雪やこんこ あられやこんこ。
灯油販売の車が数日前も走っていた。
暖かい日だったのでちょっと違和感を覚えた。
でもそれは僕の間違いだった。
今朝の大津はまさに銀世界になった。
しばらく外に出てみたがどんどん雪が降っていた。
雪やこんこの歌が自然に口からこぼれた。
小さな小さな声で歌い始めたがいつの間にか少しだけ大きくなった。
さすがに近所に聞かれるのは恥ずかしいからそこは気をつけた。
うれしい気持ちが歌になっていったのだろう。
子供の頃を思い出した。
いろいろな歌を大きな声で歌いながら学校から帰った日もあった。
冬には冬の歌を歌った。
雪やこんこの歌も焚火の歌も好きだった。
雪山讃歌も好きだった。
雪やこんこはずっとこんこんと歌ってた。
どの歌も分からない歌詞の部分は適当な替え歌で歌ってた。
それも楽しかった。
一番好きだったのはスキーかな。
ヤマハ白金 光を浴びて。
少し急ぎ足で帰るには丁度いいリズムだったのかもしれない。
あれから60年生きてきたのだ。
ここまで元気でよく生きてこれたなとふと思う。
ただそれだけで自分自身にご苦労様と言いたくなる。
見えていた時があった。
見えにくい時があった。
そして今がある。
どの時も僕にとったら大切なかけがえのない人生だ。
そしてこれからも大切にしていきたい。
雪の降る街を 雪の降る街を。
(2023年2月21日)
雪やこんこ
鉄火巻き
「今年の冬は寒いよね。」
何気ない会話から二人の時間がスタートする。
施設内にある小さな小部屋、テーブルのこちらとあちらとで向かい合う。
概ね一人につき30分程度のピアカウンセリングの時間だ。
障害当事者の僕が施設を利用している障害当事者の声に耳を傾けるのだ。
強制ではないので希望した人が利用してくれる。
毎月2回、この施設を訪れるようになってもう10年くらいになるだろうか。
「生きる」ということを確認したり、「幸せ」の意味を考えたりする大切な時間とな
っている。
今日話をした彼女とは特別な縁を感じている。
二人とも酉年で僕が丁度一回りお兄さんだ。
僕が養護施設で働き始めた頃、彼女は別の養護施設で中学生だった。
ひょっとしたらどこかで出会っていた可能性もある。
彼女は視覚障害とは別に身体障害もある。
もう20年くらい前、視覚障害者の忘年会の帰り道にロービジョンの彼女に手引きして
もらった時にそれを知った。
そして天涯孤独だ。
彼女が参加できる社会がなかなか見つからなかったのは想像できる。
この施設で18歳からもう35年くらい暮らしているということになる。
仕事はお菓子の箱を折ったり手芸用品を製作したりしているらしい。
週休二日の勤務で一か月の収入は工賃という名目の2万円程度だ。
僕はこの数字を初めて知った時に愕然とした。
ちなみに就労継続B型事業所の昨年の日本全体の平均工賃は1万5千円程度だ。
僕はどう説明をされてもこの数字を正常とは思わない。
ただ、これを拒否すれば、彼女が行く場所がないのも事実だ。
僕と会話する時の彼女に悲壮感はない。
僕の理解などとは別の次元で運命と向かい合っているのかもしれない。
今年一年の夢を尋ねた。
「コロナでの外出制限がなくなったら、回転寿司で鉄火巻きを食べたいね。」
僕は覆いかぶせるようにまた尋ねてみた。
「ビールを飲みながら?」
「ううん。酎ハイの方がいいねん。健康のためにもね。」
屈託のない笑顔と笑い声が小部屋の空気を包んだ。
鉄火巻きを想像しながら僕も笑った。
今年中になんとか一緒に行ければと思った。
(2023年2月17日)
春の光
白杖を使って歩きながら寒いとか暑いとか感じる日はある。
気温、湿度、風の向き、強さ、いろいろな条件で感じるのだと思う。
あらかじめ知り得た天気予報の情報でそう感じる時もあるのかもしれない。
この季節は白杖を握る手の冷たさでそう感じることもある。
そして歩きながらふと気づく。
耳たぶに当たるお日様のぬくもりだ。
