今日は宇治市視覚障害者協会の総会だった。
僕は京都府全体の視覚障害者協会の役員をしているので、
毎年府下の視覚障害者協会のいくつかの総会で挨拶をしたりするのだ。
一応来賓という扱いになるので慣れないネクタイ姿で出かける。
今朝もバタバタして準備をした。
ハンカチや携帯電話や財布などの確認をした時、
小銭入れが膨らんで重くなっているのに気付いた。
いつもは気にも留めないことなのに変なことに気づくなと思ったが、
時間もなかったのでそのままポケットに押し込んだ。
雨も降っていたし早めに出かけようという気持ちがあった。
久しぶりの宇治市では仲間達と交流し楽しい時間を過ごした。
総会の後は宇治川の近くで春の風に吹かれた。
平等院鳳凰堂の参道では宇治茶を煎じる香りに包まれて歩いた。
忙しい合間だったけどのんびりとしたひとときだった。
満足して帰路に着き、桂駅に着いたのは17時だった。
改札口を出てしばらく歩いたところで
「あしなが募金が立っています。」
同行していたサポーターが教えてくれた。
その瞬間今朝の小銭入れの状態の記憶が蘇って愕然とした。
僕は見えている頃児童福祉に携わっていた。
失明して退職したけれども
ささやかでもいいから子供達を応援したいという気持ちはあった。
でも失明後しばらくは無職だったし、
社会復帰したその後の人生でも自由業を選択してしまったので
高所得者にはならなかった。
自ら選んだ人生で納得はしているのだけれど
貧しさとはすっかり友達になってしまった。
それに元々意思も弱いタイプだし持久力もない。
それで悩んだり悔いたりしないために二つのことを決めた。
貧困で教育を受けられないフィリピンの小学生を毎年一人だけ学校に行かせること、
あしなが育英会の募金に遭遇したら小銭入れの中身をすべて寄付すること、
この二つを一生続けること。
これならなんとか僕にもできそうだし続けられる。
小銭入れにコインがなかったら千円札1枚というところまで決めていた。
それなのに、朝の小銭入れの状態を思い出して一瞬たじろいだ。
このたじろぎがいかにも小市民の僕らしい。
気合を入れて小銭入れのチャックを開けて、
すべてのコインをサポーターの手のひらに乗せた。
サポーターはわざわざ数えて4千円近くあると教えてくれた。
募金箱を持っていた青年に
「やられたなぁ。どうして今日立ってたの!」
僕は訳の判らない独り言をつぶやきながら
コインを募金箱に入れた。
うなだれそうになっている僕の後ろ姿に向かって
「ありがとうございます。」
青年のはっきりとした大きな声が追いかけてきた。
心のこもった声だった。
単純な僕はその声だけで元気を取り戻した。
それにしても不思議な予感ってあるんだな。
もしこの予感が宝くじ売り場の前で発揮できたら、
今度は札束を寄付します。
きっとします。
いやたぶんします。
おそらく、ひょっとしたらします。
いやいや、するかもしれません。
不安になってきたので、当たってから決めます。
(2015年4月19日)
予感
日本語が好きです
ニュースで報じているように外国からの観光客が増加しているようだ。
毎日たくさんの外国人と遭遇する。
時々周囲がすべて外国語になってしまうこともよくあるようになった。
今日も地下鉄の階段を降りはじめた僕の後ろに、
にぎやかな中国のおばちゃん達が近づいてきた。
僕は自然にスピードをあげて動こうとした。
前方の人に白杖が当たった。
いつものように「すみません」と謝る僕に、
返ってきた言葉はスペイン語らしき言葉だった。
外国人に挟まれるような感じでゆっくり歩いたが、
また白杖が前方の人に当たった。
「すみません」に返ってきた言葉はやっぱりさきほどと同じ外国語だった。
もちろん意味は判らなかった。
困ったなと固まった瞬間、
「ゆっくりと一歩だけ降りてください。」
右後方からの若い男性の声だった。
「ありがとうございます。」
僕は一歩降りた。
「また一歩だけ降りてください。」
彼は僕と前方との距離を測りながら一歩ずつ誘導してくれた。
最後の段を降り切った時、
「終りました。もう大丈夫です。」
彼はその言葉だけを残して雑踏に消えた。
後ろから追いかけてきた中国のおばちゃん達の大きな話し声と笑い声に包まれて、
僕は彼がどちらに動いたのかさえ判らなくなっていた。
僕は心の中でありがとうございますとつぶやいた。
日本語っていいなと感じてしまった。
異国から脱出したような気分になっていた。
外国語が判らないからではありません。
やっぱり日本語っていい感じです。
(2015年4月16日)
すみません
見えない僕が外を歩けるのは白杖があるからだ。
白杖を右手で持っておへその前にまっすぐに差し出す。
そして自分の幅よりも少し広めに左右に振りながら歩く。
点字ブロックがある場所では白杖と片方の足で凹凸を感じながら歩く。
