メール

薩摩川内市を17時12分発の新幹線さくらに乗車した。
新大阪駅で在来線に乗り換えて、22時過ぎには帰宅した。
23時には、自宅でコーヒーを飲みながら、パソコンに向かっていた。
大学生の頃、寝台特急を利用したりしていたことを思えば、
故郷が、本当に近くなったと思う。
そして、開いたパソコンには、
昨日講演を聞いてくれていた高校生からメールが届いていた。
ホームページから届けてくれたのだ。
短い文章だったが、
思いが詰まっていた。
「また、松永さんの仲間を見かけた時は
勇気を出して、お手伝いしたいと思います。」
彼女の決意があった。
僕は、コーヒーと一緒に、
幸せを飲み干した。
講演の最中、当たり前なんだけど、
僕の前に画像はない。
聞いてくれている人達がどんな表情なのか、
僕には知る由もない。
ただ、祈るような気持ちで、思いをこめて語りかける。
一人でも二人でも、どうか届きますように、
僕の中のありったけの力をふりしぼる。
4日間で、8つの学校での講演だった。
それなりに体力も使い、疲労もあったと思う。
でも、たったひとつのメールが、
僕を癒してくれた。
「これからも応援しています。
松永さんの人生がこれからも
豊かなものでありますように。」
結ばれた言葉に、僕は心から感謝した。
やっぱり、人間って素晴らしい!
(2013年10月19日)

いつものホテル

いつものホテルでは、
3階のいつもの部屋が準備してくれてあった。
エスカレーターから一番近い部屋だ。
毎年同じホテルなので、部屋の位置関係なども記憶している。
朝、身支度をすませて、
2階の食堂スペースへ降りる。
エレベーターを降りて、
壁沿いに進んだ一番近い部屋に、
朝食の準備がしてある。
一般客は使用しない部屋だ。
本来はバイキングスタイルなのだが、
スタッフの方が、
見えない僕のために特別に準備してくださるのだ。
そして驚くことに、
この4日間、毎朝少しずつ内容が違うのだ。
ただサポートするというだけでなく、
おもてなしの心が伝わってくる。
僕は、自然に合掌し、いただきますとごちそうさまを唱える。
見えなくなって、様々な人達のさりげないやさしさに触れることが多い。
今日の講演でも、僕は子供達に伝えた。
「助け合えるって人間だけだよね。人間って素敵だよね。」
また、来年も元気で、このホテルに戻りたい。
(2013年10月18日)

行きずり

駅員さんのサポートを受けて、
僕は新大阪駅から、九州新幹線さくらに乗り込んだ。
駅員さんが、窓側の僕の指定席の説明をしようとされるのと同じたいみんぐで、
「荷物動かしましょうか?」
通路側の座席の女性の声がした。
その瞬間、僕はほっとした。
「ありがとうございます。」
僕は御礼を言いながら、座席に座った。
それを見届けて、駅員さんは降りていかれた。
「僕は目が見えないので、隣の席にいらっしゃるのが男性か女性か、
時には日本人か外国人かさえ判らないこともあるので、
声を出してくださって助かりました。」
僕は付け加えた。
「図々しい大阪のおばちゃんですから、大丈夫ですよ。」
彼女が微笑んだ。
僕達は、その流れで、いくつかの会話を交わした。
特別に意味がある内容でもない。
意味があるのは、交わすことができるということだった。
彼女が下車する福山のアナウンスが流れた後、
彼女は準備をし、
そして、僕に向かっておっしゃった。
「またいつか、どこかでご縁があったら。」
僕も、笑顔で答えた。
「ありがとうございます。」
人間同士、生の言葉っていいよなぁ。
最近よく、携帯電話の画面とコミュニケーションを取り続けている人達に出会う。
便利な道具を使っていた人間が、
どんどん道具に使われているのだ。
画面から目を離せば、
澄み切った秋の空があって、
可憐な花が咲いていて、
笑顔の人間がいるのに、
もったいないなぁ。
なんて言うと、
図々しいどころじゃなくて、
うるさいオッサンって言われるのかな。
(2013年10月14日)

点字クッキー

いろいろな形での支援がある。
ボランティア活動もそのひとつだろう。
自発的、無償、そして、そこにそれぞれの生き方や価値観が映し出される。
それに触れる時、恩恵に預かっている僕達もふと笑顔になる。
お菓子作りの好きな女性が、
町家カフェさわさわにふさわしいクッキーをと考えられた。
出来上がったのは、点字クッキー、
様々な味のクッキーに、点字の6個の点がつけてある。
そして、2文字の単語となっている。
目が見えるお客様が、不思議そうに眺める。
視覚障害のスタッフが、そっと説明する。
和やかなひとときが流れる。
このクッキー、面白いだけでなく、結構美味なのだ。
口に入れたお客様から、おいしいですねと笑顔がこぼれる。
原料からこだわった手作りだからだろう。
数に限りがあり、
運がいい時だけ、飲み物についてくる。
本当に、たまに、確立数パーセントかな。
でも、それくらいがいいんです。
しみじみと、運が良かったなと思えるから。
ちなみに、昨日、僕は運が良かったです。
クッキーには、
「あき」と書いてありました。
爽やかな風が流れる中で、秋を頂きました。
(2013年10月13日)

若いかな?

