僕は専門学校や大学の非常勤講師をしながら、
講演活動や執筆活動などにも取り組んでいる。
そしてその他にも様々な活動にも参加している。
時々何をしている人なのかを尋ねられて困ることもあるのだけれど、
「見える人も見えない人も見えにくい人も笑顔で参加できる社会」
を目指しているということがすべての活動の共通項だろう。
ウィキペディアには「社会福祉活動家」という紹介をしてあるらしいが、
的を得た表現なのかもしれない。
その活動の中で、月に2回ピアカウンセラーという仕事もやらせて頂いている。
視覚障害になった人、特にまだ間もない人などの悩みを聞いたり相談にのったりするのだ。
僕が経験したことが誰かの力になるのなら、それはとても光栄なことだ。
決していつもうまくいくわけではないけれど、気持ちを込めて取り組んでいる。
今日出会った人は僕と同じ病気でだいぶ見えにくくなっておられた。
最初に聞いた声には不安が宿っていた。
「失明」ということを現実として向かい合った時、
誰でも恐れおののき悲しみ苦しむ。
すぐに切り替えて前向きに生きていくなんて人間には出来ない。
白杖なんか触る気にもなれない。
僕もそうだったことを彼に伝えた。
そして人は皆それを受け止める力を本当は持っていることもしっかりと伝えた。
1時間半あまりの時があっという間に流れた。
僕は最後に彼としっかりと握手をした。
僕の手を握り返した彼の手の力を感じながら、
もうそんな遠くない日に彼が歩き出しそうな気がした。
いや、僕自身がそう願ったのかもしれない。
仕事が終わり、迎えに来てくださったボランティアさんと京都駅を歩いたら、
たくさんのLED電球で飾られた光のカーテンが揺れていた。
「12月ですからね。」
ボランティアさんが僕につぶやいた。
その方向を見つめながら、
さっきの彼が今まだ見える間に、この美しさも見て欲しいなと思った。
そして一緒に来られていた家族と少しでも笑顔を交わせるクリスマスになるようにと
心から願った。
(2015年12月2日)
光のカーテン
冬の雨の中で
傘をさして荷物を持ってゆっくりと、
一歩一歩白杖で確かめながら歩道橋の階段を降りていた。
ちょっとだけ雨に濡れながら降りていた。
冬の始まりを告げるような雨は小雨だったけど冷たかった。
白杖を持つ手が少し悴んでいた。
悲しいとか寂しいとかの感情はなかったが、
見えない不便さが大きく立ちはだかっていた。
どうしようもない現実を感じながら動いていた。
「お手伝いしましょうか?」
階段の途中での若い男性の声だった。
「両手がふさがっているから、階段を降り切ったところから手伝ってください。」
僕はそう言いながらゆっくりと階段を降りていった。
彼は僕が頼んだ通り階段下からサポートしてくれた。
目的のお弁当屋さんはすぐ近くだったが横断歩道を渡らなければいけなかったので、
彼のサポートはとっても有難かった。
横断歩道で立ち止まって安全を確かめながら彼は話し始めた。
「松永さんですよね。
この前僕の通っている高校の3年生に講演に来ておられたのですが、
僕も聞きたかったけど僕は1年生なので無理でした。残念でした。」
高校の名前を確認したら確かにそうだった。
「でも、どうして僕を知っているの?」
僕は聞き返した。
「小学校4年生の時学校に来てくださったからですよ。」
彼は笑った。
6年ぶりの再会だったのだ。
僕はうれしくて彼の肩をたたいて喜んだ。
彼が10歳の時、僕は大勢の中の一人として彼に出会っていたはずだ。
その時間も1時間くらいだったに違いない。
それなのに彼は僕を憶えていてくれた。
しかも、僕が一番伝えたかったことを見事に実践してくれていた。
ほどなく僕達はお弁当屋さんに着いた。
「ありがとう。本当に助かったよ。
君の高校、毎年講演に行っているからきっと2年後にまた出会うね。」
僕は再度感謝を伝えた。
