今年が始まった頃、4月以降の予定はほとんどなかった。
毎年そうなのだが、いつも少し不安を感じる。
このままだったらどうなるのだろうと思ってしまうのだ。
3月になったら急に問い合わせなどが増え始めた。
結局、新年度のスケジュールの半分くらいは埋まった。
例年の学校だけでなく新しい学校も増えた。
東京の高校や京都の専門学校などは年明けの予定を入れてこられた。
学校以外の団体などからの問い合わせも入り始めた。
また今年度も例年通りに活動できるということだ。
同世代の友人は定年後の再雇用も終了したと話してくれた。
そういう話を聞くと僕は恵まれていると思う。
見えなくなった僕は定職にありつけなくて仕方なくこういう人生になった。
まさに自由業だ。
結果的にそれが僕に合っていたのだろう。
活動するということはそこにミッションがあるのだと思う。
そしてそれは未来につながっていくような気がする。
僕にできること、感謝しながらしっかりと取り組んでいきたい。
僕の歩幅で僕のスピードで歩いていきたい。
(2023年4月8日)
スケジュール
期日前投票
4月9日は滋賀県議会議員一般選挙の日だ。
僕は丁度その日は鹿児島への移動の予定となっている。
そこで期日前投票をすることにした。
京都に住んでいた頃もよくこの制度を利用した。
期日前投票の場所としてはよく役場などが使用される。
見えない僕にとっては当日の投票所となっている小学校などよりはるかに行きやすい
場所だったのだ。
滋賀県に引っ越してきての初めての選挙、期日前投票の場所は近くのスーパーマーケ
ットの多目的スペースだった。
これまた行きやすい場所だった。
会場の前までは家族、友人、ガイドヘルパーさん、誰とでも行けるが会場内は認めら
れない。
代筆も認められない。
選挙管理委員回の係の方のサポートを受けながら自分で投票するということになる。
会場の受付で投票所入場整理券を渡して点字投票をしたい旨申し出る。
係の方の肘を持たせてもらって記載台まで行く。
点字器と点字投票用紙を受け取って記載する。
立候補者の一覧は見えないのであらかじめ記憶してきている。
記載後は書いた点字に誤字脱字がないかを自分で確認する。
点字器を係の方にお返しして投票箱まで連れて行ってもらう。
投票箱の口を手で触って確認してから投票する。
出口まで連れて行ってもらって終了。
「ありがとうございました。」
「お疲れ様でした。」
挨拶を交わして歩き始める。
投票の後はいつも清々しい気持ちになる。
平等に一票を投じられることを心からうれしく思う。
お金持ちであってもなくても、偉い人であってもそうでなくても、イケメンでもジャ
ガイモでも、見えていてもいなくても、同じ一票だということはやはり素晴らしいこ
となのだと思う。
同じ社会で生きている同じ人間ということを実感できる機会なのかもしれない。
僕も社会に参加しているのだ。
(2023年4月4日)
桜餅
無理だと頭では分かっている。
飛び出してきそうになる我儘な気持ちを押さえることもできる。
それでもやっぱり見たいと思う気持ちが僕を苦しめる。
僕をあざ笑う。
いい加減にしなさいと僕が僕に言う。
そしてその情けない自分自身をどこかで愛おしく感じていることに気づく。
弱虫は子供の頃とちっとも変わらない。
刹那的な生き方もずっと変わらなかった。
代わったのは一人で飲み込めるようになったということなのだろう。
納得するために触る。
指先の神経に集中する。
そっとそっと幾度も触る。
暴れそうになっていた心が少しずつ平穏を取り戻していく。
薄いピンク色が静かに脳に生まれる。
少しずつ少しずつ脳を包んでいく。
やがてピンク色が充満する。
そのピンク色がブルー色の空を背景にやさしく微笑む。
僕も微笑み返す。
帰りに桜餅を買って帰ろうとふと思う。
(2023年3月30日)
映画
久しぶりに映画を見に出かけた。
映画館の中の移動は大変だからガイドヘルパーさんにお願いした。
