街路樹

白杖を左右に振りながら、
バス停に向かって歩く。
最寄りのバス停には点字ブロックが敷設されているので、
見えない僕にはそれが目印となる。
耳は前方から来るかもしれない自転車の音に注意しながら、
足の裏では点字ブロックを探しながら、
それなりの集中力を使っているのだと思う。
バス停にたどり着いたらちょっとほっとする。
「おはようございます。」
ほっとしている僕を気持ちのいい挨拶が迎えてくれた。
「おはようございます。」
僕は持ち主が誰かも判らない声に向かって返した。
彼女の説明では、このバス停で出会うのがもう幾度目からしい。
声だけではなかなか記憶できないことを詫びながら、
街路樹の様子を尋ねてみた。
「丁度、それを説明しようかと思ったんです。」
彼女は微笑んだ。
僕達は家族でも幼馴染でもない、いわゆる他人同士だ。
秋の始まりの中に笑顔の僕達がいた。
人間同士の絆の薄さやはかなさを、
社会は時々切り取って伝えようとする。
でもね、豊かなんですよ、人間の社会。
街路樹の秋色の移ろいを、見知らぬ人同士で味わえるんですからね。
(2014年11月2日)

美しい言葉

品川から乗車した新幹線の僕の座席は、
3列席の通路側だった。
窓側2列は空席であるとサポーターが教えてくれた。
サポーターの座席は通路をはさんだ反対側だった。
僕は着席すると、愛用の大きなリュックサックを足元に置いた。
新横浜から乗車してきたお嬢さんが、
「すみません。」と声を出された。
僕の奥の座席の方で、
リュックサックを動かして通れるようにしてとのメッセージだとすぐに判った。
「すみません。」
僕はリュックサックを膝に乗せて、
彼女が座席に着くのを微かな音と雰囲気で確認した。
そしてしばらくして、
「僕は目が見えないので、通る際は教えてください。」とお願いした。
返ってきた彼女の返事はあたたかな響きだった。
それからしばらくして、
パソコンで仕事をするために
僕は前の座席の背もたれについているテーブルをセットしようとした。
手探りでうまくいかない僕に気づくと、
彼女はさりげなく手伝って、
「何か困ったら言ってくださいね。」と付け加えた。
僕は感謝を伝えた。
そして、ありがとうカードをそっと差し出した。
「ありがとうございます。」
今度は彼女は微笑んだ。
新幹線が京都に着いて席をたつ時に、
「おおきに。」
僕は再度お礼を伝えた。
「お気をつけて。」
彼女はまた微笑んだ。
新横浜から京都まで、交わした言葉はそれだけだった。
一期一会と言うほどでもないかもしれないが、
織りなす日本語の美しさに心が和んだ。
(2014年10月28日)

研修会

「僕達が見えなくても、僕達と視線を合わせて話をしてください」
僕は研修の冒頭で参加者の皆さんにお願いした。
アイマスクでの昼食体験やガイドの実習なども含めて
6時間の研修は結構ハードだった。
企業の利益には直接反映されない研修なのに、
たくさんの人が参加してくださり真剣に取り組んでくださった。
心地よい疲労感と充実感が、
伝えようとする僕達と学ぼうとする人達との間に広がった。
これから白杖の人を見かけたらサポートしますとか、
僕達の仲間の幸せにつながる仕事をしますとか、
家族に伝えますとか、
うれしい感想がならんだ。
研修を終えて会場を出ようとしたら、
京都にゆかりがあるという参加者が声をかけてくださった。
ほんの数分間の立ち話だったが、
彼はしっかりと僕の目を見つめて話してくださった。
そして笑顔だった。
僕は自然に握手をした。
同じ未来を見つめていることを感じた。
(2014年10月27日)

