風鈴

風鈴の音を、彼女が教えてくれた。
耳を澄ますと、確かに聞こえた。
ガラス窓の向こう側で、夏の始まりを主張していた。
目が見えなくなると、耳がよくなるのかと尋ねられることがあるが、
そんなことはあり得ない。
高齢になると、老眼になり、耳も遠くなる人なんてたくさんおられる。
しいて言えば、
見えなくなったら、見えてる頃よりも、
しっかり聞こうという感じになっているのだろう。
もちろん、これも無意識のなかでのことだ。
だからきっと、単独で移動している時の方が、
いろいろな音や香りに敏感になっているのかもしれない。
今日は、友人と一緒、つまりは安心した状況なのだから、
耳も鼻も、のんびりとくつろいでいた。
教えてもらわなかったら、
風鈴にも気づかなかったかもしれない。
窓ガラスに映る景色が、まるで一枚の絵のようだと、
彼女がつぶやく。
桜の木の葉の緑色が、夏空に映えて、
しかも強い力の緑色だと、
一枚の絵を、僕に伝える。
彼女とは、そんなに何度も会ったわけでもないし、
交わした言葉も、特別多いわけでもない。
それでも、僕達の間に、穏やかな安らぎの空気が流れる。
昔からの友人みたいな感じだ。
きっと、同じ未来を見つめる視線が、
信頼につながったのだろう。
僕がご馳走するというのを振り切って、
彼女がレジに向かう。
そんなこと、どっちでもいいと、
風鈴がつぶやく。
ごちそうさま。
(2013年6月8日)

一緒に生きる

「ハーイ、こっちですよ、いい笑顔ですよ。パチリ」
カメラマンの声のする方に、
僕達は顔を向けた。
町家カフェさわさわの玄関、
梅雨の中休みの晴天の下、
見えない僕と、見えない彼女の記念写真だ。
僕が町家カフェさわさわへ行けるのは、だいたい週に一回程度、
それもランダムだ。
尋ねて来られたことを、後で聞く場合が多い。
今日の彼女も、電車で2時間以上かかる地域から来てくださった。
まさか会えるとは思っていなかったと、何度も握手された。
喜びがはじけていた。
僕達は、生まれも育ちも性別も世代も、何もかもが違う。
共通しているのは、視覚障害だということだけだ。
僕の著書の朗読テープを聞いて、
同じだねとおっしゃってくださる。
光栄なことだと思う。
一緒に笑顔になれる仲間がいることを、心から幸せだと思う。
最後に、彼女達をサポートされていたガイドさんとも記念撮影した。
「帰ったら、仏壇の主人に報告します。」
小さな声で、控えめな言葉を残された。
彼女のご主人は視覚障害だった。
視覚障害者のガイドヘルパーという仕事をしながら、
いつも、天国のご主人と会話しておられるのだろう。
見えなくなったおかげで、
たくさんの素敵な人生と出会う。
お陰という言い回しは、不謹慎なのかもしれないが、
人間同士の交わりは、僕の人生を何倍も豊かにしてくれているのは間違いない。
そうそう、昨日、高校生が書いてくれた点字の手紙には、
「まだ死ねへんから、いっしょに生きていこうね。」
と記してあった。
たくさんの傷を持った、多感な17歳の少女ならではの表現だ。
一緒に、そう、一緒に、生きていこうね。
(2013年6月6日)

