ゴールデンウィークは予定も少なかったのでのんびりするつもりだった。
ところが3日に発熱しお腹の調子もこわした。
救急病院に行くほどではなかったので絶食したり持っていた薬を適当に服用したりし
たがなかなか良くはならなかった。
あっという間に休暇も終わって仕事も始まった。
そしてやっと体調が戻った。
一週間以上かかったことになる。
その間気持ちも重たかったし不安も大きかった。
今日はゴールデンウィーク後最初の専門学校と大学での授業だった。
いつものように市バス、阪急電車、地下鉄、近鉄電車と乗り換えての通勤だったが、
あまり運がいい日ではなくてまったくサポートの声もなかった。
ラッシュにもみくちゃになりながら、
時々通行人にぶつかったりしながらの移動だった。
やっと学校に着いた。
学校では学生に手引きしてもらって歩いた。
学生が雲一つない青空だと教えてくれた。
僕は立ち止まってしげしげと空を眺めた。
「ほんまの五月晴れやな。」
空を眺めたらうれしさがこみあげてきた。
元気で空を眺めることができるのを心から幸せだと思った。
(2016年5月12日)
五月晴れ
鹿児島空港にて
目が見えている頃から移動手段は列車を一番に考えていた。
時刻表とにらめっこするのも楽しかったし、
気が向いたらブラリと旅に出るのも好きだった。
鉄道マニアほどではなかったけれど、
とにかくよく列車に乗った。
国内の移動は基本は鉄道と決めていた。
怖がりというのもあったけれど、
飛行機は早いだけで途中下車もできないというのも大きな理由だったと思う。
それでも乗らなければいけない状況の時は、
車窓から見える雲や空、持ち込んだ週刊誌に目をやることで時間を過ごしていたよう
な気がする。
怖いという気持ちをごまかす方法だったのかもしれない。
見えなくなってからはそのささやかな気分転換もできなくなった。
エンジン音、気圧の変化、振動・・・。
ただひたすらそれとのお付き合いだ。
おまけに毎回、避難の際のジャケットの着方、降りてくる酸素マスクの装着の方法、
非常口の場所なども説明されている。
見えない僕にはどれも対応できそうにない。
しかも脱出の際は白杖は使えないと、
親切なキャビンアテンダントがわざわざ教えてくださった。
万が一の時は皆同じだと思ったり、安全度は最高の乗り物だと自分に言い聞かせたり
している。
あまり乗りたくない飛行機に今月はあと4回も乗る予定だ。
スケジュール上仕方ないのだ。
こうならないためにどうスケジュールを組み立てるか、
そうだ!帰りの飛行機の中で研究することにしよう。
(2016年5月8日)
もえぎ色
「山がもえぎいろですよ。」
電車の車窓から見えた景色を20歳の彼女はそう言い表した。
僕は車窓の向こう側に視線を送りながら悪戯心で尋ねてみた。
「もえぎいろってどんな色?」
しばらく考えていた彼女は、
「山がね、新しい緑に衣替えした時の色ですよ。今年流行の春色です。」
そう言って笑った。
僕も笑顔になった。
家に帰り着いてから調べてみたら、
萌黄色、萌葱色、萌木色、茂木色、萌木色、たくさんの漢字が出てきた。
日本の色の種類は400種類以上あるのだそうだ。
あらためて、日本人の繊細な感性がうれしく感じられた。
彼女が僕と初めて出会ったのは中学生の時だった。
僕の目の前がいつもグレー一色だと知って同情したと言う。
可愛そうな僕達のために何かできないかと真剣に考えたそうだ。
その後彼女は僕の著書に出会い、だいぶ考え方が変わったらしい。
サングラスが素敵とか、白杖がよく似合うと表現するようになった。
「こうして1年に一度か二度ですが、
街でお見かけした時に声をかけられるのは私のラッキータイムになりました。
松永さん以外の困ってそうな白杖の人にも必ず声をかけていますよ。
いつまでもカッコよく歩いてくださいね。
もえぎ色のmikuでしたぁ〜。」
彼女から届いたメール、やっぱりもえぎ色だった。
(2016年5月5日)
ツツジ
サポーターといつもの歩道橋を歩いていたら
花のジュータンが見えると教えてくれた。
駅のロータリーの植え込みのことだった。
僕はそこまで連れていってくれるように頼んだ。
腰丈くらいの位置にそっと手を伸ばしたら
花弁が手のひら一杯に触れた。
手のひらで左右上下を確認したら一面の花弁だった。
花弁は少し濡れた感じでいきいきとしていた。
花の吐息が感じられるような気がした。
まさに花のジュータンだった。
色は白とピンクと赤と教えてもらった。
ジュータンは僕の心の中にまで広がった。
もっと感じたくて顔を近づけた。
柔らかな感触が頬を撫でた。
もうすぐ5月、一番いい季節がくるんだなとうれしくなった。
(2016年4月29日)
修行
白杖を持つ右手がおへその前くらいにあって、
左足が前に出るタイミングで白杖は右へ向かう。
その白杖が左へ向かうタイミングで今度は右足が前に出る。
背筋を伸ばしてリズミカルにというのがベストフォームということになる。
意識しているつもりなんだけれど時々やってしまう。
今朝も一瞬考え事をしてしまったのだろう。
左への振り幅が足りなかったようだ。
いや、右手の位置が少しずれていたのかもしれない。
どちらにしてもきっと数センチのことに違いない。
その数センチで左前方の路上にある鉄製の標識に気づかなかったのだ。
ゴーン!
