小学校4年生の教科書に、
視覚障害の話が出てくる。
そのせいか、4年生の子供達に見えない世界を伝えて欲しいとの依頼は多い。
今年の秋も、20校くらいからの依頼があった。
4年生、10歳くらいの子供達だ。
見えない世界への興味もあるだろうし、
何より、人間の持つやさしさを、
素直に表現できる年頃だ。
たった1,2時間の話の中で、
子供達はどんどん吸収し、変化していくのが判るからうれしい。
僕の活動の中でも、とても大切なものだと自覚している。
そして、学校にもそれぞれの雰囲気とか個性とかがあり、
それもまた、楽しみのひとつだ。
今日の子供達も、
しっかりと話を聞いてくれた。
「どうやってごはんを食べるのですか?」
「買い物はどうしているのですか?」
「楽しいことってありますか?」
「どうしてサングラスをかけているのですか?」
たくさんの疑問も投げかけてくれた。
僕は、ひとつひとつに、できるだけ丁寧に答えた。
予定の時間はあっという間に過ぎた。
そして最後に、
「松永さんに、みんなの踊りを見てもらいましょう。」
先生は、子供達に向かってそう言われた。
不思議と、松永さんは見えないのになんて言う子供はいなかった。
ソーラン節の音楽が流れ、
子供達の踊りが始まった。
動きの中で、すれる服の音、
息遣い、かけ声・・・。
そして、ひとつになって、僕に伝えようとする足音、
迫力さえ感じた。
100人を越す子供達がひとつになっていた。
学校を出て、バス停に向かう途中、
子供達は何度も僕に向かって、手をふった。
僕も振り返って、手をふった。
バスを待つ間に、
送ってくださった先生と、
豊かな時間だったことを確認し合った。
今日も未来への種蒔きができた。
先生方は、発芽した種に、
また水や肥料を与えてくださるだろう。
そうして、未来につながっていくのだ。
見送ってくださった先生は、
バスに乗車する際、とっさに手伝ってくださった。
ドアが閉まって、
僕のありがとうございますは聞こえなかったのかもしれないが、
また友達が一人増えたような気がした。
そして、さっきのソーラン節が、
頭の中で踊りだした。
(2013年9月28日)
ソーラン節
伝える力
今日は昼間に大阪の高校での講演があり、
夜は京都市内のホテルで、ワイズメンズクラブの講演だった。
とんぼ返りという動きだった。
身体が少し疲れているなと思いながら、
夜の講演に臨んだのだが、
いざ話を始めると、
何か違う力みたいなものが湧き出てきた。
いつもそうなのだが、
何か、不思議な力みたいなものが宿るのだ。
自分でも、それがどこからくるのか、よく判らない。
目が不自由になったたくさんの仲間の思いなのかもしれないし、
僕自身の未来への希望なのかもしれない。
とにかく、いつの間にか、必死になって話をしている僕がいるのだ。
話し終わると、聞いてくださった人達に、
ありがとうございますという気持ちが、
心の底からこみあげてくる。
そして、ささやかだけど、未来への種蒔きができたなって、
満足感に包まれる。
講演の後、何人もの方が、メッセージを届けてくださった。
それぞれの言葉で、
とても暖かなメッセージだった。
人間の社会って、素晴らしいな。
明日は、また10歳の子供達に話をします。
明日もまた、心をこめて、見えない世界を伝えたい。
(2013年9月26日)
彼岸花
今年の夏は、記録的な猛暑だった。
つい数日前には、
台風の影響でこれまた、記録的な大雨だった。
自然はどうなっているのだろうと、
何か不安になったりする。
でも、大丈夫だよとささやく声もある。
昨日歩いた公園では、
ミンミンゼミが鳴いていた。
ツクツクボウシも鳴いていた。
それなのに、トンボも飛んでいた。
まだ強い日差しなのに、
空がちょっと高くなったと、
友達が教えてくれた。
木陰ではひんやりとした風があった。
「彼岸花!」
友達の目は、僕の目になった。
あの燃えるような赤が蘇った。
季節は、ちゃんと真面目に動いているのだ。
安堵感がひろがった。
今夜は満月、帰りは夜だから、
必ず途中で見ようと決めた。
(2013年9月19日)
台風
鹿児島県阿久根市で生まれ育った僕は、
子供の頃、何度か大きな台風を経験した。
停電するのは当たり前だった。
ローソクの薄明かりの中で、
大きな風の音を聞きながら、
台風が過ぎ去っていくのを待った。