土曜日は、船井郡八木町で白杖安全デーのパレードに参加した。
日曜日は、午前中に京都市内の同じイベントに参加した。
午後は、視覚障害者協会の運動会だった。
僕も、パン食い競走、宝くじ競走、風船割り競走などに参加した。
スタートするまでは、楽しんで走ろうとか思うのだけど、
いざ始まったら、つい本気になってしまう。
綱引きの後は、もうふらふらだった。
月曜日も火曜日も、あちこち行く用事が重なり、
水曜日はガイドヘルパー講座で、学生達と歩いた。
5日間連続で、歩数計は一万歩を超えた。
我ながら、元気だと思う。
運動会の後の筋肉痛は、さすがに翌日ではなくて、
翌々日だったけれど、
それもたった一日で回復、
密かに喜んでいる。
これって若いってことだよねと、
全盲の友達に話したら、
それを若いって思うことが、
もう若くないってことだよとさとされた。
見えないのに、ちゃんと見えているんだね!
(2013年10月10日)

パレード

僕達は毎年秋が始まる頃に、白杖を持ってパレードをしている。
僕達も参加しやすい社会を目指してアピールするのだ。
僕達の京都府視覚障害者協会、京都ライトハウス、
関西盲導犬協会、京都視覚障害者支援センターの4団体での共催だ。
実行委員会を組織して、それぞれの年度の内容を決めていく。
今年は、平野神社からライトハウスまでのパレードをすることになった。
僕の手引きをしてくださるのは、
ロータリークラブの活動をしておられる眼科医だった。
パレードが始まる前のわずかな時間に、
彼は白い花とピンクの花が一緒にある木を見つけて、
僕に教えてくださった。
その木まで近づき、花を触らせてくださった。
花に詳しいボランティアさんが、
その花は酔芙蓉という花で、
朝白い花が、お酒を飲んで酔っ払ったように、
だんだんピンクになり、夕方には赤くなると教えてくださった。
僕達は、不思議な花に思いを寄せた。
パレードが始まる頃には、そよ風がキンモクセイの香りを運んだ。
秋空の下を、僕達は歩いた。
僕の病気についても、二人で話した。
医学はパーフェクトではない。
でも、治療だけが医学でもない。
人間だからこそ、向かい合うこともできる。
きっとその辺りに、本質があるのかもしれない。
そうそう、左大文字が真正面に見える金閣寺のバス停のあたりで、
左大文字は低いから、遠くからは見れないことを、
地元の人として教えてくださった。
来年の送り火の日に、彼の手引きで歩いたことを思い出すだろう。
人間同士、いいよなぁ。
(2013年10月6日)

男同士

JR桂川駅に向かうバスに乗車した。
午前7時半の通勤時間帯のバスは、
それなりに込んだ雰囲気だった。
僕は頭上に手を伸ばし、手すりを探して握った。
ほどなく、一人の女性の声がした。
空いてる席を案内する声だった。
声だけではなかなか見つけられない僕に、
最終的に、彼女は僕の手に座席を触らせてくださった。
「ありがとうございます。」
僕はお礼を言いながら、腰を下ろした。
目が見えれば、空いてる席を探して、
座って駅まで行ける。
こんな普通の何でもないことを、
見えない僕は、
とてもうれしく、幸せだと感じるのだ。
それにしても、声をかけてくださるのは、
圧倒的に女性が多い。
男前のせいかと期待しながら、
他の視覚障害者に尋ねたら、皆そうだった。
今朝も、うれしいなと感謝しながら、
また女性だったなと、
ちょっとの淋しさを感じながらバスを降りた。
バスを降りて、点字ブロックを探そうとして迷った瞬間、
男性のサポートの声がした。
僕はすかさず、ヒジを持たせてもらって、
駅へ向かった。
男性と歩くというだけで、
何か妙にうれしかった。
彼とホームで電車を待っている間に、
トラブルで少し電車が遅れるとのアナウンスがあった。
待ち時間に、彼と少し話をした。
「こういう経験は初めてなので、上手でなくてすみません。」
繰り返された彼の言葉に、
彼の誠実さがにじみ出ていた。
ホームはどんどん人が増えていった。
7分送れで到着した電車もすし詰め状態だった。
やっと乗車し、一歩も動けない状態だった。
次の駅で降りなければならない僕に、
「電車が駅に着いたら、かきわけて前に進みます。
しっかりと持って、ついてきてください」
彼の頼もしい声だった。
電車が駅に着いた。
降りるために、反対側のドアに向かって、
半分、人に押しつぶされそうになりながら、
彼のヒジを必死に持って歩いた。
やっと、電車を降りることができた。
彼は、僕を降ろすと、
「お気をつけて。」という言葉をホームに残して、
再び電車に乗り込んでいった。
「ありがとうございます。」
僕は、満面の笑みを浮かべて、
頭を下げた。
男同士って、やっぱり最高!
(2013年10月3日)