ガイドヘルパーさんは資格をとったばかりの高校2年生の女の子だった。
まだまだ上手とは言えない技術だったが一生懸命にガイドしてくれた。
見えない僕が見るという言葉を使うのは違和感があるかもしれない。
でも映画は見るものだ。
いや、正確には観るものかな。
僕のスマホにはハロームービーというアプリを入れてある。
そこには音声ガイド付きの映画が紹介されていてデータをインストールできるように
なっている。
その中から見たい映画を選ぶのだ。
今回は新海誠監督作品の「すずめの戸締まり」を選んだ。
映画が始まるとスマホのイヤホンから僕にだけ音声ガイドが流れてくるのだ。
僕の想像する画像と実際の画像は違うかもしれない。
いや違うだろう。
見えないということはその確認も永遠にできないということだ。
でもそれは実際にはどうでもいいことだ。
見える人達と同じ空間で同じように映画を楽しめればいいのだと思う。
以前、新海誠監督作品の「天気の子」を見た時にとても難解だった。
話題になった「鬼滅の刃」もそうだった。
アニメの場面展開は早過ぎて、僕の脳がそのスピードについていけないのかもしれな
いと思った。
今回はストーリーなどを事前学習してから映画館に出かけた。
作戦は成功だった。
それなりに味わうことができた。
見えなくなって25年が過ぎたのだから僕の記憶はもう昔と言っていいだろう。
きっとスクリーンには僕の知らない美しい映像があるのだろう。
ちょっとドキドキ、ワクワクする。
それから映画館の音響はいい。
今回の映画の中で大学生がナツメロを聞きながら車を運転するシーンがあった。
ユーミン、松田聖子、井上陽水が流れたのには驚いた。
エンディングはまさに今風の楽曲だったがそれもじんわりと良かった。
雨のように天井から降ってくる音が心に染み込んでいくのだろう。
いろいろなことを含めてやっぱり映画はいい。
趣味はと尋ねられると映画鑑賞ですと答えることが多い。
映画が好きってことだろう。
次は何を見にいくか楽しみだ。
(2023年3月27日)
霧
ホームに向かう階段のところでアナウンスが流れているのは分かった。
ただ内容は分からなかった。
車内のアナウンスでもそうなのだが時々ある。
ボリューム、スピード、言葉の明瞭さなどの問題だろう。
話すということと伝えるということは別なのだといつも感じる。
そして伝える仕事の多い僕はどうなのかと振り返る。
人のふり見てと自分自身に言い聞かす。
電車が何らかの理由で遅れているのは間違いなかった。
ホームは人で膨らんでいった。
僕の緊張感も不安も膨らんでいった。
「松永さん、おはようございます。」
この時刻の電車で時々出会う女性の声だった。
僕はすぐに肘を持たせてもらった。
安心した。
「凄い霧ですよ。
霧で電車も遅れているのですね。」
彼女がアナウンスをカバーするように教えてくださった。
「いつも見える琵琶湖も霧の中で見えません。」
僕の心は少しずつうれしくなっていった。
「綺麗ですか?」
僕は尋ねてみた。
「雲の中のような感じです。」
僕はそっと周囲を見回した。
人も線路も街も山も琵琶湖も霧の中。
一面の霧の中。
喜びも悲しみもおはようも霧の中。
ひょっとしたら僕の脳が見ている風景の方が美しいのかもしれない。
その中に存在できていることもうれしかった。
ちょっと幸せな朝の時間を過ごした。
やがて到着した電車は思ったよりも込んでいなかった。
学生達が春休みのせいだろう。
「霧で電車が遅れたことをお詫び致します。」
はっきりとゆっくりと聞き取りやすい車内アナウンスが流れた。
霧の中を走る電車、銀河鉄道みたいでやっぱり美しいと思った。
(2023年3月23日)
卒業式
電車が遅れたりすることはたまにある。
仕方がないことだと思う。
僕の最寄りの湖西線は冬は強風で止まることがあると聞いている。
それにしてもJRは特にトラブルが多いような気がする。
広域のシステムのせいなのだろう。