柔らかな光の中に熱を感じる。
そして集中するとそのお日様の光の力を感じる。
秋の日だまりとは少し違うような感じがする。
そしてちょっとうれしくなる。
お日様の方に顔を向ける。
そっと視線をあげる。
無意識に深呼吸をする。
光が恋しくて目頭が少し熱くなったりする。
悲しいわけでも辛いわけでもないのに変な感じだ。
もう25年も経ったのに往生際の悪さに情けなくもなる。
そして情けない自分をどこかで許してしまう僕がいる。
春まだ遠し、笑みがこぼれる。
(2023年2月13日)
お弁当
仕事柄、いろいろな場所でお弁当を食べる機会は多い。
街角のお弁当屋さんとかコンビニとかのお弁当だ。
リーズナブルだしさっと食べられるので重宝している。
たまに贅沢な幕の内弁当などを先方に準備して頂いてうれしくなることもある。
ちなみに、東京出張の帰りには東京駅の駅弁屋さんで浅草今半のすき焼き弁当を買う
ことにしている。
少々お高めだが自分へのご褒美だ。
新幹線が新横浜を過ぎたくらいからお弁当を開けて食べる準備をする。
蓋を開けると微かに香りがしてくる。
幸せのひとときだ。
見える人と一緒に食べる時、よく面白いなと感じることがある。
僕にお弁当を渡される時、ついでに割り箸を割ってくださるのだ。
実は見えなくても割り箸は割ることができる。
そんなに難しいことではない。
お弁当を開けた時、危ないからと緑のバランを取ってくださる人もおられる。
見えないと間違ってお箸でバランを掴んでしまうことはある。
口まで持っていくこともある。
唇などの触覚ですぐに気づく。
その時点で取れば問題はない。
僕もそうだが僕の仲間でも、バランを食べてしまったというのは聞いたことがない。
割り箸もバランもどちらも善意なので僕は拒否はしないことにしている。
お弁当の中身を説明してくださる人もいる。
これは喜ぶ視覚障害者が多いかもしれない。
僕はあまり希望しない。
早く食べたいという気持ちが勝ってしまうのだと思う。
結果、口に入れるまでどんなおかずなのか分かっていない。
たまに食後の甘いお菓子を途中で食べてしまって悔しい気持ちになることもある。
食べ終わる頃に小袋のソースに気づいてがっかりすることもある。
そんなことも含めて食べる楽しみなのだろう。
もうすぐ菜の花のお浸しやフキの煮物にも出会うかな。
たけのこご飯やエンドウ豆ご飯も楽しみだな。
見えなくても思いっきり食いしん坊なのだと思う。
(2023年2月9日)
キンカン
毎年立春の前後のこの時期だ。
故郷の小学校時代の友人からキンカンが届く。
春姫というブランドのキンカンだ。
春姫と名乗るには一定の糖度と大きさが条件らしい。
生産者の方のご苦労が偲ばれる。
春姫を水洗いしてそのまま口に放り込む。
大粒だから口が膨らむ。
果汁が口から飛び出さないようにしっかりと唇を閉じてゆっくりと噛みしめる。
とっても甘い、そしてほんのりと酸っぱい味覚が口中に広がる。
脳の中で美しい橙色が蘇る。
濃い橙色と薄い橙色だ。
そこに薄い黄緑色と黄色が少し混ざる。
グラデーションがゆっくりと動きながら輝く。
無条件の幸せを確認したら準備しておいた屑籠に種を吹き出す。
幸せをこぼさないように気をつけて吹き出す。
今年の春が始まる。
(2023年2月5日)
プレゼント
例年この季節は時間に余裕がある。
いろいろな学校などが年度末に向かうからだろう。
ところが今年は少し事情が違った。
たまたま予定が集中してしまったのだ。
うれしい悲鳴ということになった。
やりたい活動を元気でやれるということはとても有難いことだ。
ただ気力と体力は必要だ。
勿論そこにはそれなりの自信があるからいろいろなオファをお引き受けしている。
ただやはり疲労は感じる。
今日は中学校で1時間目から6時間目までずっと通しでの授業だった。
不思議と途中で疲労を感じることはない。
まさに気力は充実しているからだろう。
