若いかな?

土曜日は、船井郡八木町で白杖安全デーのパレードに参加した。
日曜日は、午前中に京都市内の同じイベントに参加した。
午後は、視覚障害者協会の運動会だった。
僕も、パン食い競走、宝くじ競走、風船割り競走などに参加した。
スタートするまでは、楽しんで走ろうとか思うのだけど、
いざ始まったら、つい本気になってしまう。
綱引きの後は、もうふらふらだった。
月曜日も火曜日も、あちこち行く用事が重なり、
水曜日はガイドヘルパー講座で、学生達と歩いた。
5日間連続で、歩数計は一万歩を超えた。
我ながら、元気だと思う。
運動会の後の筋肉痛は、さすがに翌日ではなくて、
翌々日だったけれど、
それもたった一日で回復、
密かに喜んでいる。
これって若いってことだよねと、
全盲の友達に話したら、
それを若いって思うことが、
もう若くないってことだよとさとされた。
見えないのに、ちゃんと見えているんだね!
(2013年10月10日)

パレード

僕達は毎年秋が始まる頃に、白杖を持ってパレードをしている。
僕達も参加しやすい社会を目指してアピールするのだ。
僕達の京都府視覚障害者協会、京都ライトハウス、
関西盲導犬協会、京都視覚障害者支援センターの4団体での共催だ。
実行委員会を組織して、それぞれの年度の内容を決めていく。
今年は、平野神社からライトハウスまでのパレードをすることになった。
僕の手引きをしてくださるのは、
ロータリークラブの活動をしておられる眼科医だった。
パレードが始まる前のわずかな時間に、
彼は白い花とピンクの花が一緒にある木を見つけて、
僕に教えてくださった。
その木まで近づき、花を触らせてくださった。
花に詳しいボランティアさんが、
その花は酔芙蓉という花で、
朝白い花が、お酒を飲んで酔っ払ったように、
だんだんピンクになり、夕方には赤くなると教えてくださった。
僕達は、不思議な花に思いを寄せた。
パレードが始まる頃には、そよ風がキンモクセイの香りを運んだ。
秋空の下を、僕達は歩いた。
僕の病気についても、二人で話した。
医学はパーフェクトではない。
でも、治療だけが医学でもない。
人間だからこそ、向かい合うこともできる。
きっとその辺りに、本質があるのかもしれない。
そうそう、左大文字が真正面に見える金閣寺のバス停のあたりで、
左大文字は低いから、遠くからは見れないことを、
地元の人として教えてくださった。
来年の送り火の日に、彼の手引きで歩いたことを思い出すだろう。
人間同士、いいよなぁ。
(2013年10月6日)

男同士

JR桂川駅に向かうバスに乗車した。
午前7時半の通勤時間帯のバスは、
それなりに込んだ雰囲気だった。
僕は頭上に手を伸ばし、手すりを探して握った。
ほどなく、一人の女性の声がした。
空いてる席を案内する声だった。
声だけではなかなか見つけられない僕に、
最終的に、彼女は僕の手に座席を触らせてくださった。
「ありがとうございます。」
僕はお礼を言いながら、腰を下ろした。
目が見えれば、空いてる席を探して、
座って駅まで行ける。
こんな普通の何でもないことを、
見えない僕は、
とてもうれしく、幸せだと感じるのだ。
それにしても、声をかけてくださるのは、
圧倒的に女性が多い。
男前のせいかと期待しながら、
他の視覚障害者に尋ねたら、皆そうだった。
今朝も、うれしいなと感謝しながら、
また女性だったなと、
ちょっとの淋しさを感じながらバスを降りた。
バスを降りて、点字ブロックを探そうとして迷った瞬間、
男性のサポートの声がした。
僕はすかさず、ヒジを持たせてもらって、
駅へ向かった。
男性と歩くというだけで、
何か妙にうれしかった。
彼とホームで電車を待っている間に、
トラブルで少し電車が遅れるとのアナウンスがあった。
待ち時間に、彼と少し話をした。
「こういう経験は初めてなので、上手でなくてすみません。」
繰り返された彼の言葉に、
彼の誠実さがにじみ出ていた。
ホームはどんどん人が増えていった。
7分送れで到着した電車もすし詰め状態だった。
やっと乗車し、一歩も動けない状態だった。
次の駅で降りなければならない僕に、
「電車が駅に着いたら、かきわけて前に進みます。
しっかりと持って、ついてきてください」
彼の頼もしい声だった。
電車が駅に着いた。
降りるために、反対側のドアに向かって、
半分、人に押しつぶされそうになりながら、
彼のヒジを必死に持って歩いた。
やっと、電車を降りることができた。
彼は、僕を降ろすと、
「お気をつけて。」という言葉をホームに残して、
再び電車に乗り込んでいった。
「ありがとうございます。」
僕は、満面の笑みを浮かべて、
頭を下げた。
男同士って、やっぱり最高!
(2013年10月3日)