白杖はしょっちゅう前方の何かに当たる。
何かが何なのかはほとんど判らない。
一瞬の触覚で判断はできない。
音にもいつも気をつけて歩く。
でもこれにも限界がある。
人の多い場所、音のうるさい場所ではどうしようもない。
結果、白杖が通行人の足に当たってしまうこともある。
申し訳ないと思う。
だから僕は、当たった瞬間謝ることにしている。
「すみません。」
毎日何十回も謝る。
時には電信柱やゴミ箱、不法駐輪の自転車にも謝っているらしい。
いやそちらの方が多い。
最初の頃は恥ずかしさ、照れくささみたいな感情があったが今は平気になった。
見えないから当たり前と開き直ってしまったのかもしれない。
そしていつの頃からか、
しっかりと「すみません。」と声を出して歩く自分が好きになった。
そして「すみません」も「ありがとう」も、
口に出すほど幸せな気分になれる言葉だということも発見した。
見えなくても豊かな人生をおくりたい。
(2015年4月11日)
ウグイス
洗濯物を干すためにベランダに出た。
目が見えないからいろいろなことを家族にしてもらっていると思われがちだが
現実にはたいていのことは自分でやっている。
目が見えていた頃よりも自分でやることが増えたかもしれない。
例えば洗濯した衣服を自分で片づければ、
どこに片づけたかを記憶できる。
次回取り出す時に自分で準備できる。
その方が合理的だから自分でやるようになった。
洗濯機には点字の操作案内が付いているので問題なく使える。
手洗いなどの特別なメニューを選択したりする時は家族に手伝ってもらうし、
洗剤を選ぶのも頼んだりする。
僕はどんな洗剤でもいいのだけれど、
家族は加齢臭対策にすぐれたものを選ぼうとするから笑ってしまう。
洗濯ものを干し終えて部屋に入ろうとしたら、
ウグイスのホーホケキョという見事なさえずりが聞こえた。
僕が洗濯物を干すのを見ていてくれたのかもしれない。
ご苦労様と言ってくれたのかな。
今僕は春の中にいるのだなとうれしくなった。
(2015年4月7日)
新年度
二か月ほど前に買っておいた新しい靴を、
4月の始まりに合わせて履き始めた。
自由業の僕にとっては
新しい年度にどれだけの仕事があるのかないのか判らない。
一年以上前から予約が入っている仕事もあれば、
一週間ほど前になって突然入ってくる仕事もある。
収入につながる仕事もあればそうでないのもある。
収入にならないことを仕事と呼ぶのは不自然なのかもしれないが、
いろいろな活動をする中でそういうことがあるのも知ったし、
その仕事がとても大切であることも判ってきた。
お金とは比較できないことのために活動できることを誇らしく感じることさえある。
どちらにしても仕事があるということは有難いことだ。
仕事をするということは社会につながる一番手っ取り早い方法だ。
感謝しながら新年度を迎え、
4月以降のスケジュールを確認してみたら、
3月までの半分がもう既に埋まっていることに気づいた。
見えなくなって何もかもを失ったと感じた時のことを思えば、
本当に幸せなことだ。
花散らしの雨でできた桜のジュータンの上を歩きながら、
気が引き締まるような感じがした。
また新しい出会いがあり、また心を震わす学びがあるだろう。
一歩一歩踏みしめながらしっかりと歩いていきたい。
今年度も宜しくお願い致します。
(2015年4月4日)
素敵に老いる
春休みのせいなのかイベントでもあるのか、
地下鉄の北大路の駅は多くの人だった。
僕はいつもより緊張感のレベルを少しあげて、
白杖で路面を強めにたたいて音を出すようにしながらゆっくりと歩いた。
周囲の人に気づいてもらうことで、
ぶつかるリスクが少なくなるからだ。
突然ご婦人が僕の腕を持って、
「一緒に行きましょう。」と声をかけてくださった。
僕はいつものように肘を持たせてくださいと言いながら、
瞬時に彼女の肘を持った。
一緒にエスカレーターに乗り電車に乗り、座席も隣同士で座り、
その間いろいろな話をした。
会話の途中で彼女が87歳だと知った。
彼女の姿勢、歩き方、会話の内容、
どこにもその年齢は感じられなかった。
僕は聞き間違ったと思って、再度聞き返したほどた。
元気の秘訣を尋ねたら、
粗食と鍛錬とおっしゃった。
今日もこれから体操に行くところとのことだった。
老いと実年齢はやっぱり違うものなのだなと痛感した。
何よりも、
いくつになっても社会に参加し、
そして誰かの力になろうとする生き方は素敵だと思った。
僕はこのままではヨボヨボの文句言いのジジイになりそうだから、
まずは精神の鍛練が必要なのかなぁ。
それに食べることは大好きだから、
粗食には耐えられないだろうしなぁ。
別れ際に、
「気をつけてね。」と言ってくださった彼女に、
「100歳を狙ってくださいね。
そして100歳になっても手伝ってくださいね。」
