横断歩道

横断歩道の点字ブロックを足裏で確認する。
誘導ブロックの直線に足を合わせることで、
進行方向を確定するのだ。
そして、音響信号が鳴り始めたら、
向こう側に歩き出す。
まっすぐに歩くことを心がけるのだが、
実は、見えないでまっすぐなんて、
神業みたいなものだ。
白杖を左右同じように振りながら、
周囲の音を確認しながら、
自分を信じて進む。
長い距離の横断歩道だと、だいたい8割くらいの成功率だ。
2割は、途中で曲がってしまって、たどり着いたらガードレールだったりする。
その時慌てずに、それに対応する方法を身につけておくのが大切だ。
僕の場合は、だいたい右に曲がるので、到着地点がガードレールだったら、
そのガードレールを白杖で探りながら、
左に動けば、到着予定地点に着くということになる。
今朝は、ほとんどまっすぐに行けていたはずだったが、
途中から突然聞こえ始めた道路工事の音で、
不安のスイッチが入ってしまった。
結局、だいぶ右に曲がっていたようだ。
一度狂うと、なかなか修正できなかったりする。
横断歩道からバス停までの、
わずか100メートルくらいの歩道を、
右に行ったり、左に行ったりしながら、
バス停にたどり着けない結果になった。
解決できなくて立ちすくんだ。
頭では判っているのに、納得できない悔しさがこみあげた。
しばらくして、通行人が助けてくださった。
誰かはわからなかったけれど、
名前を読んでくださったので、
僕を知っておられる方だったようだ。
バス停の点字ブロックの上に僕を乗せると、
「行ってらっしゃい。」
僕の耳元で、小声でささやいて立ち去られた。
彼女の言葉が、身体にしみこんだ。
「行ってきます。」
僕も心の中でつぶやいた。
(2013年4月19日)

花水木

花水木の白やピンクの花の風景を、
ここ数日で何人もの人が届けてくださった。
一緒に歩きながら、
同乗させていただいた車の車窓を見ながら、
あるいはメールで。
実は、僕は、花水木の花を知らない。
もっと、目が見えた頃に、
たくさんの花や木のの名前を憶えておけばよかったと、
今頃後悔はしているのだが、
後の祭りだ。
それは、草花や木だけでなく、
小鳥の名前や、トンボやセミなどの昆虫の種類まで、
すべてに言えることだ。
もっと、いろいろ憶えておけばよかった。
記憶にあるものは、思い出すことができる。
先天盲で見た記憶のないともだちは、
あらゆる画像が、この状態なのだろう。
それは、大変なことなのかもしれない。
でも、人間同士のまじわりは、それを超える力を持っているのも事実だ。
見た経験のない人が、
豊かな感性で生きておられることに気づいて、
心が震えたことは幾度もある。
実際、見えなくても、思い出せなくても、
4月の花水木は、
僕の中では、やさしい春物語のひとつになった。
(2013年4月18日)

春風

休日の朝10時、僕達はライトハウスの中の小さな会議室に集まった。
京都府視覚障害者協会の部会だ。
たった5人の部会、15時半までの予定だ。
15時半というのは、
僕が次の会議へ向かうためのギリギリの時間。
時間いっぱい、僕達の現実と向かい合い、仲間の暮らしに思いを寄せ、
未来の社会を語り合った。
昼食は、近くの定食屋さんに行くことになった。
白杖をつきながら、
僕達は点字ブロックを頼りに歩いた。
信号を待つ数分間、
誰かがつぶやいた。
「春風。」
冷たくもなく、熱くもない、
ほどよい暖かさの風が、
気ままに吹いていた。
僕達を包んだ。
そして、誰が指示するでもなく、
僕達の目玉は、空に向かった。
ほとんど見えない目も、全然見えない目も、
空に向かった。
きっと人間は、空が好きなのだろう。
いや、未来は青空の向こう側にあるのかな。
(2013年4月14日)