今朝は神戸線の信号トラブルの影響を受けて僕の乗車していた電車は大津京駅で止ま
ってしまった。
こういう非日常は視覚障害者は苦手だ。
京都方面に向かう人は反対側の電車に乗り換えるようにとのアナウンスが流れた。
僕も人並みに動かされながらホームに降りた。
日常利用しない駅、混雑、恐怖心が強くなってヨチヨチ歩きだ。
僕に気づいた女性の方が肘を持たせてくださった。
その瞬間ほっとした。
なんとか乗車して山科駅に着いた。
ここで地下鉄に乗り換えるのだがこれまた凄い人だった。
他の交通機関に乗り換えるために一斉に乗客が動くのだ。
いつもなんとか動ける駅ももみくちゃ状態になりまた恐怖心が身体を固くした。
気づいた方がまた肘を持たせてくださった。
一緒に地下鉄の山科駅まで行き電車に乗せてもらった。
お二
人とは降りる駅が違うので僕はそこで感謝を伝えて別れた。
僕は電車の入り口の手すりを持って過ごした。
やっとスタッフと待ち合わせの三条京阪駅に着いた。
そこから学校に向かった。
専門学校の卒業式に出席するのが目的だった。
時間の余裕を持って動いていたので楽に間に合った。
おごそかな空気の中で卒業式のセレモニーが進んだ。
最後に皆で記念写真を撮った。
僕は自分で見ることはない写真だが学生達の門出を祝って笑顔でカメラマンの方を向
いた。
会場を出る時にベトナムの女子学生がアオザイという民族衣装を触らせてくれた。
デザインを説明してもらいながらその華やかさが伝わってきた。
「よく似合うね。おめでとう。」
僕は自然にそう言った。
見えないのに出た言葉だったが自分でも不自然とは思わなかった。
「先生のネクタイもよく似合うよ。」
僕は笑顔でお礼を伝えて帰路に着いた。
今朝の電車を思い出した。
これからの彼女たちの人生、きっといろいろあるだろうな。
幸せな人生であって欲しいな。
心からそう願った。
(2023年3月17日)
草抜き
バケツに小さなスコップを入れて左手に持つ。
右手には100円ショップで買ったお風呂用の小さなイスを持つ。
庭をソロリソロリ歩きながらお日様を探す。
足の裏の触覚と音だけが頼りだ。
庭だから車も自転車も人も通らない。
溝に落ちるのと木にぶつかるのが危険ということになる。
歩くスピードはとても遅い。
木の枝にぶつかっても痛くない程度のスピードだ。
たいした恐怖心もなく歩けるのは見えないということにすっかり慣れているというこ
となのだろう。
見た目には酔っ払いみたいな動きなのだと思う。
光は判らないが日差しのぬくもりは判る。
陽だまりを見つけたらそこにイスを置いて腰掛ける。
上着の左ポケットからアイフォンを出してシリにお願いをする。
「ユーミンを聞きたい。」
「春よこい」の曲が最初に流れ始めてちょっと驚く。
たまたまの偶然なのだが笑顔になる。
お茶目な神様の悪戯と理解する。
いよいよ草抜きのスタートだ。
指先がいろいろな草達を感じて驚く。
冬の間にもいろいろな種類の草達が生きてきたことを知る。
ごめんねという思いを少し感じながらその草達を抜いていく。
手強い草はスコップを使う。
バケツの中の草達が少しずつ増えていく。
いつの間にか無心になっている。
計算できない時間が流れていく。
黙々と草を抜く。
ふと手が止まる。
何のきっかけもなく繋がりもなく突然親父の思い出が蘇る。
僕の少年時代から晩年、そして息を引き取った日までがリフレインする。
ちゃんと親孝行できなかった悔しさが胸を締め付ける。
「父ちゃん」
そっとつぶやく。
息を吸い込んで空を見上げる。
愛してもらっていたことを今更ながら深く感じる。
愛は失ってから気づくものなのかもしれない。
だとしたらそれは寂し過ぎるな。
もう一度深呼吸をしてまた草抜きを続ける。
草抜きは好きだ。
(2023年3月11日)
和宴
高橋竹山の津軽三味線を聴きに出かけたのはまだ20歳台だったかもしれない。
彼の人生の重たさと三味線の音色が増幅しながら魂を揺さぶったのを憶えている。