帰路の電車の中などでふと疲労に気づく。
電車の手すりなどを持っている手がそれを感じる。
踏ん張っている足がそれを感じる。
座りたいという欲望が沸き上がる。
空席を見つけられない僕は立つしかない。
一つ間違えば、見えない自分を憐れむことにもなりかねない。
気持ちをごまかし欲望を抑える時が流れる。
今日の帰路は座席に座ることができた。
僕に気づいた乗客の方が空席に案内してくださったのだ。
日常この地下鉄の車内で座れることはほとんどない。
10回に1回もないだろう。
それがこのタイミングであるのだからまさに神様のプレゼントだ。
プレゼントは僕の心を幸せに導く。
エネルギーとなっていく。
確かに僕は今日の中学生にも伝えた。
「人間の社会はとても豊かです。
報道される悲しい事故や事件も確かに事実だけど、
あちこちで巡り合うやさしさもまた事実です。」
しばらくこのスケジュールが続く。
明日は京都の北部にある高校だ。
潮の香りも楽しみだ。
また笑顔で頑張れるな。
(2023年2月3日)
雪かき
秋が終わる頃だったと思う。
お店の入り口で数種類の雪かき用のスコップが売り出されていた。
金属製のものではなく固いプラスチック素材で軽くて丈夫そうなものだった。
ホームセンターではなく生活圏の近所のスーパーの店先だったので驚いた。
そんなに雪が積もるのだろうかと思ったが一応安心のために購入しておいた。
実際に使用することになるとは思ってはいなかった。
寒波は一晩で街を真っ白に染め上げた。
僕はスキーズボンのようなものに着替えロングのダウンジャケットをはおった。
軍手をして長靴を履いて外に出た。
格好だけは一人前だ。
長靴の半分くらいまでが雪に埋もれた。
生まれて初めての雪かきだった。
近所からもスコップの音が聞こえてきていた。
僕は自己流でスコップに玄関先や階段の雪を載せて庭の方に放り投げた。
幾度もやりながら軽いスコップの意味を実感した。
最後に軍手を外して庭の奥野手つかずの雪を触った。
その雪を頬に当てた。
それから口に含んだ。
目以外を使って雪を感じようとしている僕がいた。
真っ白が僕を包んだ。
真っ白な世界をそれだけでうれしいと感じた。
何の脈絡もなく生きていることを感じた。
幸せだと思った。
(2023年1月28日)
さむらいヘルメット
僕は見えなくなってからはフリーターをやっている。
横文字にすれば聞こえはいいが定職につけなかったということだ。
見えなくなった頃、職業はと尋ねられて無職と答えていた。
目が見えないだけなのに無職と言葉にしなければならないのはとても辛かった。
聞こえだけの理由で自由業となりフリーターとなったのだと思う。
定職につけなかったのは僕だけの問題ではなく社会の問題だと得意の責任転嫁もして
きた。
でも最近はここまで頑張れたのだからいいにしようと少し思えるようになってきた。
お金も名誉も縁がなかったけれどそれなりの充実感を感じているからなのだろう。
いくつかの仕事の中に介護福祉士を養成する専門学校の非常勤講師がある。
引き受けてからもう20年くらいになるかもしれない。
「障害の理解」とか「コミュニケーション技術」というのが僕の担当科目だ。
福祉の仕事を目指す学生達は基本的に優しい。
優しい人達と交わるのだから僕自身もうれしくなることが多い。
今日は学生達と折り紙をした。
アイマスクをして折り紙を折るのだ。
今年の学生の中にはフィリピン、中国、ベトナム、ウズベキスタンからの留学生もい
た。
折り紙というのは日本の文化らしくて留学生達は手こずっていた。
その光景がおかしくて僕は笑い転げながら対応した。
年齢を超えて性別を超えて、そして国境を越えて触れ合えるのはとても楽しい。
見える世界と見えない世界を超えて笑顔になれるのは素晴らしいことだと思う。
今日折ったのはかぶとだった。
出来上がりを見ても留学生達は不思議そうだった。
さむらいヘルメット!