ただ、じっと待った。
子供ながらに、自然の大きな力を知り、恐怖も感じた。
台風が過ぎ去った翌日は、
子供にとっては、探検の時だった。
あちこちを見て回った。
どこかのトタン屋根とか看板とか、
いろんなものが散乱していた。
倒れている巨木もあったし、
つぶれてしまった民家もあった。
災難へ思いを重ねることよりも、ただただ、台風の力を凄いと思った。
子供ってそんなものなのかもしれない。
小川の水は溢れていて、
濁流だった。
そこらにあった棒切れで足元を確かめながら、
濁流の中を歩いた。
やっと橋のたもとまで辿り着き、
堤防に腰をおろした。
遊び疲れてふと見上げた空は、
とってもきれいな水色だった。
そのきれいな空を、台風一過の空ということを知ったのは、
随分後になってからだ。
台風のたびに、あの空を思い出す。
不思議なことに、ローソクの光の向こうの闇は思い出さない。
何故なのかはわからない。
どうか、被害が出ませんように。
(2013年9月15日)
夏の終わり
知人から白露を教えてもらった翌日、
旅先の旅館の料理長が、食事の説明をしてくれた。
「名残の鱧とはしりの松茸です。」
日本語の豊かな響き、先人達が織り成してきた産物なのだろう。
ただその響きに触れるだけで、心が落ち着いていく。
部屋に戻ると、
爽やかな秋風の中、一匹のミンミンゼミが思いっきり鳴いていた。
僕は、その声に聞き入った。
あの小さな身体からは想像もできないような大きな鳴き声だった。
これでもかと、鳴き続けた。
愛おしくさえ感じた。
「ミーン ミーン ミーン ミーン ミーン ミッ」
突然、鳴き声は止まった。
静寂が漂った。
セミは、二度と鳴かなかった。
確かに、夏が終わった。
(2013年9月10日)
5年
友人に手引きしてもらって、
四条河原町の地下道を歩いていた。
新京極商店街にある喫茶店に行く途中だった。
階段の手前で、突然呼び止められた。
「松永さん。!」
彼女はニコニコしていた。
僕は、こんにちはと言いながら、誰か尋ねた。
どこかで講演を聞いたとか、本を読んだとか、
週に一人か二人はそんな人に出会う。
「松永さんは私のことは知りません。テレビで見て憶えていました。
だから、ただ、声をかけてみました。」
僕はとってもうれしくなった。
幾度かテレビに出演したりしたことがあるが、
直近でももう5年くらい前だと思う。
とても長い時間が流れているのだ。
映像の力って凄いなと思ったし、
声をかけようと思ってくださったのは、
きっといい番組だったということだろう。
あらためて、番組作りに関わってくださった人達への感謝の気持ちが溢れてきた。
文字にしても、映像にしても、
前を向いてメッセージを発信していくこと、
とても大切な未来への種蒔きだ。
これからも、僕にできることを、コツコツと続けたい。
それにしても、すぐに判ってもらえたということは、
5年経ったけど、
そんなに風貌は変化していないってこと?
やったぁ!
髪の毛を洗うたびに、触覚が老いを伝えてくれるものですから。
(2013年9月8日)
コオロギ日誌
僕が飛び乗ったおっちゃんは、
白い杖を持って、リュックサックを背負って、サングラスをかけていた。
ちょっと変な格好だった。
普通の人間は僕に気づくとすぐに振り払ったり捕まえたりするのに、
おっちゃんは無頓着だった。
おっちゃんは、僕のことなど気にせずに、
白い杖で道を確かめながら歩いていた。
そして、ライトハウスという建物の地下に入った。
そこにはおっちゃんと同じように、
白い杖を持った人間が何人もいた。
フェニックスの会議だと言っていた。
その人達も、僕を捕まえたりはしなかったし、
まるで無視しているようだった。
会議の前に、それぞれの参加者が、
近況報告を話し始めた。
みんな笑顔で話していた。
みんな幸せそうだった。
フェニックスが何なのか判らないけれど、
不思議な絆を感じた。
それからの会議は、
みんなが一生懸命話していた。
会議の後には、忘年会の日取りも決めていた。
僕が飛び乗ったおっちゃんは、
「その日、空いていたかなぁ。」
小声でつぶやいた。
その時、白い杖を持っていない別のおっちゃんが近づいてきた。
「松永さん、服にコオロギがいますよ。」
そのおっちゃんは、僕を捕まえて、
外に放り出した。
