このホームページへのアクセス数が18万を超えた。
月に一回覗いてくださる人、週に一回覗いてくださる人、
気が向いた時に覗いてくださる人、一回きりの人、
とにかく一日平均250人くらいの人がアクセスしてくださっている。
そして時々、激励のメッセージが届いたりすることもある。
今回も自分では18万という数字には気づかなかったのだけれど、
読者の人から届いたメールで知った。
このホームページを介して、
たくさんの仲間とつながっているような気がしてうれしいと書いてあった。
そんな風に考えられるということが素晴らしいことだと思う。
僕自身も仲間の一人であり続けられるように、
これからも心をこめてメッセージを発信していきたい。
皆様、本当にありがとうございます。
(2014年12月14日)
仲間
気配
阪急大宮駅には特急は停車しない。
だから、桂駅からは普通か準急を利用している。
朝のラッシュウアワー以外の時間帯では、
ホームへの階段を降りたら進行方向右側が特急のホーム、
それ以外は左側となっていると理解している。
僕はいつものようにホームを点字ブロック沿いに左側に歩いた。
しばらくして電車到着のアナウンスが流れた。
ところが、電車は普通電車なのに右側に停車したのだ。
ダイヤ改正でもあったのかもしれない。
僕は慌てて、そして慎重にホームの反対側に移動を始めた。
その方向には点字ブロックはないのだから、
白杖、触覚、聴覚での移動だ。
しかもドアが閉まるまでのわずかな時間、
結局失敗した。
たまたま途中にあったベンチにとおせんぼされてしまったのだ。
発車してしまった電車の音を聞きながらほんのちょっと気分がへこむ。
目が見えればホームに掲示されている電光掲示板で判るだろう。
もし間違っても、気づいた時点で反対側に動けばいい。
普通に歩けば、たった十数歩、何の問題もないだろう。
次の電車までの10分程度を口惜しさの中で過ごした。
ホームに着いて20分くらいが過ぎたことになる。
気分も疲れた。
やがて、次の準急電車が左側に停車した。
僕は乗車するといつものように入口の手すりを握って立った。
その瞬間、僕が立ったすぐ横の座席に座っていた人が、
僕の肩をポンポンと二度たたいて立ち去った。
言葉は一切なかったが、
席を譲ってくださったのは明らかだった。
僕は立ち去る気配に向かって、
「ありがとうございます。助かります。」
感謝を伝えて座席に座った。
気配に性別はない。
年齢もない。
国籍もない。
政治も宗教もない。
あるのは人間のやさしさだけだ。
久しぶりに座れたなとつくづく思いながら、
気配に感謝した。
そして、幸せな気持ちになった。
(2014年12月11日)
枯葉
白杖の先に枯葉を感じた。
歩道の端に重たい塊になってあった。
昨日の雨で重たさを増しているのかもしれない。
何故か立ち止まってしまった。
何の脈絡もないのに、父と歩いた日々を思い出した。
もう一度歩きたいという衝動がおさまるまで、
ただじっと立ちすくんだ。
北風が時を運んで去っていった。
やっとフゥーっと息をはいて、
首をあげて空を眺めた。
冬枯れの空に青があった。
美しいと思った。
今年の忘年会、すべてに欠席を届けた。
今年を忘れたくないのだろう。
やがて枯葉は土に帰る。
きっと、思い出も土に帰る。
(2014年12月7日)
煮切
高田馬場での研修が終わる時間に合わせて、
友人が僕を迎えにきてくれた。
彼は東京在住で、僕が仕事で知り合った女性ライターの旦那さんだ。
特別な利害関係などは何もないのだけれど、
いつしか再会がとても楽しみな付き合いとなった。
今回も、僕が数日東京で過ごしているという情報をキャッチして、
わざわざ時間をつくって夕食に誘ってくれたのだ。
僕と父との別れ、その後のいろいろな対応、そして忙しい東京での予定、
きっと気遣ってのことだろう。
彼はタクシーを停めると、