さくらさく

35歳を過ぎて、
どんどん目が悪くなっていった時、
僕はもう何もできなくなってしまうような気になった。
見えないということは、そういうことなのだろうと、
どこかで勝手に想像していた。
39歳で見えていた頃の仕事をやめて、
しばらくは引きこもり状態だった。
もう仕方ないんだと、あきらめ状態の自分になった時、
やっと点字を勉強したり、白杖歩行の訓練を受けようという気持ちになった。
障害を乗り越えてなんて、そんな勇ましいものじゃない。
仕方なく、それだけだ。
実際、訓練を受けた後も、
僕が働く場所は見つからなかった。
講師などの仕事を頂けるようになったのは、それから何年も経ってからだ。
ちなみに、今でも、収入が安定しているとは言い難いが、
その当時とは比較にはならないくらいになった。
ありがたいことだ。
そんな不安定の頃、フィリピンの子供を紹介された。
貧しさで教育を受けられない子供達が、
日本円で、一ヶ月1,000円で学校に行けるとのことだった。
僕はその話に飛びついた。
ほとんど収入のなかった僕にとっては、
一ヶ月1,000円は、ひょっとしたら、
やっぱり惜しいという気持ちも少しはあったかもしれない。
でも、それよりも、
僕もどこかの誰かのためになりたいという気持ちの方が強かった。
ささやかでも、社会に関わりたい自分がいた。
僕は、一人の少女を預かることにした。
少女の写真を、リュックサックに入れて歩いた。
そして、誰もいない場所で、時々写真を触った。
根気のない、だらしない性格の自分自身を奮い立たせるひとつの方法だった。
今年の春、少女は高校を卒業した。
成績優秀な彼女に、
僕は大学進学をすすめた。
そして、4年間に必要な経費、
月々5,000円を保障するという申し出をした。
迷いに迷って、彼女は大学受験を決めた。
小学校の先生を目指すそうだ。
先日、関係者から「さくらさく」の題名のメールが届いた。
彼女の大学合格を知らせるものだった。
僕は、部屋でメールを読んで、
一人で手をたたいた。
その音を自分で聞きながら、
拍手が、彼女にも、自分にも向けられていることに気づいた。
社会に関われることは、幸せなことなのだ。
目が見えなくなるのは受け止められる。
でも、それによって、社会から遠ざかるのは悲しいことなのかもしれない。
これから4年間、よし、僕もまた頑張るぞ!
(2013年6月5日)

家族全員

バスを降りて、駅へ向かおうとする僕に、
「松永さんですよね。」
女性は笑顔で声をかけてくださった。
「松永さんはどこまでですか?」
「阪急で大宮までです。」
たまたま、行き先も同じだった。
僕は彼女の手引きで歩き出した。
彼女には二人の娘さんがおられて、
下の娘さんは、中学校の福祉体験で僕と出会ったらしい。
上の娘さんは、どこかで僕をサポートしてくださって、
ありがとうカードも持っておられるとのことだった。
本も読んでくださっているとのことだった。
「同じ地域で暮らしているのだから、いつかお会いするかなと思っていましたが、
なかなか会えないものですね。」
彼女は笑った。
中学生の時に出会った娘さんは、大学4回生で就職活動中とおっしゃった。
10年くらいになるということだ。
もう長く盲人をやっているんだなと実感した。
そして、たくさんの人達に支えられて生きているんだなと、
しみじみと思った。
駅に着いて、別れ際に、
「いつかご主人にサポートして頂いたら、家族全員ということになりますね。」
僕はお礼の言葉に付け加えた。
そして、いつか、本当に、
そんな日があるといいなと思った。
(2013年6月3日)

紫陽花

出かけようとして階段を降りたところで、
同じ団地の人が声をかけてくださった。
「お出かけですか?」
「はい、ちょっと。」
「雨が降っていますよ。」
「大丈夫、傘持ってます。行ってきまーす。」
僕は歩き始めた。
数歩進んだところで、その方が花を育てておられることを思い出した。
僕は振り返った。
「紫陽花、うれしそうでしょう。」
ほんの少し間が空いて、
「ほんまにうれしそうやわ。」
彼女のうれしそうな返事が返ってきた。
ほんの少しの間、彼女は紫陽花に目を向けたのだろう。
「そろそろ入梅ですかね。」
僕もうれしそうに返事して、また歩き始めた。
(2013年5月28日)

