不思議な言葉

紅葉の季節が過ぎ去り、
土曜日の朝の駅は、
また日常を取り戻していた。
ラッシュでもないけれど、それなりの込み具合を感じた。
僕は、到着した電車に集中力を高めながら乗車しようとした。
電車に足をかけたその時、
誰かが僕をつかんだ。
乗車に問題はなかったけれど、
いいタイミングだったので、
「手すりを持たせてください。」と頼んだ。
彼は、すぐ近くのベンチシートの一番端が空いていることを教えてくれた。
僕は座った。
その時、僕はもうすでに、彼の気配を見失っていた。
きちんとお礼を言いたいと思うのだけれど、
見えないってそんなこと、
相手がどこにいるかを特定するのは難しい。
僕は仕方なく、心の中で、ありがとうをつぶやいた。
電車が烏丸駅に到着して、ホームを歩き始めた時、
さきほどの男性の声がした。
僕は、肘を持たせてくださいと頼んだ。
一緒に歩き始めると、
「さっきは、つかんでしまってすみません。
やり方が判らなかったものですから。」
誠実そうな声だった。
「大丈夫ですよ。
貴方のお陰で、座席にも座れました。
師走の朝に座れるなんて、ちょっと幸せです。
ありがとうございました。」
僕は感謝を伝えた。
今度は声に出して伝えた。
しっかりと伝えたことで、
僕自身もあたたかな気持ちになった。
ありがとうって、いい言葉だな。
言われるのは勿論だけど、
口に出した方までが幸せになれる、
不思議な言葉です。
(2013年12月8日)

夢が覚めて

昨日の中学校で、
「松永さんは、夢は見るのですか?」
という質問が出たせいでもないだろうけど、
久しぶりに夢を見た。
故郷の鹿児島県阿久根市。
国道3号線を南に下ると、
阿久根駅の500メートルほど手前で、
右側の眼下に、海の風景が広がる。
まるで一枚の絵葉書のように脳裏に刻まれている。
季節はわからない。
穏やかで、やさしさに満ちた景色だ。
夢は、ズーミングして、
海に近づいた。
波間でキラキラ輝く光までも映し出してくれた。
波音までが聞こえたし、
潮風の香りもあったかもしれない。
目が覚めて、夢は終わる。
昨日の中学校で、
夢が終わり、見えない現実と向かい合うのはちょっと寂しいと発言してしまった
けれど、それが間違いだと気づいた。
朝の布団の中で、
僕は余韻を楽しんだ。
満ち足りた気持ちの朝が始まった。
記憶しているということ、
思い出せるということ、
それ自体が幸せなのだ。
(2013年12月6日)

冬がくる

バス停で待っている僕の目の前を、
赤組の選手が走っていった。
カサカサ、コロコロ、走っていった。
黄組の選手が追いかけた。
こげ茶組の選手は、途中でダンスを始めた。
僕はなんとなく、深呼吸をした。
応援団もガサガサ盛り上がった。
北風が、秋の背中を押していた。
加速度的に押していた。
ふっと、空を見上げた。
今年も、大好きな冬がくるんだな。
コートのポケットに手を突っ込んで、
なぜかうれしくなった。
(2013年11月29日)

みかん色の思い出

「おはようございます、小林です。
お手伝いしましょうか?」
バスを降りた僕に声がかかった。
「お願いします。」
僕は彼女のひじを掴んで歩き出した。
「どちらの小林さんですか?」
いくつかの会話のやりとりで、
記憶の断片が少しつながった。
画像のない記憶なのだから仕方がない。
そして、また一晩眠れば、
記憶喪失になるだろう。
でも、こうして会話を交わし、一緒に歩く。
人間同士っていいよなぁ。
朝からいい日だなぁ。
記憶をつなぎながら歩いていたら、
先日、講演会場で出会った女性が、
彼女の同級生だと教えてもらった。
瞬間、みかん色のみかんが蘇った。
香りまで思い出した。
その時、その同級生にお土産にいただいたみかんの香りが、
移動中の車内に広がって、感激したのだった。
僕は、香りと一緒に、やさしさを頬張った。
みかん色が記憶に残りやすいということではありません。
おいしい食べ物が記憶を助けるということでもありません。
たまたまです、たまたま。
(2013年11月28日)