激突!
サングラスが守ってくれているのだけれど結構痛い。
痛さはぶつかった瞬間がマックスで少しずつ小さくなるけれど、
悔しさはどんどん大きくなる。
もう20年近くも白杖歩行をしているのだから、
そろそろ達人の領域に達したいと思っている僕がいる。
平坦な道、段差のある道、上り階段、下り階段、
混んでいる道、点字ブロックのある道、状況によっていろいろな技術を使う。
白杖の握り方、持つ角度、振り幅、路面をたたく音の大きさ、スピード・・・。
画像のない僕がまるで見えているように、
風を感じながら歩けるのは自分でも快感だ。
あまりに悔しくてぶつかった標識を触っていたら、
一部始終を見ていたらしいおっちゃんが声をかけてくださった。
「ケガしてへんか?きつう当たったなぁ。」
確かに音は大きかった。
「いや、音は大きかったけどこの程度なら大丈夫です。
でもこれに気づかなかったんが悔しくてね。」
標識を触りながらぼやいている僕におっちゃんは今度は笑いながら言った。
「よう見かけるけど、目が悪いのにうまく歩けるなといつも感心してたんや。
ちょっとは見えてるんかなと思ってたけど、
ほんまに見えてへんのやなぁ。すごいなぁ。」
いつもならちょっと鼻が高くなりそうなのだけれどよっぽど悔しかったのだろう。
「まだまだ修行します。頑張ります。ありがとう。」
僕はそう言っておっちゃんと別れて歩き始めた。
(2016年4月27日)
講義・スタート
僕が勤務している専門学校や大学も新年度がスタートした。
専門学校での講座は必須科目で全員が受講する。
大学の「社会福祉学特殊講義」という講座は選択科目となっている。
希望する学生だけが受講するのだ。
履修届を提出しても実際には受講しない学生もいるから、
スタートしてみないと実数は判らない。
受講生が集まらなかったら開講されないということになる。
僕自身もちょっとの不安を抱えながらのスタートということになる。
今年度も30名近くの学生が集まり無事開講ということになった。
うれしいことだ。
学生達に講座へのメッセージを書いてもらった。
「誰かの力になりたい。」
「街中で白い杖の人を見かけた時に手伝えるようになりたい。」
「社会の役に立つ人になりたい。」
18歳の若者達の誠意のあふれる言葉がならんでいた。
それはそのまま僕へのエールでもあった。
これからの1年間、30回の講義が楽しみになってきた。
若者達と一緒に未来を見つめる時間を過ごしたい。
(2016年4月22日)
舞鶴
駅前には引揚桟橋の模型があった。
僕はその桟橋に立ってみた。
六十数年前、まだ二十歳代だった父はこの橋を渡って祖国の土を踏んだのだ。
そしてそれから93歳まで生き抜いた。
その中で僕も命を頂いたのだ。
きっといくつもの偶然が重なって必然となったのだろう。
熊本地震のニュースを聞きながら、
当たり前だと思って生活している日常がそうではないことを知る。
理屈では判ったような気でいた自分自身が恥しくもなる。
今日があるから明日があると勝手に思い込んでいるのは錯覚なのだ。
今日生きていられることは幸せなことなのだ。
そう思ったら感謝の心が自然に生まれてくる。
そして犠牲者が一人でも少ないようにと心から願う。
(2016年4月17日)
春風みたいな
午前中は休みだったので久しぶりにお昼のニュースを聞いてからゆっくり家を出た。
風は少しだけ吹いていて、お日様もいい感じの光を地上に届けてくださっていた。
いい感じというのは強さも量も丁度ということだ。
失明してもう20年近くもなると、
日々の暮らしの中では目が見えないということを忘れているような感じだ。
