いかなごの釘煮

「あのう、いかなごの釘煮、食べはりますか?」
別件の用事の電話の後、
彼女はそっとささやいた。
いかなごの釘煮は、阪神地域の郷土料理で、春を知らせるものだ。
瞬時に、彼女が、僕に春をプレゼントしようとしてくださっているのがわかった。
「ありがとうございます。」
僕は素直に返事して電話を切った。
早速、頂いたいかなごの釘煮でごはんを食べた。
わざと、他のおかずはなしで、
ただ、炊き立ての白いごはんといかなごを食べた。
おかわりをして食べた。
春の柔らかさと、彼女のやさしさが、
しみじみと、口中に広がり、身体中に拡散した。
彼女は、僕より年上で、人生の先輩だ。
ただ、失明は、僕が先輩になる。
経営者として頑張っていた彼女に、
失明の不安が訪れた頃、
僕は彼女に出会った。
僕がそうだったように、
失明ということでは、少し前を歩いている僕と出会うことで、
彼女はほんの少し、ほっとしたらしい。
それから、10年近くの歳月が流れ、
確かに、彼女の目は、だいぶ悪くなった。
でも、例えば点字を読むことも、
彼女は僕よりも上手になった。
しっかりと前を向いて、経営者としてバリバリ頑張っていた頃と、
何も変わらない生き方をしておられる。
大阪と京都を行き来しながら、
仲間や後輩達のために、心血を注いで活動しておられる。
その姿勢には、自然に頭が下がる。
今度は、彼女に出会ってほっとする人がいるに違いない。
「ごちそうさまでした。」
僕は合掌して、声を出した。
(2013年3月9日)

心も春!

地下鉄四条駅。
階段の終わりまでもう少しというところで、
ホームに入ってくる電車の音が聞こえ、
僕の乗る予定の電車であることもアナウンスで確認できた。
僕がホームに着いた時には、
既にドアが開く音がして、
お客さんの乗降が始まっていた。
ここで急ぐのは、僕達には危険、
僕は、乗車をあきらめて、動きを止めた。
その瞬間、
「国際会館方面?」とマスク越しのおじいさんの声がした。
僕が返事をすると同時に、
おじいさんは僕の手を自分の肘に誘導して、
急いで動き始めた。
無事電車に乗ると、おじいさんは僕の手をとって手すりをつかませてくださった。
それから、すぐに離れられたので、
僕は御礼を言うことはできなかった。
つまり、見失ったのだ。
電車が次の駅に着き、僕は予定通り下車した。
ホームの点字ブロックの上に立ち、
僕は後ろを振り返ってきおつけをして、
深く頭を下げた。
おじいさんがいなければ、僕は一本後の電車になって、
予定の会議に遅刻していただろう。
おじいさんがこちらを見てくださっているかは判らないけれど、
自然にそういう動きになった。
それから、東西線に乗り換えるために、
エレベーターに向かった。
エレベーターに乗って、
行き先ボタンを探そうとしたら、
「東西線ホーム?」、
今度はおばあさんの声だった。
はいと返事をする僕に、
「今日はあたたかいね。」
おばあさんは挨拶をくださった。
「春ですね。」
僕は返した。
たった数秒、僕達はエレベーターの中で微笑んだ。
ホームに着いて、行き先を尋ねてくださった。
同じ方向だった。
おばあさんは、僕を手引きして電車に乗り、
空いてる席に座らせてくださった。
僕は、そっと、ありがとうカードを渡した。
ありがとうカードの表面には、
声をかけてサポートしてくださった人への感謝の言葉が印刷してある。
裏面には、ホームページの案内もある。
「ホームページがあるの?今度見てみるわね。」
僕はつい、「えっ!」と言ってしまった。
おばあさんは小声で、
「73歳」と打ち明けて笑った。
そして、「このカード、心があたたまるね。」
電車が市役所前駅に着いた。
おばあさんは、ドアまで誘導して、
僕を見送ってくださった。
僕は、手を口元につけて、
「心も春!」と叫んだ。
おばあさんの笑う声が聞こえた。
ドアが閉まった。
昨日、さわやかな若者の声を書いたけど、
そのせいかなぁ。
今日は、素敵なおじいさん、おばあさんの声でした。
やさしさに、年齢はないってことですね。
(2013年3月8日)

僕が見えなくなった頃、
見える人、見えない人、見えにくい人、
たくさんの人からエールをいただきました。
その中に、先天盲の彼女もいました。
彼女のさりげないやさしさに、
僕はいやされました。
四季の花を育てるのが趣味の彼女は、
生き生きと暮らしておられました。
その彼女が、
新刊「風になってください2」を読んで、
メールをくださいました。
人間の強さ、弱さ、美しさ、
僕は、やっぱり、彼女に会えて良かったと思いました。
そして、ささやかだけど、
こうして発信しながら、
未来に向かわなければと、
強く思いました。