「楽しみにしています。」
彼はそう言って僕から離れた。
そして数歩動いたあたりで、
「妹も話を聞いたって言ってましたよ。」
彼はまた笑った。
僕は白杖をしっかりと握った。
もう手が冷たいとは感じなかった。
頑張って活動していても一気に社会は変わらない。
でもあきらめずにコツコツとやり続ければ、
ほんの少し僕にも何かができる。
僕にもできることがあるということはとっても幸せなことだ。
そう思ったらとてもうれしくなった。
(2015年11月27日)
イチョウ
彼女は僕をイチョウの葉のじゅうたんの上に案内した。
ふんわりとしたジュータンだった。
僕は腰をおろしてイチョウの葉を触った。
真っ黄色が頭の中に広がった。
黄金色に近い真っ黄色だった。
喜んだ僕を確認した彼女は、
他の木々の色合いをも僕に伝えた。
静かな時間の流れの中で秋がのんびり微笑んだ。
支援学校の先生になりたいと彼女は夢を語った。
いい先生になるだろうなとなんとなく思った。
(2015年11月23日)
初老の男性
サポーターは手際よく傘を閉じると
僕を手引きしながら、
「乗ります。」と声を出してバスに乗り込んだ。
四条烏丸からの夕方のバスは当然込んでいた。
サポーターは僕の手を入口の近くの手すりに誘導した。
サポーターの片方の手には荷物と傘が握られていたはずだ。
僕が手すりを握るのと同時くらいに男性の声がした。
「どうぞ座ってください。」
そんなに若い声ではなかった。
僕はありがとうございますと言いながら席に座った。
今度は僕の横のお客さんがサポーターの女性に声をかけた。
「私ももうすぐ降りるから座りなさい。」
まだ若いサポーターは、
「私は大丈夫ですから座っていてください。」
笑顔で答えているのが僕にも判った。
目的地に着いてバスを降りた時、
「さっきの方は何歳くらいだったの?」
僕はサポーターに尋ねた。
「席を譲ってくださった人も、次に譲ろうとしてくださった人も、
どちらも70歳前後くらいの方でした。
カッコ良かったですね。」
僕もそう感じていた。
生き方を持っているということは、
年齢には関係なく素敵なことなのだろう。
そして僕もそんな風に年をとっていきたいと思った。
(2015年11月19日)
牛丼屋の店員さん
サポーターの女子学生には申し訳ない気もしたが、
時間がなかったので駅の近くの牛丼屋さんで昼食をとることにした。
入口のレジの横の細い通路を歩きながら、
ひっきりなしにお客さんが出入りしているのが判った。
「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」の声も交錯していた。
店員さんが走り回っているのも伝わってきた。
僕達が座席につくと店員さんは
「ご注文が決まったら声をかけてください。」
とマニュアル通りに言いながらまず女子学生の前にお茶のコップを置いた。
そして次に僕に向かって、
「12時の場所にお茶を置きます。」と言いながらお茶のコップを置いた。
これは時計の文字盤をイメージさせながら場所を伝える方法で、
クロックポジションという専門的な技術だ。
僕はちょっと驚きながら差し出されたお茶をすすった。
きっと笑顔だっただろう。
それから店員さんは、
「点字メニューがなくてすみません。」と付け加えた。
僕は目が見えるサポーターと一緒だから大丈夫と答えた。
また店員さんは走り回っていた。
京都のど真ん中の四条河原町にある店らしく、
英語や中国語のお客さんも多かった。
店員さんはそれぞれのお客さんに的確に対応していた。
牛丼をかきこんでご馳走様をして立ち上がった時、
店員さんが後片付けにきた。
「説明に驚きました。ありがとうございました。」
僕は頭を下げた。
「僕、ホテルマンになるための専門学校に通っているんです。」
店員さんは小さな声でうれしそうにただそれだけを言うと、