笑顔で納得してくれたようだった。
(2023年1月24日)
ライフワーク
伏見稲荷大社の近くの小学校が僕の今年最初の小学校での活動ということになった。
それだけで何か縁起がいいような気になって出かけた。
京都駅で乗り換えた電車は観光客らしい外国人でいっぱいだった。
真っ赤な鳥居が並ぶ景色を思い出した。
最寄りの稲荷駅までは校長先生がわざわざ迎えにきてくださった。
校長先生とは担任を持っておられた頃に出会って以来10年ぶりくらいの再会だった。
僕の活動ももう20年くらいとなるので時々こういうことがある。
そういう流れでまた子供達に出会えることを心から有難いことだと思う。
子供達に話をするということは未来への種蒔だ。
いつかきっと芽を出してくれる。
そう願って、いやそう信じての活動だ。
授業が始まると僕はいつの間にか必死になって話をしている。
ひょっとしたら今回が最初で最後の出会いとなる子供もいるかもしれないという思い
が僕の心を突き動かすのだと思う。
どこかで大人気ないという気もするのだが自然にそうなるのだから仕方ない。
今日もそうだった。
僕の質問をそれぞれの子供が考えてくれるように担任の先生が全体を見渡しながらつ
ないでくださる。
時間の流れの中で教室の空気が代わっていった。
子供達は僕の言葉を受け止めてくれた。
キラキラと輝く眼差しで僕を見つめてくれた。
一緒に笑って一緒に悩んで一緒に未来を見つめてくれた。
終わってから校長室で暖かいコーヒーを頂いた。
おいしいチョコレートも添えてあった。
ご苦労様という校長先生の思いがそこにあった。
心に染みた。
子供達に出会える機会があとどれくらいあるのかは分からない。
ただ、ひとつひとつの機会を大切にしなければと思う。
見えなくなった時にもう何もできなくなるのかもしれないと思った。
実際できなくなったことも多い。
でも見えない僕にでもできることが少しはあることも分かった。
子供達に伝えていくこともそのひとつなのだと思う。
「困っている視覚障害者の人を見かけたら手伝いたいと思います。」
授業の最後に挨拶してくれた代表の女の子が思いを言葉にした。
その言葉に他の子供達が拍手を送った。
その言葉がそのまま僕の力となっていくことを感じた。
僕にできることを今年もコツコツとやっていきたい。
コツコツとそして一生懸命にやっていきたい。
(2023年1月20日)
笑顔の記憶
幼稚園に通う彼女の笑顔を憶えている。
声も憶えている。
僕が働いていた養護施設で彼女は育った。
10数年の歳月、一緒に暮らした。
中学校を卒業した彼女は神戸で暮らすことを選んだ。
母親と過ごしたかったのだ。
夢にまで見た親子の生活だったのだろう。
運命というものがあるのか、それは僕には分からない。
ただ、神戸を選んだがために彼女の人生は19歳で止まった。
1月17日が近づくと僕の足は自然にお寺に向かう。
彼女が眠っている寺だ。
ただ手を合わせて祈る。
本当の悲しみは歳月では解決できないことを思い知らされる。
神戸を選ぶか迷った時に彼女は僕に相談した。
条件は厳しいものばかりだった。
不安を感じた。
それなのに僕は何故引き止めなかったのだろう。
答えを出せない自問自答は28年目を迎えた。
最後のクリスマスの夜、レストランで一緒に食事をした。
駅まで送って改札口で別れた。
振り返ってバイバイと手を振った彼女は素敵な笑顔だった。
あの頃、僕は見えていた。
見えていたことを有難かったと心から思う。
(2023年1月17日)