誠実そうな声

午前中は、京阪淀駅の近くの小学校で、
PTAへの講演だった。
何とかなるだろうと、
一人で行ったのだが、
駅に到着して、トイレに行きたくなった。
知らない駅なので、構造などはまったくわからない。
僕は足音に向かって声を出した。
「トイレを教えてください。」
「少し遠いですが、このフロアにありますよ。」
声からして誠実そうな若い男性が、
足を止めてくれた。
そして、手引きで連れて行ってくれた。
朝の忙しい時間だったと思うが、
彼は気持ちよく手伝ってくれた。
多目的トイレに着いて、
僕は感謝を伝えた。
「お気をつけて。」
やはり、誠実そうな声だった。
講演の後、ホームページの読者という方と出会って、
一緒にランチした。
それから、午後の約束に間に合うように町家カフェさわさわへ向かった。
さわさわには、お客様の中に、ガイドヘルパー講座の受講生だった女性がおられて、
再会を喜んだ。
用事を終えて、
次の会議の場所への移動の準備を始めた時、
僕を待っている人がいることを、
スタッフが伝えてくれた。
さきほどの女性の学友だった。
僕がさわさわにいることを、
彼女がメールで伝えて、わざわざ来てくれたらしい。
僕の前に、誠実そうな若い男性が立っていた。
僕は、握手した。
短い言葉のやりとりに、
彼が、僕達にエールをおくってくれているのが伝わってきた。
見も知らぬ人達が、こうして応援してくださる。
人間って本当に素晴らしい生き物だ。
それにしても、誠実そうな声の男性、いいなぁ。
人は、自分にないものに憧れるが、
まさに僕はそうです。
誠実さが伝わる今日の二人の男性、
かっこいいなと思いました。
(2013年10月29日)

美術館

バス停まで送ってくれた学生が、
到着したバスが込んでいるのを教えてくれた。
僕は、学生にさよならを言いながら乗車して、
乗車口の近くの手すりを探そうとした。
でもすぐに、親切な女性が僕の手をとって、
座席まで誘導してくださった。
僕は、ありがとうございますと言いながら座った。
ありがとうカードを渡したいと思ったが、
座った時には、女性がどこにおられるかが判らなくなった。
あきらめていたら、
僕のななめ前から、さっきの女性の声が聞こえた。
僕の横に座っておられる女性との会話だった。
僕は、そっと、ありがとうカードをさしだした。
彼女は、「当たり前のことをしただけなのに。」と言いながら、
カードを受け取ってくださった。
そして、カードのデザインが素敵だと、お二人がほめてくださった。
それから、時々聞こえてくるお二人の会話は、気持ちのいい上品さが漂っていた。
濃茶とか、茶道らしき単語も多く、
バスを降りたら、デパートで和服を覗くような内容もあった。
お二人がどんな関係なのかは判らなかったが、
何かとてもあたたかかった。
お二人の会話の終盤に、京都市美術館での竹内栖鳳展の話が出てきた。
久しぶりに、美術館を思い出した。
見えている頃、毎年数回は足を運んだ。
絵画のセンスのない僕は、
見るのは好きだった。
旅先でも、美術館にはよく立ち寄った。
バックパッキングでヨーロッパをウロウロした時も、
お金がなくて、パンをかじりながらの旅だったけど、
アムステルダムのゴッホ美術館とか、
パリの印象派美術館には立ち寄った。
一番最後に行ったのは、東京駅近くのブリジストン美術館だったかな。
いろいろな絵画に接しながら、
のんびりとした時間が流れるのも好きだった。
今日行った小学校で、
「もし、いつか目が見えたら、何を見たいですか?」という質問をうけた。
「空も見たいな。窓からの景色も見たいな。君達の顔も見たいな。」
言い始めて、思いが心を揺さぶって、言葉が続かなかった。
医学も理解しているし、運命みたいなものも受け止めている。
でも、いつか見えたらなんて、
想像する自由くらいは、いつまでも大切にしたい。
いつか見えたら、美術館で、一日のんびり過ごします。
(2013年10月26日)