先天盲の先輩から届いたメール

「風になってください2」の点字版を
いっきに読ませていただきました。
だれにでも理解できるやさしいことばでつづられていて
納得しながらいっきによみました。
読みすすむにつれて   みたい、見たい、その思いがつのる いっぽうでした。
見た記憶さえないわたし、画像を思い描くことさえできない ひんじゃくな感性
しかもちあわせない、 言葉をとおしてしかものごとを判断できない80パーセン
トではすまないげんじつ。
でも もう 明日にはそれも忘れてこれがあたりまえのじぶんとしているでしょう。
一人でも多くのかたがたにこの本の重いがとどきますように。
ますますのご活躍を祈ります。

松永からの返信メール

いつもありがとうございます。
もし、僕に魔法がつかえるなら、
あなたにいっぱいのものを見せてあげたいです。
本当に、見せてあげたいです。
でも、それとは無関係に、
あなたの感性の豊かさは、
僕が知っていて、素敵だなと思う見える人達と、
何も変わりません。
そして、そのあなたの人間としての品位が、
見えなくなって間もない頃の僕に、
勇気をくれました。
今更ながら、感謝します。
そして、本を読んでくださって、
メッセージをくださって、
心から感謝致します。

(2013年3月7日)

さわやかな声

打ち合わせなどが遅い時間までなったので、
友人が四条烏丸まで車で送ってくれた。
「いつもの場所」という説明を聞いて、
僕は四条通り西南側をイメージしながら車を降りた。
バス停の前あたりのはずだ。
ところが、何か雰囲気が違った。
バス待ちの人もいないみたいだし、
何より、盲導鈴の音がしない。
駅や公共施設、いろんな場所で、キンコーンと鳴っている音、
あれは、僕達に入り口を教えている音で、
盲導鈴(もうどうれい)という。
しばらく考えて、車が烏丸通り北東側に停車したことに気づいた。
確かに、そこで下車したことも幾度もある。
友人は、僕が車を降りる直前、
和服の女性が何か配っていることを教えてくれていた。
料理屋さんのチラシかなと話していた。
その和服の彼女がいるに違いないと思った僕は、
「阪急電車につながる階段を教えてください。」と声を出した。
近くで返事がして、
着物の袖が手に触れた。
彼女に捕まって、歩き出そうとした瞬間、
「阪急だったら、一緒にいきましょう。」
若い二人連れの女性の声だった。
「お願いします。」
彼女達の手引きで、僕は何の問題もなく駅まで行き、
同じ経路の一人と一緒に電車に乗った。
大阪まで帰る途中の女子大生だった。
僕達は、普通に、とりとめもない話をした。
途中の駅で、ドアが開く時など、彼女はそっとそれを僕に伝えた。
僕は、お礼を言って、桂駅で下車した。
「お気をつけて。」
さわやかな声が、背中でささやいた。
昨日は、午前中の小学校での授業を終えて、
年に数回しか使わない九条駅で迷子になった。
階段を見失ってウロウロし始めた僕に、
「手伝いましょうか?」
若い男性の声だった。
彼は、僕の目的の駅の二つ手前の駅へ向かう途中だった。
彼の手引きで、階段を降り、ホームに着いた。
電車が到着するまでの数分間、
僕達は、とりとめもない話をした。
電車に乗ると、
彼は空いている席に僕を座らせて、
自分が降りる予定の駅まで僕の前で立ったまま過ごした。
ここにも、さりげないやさしさがあった。
「お先に失礼します。お気をつけて。」
彼の声もさわやかだった。
迷子になって、なかなかサポーターを見つけられない日もある。
でも、ほとんどの日、こうしてやさしい人達が助けてくれる。
その度に、僕は幸せになる。
たくさんのやさしさに出会える人生、自然に豊かになっていく。
僕は、見えている頃、見えない人のサポートなんてできなかった。
後悔している。
さわやかな若者達の声、素敵だなと思う。
(2013年3月7日)