ブロッコリーの山々

「先生、山がブロッコリーみたいです。マヨネーズで食べたら、おいしそうです。」
突然歩みをとめた彼女は、そう言いながら、東山に目を向けた。
専門学校で出会ってからもう何年になるだろう。
時々、僕のガイドをしてくれる。
日常の口数は極端に少なく、
二人とも無言で歩いていることが多い。
最低限、安全な移動に必要なことと、
僕が喜びそうなことだけを伝えてくれる。
知り合ってからの長い時間は、
僕が何を見て喜ぶのかを、
いつのまにか彼女に伝えたのだろう。
僕がうれしそうに感謝を伝えると、
「喜んでいただけてよかったです。」
彼女は、うれしそうに、ただそれだけを言う。
僕はたまたま、自分が見えなくなったことで、
視覚障害を伝えたり教えたりすることが多くなった。
先生と呼ばれることも多くなった。
でも、今日も、教え子の彼女から教えられた。
大切なのは、伝えようとする気持ち、
相手の心に届けようとする姿勢なのだ。
ブロッコリーにマヨネーズをかけて食べたくなった。
(2013年5月25日)

宝石

今日は、町家カフェさわさわの前にある下御霊神社のお祭りだった。
たくさんの露店が軒をならべた。
少女達は、綿菓子やカキ氷などを楽しみ、
宝石のつかみ取りを持ち帰ってきた。
片手ですくいあげた数をもらえるらしい。
6歳の女の子が、ひとつひとつを僕の手のひらに乗せる。
「これ何だと思う?当ててね。」
クスクス笑いながら、僕の指先を見つめ、僕の困った顔を楽しんでいる。
2センチくらいのプラスチックでできたようなものを、
僕は慎重にさわる。
匂いなどはないから、触角だけの勝負だ。
10歳の少女が、そっとヒントを出してくれる。
「果物だよ。」
僕が、「みかん!」
「ブー、色は赤です。」
「サクランボ!」
「ピンポーン!、じゃあ、次はこれ。」
僕はまたゆっくり、指先で確認する。
「これは花だよね。」
「近いけど、花じゃないよ。みどり。、しあわせ。」
少女の、ナイスタイミングの絶妙なヒントが重なる。
「四葉のクローバーかぁ。」
伝わる喜びが、少女と僕の間でほほえむ。
僕は、もう何度も少女と会い、一緒に歩いたりしている。
恥ずかしがりやの少女は、最初の頃はなかなか声も出なかったけれど、
今は、見えない僕にとっては、
声がどんなに大切なコミュニケーションツールなのかを理解してくれている。
手引きもとても上手になった。
そして、時々、素敵な映像を届けてくれる。
この前、買い物に行って僕を手引きしてくれた時も、
「あのね、青い空に飛行機雲が2本も残っているから、明日は雨だよ。」
子供の頃から、こうして一緒に過ごせば、
きっとそれぞれを理解できる。
そして、自然に助け合うことを学ぶ。
大切な教育のヒントがありそうな気さえする。
露店の宝石が、僕には素敵な宝石に思えた。
少女達は、きっと、内面から美しい
おしゃれな女性になるだろうな。
(2013年5月20日)

ウグイス

知り合いの和尚さんから電話があった。
知り合いと言っても、直接話しをしたのは、これで二回目だ。
一回目は、数ヶ月前、駅で声をかけてくださった。
和尚さんは、以前、僕が連載していた新聞のコラムを読んでくださっていて、
掲載されていた写真で、僕を知っておられたとのことだった。
だから、僕の名前を呼んで、声をかけてくださった。
そして、何度か見かけたけど、タイミングが合わなかったとおっしゃった。
声をかけてくださった理由は、
エールをおくっていると伝えたかったと、
ただそれだけとおっしゃった。
僕達は、握手をして別れた。
それ以来、二度目の電話だった。
たいした用事ではないんだけどと、ちょっと照れくさそうに前置きされた後、
和尚さんは、受話器を、お寺の周囲の竹やぶに向けられた。
しばらくの静けさの後、
「ホーホケキョ」
ウグイスの声が流れてきた。
それからまた、静かな時間が流れ、
二度目のウグイスの声が聞こえた。
そしてまた、時間は流れた。
時間と言っても、ほんの数秒だったのかもしれない。
その後、和尚さんは、今年は気候不順で、例年よりちょっと遅いけどと説明され、
ただそれだけとおっしゃってから、電話を切られた。
僕は、朝の始まりの空気の中で、
お勤めの後、受話器を竹やぶに向けておられる僧侶の姿を想像した。
美しいと思った。
誰かに何かを伝えるということ、
その何かがやさしい時、
伝えた側も、伝えられた側も、幸せになる。
そしてそれは、とても美しい。
そうやって、人と人とがつながっていけばいいな。
昨年の8月からスタートしたこのホームページ、
10ヶ月で、述べ5万人の閲覧者数となった。
このささやかなホームページを介して、
たくさんの人間がつながっていることを、
それぞれに祝福しましょう。
今朝のウグイス、あなたの心の耳にも届いたはずですから。
(2013年5月16日)