予感

地元の視覚障害者施設での打ち合わせを終えて、
桂駅に着いたのは昼過ぎだった。
駅へ向かうコンコースを歩いていたら、
「松永さーん、こんにちは!」
ももちゃんの声だった。
彼女と初めて会ったのは、彼女が中学生の頃だった。
視覚障害者のイベントに、
ボランティアで参加してくれた。
今は、3歳の子供のお母さん、
あれから15年が流れたのだ。
そして、こうして出会うと声をかけてくれる。
爽やかな笑顔は、中学生の頃から変わらない。
今日も、わざわざ逆戻りして、改札口までサポートしてくれた。
ありがとうカードを受け取って、
「10枚集めたら?」
「ランチでも行こうか。」
僕達は笑顔で別れた。
「今日はいい日になるな。」
そんな予感がした。
ホームで電車を待っていたら、
ご夫婦かなと思えるカップルの男性が、
すかさずサポートしてくださった。
決して慣れているとは言えないサポートだったが、
やさしさが伝わってきた。
烏丸駅で僕を降ろすと、
再び電車に乗り込んでいかれた。
僕は、心をこめて、ありがとうを伝えた。
地下鉄に乗り換えて、階段を降り始めようとしたら、
「今日は時代祭りで人が多いなぁ。大変だなぁ。」とつぶやきながら、
年配の男性が僕に近寄ってきた。
僕はまた、ヒジを借りてホームへの階段を降りた。
降りきったところで、
彼は近くにいた女子学生に、
「この人、丸太町までだから、手伝ってあげてね。」と僕を渡した。
女子学生達は、これまた気持ちよく引き受けてくれた。
僕はまた、丸太町駅のホームに降ろしてくれた彼女達にお礼を言った。
改札口を通ろうとしたら、
駅員さんが追いかけてきた。
「時代祭りで人が多いから、バス停までご一緒しましょうか?」
僕は、頭を下げながら、
「何とかなると思います。ありがとうございます。」
と返事して歩き出した。
辿り着いた丸太町のバス停付近はすごい人だった。
人波の中に、祭囃子が響いていた。
僕は一瞬、駅員さんのサポートを受けるべきだったと後悔した。
でも、結局、隣の男性が、
バスの接近を教えてくださって、
近くにいた係員が瞬時に僕を手引きしてバスに乗車させてくださった。
「階段がふたつ、まっすぐ前の座席が空いています。」
見事なプロのサポートだった。
今日の午後は、町家カフェさわさわで、新聞の取材だった。
僕は上機嫌で記者に話をし、カメラマンのカメラに笑った。
取材を終え、もう一箇所での打ち合わせを終えて、桂に向かった。
桂駅に着いて歩き始めたら、
また、「松永さーん!」
何度かバスで一緒になった方だった。
バス停まで歩きながら、
僕は幸せを感じていた。
バス停に着いて、
バスを待っている間、子供の声がした。
いつか行った小学校の児童だった。
僕は握手をして、
今日7枚目のありがとうカードを渡した。
彼女は、笑顔でおじぎをして、
ありがとうございますと言って立ち去った。
バスを待ちながら、
僕はふと、先日訪れた鹿児島県の小学校の児童の質問を思い出した。
「目が見えなくて、一人で歩いていて、
強盗にあいませんか?」
僕は答えた。
「テレビのニュースでは、こわい人がいるって言うよね。
それも本当かもしれない。
でもね、やさしい人の方が、はるかに多いんだよ。
僕が見えなくなって、一人で歩くようになって16年、
まだ一度も強盗には出会っていないよ。
助けてくれた人には、もう2万人以上出会ったよ。」
僕が見えている頃、こんなにやさしい人がいるとは思わなかった。
でも、事実なのだ。
僕はこの事実を、未来を担う子供達に伝えていかなければと思っている。
それにしても、今朝の予感、ばっちりでした。
(2013年10月22日)

メール

薩摩川内市を17時12分発の新幹線さくらに乗車した。
新大阪駅で在来線に乗り換えて、22時過ぎには帰宅した。
23時には、自宅でコーヒーを飲みながら、パソコンに向かっていた。
大学生の頃、寝台特急を利用したりしていたことを思えば、
故郷が、本当に近くなったと思う。
そして、開いたパソコンには、
昨日講演を聞いてくれていた高校生からメールが届いていた。
ホームページから届けてくれたのだ。
短い文章だったが、
思いが詰まっていた。
「また、松永さんの仲間を見かけた時は
勇気を出して、お手伝いしたいと思います。」
彼女の決意があった。
僕は、コーヒーと一緒に、
幸せを飲み干した。
講演の最中、当たり前なんだけど、
僕の前に画像はない。
聞いてくれている人達がどんな表情なのか、
僕には知る由もない。
ただ、祈るような気持ちで、思いをこめて語りかける。
一人でも二人でも、どうか届きますように、
僕の中のありったけの力をふりしぼる。
4日間で、8つの学校での講演だった。
それなりに体力も使い、疲労もあったと思う。
でも、たったひとつのメールが、
僕を癒してくれた。
「これからも応援しています。
松永さんの人生がこれからも
豊かなものでありますように。」
結ばれた言葉に、僕は心から感謝した。
やっぱり、人間って素晴らしい!
(2013年10月19日)