手を振った

深夜の駅前の歩道橋、
僕はタクシー乗り場に急いでいた。
ふと、僕の右ななめ後ろに、人の気配を感じた。
気配は、僕に寄り添うように、僕に歩調を合わせた。
歩道橋の突き当たりの階段にさしかかろうとした時、
「階段です。気をつけてください。」
僕は、微笑みながら、
「ありがとうございます。」と返した。
「松永さんですよね。小学校の時に話を聞きました。」
彼は、21歳になっていた。
彼は、僕の記憶を呼び覚まそうと、学校名と担任の先生の名前を告げた。
「本屋さんで、松永さんのポスターに気づいて、新しい本を買って読みました。
まさか会えるとは思っていなかったので、変なタイミングの声かけになってすみ
ませんでした。」
彼は、小学校で出会ったあの日から、点字ブロックの上に自転車を停めていない
ことと、何人かの白い杖の人に声をかけたことを、僕に話した。
10歳の時の決心を、彼は守り続けていた。
そして、一生続けると、また、僕に誓った。
少ない数の言葉だったが、
やさしさに満ちた言葉だった。
彼の手引きで、タクシー乗り場まで行き、
タクシーに乗り込んだ。
僕は、ドアの向こう側に向かって、手をふった。
向こう側は、いつもの、灰色一色の世界だった。
でも、とても暖かな、美しい世界だ。
サングラスの奥に、暖かなものが湧き出した。
行き先を告げると、タクシーは動き始めた。
僕は、そっとハンカチで顔を拭いて、
深呼吸をした。
先日の小学校の研究会での先生方とのやりとりが蘇った。
何か問題が起こると、作られていく世論が、徹底的な攻撃をする。
これでもかと、うちのめす。
心優しき人達は、言葉を飲み込み、
嵐に耐える。
21歳の青年、彼が10歳の時に、
担任の先生と僕は、未来への種蒔きをした。
僕が出会った多くの先生方は、
教育に信念を持ち、子供達に深い愛情を注いでおられた。
10年経って出てくる答えもあるのだ。
いや、一番大切な答えは、
それぞれの人生の最後の日に出るのかもしれない。
素敵な先生方、ありがとうございます。
(2013年3月2日)

春姫

冬の終わりになると、
キンカンが届く。
小学校時代の友人が届けてくれるのだ。
彼女は、阿久根小学校で同級生だった。
それ以後、どんな人生だったのか、僕は知らない。
2005年に、僕の著書「風になってください」が鹿児島県の新聞で紹介され、
たまたまその記事に気づいて連絡をくれたのだ。
当たり前だが、お互いに48歳になっていた。
今ではメールでのやりとりだが、
最初の連絡は、点字の手紙だった。
この年齢になると、お互いに口には出さないが、
人生の大切なものを、それぞれに学んできたのだろう。
根底にあるのは、ひとつだけ。
「生きているって、素晴らしいよね。」
いつの頃からか、冬の終わりに、
彼女からキンカンが届くようになった。
「春姫」というブランド名のキンカンだ。
大粒のキンカンをかじると、
口一杯に、甘酸っぱい早春がひろがる。
不思議なことに、口の中で、
だいだい色を思い出し、太陽の光を感じるような気がするのだ。
愛おしい季節、春はそこまで。
(2013年2月25日)

最高の朝

もうすぐバス停かなと思って歩いていたら、
バスのエンジン音が、僕を追い越して、ちょっと先で停まった。
すぐそこがバス停なのだ。
間に合わないかなと思いながら、
それでもほんの少し急ぎ足で歩いたら、
エンジン音は待っていた。
バスに乗車すると、運転手さんがマイクで、
すぐに席が空いていることを教えてくださった。
やっぱり、待っていてくださったのだ。
朝一番の「ありがとうございます!」を声に出して、
座席に座った。
バスが桂駅に着いたら、
「一緒に降りましょうか?」
若い女性の声。
「ありがとうございます。」
肘を持たせてもらって、改札口まで。
ホームでは、僕を見つけた駅員さんが、
乗車のサポートをしてくださった。
烏丸で地下鉄に乗り換えて、
御池で東西線に乗り換えて、
市役所前駅に着いたのは、予定よりも30分以上早かった。
家から目的地まで、計6人の人が手伝ってくださった結果だ。
改札の駅員さんに、
「ここの改札で、人と待ち合わせなのですが、
ちょっと早く着いたので、一番近いコーヒーショップを教えていただきたいので
すが。」駅員さんは、最初、「この点字ブロックを左に・・・。」
説明しようとされたが、
すぐに、「そこまで案内しましょう。」
またまた、楽チンでコーヒーショップへ。
パン屋さんがやっているコーヒーショップ、
何をするでもなく、ただぼぉーっと。
目を閉じたまま、30分間、ただ香りだけを楽しみながら、
そっと流れる音楽を楽しみながら、
至福のひとときを過ごした。
見えなくなって良かったこと、
やさしい人達に出会えることです。
朝、家を出て、目的地までの約1時間、
その間に、駅員さんも含めて、7人の人と交わった。
朝から、7回も、「ありがとうございます。」と言えた。
ありがとうは、言っても、聞いても、幸せの言葉。
ちなみに、8人目は、コーヒーショップのおねえさん。
お店の出口まで案内を頼んだら、
そのまま、改札口まで付き合ってくださった。
最高の朝となった。
そうそう、メニューが判らない僕は、
値段も判らないで、コーヒーを頼む。
今朝のコーヒー、200円!
幸せが、3倍くらいになったかな。
(2013年2月20日)

