場を越えて、
社会の中で、一人の人としての動きにつながっていくのだろう。
人間同士が助け合う豊かな社会につながっていく。
司会の女性が、休憩時間に近寄って来て、そっとつぶやかれた。
「これまで、2度、駅でお見かけしました。
タイミングがあわなかったけど、
いつか必ずサポートしますね。」
笑顔が素敵だった。
僕はうれしくて、つい握手を求めた。
そして、心から感謝した。
子供でも大人でも、やさしい人間っていいよなぁ。
(2014年2月9日)
手
桂駅の階段を降りながら、
電車がホームに入ってくる音が聞こえた。
見える頃は階段を駆け降りたが、今は無理だ。
半分あきらめながら、それでも急ぎ足で降りていった。
僕がホームに着くのを待っていたかのように、
駅員さんが声をかけてくださった。
そして、無事、その電車に乗せてくださった。
僕はギリギリで乗ったので、込んだ電車の入り口に立っていた。
たった2メートルほどの幅の入り口、
自分がそこの左側に立っているのか、右側なのか、
それさえも判らなかった。
判れば、ドアに触れた手を動かして、
手すりを探せるのだ。
どうしようと迷っていると、
後ろから伸びてきた手が、
そっと僕の右手を掴んだ。
そして、右側の手すりに誘導して、
僕の手をやさしく包んだ。
僕はありがとうございますとつぶやいた。
どこの誰か、男性か女性か、年齢はいくつぐらいか、
まったく何も判らない。
判ったのは、優しい人間の手ということだけだ。
僕は手すりを握って、安心して電車に揺られた。
幸せの中の数分間だった。
烏丸で地下鉄に乗り換えようとしたら、
階段のところで、また、違う女性が声をかけてくださった。
同じ国際会館方面行きの電車だったので、
僕達は一緒に乗車した。
僕が見えている頃、白杖の人に声をかけたことはなかった。
勇気がなかった。
そして今、こうして声をかけてもらって、
本当に助かっている。
声からして若い女性に、
「貴女達は、勇気がありますね。」と
僕が言うと、
「勇気は要りますよ。」
彼女は笑った。
電車が北大路駅に着いた。
「行ってらっしゃい。」
彼女の声に見送られて、僕はホームを歩き始めた。
今日は、10歳の子供達への講演だった。
「社会ってね。やさしい人がいっぱいいるんだよ。
人間って、助け合えるんだよ。」
僕は子供達に、今朝出会った人達のことも話した。
学校を出る時、
校舎の3階から、子供達が手を振った。
僕も振り返って、手を振った。
失明する直前、僕は自分の手を見つめたことがあった。
眼の前の手を見つめて、
それが見えなくなる恐怖におののいた。
あれから16年、本当に手は見えなくなった。
でも、手を振ることは今もできるし、
人間の手は、誰かを包めることも知った。
(2014年2月5日)
フォークとナイフ
ホテルでの講演会、
参加者の皆さんと食事を一緒にいただいてからというスケジュールだった。
ウエイターさんが、器にスープを入れにこられた。
一瞬、お箸をもらっておこうかなと思ったけど、
何とかなるだろうと判断した。
この判断が間違っていた。
久しぶりのフォークとナイフ、
そして、僕より年上のいわゆる名士の方々の中での盲人一人、
それなりの緊張感も手伝って、
こぼさないようにとの気持ちだけで格闘が始まった。
スープは、味わいながらおいしく頂いた。
余裕があったのは、ここまでだった。
ステーキを切るのも、それを口に運ぶのも大変だった。
サラダは別の小皿だったので、
小皿を口に近づけて、フォークでかきこんだ。
温野菜には、春を感じさせる竹の子などが並んでいたようだったが、
それをフォークにさすことだけでも四苦八苦した。
極めつけは、伊勢えびを半分にカットしたものだった。
フォークで、どこをどうさしても、
殻がついてきて、なかなか身に辿り着けなかった。
僕はギブアップして、
「手を使います。」と宣言して、
片手で殻をつかんでトライしたが、
やはり難しかった。
結局、あきらめた。
最後に、隣の紳士が、
ポテトサラダをスプーンに入れてくださった。
これはおいしく頂けた。
一瞬、ほっとした瞬間だった。
デザートとコーヒーは問題なかった。
コーヒーをすすりながら、
外国の盲人はどうやって食事しているのだろうかと思った。
お箸は、結構小回りが効く。
手への触覚も伝わりやすい。
日常は、お箸ではほとんど不自由なく食事している。
やはり、慣れた道具が一番かな。
皆様、今度、目を閉じてフォークとナイフを使ってみてください。
本当に難しいですよ。
ちなみに、こんなにこだわっているのは、
視覚障害がどうのこうのということではありません。
あの久しぶりの伊勢えびを食べ損なった後悔が、
講演が終了してホテルを出てからも、
ずっと追いかけてきたのです。
それにしても、やっぱり悔しいなぁ!
(2014年2月4日)