さくらまつり

僕の地元では、今年も4月の第一土曜日、
恒例のさくらまつりが開催された。
そこでは毎年、地域のボランティアさん達と一緒に、
手引き体験コーナーや、点字体験コーナーを開催している。
僕も、都合がつく限りは参加している。
今年は、雨の中の開催になった。
戸外なので、さすがに参加者は少なかったけれど、
それでも、体験をしてくださる人達がいた。
待ち時間に、先天盲の友人が、お花見の思い出を話してくれた。
悲しいお花見の思い出だった。
もう50年以上前、彼女は兄弟達と一緒に、母親に連れられてお花見に行った。
桜の木の下で、お弁当を食べたりした。
用事で母親が席をはずした時、
周囲の大人達が話し出した。
見えない子供をどうして連れてくるのだろう。
見えなかったら、意味がないのに。
手がかかって大変だなぁ。
一言一言が、彼女に覆いかぶさった。
彼女は、その思い出話の後、昨日の外出のことを話した。
何人もの人が、「気をつけてね。」と言葉をかけてくださったのだそうだ。
「どこの誰かも知らない人達がよ。」
彼女は付け加えた。
そして、いい時代になったと、うれしそうにため息をついた。
僕は、失明してまだ16年、それまでのことはほとんど知らない。
ただ、先輩達の話を聞く度に、
社会が、確実に、成長していることを知る。
それを、成熟と言うのだろう。
本当に成熟した社会は、きっとすべての立場の人にやさしいに違いない。
そこまでは、まだまだだ。
雨降りだから休もうかと思った自分を、
ちょっと恥ずかしく感じた。
参加して良かった。
いろんな人が、それぞれの笑顔で集まれば、
きっとそれは、桜と同じくらいの美しさになる。
(2013年4月6日)

後輩

いつものように電車に乗り込んで、
出入り口の手すりを握った。
電車はだいたい込んでいるし、
空いている席を見つけることはできないので、
元々、座ることをあきらめている。
座りたいのだけど、あきらめている。
優先座席がどこかにあるらしいが、
見えない僕には、それを探すことさえ大変だ。
かと言って、手がかりのない場所で立っているのは大変なので、
出入り口の手すりということになるのだ。
それが、今日は乗車してすぐに、誰かが僕をそっとノックして、
「席空いてるけど、座りますか?」
もちろん僕は、喜んで座った。
座席はいくつか空いていたらしく、
僕に声をかけてくれた女性も、
僕の横に座った。
僕はお礼を言った。
時間帯もお昼過ぎだし、声が若かったので、学生さんですかと尋ねたら、
僕の母校の仏教大学の後輩だった。
しかも、社会福祉学部というところまで同じだった。
彼女が向かう仏教大学は、僕の目的地のライトハウスの次のバス停になる。
今日彼女と出会えて良かったこと。
まず、電車で座れたこと、
駅のホームを、怖いと思わず歩けたこと、
四条大宮の交差点の横断歩道を、
向こうまでちゃんと渡れたこと、
バスの行き先案内の放送を、耳を凝らして聴かずにすんだこと、
バスで座れたこと、
楽しい時間を過ごせたこと、
予定よりも15分も早く到着できたこと、
わざわざ、僕を手伝おうと、
ひとつ手前のバス停なのに一緒に降りてくれた、
やさしい心に出会えたこと、
素敵な笑顔にさよなら言えたこと、
そして、その結果、僕の心も春色に染まったこと。
ありがとう、後輩!
(2013年4月2日)

年度始め

アメリカ在住で一時帰国している日本人の友人と、
河原町駅で待ち合わせた。
春休みでもあるし、桜もいい感じらしいので、
観光やお花見目的の人達で、
ホームはごった返していた。
僕は、人の動きが落ち着いてから動こうと思って、
点字ブロックの上で待機した。
僕にぶつかりながら、白杖を無意識に蹴飛ばしながら、
たくさんの人が、僕を追い越していった。
僕はただ、いつもながら、凄い数の人だなと思って、人の流れが落ち着くのを待った。
ふと、僕にそっと触れ、英語で話しかける男性の声がした。
英語の判らない僕は、進行方向を指で指した。
彼は、僕の手に手を触れて、
肘を持たせてくれた。
何か話してくれたのだが、
プリーズ以外の単語は判らなかった。
階段を上る時も、通じたのは、お互いに交換したオーケーの単語だけだった。
それでも、何の問題もなく改札口に着いた。
先に着いて待っていてくれた友人に、
お礼を伝えてとお願いした。
勿論、友人は英語でペラペラとお礼を伝え、彼も答えていた。
それから、僕と友人は、加茂川へ向かって歩き始めた。
「さっきの外国人は、どんな人?」僕は尋ねた。
40歳代の黒人の旅行者だった。
あの混雑の中で、白杖の僕に気づいてサポートの声をかけてくれるのは、
彼が特別な考え方や意思を持っている人なのか、
彼が育った国が、豊かな国なのか、
僕にはどちらかは判らない。
でも、日本語が話せても、話せなくても、
僕達にサポートの声をかけてくれる外国人の割合が多いのは事実だ。
僕の愛している日本、もっともっと世界に誇れる素敵な国になって欲しい。
友人と加茂川の川べりに腰掛けて、桜を見ながら、加茂の流れを聞きながら、
穏やかな時間を過ごした。
日本では、今日が年度始め、
豊かな国の豊かな一人になれるように、
僕も頑張ろうと、静かに思った。
(2013年4月1日)

