点字ブロックの上を歩いていたら、
久しぶりに人とぶつかった。
それも、結構強くぶつかった。
僕は咄嗟に「すみません。」と謝りながら、
「大丈夫ですか?」と問いかけた。
ほとんど同時に、
「すみません。前を見ていなかったものですから。大丈夫ですか?」
中学生くらいの少女の声だった。
瞬間的にその言葉を言えた彼女に僕は感動さえ覚えた。
お互いに大丈夫なのを確認して別れた。
歩きながら、つい先日、知り合いが教えてくれたことを思い出した。
ぶつかったりした時、謝らない方がいい。
謝ったらこちらが悪いと認めることになる。
僕はちょっと違和感を持ったけれど、そうなのかと思う気持ちもあった。
でも、やっぱりそれはおかしいのだ。
少女の誠実な声が、僕にそれを教えてくれた。
咄嗟に謝ってしまう自分を大切にして生きていきたい。
(2014年9月20日)
少女が教えてくれたこと
いわし雲
なかなか休日がとれないスケジュールにももうすっかり慣れているのだが、
疲れを覚えるようになってきたのは間違いない。
年齢のせいなのだろう。
特に朝はそれをよく感じてしまう。
今朝もちょっと重たく感じる身体をはげますようにして家を出た。
団地の敷地から慎重にそっと歩道に出て歩き始める。
朝はスピードが出ている自転車が多いからだ。
音響信号の音が聞こえるところまでまっすぐに歩く。
そこから、僕にとっては難関のひとつである大通りの横断歩道を渡る。
侵入してくる自動車のエンジン音に注意しながら、そしてひるまずに、
同じリズムと同じスピードで歩くのは高い技術も必要だ。
横断歩道のこちらからあちらまで僕の成功率は8割くらいだろうか、
2割の時はたどり着いたらガードレールということになる。
今日は成功した。
たどり着いた瞬間、小さな溜息が出る。
ほっとするのだろう。
そこから先は点字ブロックがあるから歩きやすい。
ほどなくバス停に着いた。
バスはそんなに込んでいる雰囲気ではなかった。
空いている座席を見つけられない僕は、
乗客とか運転手さんとか誰かが教えてくださった時だけ座ることができる。
今朝は終点のJR桂川駅まで立ちっぱなしだった。
バスを降りて点字ブロックを頼りに駅のみどりの窓口へ向かう。
駅員さんに、桂川駅での乗車と目的地の新大阪駅での降車のサポートをお願いする。
快く引き受けてくださる。
新大阪駅への連絡などの準備が整って、駅員さんとホームに向かう。
電車が到着するまでの数分間、僕は駅員さんの肘を持ったままで立っていた。
「いい天気ですね。」
ふと駅員さんが話しかけてくださった。
「秋空ですか?」
僕はそっと上を向きながら聞いてみた。
駅員さんは空を見上げながら、
「いわし雲ですね。秋の空です。」
その瞬間、僕の脳裏には真っ青な空となんといわしがそのまま登場してしまった。
何匹ものいわしが、空を悠々と泳いでいるのだ。
僕は間抜けな自分を笑いそうになるのを我慢しながら、
「秋の空ですね、ありがとうございます。」
感謝を伝えた。
電車に乗って、心がとても軽くなっているのに気付いた。
疲れが、いわし雲の向こうに泳いでいったのだろう。
駅員さん、ありがとうございました。
今度ゆっくり、いわし雲をイメージしてみますね。
(2014年9月15日)
現実
盲導犬が刺されたとか視覚障害の女子学生がけられたとか、
残念なニュースが流れる。
こんな悪い奴は許せないと、
コメンテイターが正義をふりかざす。
専門家という人が社会の堕落を嘆き、
その不安定さを指摘する。
テレビの前の僕は、ただじっとそれを受け止める。
でも、でもね。
何か拍手をする気にはなれない。
僕達に声をかけてくださり、手伝ってくださる人の数、
間違いなく増えている。
見えなくなって一人で歩き始めて17年、
罵声を浴びせられたのは2回だけある。
やさしい声をかけられたのは万という数字を超えているだろう。
昨日の帰り道、バス停で待っている僕の手を、
おじいさんが握った。
「何番のバスに乗るんだい?」
僕の乗りたいバスの乗り場の先頭まで連れて行ってくださった。
僕は安心してバスに乗り、地元のバス停で降りた。
横断歩道を渡る時は、
女性の人が大丈夫ですかと声をかけてくださった。
僕は横断歩道を渡る間だけ、肘を持たせてもらった。
それから買い物をするために、近所のスーパーに立ち寄った。
白杖に気づいたお店の人が、
買い物を手伝ってくださった。
買った商品をリュックサックに入れることまで手伝ってくださった。
それから、クリーニング屋さんに立ち寄って、
頼んでおいたズボンを受け取った。
店員さんは、僕がクリーニングの袋を下げて歩くのが大変そうと、
とっても心配してくださったが、