それにしても、僕が飛び乗っていたおっちゃんは、
僕の存在に最後まで気づかなかったということは、
よっぽどの鈍感なんだなぁと思った。
帰ったら、仲間に教えてあげよう。
飛び乗る時は、白い杖を持った人間を選べばいいよって。
みんな鈍感だし、やさしそうだからって。
(2013年9月5日)
キラキラの女子中学生
今日はハードなスケジュールだった。
午前中に、宇治市にある専門学校のオープンキャンパスで授業をして、
終わるとすぐに、
電車で市内へ向かった。
御所の近くのホテルで、先輩の受賞祝賀会に出席し、
終了後は、そこから知人との待ち合わせ場所までタクシーで移動した。
無事打ち合わせを終えて、
18時半からのボランティア講座に間に合うようにバスに乗車した時には、
さすがに疲労を感じていた。
バスは結構の人だったので、
僕は乗車口のところで、
近くの手すりを持って立っていた。
バスが動き出してすぐに、
「前の座席が空いているけど、座りますか?」
やさしい声がした。
僕はお礼を言いながら、バスの前方に移動を始めた。
「座席は段差がある場所だけど、大丈夫ですか?」
その声で、中学生くらいだと判った。
僕が座席に座ると、四人組の女の子達は挨拶をしてくれた。
以前、小学校の時に僕の講演を聞いてくれていた彼女達は、
中学生になっていた。
バスケット部の練習試合の帰りだとのことだった。
目的地までのバスの車内、
彼女達のキラキラした弾む声が聞こえていた。
僕はふと、自分の中学時代を思い浮かべた。
障害を持った人に声をかけてサポートをするなんて、
その当時の僕には、決してできないことだった。
彼女達の屈託のない笑い声を聞きながら、
疲れがとれていくのを感じた。
いや、元気が出てきた。
キラキラしている彼女達がつくってくれる未来は、きっとキラキラしているだろう。
これから始まるボランティア講座でも、しっかりと未来を見つめて話をしたいと思った。
「ありがとう。」
僕は心をこめて、
彼女達にお礼を言ってバスを降りた。
(2013年8月31日)
スカイツリー
7時20分、京都駅新幹線ホームから見上げた空は、
真夏の頃よりも少し高くなっていて、
ほうきで掃いたような薄雲があった。
10時過ぎ、高田馬場の駅前を歩きながら見上げた空は、
真っ青だった。
終日の会議が終了して、
次の打ち合わせに錦糸町まで移動した。
同僚は、僕の人差し指を持って、
スカイツリーのてっぺんを教えてくれた。
18時くらいだったはずだから、
まだライトアップもしていなかった。
夕闇までにも、少し時間があったのかもしれない。
僕の脳裏には、
真っ青な空に突き刺さるようにそびえる634メートルのスカイツリーが浮かんだ。
勿論、見たことはないのだから、記憶もあるはずがない。
でも、不思議なことに、
なんとなく浮かんだ。
特別に見たいというような感情でもない。
これまでのいろんなニュースなどを聞きながら、
いつの間にか想像していたのだろう。
小さな秋が始まった季節に、
真っ青な空を背景にしたスカイツリー。
今日の僕の絵日記に残るのだ。
携帯にもデジカメにも残ってはいない。
実際の映像とはかなり違うのかもしれない。
でも、大切なことは、絵日記に絵があるということ。
自分では見つけられないものを、
教えてくれる人がいるということ。
人間同士だからできるということ。
ちなみに帰宅は、23時を過ぎていました。
日帰り東京はしんどいなぁ。
(2013年8月29日)
講演会の企画
秋田から、岡山から、鹿児島から、
ほとんど同時にメールが届いた。
地元で、僕の講演会を模索しているとの内容だった。
メールをくださったのは、親戚でもないし幼馴染でもない。
たまたま、僕の著書「風になってください」を読んでくださった人だ。
今更ながら、活字の力に驚いている。
人間っていいよな。
見も知らぬ他人の人生に思いを寄せて、
一緒に喜んだり、笑ったり、
励ましたり、応援したりできる。
それぞれの地域での講演会が実現するとかしないとか、
それは結果であって、どっちでもいいと思っている。
そこに向かうプロセスが、
僕達へのエールだ。
今朝の京都は、この二日間の雨のせいか、
爽やかな風が、秋が生まれ始めていることを教えてくれている。
僕の心の中にも吹いている。
夏もあともう少し、頑張るぞ。
(2013年8月26日)