勿論、当時は自分自身が盲になるなんて思ってもみなかったし
他の和の音楽への関心につながることもなかった。
見えなくなってからたまにお琴の演奏会などに出かける機会が生まれた。
出会った仲間に演奏家がいたからだ。
最初の頃は見えない人がお琴をやっているという感覚があった。
その感覚は幾度か演奏会に出かける過程で変化していった。
見えない人がお琴をやっているのではなかった。
お琴をやっている人がたまたま見えない人だったのだ。
演奏の力がそれを教えてくれたのだと思う。
舞台には見える人も見えない人もおられたが何の違和感もなかった。
あえて取り上げれば、楽譜が置いてあるかないかくらいのことなのだろう。
久しぶりに演奏会に足を運んだ。
和宴という名の演奏会だった。
三弦、お琴、尺八、そして謡。
和の音楽がホールにこだました。
回を重ねることで僕自身にも味わうゆとりも出てきたのだろう。
穏やかで豊かな時間を過ごすことができた。
昔から見えない音楽家達が活躍してこられたらしい。
見えないからできないではなく、何ができるのか。
先達がその考え方を教えてくれているのかもしれない。
またたまには出かけたいなと思った。
(2023年3月6日)
芽
地面に膝をついて這いつくばる。
目線を地面に近づけてそっと右手を前に出す。
それから掌を下にして地面すれすれを動かす。
右から左、前から後ろ、ゆっくりゆっくり動かす。
掌の触覚が地面とは違うものを見つける。
今度はそれを人差し指の腹でそっと触って確認する。
やっぱりあった。
チューリップの芽だ。
秋の終わりの頃に植えたものだ。
そろそろだと思ってた。
見つけた芽を指先が幾度も撫でる。
自然にそっと愛おしそうに撫でる。
うれしくてたまらなそうだ。
指先の喜びが僕に伝染する。
生まれたての春を撫でる。
瞬間をしみじみと幸せだと思う。
そしてまた飽きずに撫でる。
春がきた。
(2023年3月1日)
空
いつどうやって知り合ったのかは忘れてしまった。
知り合ってもう何年になるのかも定かではない。
彼女が僕の著書を読んでくださったかホームページを覗いてくださったかのどちらか
だったのだろう。
僕は日常、話したり書いたりの活動をしている。
講演活動も不特定多数の人とコニュニケーションをとることになる。
ホームページにもお問合せフォームがある。
だから時々そんな出会いがあるのだ。
老若男女、地域もいろいろだ。
広島県に住んでおられる彼女とは直接に出会ったわけではない。
これまでのメールと電話を合わせてもその数は10回程度かもしれない。
ひょっとしたら直接に出会うことは一生ないのかもしれない。
それでも僕達はつながっているから不思議だ。
お互いの心の中を行き来したからかもしれない。
彼女は僕とは違う病気だ。
いつか見えなくなるかもしれないという不安も持っておられるのだろう。
見えない僕の暮らしの中に不通の笑顔があることが彼女の安心につながっているよう
だ。
ということは僕のノーテンキもちょっとは役に立っているということになる。
素直にうれしい。
久しぶりに彼女と話をした。
自分と同じ病気の後輩達に何かを届けたいと思っておられるらしい。
その中身は彼女が決めればいいし僕のアドバイスなどはささやかなものだ。
その話しぶりが活き活きとしていることに僕はほっとしてしまう。
出会った頃はそうではなかったと記憶している。
会話の最後は高層マンションの彼女の部屋から見える景色の話だった。
他のビルの屋上ばかりが見えてあまりいい景色ではないと彼女は笑った。
僕はそれが一番うれしかった。
まだ少し見えておられるのだと感じた。
その屋上の上には空がある。
眩しかったり曇っていたり真っ青だったり夕焼だったりの空がある。
この地球が暮らしている空がある。
見つめ返してくれる空がある。
包んでくれる空がある。
電話を切って僕は窓の向こう側の空に視線を向けた。
彼女の目にいつまでも空が映りますようにとそっと願った。
(2023年2月24日)