バスを降りる時

バスが桂駅に着いた。
僕は前方の降車口に向かって歩き出した。
途中までは、左手で頭上の手すりを持って歩く。
まっすぐ歩くための方法だ。
降車口が近くなった気配で、
手すりから手を離して、
ズボンのポケットから定期券入れを取り出す。
右手に白杖、左手には定期券、
そして、前にいる人との距離感を保ちながら歩くのだが、
この距離感というのが実に難しい。
気配だけが頼りだから、
つい、前の人に白杖がぶつかるのだ。
そっと動いているので、
強くぶつかることはないけれども、
何度かぶつかると、僕は小声で謝る。
やっぱり、気まずい。
たった数メートル、
ハラハラドキドキの時間だ。
もう間もなく降車口かなと思った瞬間、
「前があきましたよ。そのまま進んでください。」
その瞬間、僕の緊張感もダウン、ほっとしてバスを降りた。
声の主は、そのまま僕にサポートを申し出てくださり、
そこから駅へ向かい、一緒に電車に乗った。
介護の専門学校で学んでいるというお母さんだったが、
子供さんが小学校で僕の話を聞いたとのことだった。
時々あるのだが、
僕の思いを受け止めてくれた子供達が、
代弁者となって、家族に伝えてくれる。
本当にありがたいことだ。
そして、こんな出会いの朝は、
その後の一日が
とてもラッキーな日になるような気分になる。
「今朝松永さんと出会ったと、子供に伝えておきます。」
僕の降りる予定のひとつ手前の駅で、
彼女は笑顔の言葉を残して降りていかれた。
こうして、やさしい人達に出会えるのは、
やっぱり、幸せのひとつに間違いありません。
見えなくても、しあわせが多い日もあります。
人間が生きていくって、
それだけで、とても素晴らしいことなんですよね、きっと。
(2013年10月2日)

ソーラン節

小学校4年生の教科書に、
視覚障害の話が出てくる。
そのせいか、4年生の子供達に見えない世界を伝えて欲しいとの依頼は多い。
今年の秋も、20校くらいからの依頼があった。
4年生、10歳くらいの子供達だ。
見えない世界への興味もあるだろうし、
何より、人間の持つやさしさを、
素直に表現できる年頃だ。
たった1,2時間の話の中で、
子供達はどんどん吸収し、変化していくのが判るからうれしい。
僕の活動の中でも、とても大切なものだと自覚している。
そして、学校にもそれぞれの雰囲気とか個性とかがあり、
それもまた、楽しみのひとつだ。
今日の子供達も、
しっかりと話を聞いてくれた。
「どうやってごはんを食べるのですか?」
「買い物はどうしているのですか?」
「楽しいことってありますか?」
「どうしてサングラスをかけているのですか?」
たくさんの疑問も投げかけてくれた。
僕は、ひとつひとつに、できるだけ丁寧に答えた。
予定の時間はあっという間に過ぎた。
そして最後に、
「松永さんに、みんなの踊りを見てもらいましょう。」
先生は、子供達に向かってそう言われた。
不思議と、松永さんは見えないのになんて言う子供はいなかった。
ソーラン節の音楽が流れ、
子供達の踊りが始まった。
動きの中で、すれる服の音、
息遣い、かけ声・・・。
そして、ひとつになって、僕に伝えようとする足音、
迫力さえ感じた。
100人を越す子供達がひとつになっていた。
学校を出て、バス停に向かう途中、
子供達は何度も僕に向かって、手をふった。
僕も振り返って、手をふった。
バスを待つ間に、
送ってくださった先生と、
豊かな時間だったことを確認し合った。
今日も未来への種蒔きができた。
先生方は、発芽した種に、
また水や肥料を与えてくださるだろう。
そうして、未来につながっていくのだ。
見送ってくださった先生は、
バスに乗車する際、とっさに手伝ってくださった。
ドアが閉まって、
僕のありがとうございますは聞こえなかったのかもしれないが、
また友達が一人増えたような気がした。
そして、さっきのソーラン節が、
頭の中で踊りだした。
(2013年9月28日)

伝える力

今日は昼間に大阪の高校での講演があり、
夜は京都市内のホテルで、ワイズメンズクラブの講演だった。
とんぼ返りという動きだった。
身体が少し疲れているなと思いながら、
夜の講演に臨んだのだが、
いざ話を始めると、
何か違う力みたいなものが湧き出てきた。
いつもそうなのだが、
何か、不思議な力みたいなものが宿るのだ。
自分でも、それがどこからくるのか、よく判らない。
目が不自由になったたくさんの仲間の思いなのかもしれないし、
僕自身の未来への希望なのかもしれない。
とにかく、いつの間にか、必死になって話をしている僕がいるのだ。
話し終わると、聞いてくださった人達に、
ありがとうございますという気持ちが、
心の底からこみあげてくる。
そして、ささやかだけど、未来への種蒔きができたなって、
満足感に包まれる。
講演の後、何人もの方が、メッセージを届けてくださった。
それぞれの言葉で、
とても暖かなメッセージだった。
人間の社会って、素晴らしいな。
明日は、また10歳の子供達に話をします。
明日もまた、心をこめて、見えない世界を伝えたい。
(2013年9月26日)