新宿の高層ビルの上層階にある落ち着いた感じの江戸前寿司のお店に僕を案内した。
そのお店と決めていたらしい。
そして、注文を聞きにきた店員さんにそっと何か耳打ちしていた。
運ばれてきたにぎり寿司、僕の分にはお醤油の小皿はなかった。
「煮切を塗ってもらったからね。」
お寿司を小皿の中のお醤油に適量つけるのが大変と考えた彼は、
お店に煮切を頼んだのだ。
ひとつひとつの上等のネタが、僕の口の中でそれぞれの味わいを主張した。
彼は食事をすませてホテルまで僕を送ると、
僕をロビーに待たせて、コーヒーを買ってきてくれた。
ホットコーヒーを受け取って、
握手をして別れた。
最後まで、彼は僕と父との別れなどには触れなかった。
2年前、彼は母との別れを経験していた。
煮切の塗られたお寿司は、忘れられない味となるだろう。
(2014年12月1日)
カレーライス
「ただいまから、教職員共済生活協同組合、全国労働者共済連合会助成事業、同行援
護全国推進シンポジウムを開催致します。」
僕に届けられた司会原稿はこの挨拶がスタートだった。
京都から東京へ向かう新幹線の中でつぶやいた時は、
3回連続で成功していたのに、
本番では見事にかんでしまった。
記憶力の低さは自他ともに認めているとは言え、
やはりショックだった。
目が見える他のスタッフは、
丸の内のビルの22階の会場からスカイツリーがはっきり見えると喜んでいたが、
僕はそれさえも、何か損をしたような気分だった。
下手ながらになんとか大役を果たし、
東新宿のホテルにチェックインしたのは20時を過ぎていた。
明日からは三日間のガイドヘルパー指導者研修会の講師、
その翌日に都内の大学での講演をすませて帰京の予定だ。
四泊五日ということになる。
初日からへこんでいる訳にもいかない。
夕食だけかきこんで、早めにベッドにはいろうと考えて、
ホテルのレストランでカレーを注文した。
ライスとカレーが別々の容器で運ばれてきた。
僕は運んできた若い男性に、
「カレーをライスにかけてください。」とお願いした。
彼が少しずつカレーをかけている雰囲気が伝わってきた。
「僕はセンスがないので上手にはかけられませんが、おいしく食べてくださるように
心をこめました。どうぞ。」
彼はカレーの入っていた容器だけを持って、照れ笑いを残して戻っていった。
司会が上手にできなくてちょっと落ち込んでいた自分が、
なぜか阿呆らしくなった。
おいしいなと思いながら、黙々と食べた。
忘れられないカレーライスになるなと思った。
僕もセンスがないけど、
心をこめて頑張ろう。
(2014年11月29日)
秋の朝の空気
桂駅のホームで電車を待っていたら、
「松永さん、おはようございます。」
声をかけてくださる女性がいた。
市内の区役所で働いている人だった。
以前、区民対象の講演会で出会い、その時は、講演者とスタッフという関係だった。
一応の挨拶を交わすくらいがやっとだったと思う。
正しく理解してもらうということはこういうことなのだろう。
今日、僕は彼女のサポートで電車に乗り、
椅子に座り、世間話をしながら時間を過ごした。
三連休というのに仕事に向かうという同じ条件は、
なにか妙な親近感さえ覚えた。
目的の駅に着いて、そこで御礼を言って別れた。
「今日はいい一日になりそうです。」
僕は最後に付け加えた。
そしてすがすがしい気持ちで、講演予定の会場へ向かった。
秋の朝の空気をとてもおいしく感じた。
(2014年11月24日)
満足
友人達と東山にある料理屋「阿吽坊」で食事をした。
いつものように身も心も満足してごちそうさまをした。
それから、大将とおかみさん、馴染みのスタッフに見送られて、
玄関からお店の入口に続く飛び石の道を歩き始めた。
突然、おかみさんの僕を呼ぶ声がした。
「今顔に当たったのが萩ですよ。今年の花は早くて、もう終わりかけです。」
おかみさんはただ見送るだけでなく、