僕が大丈夫と言い続けるので、やっと出口であきらめてくださった。
それでも、僕が横断歩道にたどり着くまで後ろから見てくださっていたのは判っていた。
自宅のある団地に近づいたら、
「おかえり」
どこかの男性の声。
僕は誰か判らないけど、
「ただいま!」
今日も、見知らぬ人に何人も声をかけてもらい、手伝ってもらい、
見えない僕の普通の生活が成り立った。
これも、間違いなく、社会の現実。
(2014年9月14日)
高校生
奈良県にあるショッピングモールでのイベントに招かれた。
ホールや教室での講演と違い、
ショッピングモールの中を行き交う不特定の人達に向かって話をするのは、
とても難しかった。
聞いてくださっているかさえよく判らない。
一般の講演の時のような笑い声もないし、拍手の音も聞こえない。
僕は開き直って、
画像のない向こう側に心をこめて語りかけた。
「白い杖の僕達を見かけたら、お手伝いしましょうかと声をかけてください。」
そしてサポートの方法を実演するために、誰かステージに来てくれるように頼んだ。
誰も来てくれないだろうから、
スタッフに対応してもらうつもりだった。
予想ははずれた。
それぞれ違う高校に通っている3名の男子高校生が集まってくれた。
僕をサポートして歩き、アイマスクの歩行も体験してくれた。
周囲を気にし過ぎるような雰囲気はなく、爽やかだった。
僕は自分の高校時代を思い出して、
この若者達をとても素敵だと思った。
社会は、確実に未来に向かっています。
(2014年9月9日)
一流
バス停の点字ブロックの上で、
寝ぼけまなこでバスを待っていた。
バスのエンジン音が近づいてきた。
運転手さんはバスを停車させながら、行先を外部スピーカーで教えてくださった。
最近のバスの人工音はそもそも聞きにくい。
こうして外部スピーカーで伝えてくださることでただ確認できるというだけでなく、
ミラー超しに見てくださっているという安心感がある。
乗車しようとしたら、ノンステップであることも伝えてくださった。
そして乗車と同時に、
僕が手すりをつかんで立った目前のイスが空いていることを教えてくださった。
僕は運転手さんに届く大きさの声でありがとうございますを言いながら座った。
運転手さんはバス停に着く度に、乗車してくるお客さんに丁寧な案内を続けられた。
いくつめかの停留所で車いすのお客さんが乗車された。
運転手さんは、すぐに運転席から出てきて車いすの固定をしようとされたが、
留め具の形状が合わなかったようでいつもよりは少し時間がかかった。
なんとか準備ができて、再度バスを出発させる際、
運転手さんはまるで車いすのお客さんの代弁者のように、
出発が少し遅れたことを詫びられた。
ただ、その言葉の選び方にも、車いすのお客さんへの配慮が感じられた。
和やかな空気の中で、バスは走り続けた。
そしてまたいくつメカのバス停、
乗り込んできたお客さんの一人が、
バスが定刻でないと運転席の近くまで行って、運転手さんを攻めた。
「お客様の安全な乗車のために少し遅れました。申し訳ございません。」
運転手さんはただそれだけ謝ると、先ほどまでと同じように運転を続けられた。
バス停に着く度に、爽やかな声で案内をされていた。
終点の桂駅にバスが到着した。
僕は予定の会議に遅れそうだったが、
わざと一番最後に降りた。
一流の仕事をできる人と、少し会話をしたかった。
「運転も接客も放送も、すべて完璧で感動しました。ありがとうございました。」
降り際に、僕はただそれだけを伝えた。
運転手さんは微笑みながら、そんなことないですとおっしゃった。
僕は再度感謝を伝えながらバスを降りて、駅へ向かって歩き出した。
そしてなんとなく、今日はきっといい一日になるなと思った。
(2014年9月4日)
遅すぎる反省
京都駅西改札口、点字ブロックの先にある有人改札口は込んでいるようだった。
僕は雰囲気を手掛かりに動こうとした。
その時、「sorry」という女性の声がして、
それから「sorry」という男性の声も続いた。
二人は、僕の前を通り過ぎながら、再度sorryを繰り返した。
僕は突然だったので、
sorryと返した。
何と返せばいいのか、以前誰かに教わったような気もするのだが完全に忘れていた。
無言よりもましだと自分を慰めながら、
点字ブロックを頼りに、待ち合わせの八条口新幹線改札口に向かった。
記憶の地図だけで動いていたので案の定迷子になった。
点字ブロックの上で首を傾げていたら、これまた英語での女性の声。
意味はまったく理解できなかったのだけど、
困っている僕を助けようとしてくれているのは判るのだから、
人間同士のコミュニケーションって凄いと思う。