未来の女医さん

春の桜、秋の紅葉、京都にはたくさんの観光客が訪れる。
駅も人でごった返す。
今朝の桂駅でもそれは始まっていた。
春休み、金曜日、あちこちの桜が五部咲き、七部咲き。
仕方ない。
僕は、いつもより集中力を高めて、ホームで電車を待っていた。
ふと、少女の声がした。
「松永さんですね。」
少女は、一昨年、学校で僕の話を聞いてくれていて、
憶えていてくれたのだ。
しっかりと自己紹介をして、サポートを申し出てくれた。
僕達は、偶然、行き先の駅も同じだった。
僕は、少女のサポートを受けることにした。
ラッシュアワーのような混雑した電車に、
少女は上手に僕を誘導した。
電車に乗り込むと、僕の手をとって、手すりを触らせてくれた。
それはとても自然で、まるで、訓練を受けたガイドさんのようだった。
電車の中での短い会話で、
少女がお医者さんを目指していることが判った。
少女のやさしさと、冷静な判断力は、
とても似合っている職業だなと思った。
11歳の、背丈もまだ僕の胸くらいまでしかない少女が、
僕にはとても頼もしく感じられた。
電車が駅に到着すると、
少女は、エスカレーターを僕に説明し、乗り方までも確認した。
見事なサポートだった。
改札口に着いて、ありがとうを伝えると、
少女が微笑んだ。
はにかんだ未来の女医さんの笑顔は、桜色に染まっているような気がした。
(2013年3月29日)

夜桜

連日、朝から夜までの外出が続いている。
ほとんどが、講習会の講師と会議だ。
どれかを削ればとも思うのだが、
どれも大切な内容だ。
結局、午前、午後、夜と、いくつかの会場をはしごしたりする。
年度末でもあるから、仕方がない。
昨夜も、最後の会議を終わって会場を出たのは、
21時頃だった。
一緒に会議に出席した人が、
通り沿いの民家の庭先の桜が満開だと足を止めた。
彼の声は、僕に伝えながら、桜の木に向かった。
僕もつられて、首をあげた。
しばらく、無言で桜を眺めた。
桜が、僕を見つめてくれた。
なんとなく、ほっとした気持ちになった。
なんとなく、笑顔になった。
(2013年3月27日)

握手

年に数回の集い、
彼女とはそこで会う。
そして、いつも5分間くらい、
それぞれの思いを語る。
自由に語る。
それぞれの立場や役職を背負って会うのだが、
いつの間にか、同じ未来を見つめるともだちという感覚になった。
語るということ、言葉の力だろう。
その彼女が異動になるらしい。
僕は、ちょっと寂しいなと思いながら、
右手を差し出した。
「いつも、ありがとうございました。」
感謝を伝えた。
彼女は、僕と握手し、
そして、左手で握手している僕の右手をそっと包んだ。
無意識の行動だ。
そして、それがすべてを伝えていた。
彼女のぬくもりが、手から伝わってきた。
出会えて良かったなと、心から思えた。
見えなくなってから、
心を通わす人達とは、よく握手するようになった。
表情が見えないから、別の感覚で確認しようとしているのかもしれない。
そして、ただ握手するだけでなく、
相手の手を強く握ったり、
何かを伝えようとする。
時には、僕自身も、相手の手を両手で包むようにしていることがあるらしい。
無意識だ。
僕がそうしていることを教えてくれたのは、
男友達だから、性別に関係はないようだ。
門出の季節、皆さんもどこかでどうぞ。
(2013年3月22日)

点字講習会

京都市の中途失明者点字講習会の卒業式に参加した。
寒い季節の講習会は、たった3人の参加だった。
40歳で失明した僕自身も、
それから点字を学んだので、
それがどんなに大変なことかも判っているし、
実際、点字を読むスピードも遅い。
点字を読めるようになるには、
失明と向かい合い、受け止め、学ぼうとする気持ちと根気が大切だ。
そして、それをサポートする講師と教えてくれる場所も必要になってくる。
幸い、僕の暮らす京都市にはそれが整っているが、
日本全体で考えると、
学ぶチャンスさえない中途失明者の方が多いのだろう。
日本全体で、機会が保障されるようになってと願う。
修了証書に書かれた点字の文章を、
僕は、左手の人差し指でたどたどしく読んだ。
心を込めて読んだ。
終了後、一人の卒業生が感想を述べられた。
「もう少し読めるようになったら、小学校などで子供達に伝えるのが、僕の夢で
す。」
70歳を超えてほとんど見えなくなった彼は、
堂々と夢を語った。
とても素敵だった。
学ぶという気持ちは、夢や希望を生み出すのだろう。
どんな状態でも、どんな時でも、やっぱり大切なことなのだ。
(2013年3月22日)