空中に飛び出した萩が僕の顔に当たる瞬間までを見ていてくださったのだ。
僕はうれしくなって、立ち止まって萩を触った。
「白いさざんかも咲いています。寒椿の赤い花も・・・。
今年は秋が終わるのが早そうですね。」
おかみさんの言葉が続いた。
静けさと一緒に、秋の夜の落ち着いた風景がそっと僕に寄り添った。
お店の出入り口に着いて、おやすみなさいを言いながら格子戸をを閉めた。
さりげない何気ない一言、
多過ぎることもなく、適度な量と高品質の情報、
僕を豊かな気持ちにしてくれる。
このセンスのおかみさん達がいる料理屋さん、
満足して当たり前だと妙に納得して店をあとにした。
(2014年11月16日)
歩数
9489、
7250、
10827、
この三日間で僕が歩いた歩数だ。
父が入院したのが10月3日だった。
天国へ旅立ったのが11月2日、家族だけでのお葬式が5日、
この約一か月は時間を見つけては病院に向かう日々だった。
移動には友人の車とかタクシーを頻繁に利用した。
歩かない生活が続いた。
携帯電話にセットされている歩数計が3ケタの日も多くあった。
それでもとても疲れていた。
どうしようもない現実と向かい合いながら、
心身ともにすり減っていっていたのだろう。
5千歩から1万歩くらいが僕の日常の歩数だ。
この三日間の歩数は、少しずつ日常を取り戻していっているということなのだろう。
この三日間の歩みの中で、
何人もの人と触れ合った。
横断歩道で信号を待つ間に、
微かな冬の匂いにも気づいた。
生きている僕は、生きていることに感謝しながら、
また生きていくんだな。
そう思ったら、冬の始まりの空を眺めたくなった。
(2014年11月13日)
立冬
この一か月は空を眺める余裕もなく、落ち葉に思いを寄せることもできなかった。
記憶ができないほどの混乱した時間が過ぎていった。
父が入院してからの一か月、
たまには病院に泊まりながら、
いくつかの仕事もキャンセルしながら、
僕はただただ祈りながら日々を過ごした。
ベッドの父に、数えきれないくらい幾度も、
「とうちゃん」と話しかけた。
数えきれないくらい幾度も、
とうちゃんの手をにぎった。
93歳のとうちゃんの前で、
57歳の僕は情けない少年だった。
泣きべそをかきながら、何度も立ちすくんだ。
願いは届かなかった。
その瞬間、本当に僕の身体と心は凍りついた。
頭では判っていても、判る自分を許せなかった。
見えないことが、見なくていいことが、
少し救われているような気さえした。
こんなことでは、またとうちゃんに叱られる。
だからきっと、それなりに超えて生きていくだろう。
平穏を取り戻すだろう。
この前までとうちゃんと歩いた道を、今日一人で歩いた。
北風が吹き抜けていった。
今日は立冬らしい。
(2014年11月7日)
街路樹
白杖を左右に振りながら、
バス停に向かって歩く。
最寄りのバス停には点字ブロックが敷設されているので、
見えない僕にはそれが目印となる。
耳は前方から来るかもしれない自転車の音に注意しながら、
足の裏では点字ブロックを探しながら、
それなりの集中力を使っているのだと思う。
バス停にたどり着いたらちょっとほっとする。
「おはようございます。」
ほっとしている僕を気持ちのいい挨拶が迎えてくれた。
「おはようございます。」
僕は持ち主が誰かも判らない声に向かって返した。
彼女の説明では、このバス停で出会うのがもう幾度目からしい。
声だけではなかなか記憶できないことを詫びながら、
街路樹の様子を尋ねてみた。
「丁度、それを説明しようかと思ったんです。」
彼女は微笑んだ。
僕達は家族でも幼馴染でもない、いわゆる他人同士だ。
秋の始まりの中に笑顔の僕達がいた。
人間同士の絆の薄さやはかなさを、
社会は時々切り取って伝えようとする。
でもね、豊かなんですよ、人間の社会。
街路樹の秋色の移ろいを、見知らぬ人同士で味わえるんですからね。
(2014年11月2日)