バスを降りる時

バスが桂駅に着いた。
僕は前方の降車口に向かって歩き出した。
途中までは、左手で頭上の手すりを持って歩く。
まっすぐ歩くための方法だ。
降車口が近くなった気配で、
手すりから手を離して、
ズボンのポケットから定期券入れを取り出す。
右手に白杖、左手には定期券、
そして、前にいる人との距離感を保ちながら歩くのだが、
この距離感というのが実に難しい。
気配だけが頼りだから、
つい、前の人に白杖がぶつかるのだ。
そっと動いているので、
強くぶつかることはないけれども、
何度かぶつかると、僕は小声で謝る。
やっぱり、気まずい。
たった数メートル、
ハラハラドキドキの時間だ。
もう間もなく降車口かなと思った瞬間、
「前があきましたよ。そのまま進んでください。」
その瞬間、僕の緊張感もダウン、ほっとしてバスを降りた。
声の主は、そのまま僕にサポートを申し出てくださり、
そこから駅へ向かい、一緒に電車に乗った。
介護の専門学校で学んでいるというお母さんだったが、
子供さんが小学校で僕の話を聞いたとのことだった。
時々あるのだが、
僕の思いを受け止めてくれた子供達が、
代弁者となって、家族に伝えてくれる。
本当にありがたいことだ。
そして、こんな出会いの朝は、
その後の一日が
とてもラッキーな日になるような気分になる。
「今朝松永さんと出会ったと、子供に伝えておきます。」
僕の降りる予定のひとつ手前の駅で、
彼女は笑顔の言葉を残して降りていかれた。
こうして、やさしい人達に出会えるのは、
やっぱり、幸せのひとつに間違いありません。
見えなくても、しあわせが多い日もあります。
人間が生きていくって、
それだけで、とても素晴らしいことなんですよね、きっと。
(2013年10月2日)

ソーラン節

小学校4年生の教科書に、
視覚障害の話が出てくる。
そのせいか、4年生の子供達に見えない世界を伝えて欲しいとの依頼は多い。
今年の秋も、20校くらいからの依頼があった。
4年生、10歳くらいの子供達だ。
見えない世界への興味もあるだろうし、
何より、人間の持つやさしさを、
素直に表現できる年頃だ。
たった1,2時間の話の中で、
子供達はどんどん吸収し、変化していくのが判るからうれしい。
僕の活動の中でも、とても大切なものだと自覚している。
そして、学校にもそれぞれの雰囲気とか個性とかがあり、
それもまた、楽しみのひとつだ。
今日の子供達も、
しっかりと話を聞いてくれた。
「どうやってごはんを食べるのですか?」
「買い物はどうしているのですか?」
「楽しいことってありますか?」
「どうしてサングラスをかけているのですか?」
たくさんの疑問も投げかけてくれた。
僕は、ひとつひとつに、できるだけ丁寧に答えた。
予定の時間はあっという間に過ぎた。
そして最後に、
「松永さんに、みんなの踊りを見てもらいましょう。」
先生は、子供達に向かってそう言われた。
不思議と、松永さんは見えないのになんて言う子供はいなかった。
ソーラン節の音楽が流れ、
子供達の踊りが始まった。
動きの中で、すれる服の音、
息遣い、かけ声・・・。
そして、ひとつになって、僕に伝えようとする足音、
迫力さえ感じた。
100人を越す子供達がひとつになっていた。
学校を出て、バス停に向かう途中、
子供達は何度も僕に向かって、手をふった。
僕も振り返って、手をふった。
バスを待つ間に、
送ってくださった先生と、
豊かな時間だったことを確認し合った。
今日も未来への種蒔きができた。
先生方は、発芽した種に、
また水や肥料を与えてくださるだろう。
そうして、未来につながっていくのだ。
見送ってくださった先生は、
バスに乗車する際、とっさに手伝ってくださった。
ドアが閉まって、
僕のありがとうございますは聞こえなかったのかもしれないが、
また友達が一人増えたような気がした。
そして、さっきのソーラン節が、
頭の中で踊りだした。
(2013年9月28日)

伝える力

今日は昼間に大阪の高校での講演があり、
夜は京都市内のホテルで、ワイズメンズクラブの講演だった。
とんぼ返りという動きだった。
身体が少し疲れているなと思いながら、
夜の講演に臨んだのだが、
いざ話を始めると、
何か違う力みたいなものが湧き出てきた。
いつもそうなのだが、
何か、不思議な力みたいなものが宿るのだ。
自分でも、それがどこからくるのか、よく判らない。
目が不自由になったたくさんの仲間の思いなのかもしれないし、
僕自身の未来への希望なのかもしれない。
とにかく、いつの間にか、必死になって話をしている僕がいるのだ。
話し終わると、聞いてくださった人達に、
ありがとうございますという気持ちが、
心の底からこみあげてくる。
そして、ささやかだけど、未来への種蒔きができたなって、
満足感に包まれる。
講演の後、何人もの方が、メッセージを届けてくださった。
それぞれの言葉で、
とても暖かなメッセージだった。
人間の社会って、素晴らしいな。
明日は、また10歳の子供達に話をします。
明日もまた、心をこめて、見えない世界を伝えたい。
(2013年9月26日)