バリアフリー映画

聴覚障害者のために字幕が入り、
視覚障害者のために、状況説明が副音声として流れる。
見えなくなって、映画をあきらめていた僕に、
再び、映画を見る楽しみがもどった。
バリアフリー映画、最近は毎月のようにどこかで上映されていて、
僕も時間が合えばいきたいと思っているのだが、
なかなかタイミングが合わない。
年に数本がやっとだ。
バリアフリー映画で味をしめた僕は、
普通の映画にも足を運ぶことも出てきた。
映画って、やっぱりいい。
今日のボランティア講座での雑談の中で、
バリアフリー映画の話題になった。
副音声を聞きながら、
画面を想像すると知った彼女は、
「自由に想像できるからいいですね。」と笑った。
彼女は、インドから留学してきている高校生だ。
そんな風に思えるのは、
彼女の大陸的な感じ方なのか、
高校生という柔らかな年頃のせいなのか、
僕には判らない。
でも、そんなことを会話できることが、
本来のバリアフリーなのだろう。
いろいろな国のいろいろな民族と、
いろいろな世代の人と、
コミュニケーションがとれれば、
人生は、きっと楽しくなる。
見えない人とも、聞こえない人とも、
コミュニケーションがとれれば、
人生は、きっと豊かになる。
そして、地球はやさしくなる。
(2013年11月23日)

柿をかじる。
口の中で、柿の味が広がる。
味覚が、眠っていた視覚を刺激する。
柿色が口の中まで広がる。
豊かな色合いだ。
何とも言えない秋の色だ。
いつの間にか夏が終わり、
冬が忍び寄る。
一番いい季節は、
知らぬ間に、枯葉と一緒に消えていくのかな。
人生みたい。
もう一口、柿をかじる。
うまい。
(2013年11月22日)

明日は晴れ

電車から降りて階段を上り、
点字ブロックを探した。
慣れている駅なので、問題はない。
点字ブロックの曲がり角を探して、
その延長線上に突き当たれば、
多目的トイレがある。
でも、少しそれれば、迷子状態になるのだ。
ほんの少しのタイミング、わずか数十センチの判断ミスなのだろうが、
見えないって、そんなものだ。
今日も失敗して、トイレを探してウロウロ動き始めた時、
「何かお探しですか?」
女性の声がした。
彼女は、すぐに、トイレの入り口を教えてくださった。
感謝を伝えながら、ありがとうカードを差し出すと、
「小学生の息子から、話を聞きました。」
彼女は、カードを受け取りながら、うれしそうに答えた。
「息子さんに、ありがとうをお伝えください。」
僕も笑った。
僕の話を聞いてくれた子供達が、
家族に伝えてくれることがよくあるらしい。
僕の思いをしっかりと受け止めて、
風になってくれているのだ。
子供達が、子供達なりに、
見える人も見えない人も、一緒に生きていける社会を思うのだろう。
そして、思いは、力となる。
たった10歳くらいの子供達が、こうして、大人達を動かしているのだ。
凄いなと思いながら、感謝する。
思いは、優しさにも変化する。
今日僕に届いた50通近くのメール、
1通は、小学校5年生の女の子からのものだった。
「今夜は、星がいっぱいできれいです。」
たったそれだけの言葉が、
疲れたオッサンに、笑顔で寄り添う。
心にしみこんでくる。
明日は晴れだな。
(2013年11月19日)

ロクシタンの香水

男性の香水には、少し抵抗があった。
若い頃から、整髪量も使わなかった。
その僕に、香水のプレゼントが届いた。
驚いたことに、
フランス製の香水のボトルの入った箱に、
点字があった。
何となくうれしくて、たまにつけている。
柑橘系のさわやかな香りだ。
ちょっとオシャレだなと、
自分では気にいっていた。
視覚障害者の後輩の男性に、
「松永さん、香水つけてます?」
僕は、ニヤリとしながら、
「結構いい香りだと思うやろ。
フランスのロクシタンっていう香水!」
自慢気に説明した。
後輩がすかさず答えた。
「加齢臭にばっちりですね。
視覚障害者は臭いに敏感ですからね。」
臭いのためじゃなく、香りのつもりだったんだけど。
いろんな感じ方があるんですね、本当にもう!
(2013年11月16日)