いつものホテル

いつものホテルでは、
3階のいつもの部屋が準備してくれてあった。
エスカレーターから一番近い部屋だ。
毎年同じホテルなので、部屋の位置関係なども記憶している。
朝、身支度をすませて、
2階の食堂スペースへ降りる。
エレベーターを降りて、
壁沿いに進んだ一番近い部屋に、
朝食の準備がしてある。
一般客は使用しない部屋だ。
本来はバイキングスタイルなのだが、
スタッフの方が、
見えない僕のために特別に準備してくださるのだ。
そして驚くことに、
この4日間、毎朝少しずつ内容が違うのだ。
ただサポートするというだけでなく、
おもてなしの心が伝わってくる。
僕は、自然に合掌し、いただきますとごちそうさまを唱える。
見えなくなって、様々な人達のさりげないやさしさに触れることが多い。
今日の講演でも、僕は子供達に伝えた。
「助け合えるって人間だけだよね。人間って素敵だよね。」
また、来年も元気で、このホテルに戻りたい。
(2013年10月18日)

行きずり

駅員さんのサポートを受けて、
僕は新大阪駅から、九州新幹線さくらに乗り込んだ。
駅員さんが、窓側の僕の指定席の説明をしようとされるのと同じたいみんぐで、
「荷物動かしましょうか?」
通路側の座席の女性の声がした。
その瞬間、僕はほっとした。
「ありがとうございます。」
僕は御礼を言いながら、座席に座った。
それを見届けて、駅員さんは降りていかれた。
「僕は目が見えないので、隣の席にいらっしゃるのが男性か女性か、
時には日本人か外国人かさえ判らないこともあるので、
声を出してくださって助かりました。」
僕は付け加えた。
「図々しい大阪のおばちゃんですから、大丈夫ですよ。」
彼女が微笑んだ。
僕達は、その流れで、いくつかの会話を交わした。
特別に意味がある内容でもない。
意味があるのは、交わすことができるということだった。
彼女が下車する福山のアナウンスが流れた後、
彼女は準備をし、
そして、僕に向かっておっしゃった。
「またいつか、どこかでご縁があったら。」
僕も、笑顔で答えた。
「ありがとうございます。」
人間同士、生の言葉っていいよなぁ。
最近よく、携帯電話の画面とコミュニケーションを取り続けている人達に出会う。
便利な道具を使っていた人間が、
どんどん道具に使われているのだ。
画面から目を離せば、
澄み切った秋の空があって、
可憐な花が咲いていて、
笑顔の人間がいるのに、
もったいないなぁ。
なんて言うと、
図々しいどころじゃなくて、
うるさいオッサンって言われるのかな。
(2013年10月14日)

点字クッキー

いろいろな形での支援がある。
ボランティア活動もそのひとつだろう。
自発的、無償、そして、そこにそれぞれの生き方や価値観が映し出される。
それに触れる時、恩恵に預かっている僕達もふと笑顔になる。
お菓子作りの好きな女性が、
町家カフェさわさわにふさわしいクッキーをと考えられた。
出来上がったのは、点字クッキー、
様々な味のクッキーに、点字の6個の点がつけてある。
そして、2文字の単語となっている。
目が見えるお客様が、不思議そうに眺める。
視覚障害のスタッフが、そっと説明する。
和やかなひとときが流れる。
このクッキー、面白いだけでなく、結構美味なのだ。
口に入れたお客様から、おいしいですねと笑顔がこぼれる。
原料からこだわった手作りだからだろう。
数に限りがあり、
運がいい時だけ、飲み物についてくる。
本当に、たまに、確立数パーセントかな。
でも、それくらいがいいんです。
しみじみと、運が良かったなと思えるから。
ちなみに、昨日、僕は運が良かったです。
クッキーには、
「あき」と書いてありました。
爽やかな風が流れる中で、秋を頂きました。
(2013年10月13日)

若いかな?