「sinkansen entrance Please!」
文も発音もでたらめの英語らしきものが
僕の口からこぼれた。
彼女はオーケーと言いながら、やさしく僕を引っ張った。
そして、新幹線改札口に着いた。
なんとか伝わったらしい。
「Thank you card Please!」
僕は胸ポケットからありがとうカードを取り出して、彼女に手渡した。
「ありがとう」と言いながら受け取ってくれた彼女は笑顔だった。
彼女にバイバイと手を振りながら、
中学校時代にもっと真面目に英語を勉強すればよかったと、
深く深く反省した。
それにしても京都駅、
日本人の方が多いはずなんだけどなぁ。
(2014年8月30日)
豪雨
地元の駅に帰り着いたら、まさに豪雨だった。
僕は左手で傘をさして右手の白杖で足元の点字ブロックを確認しながら、
いつもの半分以下のスピードで歩き始めた。
豪雨は、僕が一番頼りにしている耳からの情報を完全に奪っていた。
さほどの恐怖感が発生しなかったのは、
人間だけが行きかう道だと判っていたからだろう。
それでも下りの階段はいつもより長く感じられたし、時間もかかった。
階段を降り切った近くに僕が日常利用するバス停がある。
そこまで点字ブロックがつながっていて少しの屋根があるのも知っている。
そこに向かったのだが、失敗した。
完全に方向を見失った。
豪雨の中で立ちすくんだ。
タクシーに乗ろうかとも考えたが乗り場まで行く自信がなくなっていた。
自分の居場所も方向も何も判らなくなっていた。
人の足音ももちろん聞こえなかったが、幾度か助けを求める声を出した。
何も反応はなかった。
近くに人がいないか少し白杖で探ったが、それでも何も判らなかった。
それ以上動かなかったのは、
傘がぶつかったり白杖が当たったりして、
他人に迷惑をかけたくないという気持ちがあるからだろう。
目も見えず耳も聞こえないという状態で、豪雨の中にただ立ちすくんだ。
10分に一本くらいのバスがあるのも判っているのだが、
エンジン音も聞こえない僕は一歩も動けなかった。
雨が傘をたたき続け、傘を通り越した雨粒が折れそうになる心に沁みこんできた。
うなだれそうになりながら、
ふと、今日のお昼に一緒に歩いた男性の言葉を思い出した。
講座の受講生として出会った彼は53歳と言っていた。
口数は少なかったが、応援する言葉をくれた。
もう50歳を超えているオッサン同士だからストレートな言葉は使わない。
いや、気恥ずかしくて使えない。
ぶっきらぼうに、そしてさりげなく、
でも確かに彼はエールを送ってくれた。
その言葉を思い出しながら、うなだれそうになった首が持ち上がるのを感じた。
もちろん元気よくではなかったが、確かに折れそうになっている僕を支えていた。
僕はだんだん、何時間でも立っていられるような気分になっていた。
「バスに乗るのですか?」
高校生くらいの男の子が声をかけてくれるまで、
30分以上の時間が経過したのだろうが、
僕は待ち続けた。
あきらめないで、いや、あきらめて、
辛抱すればなんとかなる。
人生、なんとかなってきた。
それにしても、言葉の力はすごいものです。
誰かに力を与えることもあるのです。
(2014年8月25日)
グレーのスラックスと消えた大盛りラーメンの関係
ちょっと朝寝坊したのも手伝って、慌ただしい朝となった。
急いで身支度を整え、朝食抜きでコーヒーだけを飲んで出かけた。
上の服は黒というのは判っていた。
昨夜のうちに妻に確認しておいたからだ。
スラックスは、多分黒だと思って出かけた。
これは確認するのをしなかった。
と言うよりも、日常は服の色は気にしていない。
よっぽどのことでもない限り、わざわざ確認はしない。
ほとんどの服は単色で、しかも黒やグレーが多いから、
日常生活には問題はないのだ。
研修会場に到着して、仕事がスタートした。
受講生としばらくやりとりして、愕然とした。
スラックスが明るめのグレーということが判ったのだ。
今日の予定は、夕方までの研修が終わったら仲間と待ち合わせて、
知人のお通夜に行くこととなっていた。
明るめのグレーのスラックスで出席するわけにはいかない。
僕に色がわかるかとかわからないかとか無関係に、
それが社会に参加するということだ。
僕は昼食の時間を利用して、
スラックスをはき替えるためにタクシーを使って帰宅した。
時間ももったいなかったし、お財布も、まさに無駄な出費だ。
自分が悪いのだけれど、やっぱり悔しい。
なんとか昼食には間に合ったけれど、お腹が空いていたけど、
200円アップの大盛りラーメンを我慢して普通盛りにした。
こんなことで言いたくないけど、
目さえ見えたらなぁ!