彼岸花

今年の夏は、記録的な猛暑だった。
つい数日前には、
台風の影響でこれまた、記録的な大雨だった。
自然はどうなっているのだろうと、
何か不安になったりする。
でも、大丈夫だよとささやく声もある。
昨日歩いた公園では、
ミンミンゼミが鳴いていた。
ツクツクボウシも鳴いていた。
それなのに、トンボも飛んでいた。
まだ強い日差しなのに、
空がちょっと高くなったと、
友達が教えてくれた。
木陰ではひんやりとした風があった。
「彼岸花!」
友達の目は、僕の目になった。
あの燃えるような赤が蘇った。
季節は、ちゃんと真面目に動いているのだ。
安堵感がひろがった。
今夜は満月、帰りは夜だから、
必ず途中で見ようと決めた。
(2013年9月19日)

台風

鹿児島県阿久根市で生まれ育った僕は、
子供の頃、何度か大きな台風を経験した。
停電するのは当たり前だった。
ローソクの薄明かりの中で、
大きな風の音を聞きながら、
台風が過ぎ去っていくのを待った。
ただ、じっと待った。
子供ながらに、自然の大きな力を知り、恐怖も感じた。
台風が過ぎ去った翌日は、
子供にとっては、探検の時だった。
あちこちを見て回った。
どこかのトタン屋根とか看板とか、
いろんなものが散乱していた。
倒れている巨木もあったし、
つぶれてしまった民家もあった。
災難へ思いを重ねることよりも、ただただ、台風の力を凄いと思った。
子供ってそんなものなのかもしれない。
小川の水は溢れていて、
濁流だった。
そこらにあった棒切れで足元を確かめながら、
濁流の中を歩いた。
やっと橋のたもとまで辿り着き、
堤防に腰をおろした。
遊び疲れてふと見上げた空は、
とってもきれいな水色だった。
そのきれいな空を、台風一過の空ということを知ったのは、
随分後になってからだ。
台風のたびに、あの空を思い出す。
不思議なことに、ローソクの光の向こうの闇は思い出さない。
何故なのかはわからない。
どうか、被害が出ませんように。
(2013年9月15日)

夏の終わり

知人から白露を教えてもらった翌日、
旅先の旅館の料理長が、食事の説明をしてくれた。
「名残の鱧とはしりの松茸です。」
日本語の豊かな響き、先人達が織り成してきた産物なのだろう。
ただその響きに触れるだけで、心が落ち着いていく。
部屋に戻ると、
爽やかな秋風の中、一匹のミンミンゼミが思いっきり鳴いていた。
僕は、その声に聞き入った。
あの小さな身体からは想像もできないような大きな鳴き声だった。
これでもかと、鳴き続けた。
愛おしくさえ感じた。
「ミーン ミーン ミーン ミーン ミーン ミッ」
突然、鳴き声は止まった。
静寂が漂った。
セミは、二度と鳴かなかった。
確かに、夏が終わった。
(2013年9月10日)

5年

友人に手引きしてもらって、
四条河原町の地下道を歩いていた。
新京極商店街にある喫茶店に行く途中だった。
階段の手前で、突然呼び止められた。
「松永さん。!」
彼女はニコニコしていた。
僕は、こんにちはと言いながら、誰か尋ねた。
どこかで講演を聞いたとか、本を読んだとか、
週に一人か二人はそんな人に出会う。
「松永さんは私のことは知りません。テレビで見て憶えていました。
だから、ただ、声をかけてみました。」
僕はとってもうれしくなった。
幾度かテレビに出演したりしたことがあるが、
直近でももう5年くらい前だと思う。
とても長い時間が流れているのだ。
映像の力って凄いなと思ったし、
声をかけようと思ってくださったのは、
きっといい番組だったということだろう。
あらためて、番組作りに関わってくださった人達への感謝の気持ちが溢れてきた。
文字にしても、映像にしても、
前を向いてメッセージを発信していくこと、
とても大切な未来への種蒔きだ。
これからも、僕にできることを、コツコツと続けたい。
それにしても、すぐに判ってもらえたということは、
5年経ったけど、
そんなに風貌は変化していないってこと?
やったぁ!
髪の毛を洗うたびに、触覚が老いを伝えてくれるものですから。
(2013年9月8日)