ひっつき虫

「おはようございます。」
朝の駅のプラットホームで同僚の女性が僕を見つけて声をかけてくれた。
目的地は同じ場所なので手引きでのんびり行けるなと、
僕は内心喜んだ。
それから彼女は、汚れていると教えてくれながら僕のズボンを叩いてくれた。
一瞬にしてそれが判るのだから目って便利なものだ。
「ひっつき虫ですね。どこを歩いてきたのですか?」
どうやら僕は、いっぱいのひっつき虫をズボンンにつけて歩いていたらしい。
人間の目とか脳とか凄い道具で、
道の途中にある草や飛び出している木の枝を察知したら無意識によけているのだ。
空中のお店の看板も雨上がりの水溜りも自然によけているのだ。
見えないと、それはできない。
日常、看板や木の枝にぶつかるし、
水溜りもジャブジャブ歩く。
痛いとか冷たいとか汚れるとか、
それはやっぱり残念なことだ。
ただ、ひっつき虫はうれしくなった。
見えないからこそ気づかずに草むらを歩き、
たくさんひっつけて歩いていたのだろう。
ズボンはきっと秋模様だったに違いない。
素敵なオシャレだなとうれしくなった。
そうそうこの前は、上着のポケットあたりにごはんつぶを付けて歩いていた。
帰宅して脱いだ時に手が触って判った。
ごはんつぶも乾燥していたし、
きっと昼食後ずっとつけて歩いていたのだろう。
いやひょっとしたら、数日前からかもしれない。
その間にいくつかの講演や授業をしたと思ったら情けない。
ワッペンに見えてくれてたらいいんだけど。
とにかく、ひっつくものには気をつけなくちゃね。
(2014年10月21日)

桜貝

鹿児島講演の最終日、新幹線の出発するまでの2時間あまり、
同級生達は僕の大好きな東シナ海の波の音を聴きに車を走らせてくれた。
晴天の秋空の下に、40年前と同じ海があった。
何も変わらない海があった。
波音を聴きながら手作りのお弁当を食べた。
幸福感が僕を支配した。
砂浜を散策していた同級生が、
桜貝の貝殻を僕の手のひらに載せてくれた。
そっと触るとピンク色が指先で微笑んだ。
なにもかもを放り出してここで暮らせたらと、
現実味のない妄想が潮風に吹かれた。
明日からまた、空きのないスケジュールが続く。
僕はきっとひとつひとつに真剣に取り組むのだろう。
それが生きているということなのかもしれない。
でも来年は休日を確保して帰ってこよう。
そして砂浜で昼寝をするんだ。
まどろんで目を覚ましたら、
奇蹟が起こって海が見えたりしてね。
(2014年10月17日)

新幹線

朝のラジオのニュースは緊張感に包まれていた。
台風は大きな勢力を保ったまま九州から本州に向かっている、
JR西日本は午後の電車をすべてストップする、
その他の地域の在来線も運休決定が続出、
新幹線にも変更や運休があるかもしれない。
僕は不安の中で迷った。
翌日から鹿児島県の子供達への福祉授業が予定されているのだ。
どこまで交通機関が機能してくれるのか、
もし移動の途中で動かなくなったらどうしよう。
いろいろな場面を想像しながら迷った。
それはきっと、突然の状況の変化にはとても弱い視覚障害の特性もあるからだろう。
そして、ギリギリのタイミングで行くことを決めた。
決めた理由は、なんとかなるだろうという根拠のないいい加減な気持ちだったかもし
れない。
困ったら、周囲の人にお願いすれば誰かが助けてくださるだろう。
まさに希望だ。
タクシーで駅に向かった。
運転手さんから、こんな日にどこに出かけるのですかと尋ねられたけれど、
なんとなく九州とは言えなかった。
地元の駅に着いて切符を購入して、新大阪駅での乗り換えのサポートを依頼した。
駅員さんからも、途中で止まる可能性がありますと説明を受けた。
覚悟していますと答えたら、気をつけて行ってらっしゃいと言ってくださった。
僕は笑顔で、行ってきますと答えた。
新幹線の中では何度も台風による運行状況のアナウンスがあり、
在来線はほとんど動いていないのが判った。
それでも、僕の乗車した新幹線は予定通りに動いた。
ただただ新幹線という乗り物の技術力の高さに感動した。
熊本を過ぎたあたりでワゴンサービスのホットコーヒーを頼んだ。
コーヒーの香りが心にまで浸みこんだ。
明日からの4日間、故郷の子供達にしっかりとメッセージを届けたい。
(2014年10月13日)