しばらくは、ラーメンを食べる度にとんでいったタクシー代を思い出すのだろう。
悔しい思いをエネルギーに変えて、きっと人間は成長します、きっとね。
(2014年8月23日)
セミ
今日は、すれ違う人の足に白杖が幾度もぶつかった。
白杖のグリップを右手で持ち、
おへその前で左右に振る。
いつもと同じくらいの角度で持って、
いつもと同じくらいのスピードで歩いているつもりなんだけど、
たまにそんな日がある。
そんな日は自分でなんとなく判るので、
いつもより慎重に、注意力を高めて歩く。
一日の仕事を終えて無事地元に帰り着き、
スーパーマーケットで買い物をすませて、団地の中の道を帰路に着く。
やっとちょっとのんびりした気分になる。
ふと、セミの声の変化に気づいた。
音色なのか音程の高さなのかは判らないけれど、
夏の始まりに感じた勢いではなくて、
夏が終わり始めているさみしさみたいなものが感じられた。
僕はわざとゆっくり歩いた。
夏が終わりに近づいているということは、
秋の扉が少し開き始めたのだろう。
小さい秋、いっぱい見つけたいな。
セミの短い一生に思いを寄せながら、
自分の人生の秋を自覚しながら、
今日も無事に帰ってこれたことにただ感謝する。
(2014年8月20日)
教え子
専門学校や大学などの非常勤講師の仕事をしているので、
毎年多くの学生達に出会う。
専門学校は半期の講座なので90分の講義を15回、
大学は通年なので30回することになる。
教室という空間でそれだけの時間を共に過ごすのだが、
学生の氏名はほとんど記憶していない。
数が多いということもあるだろうし、
画像がないということも大きな理由になるかもしれない。
それに、記憶が極めて苦手なのは自他共に認めていることだ。
学生達の氏名は憶えられないけれど、
講義の中では実習なども取り入れて、
思いや希望を伝えられるように努力はしている。
ただこれも、学生達の表情も判断できないし、
どれだけ伝えられているのかは自信はない。
未来に向かっての種蒔きだと自覚している。
一粒でも多くの種が、それぞれに発芽してくれますようにと願っている。
今日は京都府の相談支援の研修会での講師の仕事だった。
いわゆる講演というやつだ。
500名近くの受講者に、50分で僕達の思いを伝えなければならない。
難しいのはやる前から判っているので、
気取らずに飾らずに、いつものように語り掛けた。
少しでも伝わればいい、決して投げやりではない正直な思いだ。
講演が終わった後、数人の受講者が感想を届けてくださった。
その中に、二人の教え子がいた。
6,7年前に専門学校で僕の講義を受けたという彼女達は、
それぞれに福祉の現場で活躍されている様子だった。
話しぶりにもふるまいにも大人の女性の品位も感じられた。
僕自身は年を重ねただけで、
何も成長がないような気がして少し恥ずかしく感じた。
会場を後にして歩きながら、
「教え子」という言葉を思い出した。
教え子とは、教えた子ではなくて教えてくれる子なんだと気づいた。
教え子とのうれしい再会だった。
(2014年8月14日)