丼などの食器を持って奥に消えた。
僕が彼くらいの若い頃、
外国人とも障害者の人ともコミュニケーションをとることはできなかった。
ただ遠くから見るだけだった。
僕はただ素直に店員さんをカッコいいと感じた。
(2015年11月15日)
しはしあわせよ
乗客もまばらなバスの車内、
ベンチシートの端に座った僕のすぐ隣で
彼は歌い始めた。
「シは幸せよ、さあ歌いましょう。」
延々と何十回もその部分だけを繰り返した。
しかも声はだんだん大きくなり、
まるで彼の発表会のようになった。
彼が上機嫌なのが伝わってきた。
僕はふと一昔前を思い起こした。
公共交通機関の中で知的障害の人と出会うことは少なかった。
そしてたまに遭遇する機会があると、
突然の大声や奇声には驚きと一緒に怖さも感じた。
遠目に避けてすれ違う時の僕には
失礼がないようにとかの思いよりも
漠然とした不安があったような気がする。
時代は少しずつ変わり、
日常的に知的障害の人と遭遇することも多くなった。
知的障害について詳しく学んだわけではない。
ただ慣れてきたということだろう。
この「慣れる」ということが障害のある人にもない人にも大切なことなのだ。
慣れの中で知り合い、
時にはコミュニケーションが生まれお互いを尊重できるようになる。
そしてきっと笑顔も増えていく。
隠れることも隠すことも間違っているのだ。
バスを降りて歩き出した僕の口から、
「しはしあわせよ」のメロディが飛び出してきた。
それに合わすように白杖を左右に振った。
自然に笑顔になっていた。
これからも頑張って歩くぞ。
行先はもちろん未来です。
(2015年11月10日)
動物園
30年ぶりくらいに動物園を訪れた。
ゾウの親子が水浴びをしながらじゃれていた。
空を眺めるキリンの顔を人間が眺めていた。
サル山では昼寝をしたり毛づくろいをしているオサルさんがいた。
フラミンゴはやっぱり一本足で立っていたし、
ライオンの鬣は風格があった。
画像はないのに、
サポーターの説明と動物達の鳴き声と臭いと、
それでそれなりに楽しめた。
昔見た記憶が助けてくれているのもあるのだろう。
そしてあちこちから聞こえてくる親子連れの会話が、
のどかな時間にほほえみを添えていた。
柔らかな秋の風、まだちょっと強い熱を持ったお日様の光、
人間の感覚は素晴らしい。
外に出るって大切なことだな。
外に出れるって幸せなことだな。
(2015年11月6日)
命日
365日の間に数えきれないくらいとうちゃんを思い出した。
とうちゃんと歩いた道、とうちゃんと入った店、とうちゃんと食べた料理、
とうちゃんと話したこと、とうちゃんの声、とうちゃんの顔・・・。
それは僕が大人になったからのものだけではない。
僕が子供の頃、働いていたとうちゃんの顔、車を運転していた時のとうちゃんの顔、
あらゆる場面のとうちゃんの顔を思い出した。
自分の顔は忘れてしまったけれど、とうちゃんの顔はちゃんと憶えている。
憶えているのにその顔が笑っているのか怒っているのか判らない。
もうちょっとやさしい言葉をかけておけばよかった。
もうちょっと一緒に過ごせばよかった。
もうちょっと何かしなければいけなかった。
思い出す度に後悔の念だけが大きくのしかかった。
でももうとうちゃんはいない。
どうすることもできない。
時間が経てば少しは楽な気持ちになるかと思ったが変化はない。
きっとずっと引きずって生きていくのだろう。
弱虫の僕は何回も泣きべそをかくのだろう。
こういうことって受け止めるしかないのだ。
見えなくなった時にただどうしようもなくて受け止めたように。
(2015年11月2日)
スケジュール
ホームページのお問い合わせフォームから、
視覚障害者協会を通して、
あるいは直接携帯電話で、
いろいろな講演の依頼がくる。
対象も小学生から高齢者までまさに老若男女だ。