仲間

京都府の北部地域から集まった視覚障害者、ガイドヘルパー、ボランティア、
皆で福知山市内をパレードした。
白杖を持って、盲導犬と一緒に、ガイドさんや家族にサポートしてもらいながら
シュプレヒコールに背中を押されて歩いた。
と言っても、都会の雑踏とは違ってほとんど人通りはない。
一見すれば、あまり意味がないように思う人もいるかもしれない。
でもそれは違うのだ。
この京都のそれぞれの地域で暮らす視覚に障害を持った仲間が、
一か所に集って、皆で思いを言葉にする。
その言葉をしっかりと口にしながら歩くのだ。
そこに大きな意味がある。
この行事が始まってもう48年、
点字ブロックも音響信号もない時代からずっと、
バトンが受け継がれてきたのだ。
そして、僕達はこのバトンを未来に届けなければいけない。
僕は歩いている間、すがすがしさを感じていた。
そして、ずっと笑顔だった。
帰宅してパソコンを開いたら仲間からのメッセージ、
ねぎらいの言葉がやさしく微笑む。
心と心が握手する。
見えなくなって失ったものもある。
でも、得たものもたくさんある。
ひょっとしたら、人生は豊かになったかもしれない。
(2014年10月12日)

アイマスク体験

大阪府の高校の授業でアイマスク体験をした。
この高校では、僕は毎年3年生の家庭看護福祉という授業に関わっている。
京都からは遠くて通勤も結構大変だし、
今時の若者達がこの地味な授業にどれだけ興味を持ってくれるのかも判らないのだが
ささやかな希望を持って続けている。
今回の授業は視覚障害者が困っていたらどのように手伝ったらいいのかを学ぶ実習で
二人一組で片方がアイマスクをし、
もう一人がサポートをしながら校庭を歩くというものだった。
生徒達はそれなりに真剣に取り組み、
階段の上り下り、スロープ、狭い場所などの通過などを体験した。
水飲み場では、アイマスクのまま水を飲むことにもチャレンジした。
化粧がとれると心配を口にする女子高生もいたが、
それでも実習には真面目に参加してくれた。
その光景を感じながら、
また今年も高校生達に出会えたことに感謝した。
授業が終わっての帰り道、
校門に向かって歩いていたら、
「松永先生、さようなら。」
だいぶ向こう側から女子高生の声がした。
彼女は笑顔で手を振った。
僕も会釈をして、バイバイと手を振った。
秋空の下の校庭、
17歳の少女の制服姿の笑顔がとても絵になるような気がした。
(2014年10月9日)

風になりたい

ガイドヘルパー講座で知り合った有人からメールが届いた。
「風になりたい」を家族で回し読みしていると書いてあった。
僕はニヤリとした。
僕は3冊の本を出版しているのだが、
「風になってください」
「見えない世界で生きること」
「風になってください2」
がそれぞれの題名だ。
「風になりたい」という本はない。
でも、今回が初めてではない。
時々、この間違いが起こってしまうのだ。
きっとそれは、読んでくださった人の思いの記憶なのだろう。
有難い、うれしい間違いのような気がする。
2004年に出版された「風になってください」は1万冊という数になり、
今でも少しずつだけど、アマゾンなどで誰かが買ってくださっているようだ。
昨年出版した「風になってください2」は、
京都市の図書館で中学生向けの推薦図書になった。
とても光栄なことだ。
僕は特別に文学の勉強をしたこともなく、
自分でも稚拙な文章だと自覚している。
でもこうして支持してくださるということは、
本を支持してくださるというようりも、
見えない僕が参加していく社会に思いを重ねてくださっているということだろう。
「風になりたい」、
本当にありがとうございます。
(2014年10月4日)

音声時計

光を感じることのできない僕は、
目が覚めていつも同じことを思う。
「朝かな?夜かな?」
それから枕元の棚の上に置いてある時計を手探りで探す。
マッチ箱くらいの大きさでキーホルダーがついている。
触覚で確認しやすい形状だから、
寝ぼけていても探しやすい。
それをキャッチしたら、ボタンを押すと音声で現在時刻を教えてくれる。
朝を確認できるのだ。
この便利な道具が千円程度で買えるのだから、
物質的には豊かな社会なのだろう。
有難いことだと思う。
こんな道具がない頃、盲人はどうやって朝を探したのか不思議だ。
最近はトイレで起きるようになった。
二度寝することも珍しくなくなった。
若い頃は12時間以上でもひたすら眠れたことを思い出すと、
ただただ悔しい。
長時間寝て目覚めた時の光のまぶしさ、あの瞬間、
あれは幸せのひとつだ。
とっても穏やかで優しかった。
若くなくなって失ったものなのか、
見えなくなって失ったものなのか、
まあどちらにしても、
無い物ねだりの世界だな。
失明、的を得た単語だと妙に納得した朝です。
それでも、朝だよって、小鳥たちが笑っています。
(2014年9月29日)