きっと視覚以外の五感を使うのが当たり前になっているのだろう。
そしてそれで結構いけるのだ。
気持ちいいなと身体で伸びをしながら歩いた。
それだけでのどかさの中にいる自分がうれしかった。
バス停に着いてまもなくしたら、
「ま・つ・な・が・さーん!お出かけですか?」
女性の可愛い声だった。
バス停の前の団地に住んでおられるとかで時々声をかけてくださる。
バス待ちのわずかな時間に、桜が散ってしまったことなどを教えてくださった。
それから一緒のバスに乗車して空いてる席に誘導してくださった。
そこから先は判らない。
ただそれだけの出来事。
こんな日は春風みたいな人に会うものなんだな。
妙に納得しながらうれしかった。
(2016年4月12日)
おじいさん
「昨日の嵐でだいぶ散りましたなぁ。」
きっとバス停から見える桜の話だろう。
語り口と滑舌でおじいさんと判った。
「地面が桜色に染まっているのでしょうね。」
僕は尋ねたけれども一回では通じなかった。
だいぶ耳も遠くなっておられるようだった。
バスのエンジン音が近寄ってきた。
ドアが開いた時に行先案内の放送が流れた。
それが確認できた僕には何の問題もなかった。
僕がバスに向かって動き始めようとした時、おじいさんは僕の腕をつかんだ。
僕をバスまで連れていこうとしてくださったのだ。
でも、足元はおぼつかなく半分は僕にぶらさがった状態だった。
僕はおじいさんの歩調に合わせた。
バスの乗車口に着くと、僕はいつもより大きな声でゆっくりと話した。
「ありがとうございました。助かりました。」
今度は一回で通じたようだった。
「頑張りなさい。」
おじいさんは少しうれしそうにおっしゃった。
亡くなった親父を思い出した。
思い出しただけで涙が出そうになった。
おじいさんがもっともっと長生きしてくださるように祈った。
(2016年4月9日)
褒められて
ライトハウスへ向かうバスに乗車した。
新入生らしい大学生の集団、研修に向かう様子の新社会人のグループ、
そして観光にきたと思われる外国人の旅行者達、
車内は身動きもできないくらいの満員状態だった。
僕は手すりに捕まってただじっとしていた。
バスは停留所に停まるたびに一定の降車乗車を繰り返したが、
混雑にほとんど変化はないようだった。
僕は相変わらずただじっとしていた。
いくつかの停留所を過ぎた頃、おばあさんが僕の手を握った。
「前が空いてるからお座りやす。」
そしておばあさんも一緒に横並びで座った。
ずっと空いていたのかたまたま空いたのかは判らなかったが、
ライトハウスまではまだだいぶある場所だったので僕はうれしかった。
「ありがとうございます」
おばあさんに感謝を伝えた。
「私も今目医者さんまで行くのですけど、見えんようになったらもう家から出やしま
せん。おたくさんは偉いどすなぁ。ほんまに偉いどす。」
おばあさんはまるでわが子を褒めるみたいな口調でおっしゃった。
「偉くなんかありません。くよくよしても仕方ないですからね。
ただそれだけです。」
おばあさんはたった10分間くらいのやりとりの中で、何度も偉いと褒めてくださった。
満員のバスの中で、入園式にも入学式にも入社式にももう縁がない僕とおばあさんだ
けの不思議な空間ができていた。
人生の先輩と後輩という関係だけで作られた空間だった。
僕は偉くはないけれど、
子供の頃父ちゃんや母ちゃんに褒められた頃のようなうれしさを感じていた。
「今ね、あちこちで桜がこぼれんくらいに咲いていますよ。
綺麗どすえ。見せてあげたいどすなぁ。」
おばあさんはその言葉を残して降りていかれた。
僕は桜を思い浮かべた。
満ち足りた気持ちになっていた。
(2016年4月5日)