教育関係、福祉関係、医療関係などが多いのだが、
最近は一般企業とかも増えてきている。
小さな会議室みたいな場所もあれば大きなホールもある。
ただ、僕の目の前には画像はなくてグレーの色が広がっているだけなので、
対象人数はあまり関係ない。
少人数でも聞いてくださる人がいらっしゃれば感謝して行くことにしている。
見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が笑顔で参加できる社会に向かうためには、
正しく知ってもらうことが何より大切だと思っている。
ひとつひとつの講演が未来につながっていく。
まさに未来への種蒔きなのだ。
フットワークは軽いので国内ならどこにでも行くことにしている。
これは見えてた頃からの旅好きが幸いしているのかもしれない。
語学はできないので海外にはいかないと思っているけれど、
間違っても海外から依頼がくることはないだろう。
ただ、年々依頼の数は増えている。
予約も早くからくるようになった。
「ちょっと先なのですが、2月の・・・」今日も電話で依頼があった。
来年のスケジュールを開いてみたが依頼日の曜日が間違っている。
その旨伝えたら、来年ではなくて2017年の話だった。
勿論感謝しながら引き受けたが、
いつも若干の不安はある。
いつどんな病気をするかは判らない。
もしそうなったら多くの人に迷惑をかけることになる。
でもこればかりは仕方がない。
明日も明後日も来年もその先も、
元気な自分であることを前提に頑張ります。
元気であることを信じてなんて言いません。
それは判りません。
あくまでも前提です。
そしてそのための少しの努力はします。
今年のインフルエンザの予防接種ももうすませました。
でも、中性脂肪の数値が高いからラーメンのスープは飲まないようにと、
かかりつけのドクターに言われるのですけれど、
これがなかなかね。
(2015年10月29日)
ランドセル
信号のある横断歩道で僕は立っていた。
青信号を確認するために車のエンジン音に耳を澄ませていた。
隣に小さな足音が近づいてきたのにも直前まで気づかなかった。
「おじちゃん、一緒に渡りましょう。」
小学校低学年くらいかと思われる男の子は、
か細い声でそう言うと、
僕の手首をちっちゃな手でギュッと握った。
意を決しての行動なのだろう。
男の子の心臓の鼓動が伝わってくるようだった。
いつもなら肘を持たせてくださいと頼むのだけれど、
僕はそのままの状態でゆっくりと笑顔で話しかけた。
「うれしいなぁ。これでおじちゃんも安心して横断歩道を渡れるなぁ。
青になったら教えてね。」
僕の手首を握っていた力がほんの少し緩んだような気がした。
「青になりました。」
さきほどよりもちょっと元気の出た声が僕に伝えた。
そして男の子は僕の手首を引っ張りながら歩き始めた。
横断歩道を渡り切ったところで、
「ありがとう。助かったよ。
こんなお手伝いをどこで勉強したの?」
僕は尋ねてみた。
「ママがね、白い棒を持った人はおメメが見えないから助けなさいって言ったから、
僕は助けました。」
男の子は早口だったけれどはっきりと答えた。
「君もおりこうさんだけど、ママも偉いママだね。
おじちゃんがママにもありがとうって言っていたって伝えてね。」
男の子は今度は「うん。」とだけ元気よく言うと、
振り返って走り始めた。
ランドセルがカタカタと音をたてながら走っていった。
「走ったら危ないよ。」
僕の声で音は止まった。
僕は手を振った。
もう一度笑顔を意識しながら手を振った。
「さようなら。」
男の子の大きな声が聞こえた。
僕はもっと大きく手を振った。
ランドセルの音はまた走り始めた。
もう僕は止めることをあきらめた。
あのままお家に駆けこむのだろう。
大昔、そんな日が僕にもあったような気がする。
(2015年10月26日)