小鳥達のさえずり

午前5時55分、5階建ての団地の5階のドアに鍵をかけて、
今日の僕の一日がスタートした。
予約していたタクシーに乗り込むために、急ぎ足で階段を降り始めた。
たくさんの小鳥のさえずりが聞こえた。
いつもの朝は、もう少し遅い時間なので、
小鳥達のモーニングコーラスは終わっている。
眠い目をこすりながら、ちょっとだけ得をした気になった。
時々、東京での会議に出席するようになった。
今回は一泊二日、高田馬場の日本盲人会連合での会議だ。
10時から、昼食をはさんで18時までの会議、
明日もまた朝から、結構体力勝負だ。
交通費と宿泊費は保障されているが、
それ以外は自己負担になるし、日当もでない。
厳しい条件だけど、ささやかな使命感みたいなものが僕をささえている。
収入には結びつかなくても、大切な仕事もあるのだ。
それは、うれしい仕事だ。
ほんの少しかもしれないけれど、
仲間の力になれるかもしれない。
ちっぽけな自分という存在が、
誰かのためになれるとしたら、
それは間違いなく、幸せだ。
夜になって、あの朝の小鳥達のさえずりは、
「いってらっしゃい。」だったんだなと、ふと思う。
(2013年5月12日)

まだまだおにいさんです。

今朝は、9時過ぎのバス、ちょっとのんびりの出勤だった。
込んではいないだろうなと思いながら、バスに乗車した。
確かに、込んではいなかったが、ガラガラの雰囲気でもなかった。
僕は、座席に座ることをあきらめて、
手すりを掴んで立っていた。
突然、静かな社内で、ちょっと大き目の声が聞こえた。
「おにいさん、こっちこっち。」
僕は、もうおにいさんではないよなと思いながら、
でも、声の向きからひょっとしてと思って、
自分を指しながら、
「僕ですか?」
「そうそう、おにいさん。」
ちょっと離れた場所から、
僕に空いてる席を教えようとするおばあちゃんの声だった。
「腰が痛いから、そこまで行かれへんねん。私の横が空いてる。」
僕が、その声に向かって動き始めた瞬間、
別の乗客が、
僕の手を持ってサポートしてくださった。
僕は、おばあちゃんの横の席に座った。
僕が、おばあちゃんにも、そのサポートしてくださった方にもまだお礼を伝えな
いうちに「お嬢さん、ありがとうね。」
おばあちゃんが、サポートをしてくれた女性に声をかけた。
「いいえ。」
女性は、ただそれだけの返事だったけど、
確かに、笑顔の返事だった。
大正生まれだというおばあちゃんは、
足腰は痛いし、耳も遠くなったし、
動くのは口だけと笑った。
「でもな、生きてる限りは、世間様の役に立ちたいねん。」
耳が遠いのを理解するにはじゅうぶんの大きな声だった。
しばらくして、
おばあちゃんは、また突然話し出した。
「こうして見たら、おにいさん、いい男やな。」
ヒソヒソ話にはならないボリュームだった。
僕は、さすがに恥ずかしくなって、下を向いた。
僕の様子を見て、おばあちゃんはまた、大きな声で笑った。
楽しそうに笑った。
おばあちゃんの笑い声が、朝の車内に充満した。
のどかな空気が充満した。
(2013年5月9日)