土曜日は、船井郡八木町で白杖安全デーのパレードに参加した。
日曜日は、午前中に京都市内の同じイベントに参加した。
午後は、視覚障害者協会の運動会だった。
僕も、パン食い競走、宝くじ競走、風船割り競走などに参加した。
スタートするまでは、楽しんで走ろうとか思うのだけど、
いざ始まったら、つい本気になってしまう。
綱引きの後は、もうふらふらだった。
月曜日も火曜日も、あちこち行く用事が重なり、
水曜日はガイドヘルパー講座で、学生達と歩いた。
5日間連続で、歩数計は一万歩を超えた。
我ながら、元気だと思う。
運動会の後の筋肉痛は、さすがに翌日ではなくて、
翌々日だったけれど、
それもたった一日で回復、
密かに喜んでいる。
これって若いってことだよねと、
全盲の友達に話したら、
それを若いって思うことが、
もう若くないってことだよとさとされた。
見えないのに、ちゃんと見えているんだね!
(2013年10月10日)

パレード

僕達は毎年秋が始まる頃に、白杖を持ってパレードをしている。
僕達も参加しやすい社会を目指してアピールするのだ。
僕達の京都府視覚障害者協会、京都ライトハウス、
関西盲導犬協会、京都視覚障害者支援センターの4団体での共催だ。
実行委員会を組織して、それぞれの年度の内容を決めていく。
今年は、平野神社からライトハウスまでのパレードをすることになった。
僕の手引きをしてくださるのは、
ロータリークラブの活動をしておられる眼科医だった。
パレードが始まる前のわずかな時間に、
彼は白い花とピンクの花が一緒にある木を見つけて、
僕に教えてくださった。
その木まで近づき、花を触らせてくださった。
花に詳しいボランティアさんが、
その花は酔芙蓉という花で、
朝白い花が、お酒を飲んで酔っ払ったように、
だんだんピンクになり、夕方には赤くなると教えてくださった。
僕達は、不思議な花に思いを寄せた。
パレードが始まる頃には、そよ風がキンモクセイの香りを運んだ。
秋空の下を、僕達は歩いた。
僕の病気についても、二人で話した。
医学はパーフェクトではない。
でも、治療だけが医学でもない。
人間だからこそ、向かい合うこともできる。
きっとその辺りに、本質があるのかもしれない。
そうそう、左大文字が真正面に見える金閣寺のバス停のあたりで、
左大文字は低いから、遠くからは見れないことを、
地元の人として教えてくださった。
来年の送り火の日に、彼の手引きで歩いたことを思い出すだろう。
人間同士、いいよなぁ。
(2013年10月6日)

男同士

JR桂川駅に向かうバスに乗車した。
午前7時半の通勤時間帯のバスは、
それなりに込んだ雰囲気だった。
僕は頭上に手を伸ばし、手すりを探して握った。
ほどなく、一人の女性の声がした。
空いてる席を案内する声だった。
声だけではなかなか見つけられない僕に、
最終的に、彼女は僕の手に座席を触らせてくださった。
「ありがとうございます。」
僕はお礼を言いながら、腰を下ろした。
目が見えれば、空いてる席を探して、
座って駅まで行ける。
こんな普通の何でもないことを、
見えない僕は、
とてもうれしく、幸せだと感じるのだ。
それにしても、声をかけてくださるのは、
圧倒的に女性が多い。
男前のせいかと期待しながら、
他の視覚障害者に尋ねたら、皆そうだった。
今朝も、うれしいなと感謝しながら、
また女性だったなと、
ちょっとの淋しさを感じながらバスを降りた。
バスを降りて、点字ブロックを探そうとして迷った瞬間、
男性のサポートの声がした。
僕はすかさず、ヒジを持たせてもらって、
駅へ向かった。
男性と歩くというだけで、
何か妙にうれしかった。
彼とホームで電車を待っている間に、
トラブルで少し電車が遅れるとのアナウンスがあった。
待ち時間に、彼と少し話をした。
「こういう経験は初めてなので、上手でなくてすみません。」
繰り返された彼の言葉に、
彼の誠実さがにじみ出ていた。
ホームはどんどん人が増えていった。
7分送れで到着した電車もすし詰め状態だった。
やっと乗車し、一歩も動けない状態だった。
次の駅で降りなければならない僕に、
「電車が駅に着いたら、かきわけて前に進みます。
しっかりと持って、ついてきてください」
彼の頼もしい声だった。
電車が駅に着いた。
降りるために、反対側のドアに向かって、
半分、人に押しつぶされそうになりながら、
彼のヒジを必死に持って歩いた。
やっと、電車を降りることができた。
彼は、僕を降ろすと、
「お気をつけて。」という言葉をホームに残して、
再び電車に乗り込んでいった。
「ありがとうございます。」
僕は、満面の笑みを浮かべて、
頭を下げた。
男同士って、やっぱり最高!
(2013年10月3日)