先輩

先輩はぼそぼそ話す。
ベーチェット病と戦いながら、
どんどん失われていった視力に不安を感じながら、
何とか定年まで仕事を続けられた。
彼が視覚障害者の団体に入ったのは僕より後で、
団体の中では僕の方が先輩になる。
人生では、彼が先輩だ。
いつも変わらない前向きさと、
誠実な人当たりが魅力だ。
その誠実さが支持されて、いろいろな役員もしておられる。
地域活動も活発で、地元の小学校の子供達に、
視覚障害を正しく理解してもらうための寸劇などにも取り組んでおられるそうだ。
その彼が、小学校に行く時に、
僕の著書「風になってください」を持参し、
学校に寄付しておられる。
毎回、そうしておられる。
実は、こういうことをしてくださっている仲間が何人かおられる。
皆さんがおっしゃるのは、書かれている内容が同じということだ。
同じ経験をしたとか、同じ思いだとか。
僕はその言葉を聞くたびに、心から光栄だと感じる。
活字を使った僕のささやかなメッセージが、
仲間の思いの一部でも伝えることができるとしたら、
それは素晴らしいことだ。
僕は、彼に頼まれた本に、感謝をこめてサインする。
きっと、読んでくれる子供達がいるだろう。
それは、必ず、未来につながる。
僕は、未来につながると口に出す。
先輩はぼそぼそ話すだけで、
そんなことは口には出さない。
でも、出さないから、彼は知っている。
そして、そんな関わり方があることも教えてくれる。
人生の先輩は、やっぱり先輩なのだ。
(2013年11月12日)

見かけ

バス停から桂駅へつながる陸橋で、
老朽化の補修工事が始まった。
点字ブロックも新しく敷設されるとのことで喜んでいる。
でも、工事中は大変だ。
いつもと違う道筋というだけで、エネルギーが要る。
今日も、朝のラッシュ時に通過することになってしまった。
案の定、迷子状態になった。
ウロウロしはじめた僕に、バスを待っていた女性が声をかけてくださった。
そして、陸橋を回避して、エスカレーターまで手引きしてくださった。
彼女のお陰で、無事通過できた。
エスカレーターに乗った僕の背中に、
「お気をつけて。」
朝が似合う彼女の声が届いた。
ギューギュー詰めの電車が河原町駅に着いた。
ホームを歩き始めた僕に、
今度は学生っぽい男性の声がした。
「改札口までご一緒しましょうか?」
僕はすかさず、彼のヒジをつかんだ。
慣れないけれどと言いながら、彼は上手に手引きしてくれた。
階段を上りながら、
「面白い腕時計ですね。」
彼がつぶやいた。
電車の中で、僕が触針の腕時計を触っているのを見ていたとのことだった。
「面白いでしょう。」
僕も笑った。
改札口を出て、通行人の邪魔にならない場所に彼が誘導してくれた。
「ありがとうございました。」
お礼を言う僕に、
彼は「また。」と言ってくれた。
それから僕は、待ち合わせていた友人と小学校の福祉授業に向かった。
10歳の子供達と過ごす時間は、
僕にとっても極上のひとときだ。
「人間の世界にはね、やさしい人がいっぱいいるんだよ。
そういう人達にお手伝いしてもらいながら、僕は毎日生活しているんだ。
数え切れない人が手伝ってくれたけど、僕は誰の顔も知らないんだからね。
不思議だよね。」
未来への種蒔きを終えて、帰路に着いた。
四条河原町の交差点にさしかかったところで、
人波の中から、突然少年に呼び止められた。
「松永さん、小学校の時に話を聞きました。」
彼は17歳になっていた。
特別な用事ではなくて、ただ自然に話しかけたという感じだった。
「頑張ってください。」
彼は気恥ずかしそうに、でもしっかりと僕に話した。
雑踏の音に負けないように、しっかりと話した。
僕は手を差し出した。
握手した彼の手には指輪があった。
彼と別れてから、
僕に同行した友人が驚いたようにつぶやいた。
「人って見かけによりませんね。」
繁華街でたむろしていた少年は、
大人達が眉をひそめるような、いわゆる、不良っぽい格好だったとのことだった。
「見かけは、僕には判らないからね。皆いい人だよね。」
僕は笑った。
(2013年11月8日)