はせがい紅茶を飲みながら

久しぶりの休日、
友人から届いたはせがい紅茶を飲みながら、
ただぼぉっと時間を過ごす。
友人は、この紅茶が一番おいしいと言うのだが、
味覚音痴の僕には、あまり違いは判らない。
ただ、これを届けてくれた友人の真心が、
胃袋の中でふくらむ。
まだ出会ったことのない、男友達だ。
こういう付き合いっていいな。
昨夜は、岩手県に住む視覚障害者の友人から電話があった。
僕の新刊を、音声図書で読んで、うれしかったとの内容だった。
何冊か買って、見える友人などにプレゼントすると、
東北弁の元気そうな声だった。
彼とも、まだ会ったことはない。
以前、僕が出たテレビを見て、
彼は連絡をとってきた。
その当時、彼は僕と同じ病気で、
失明の不安の中にいた。
僕は、電話で、歩行訓練や音声ソフトでのパソコンの使用をすすめた。
次に連絡があったのは、
まさに、その訓練で函館にいるとの電話だった。
その次は、僕から電話した。
東北の震災が彼を襲った。
彼の兄弟などが犠牲になられたが、
彼は奇跡的に難を逃れた。
それ以来、彼からの三度目の電話。
「いつかきっと会いたいですね。」
まるで、恋人同士のようにささやきながら、電話を切った。
そう言えば、今年のバレンタイン、
知り合いの方に2つ頂いた。
たった2つ!
若かった頃を思えば、
ずいぶんと縁遠いイベントになった。
でも、それも素直に受け取れる自分も、
上手に年を重ねているような気がして、
うれしくなる。
負け惜しみって言われるかな。
そうそう、このブログを読んでくださっている人の数が、
バレンタインデーに、延べ30,000人を超した。
アメリカで読んでくれている人が、
30,001人目だったらしく、
30,000人目は誰ですかと質問があったが、
僕には判らない。
とにかく、たくさんの人が読んでくださっていることに、
心から感謝です。
勿論、男性にも、女性にも!
(2013年2月17日)

陽光

朝一番に、ベランダで洗濯物を干し終わって、
冷たくなった手をすりあわせながら台所のガラス窓を閉めた時、
窓越しの春に気づいた。
顔や手に、ぬくもりを感じたのだ。
僕は、そっと、手のひらを外に向けて差し出した。
小さなバンザイみたいな格好だ。
春の光が、手にまとわりついた。
夏の光のような、肌を焦がすようなものではないが、
確かに、強い光だ。
何かエネルギーみたいなものを含んでいる。
前かがみになっていた身体が、ゆっくりと起き上がる。
顔が、日差しに向かって、少し上を向く。
光は、見える人に、明るさを届ける。
それは、とても大切なこと。
でも、見えない僕達にも、
ぬくもりでそれを知らせてくれる。
それは、見えても見えなくても素敵なこと。
光は、手にまとわりつき、身体に吸収されていく。
身体の中から幸せを感じる。
お日様は、平等だなって思う。
(2013年2月12日)

トイレの梅一輪

さわさわの男子トイレで用を足して、
水洗のボタンを押そうとした瞬間、
手に何か、細い木の枝が触れた。
僕はそっと、それを触った。
小便器の横に、片方は水を含ませた布でくるんで、
そっと吊るしてあった。
僕は、右手の人差し指の腹で、その枝を触った。
10センチくらいの短い木の枝の途中に、ひとつ、小さな花を見つけた。
直感的に、梅の花だと思った。
見える人に確かめたら、
やっぱり、一輪の梅の花だった。
トイレに神様がいるかどうかは、僕は知らない。
でも、トイレに、梅の花一輪を飾ることのできる感覚は、
日本人ならではの財産のような気もする。
そう思える自分でありたいし、
そういう仲間がいることを幸せだと思った。
トイレを出たら、
舞い降りる雪が顔にかかった。
今年初めての、春のささやきを知った。
うれしくなった。
(2013年2月9日)