と伝えた。
「もちろんよ。」
彼女は笑顔でそうおっしゃった。
それを実現させるには、僕も後13年は一人で歩くということになる。
頑張ります。
(2015年3月29日)
季節外れのクリスマスプレゼント
一週間ほど前のことらしいが、
女優の杉本彩さんが
東京のFMラジオの番組で僕の著書を紹介してくださったらしい。
先日は大阪で活躍しておられるディスクジョッキーの寺平ヒロさんが、
やはり番組の中で同じように僕の著書を紹介してくださった。
僕は直接聞いたわけではないのだけれど、
リスナーの人が教えてくださってわかったのだ。
季節外れのクリスマスプレゼントをいただいたような気分だ。
とても有難いことだと思う。
その他にもこれまでに、
いくつかのメディア、新聞、出版物などの取材を受ける機会があった。
僕はたくさんの人に著書を読んで欲しいと思ってはいるけれど、
積極的に自分を売り込むような勇気はない。
情けないけどいつも受け身だ。
それでも時々、僕の活動を知ってあるいは著書を読んで、
僕の発信を手伝ってくださる人に出会えるということは有難いことだ。
講演などの機会もほとんどがそのたぐいだ。
幸運と言っていいのかもしれない。
そして最終的につながるのは、
著名人とかメディア関係者とか出版関係者とかということではなくて、
一人の人間としての生き方、考え方ということになるのだろう。
とにかく、見える人も見えない人も見えにくい人も、
皆が共に支え合って生きていく社会に賛同してくださっているということになる。
そういう意味では、
このブログを読んでくださり、またお友達に紹介してくださったりということも
同じような意味になるのだ。
一人一人に心から感謝申し上げます。
ちなみに9か月後の今日が今度のクリスマスイヴです。
(2015年3月24日)
声
街角を曲がって少し歩いたところで、
白杖を持つ手の感覚で点字ブロックに気づいた。
念のために足の裏にも集中したら、
やはり点字ブロックだった。
横断歩道があるのかなと、しばらく立ち止まって車のエンジン音を確認していた。
右側から近づいてきた車のエンジン音が止まった。
「今青ですよ。変わったばかりだから大丈夫ですよ。」
運転手さんが教えてくださった。
わざわざ助手席の窓を開けて、
僕に声が届くようにしてくださっているのも判った。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は安心して横断歩道を渡り始めた。
声をかけてくださるということは、
見守ってくださっているということだ。
それはそのまま見えない僕が前に進む力になる。
音響信号の何十倍もの安心感があるから、
人間の声の力ってやっぱり凄いものだ。
横断歩道を渡り終えてしばらくして、先ほどの車が動き始める音が聞こえた。
僕はそちらを向いて頭を下げた。
僕も目は見えないけれど声は出る。
誰かのためになる声でありたい。
(2015念3月20日)
沈丁花
4時45分にセットした目覚まし時計は忠実にその時刻を知らせる。
もう少し眠らせてあげようかなどの配慮はない。
起きるという行動へのストライキでもしようかという思いが一瞬脳裏をかすめるが、
行動に移すだけの勇気もない。
ダラダラと起きだしてトイレと洗面をすませ、
コーヒーとシリアルの朝食をすませる。
6時にタクシーに電話して桂駅へ向かう。
7時過ぎの京都駅、結構な人が朝を始めている。
忙しい人も多いんだなと不思議な感じ。
企業戦士でもない僕は早朝に動かなければいけない会議が続くと閉口してしまう。
それでも行くのだから、どこかで大切な仕事と割り切っているのだろう。
午前中の総会と午後の研修会、高田馬場の日盲連を出たのは17時を過ぎていた。
玄関を出て数歩歩いたところで、
沈丁花の香の塊に出くわした。
ほとんど風もない夕方の状態、
きっと神様が置いてくださったのだろう。
粋なプレゼントだな。
香りの中で脳がぼんやりとした。
なんとなく笑顔になった。
(2015年3月16日)
20万回
来年度の準備などでバタバタする日が続いていて、
このブログへのアクセス数にも気づいていなかった。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、
自分のホームページを自分で見ることはあまりない。
まして一度書いて発表したブログの文章などは自分ではほとんど読まない。
気恥ずかしさでいっぱいになるからだ。
一人でも多くの人にメッセージが届くようにとの願いだけで、
ただ書き続けているという感じだ。
今朝そのアクセス数が20万回を超えたと、
知り合いの人がメールで教えてくださった。
教えてくださったメールもうれしかったし、
その数もただただうれしく感じた。
2012年7月14日に最初のブログを書いた。
2年8か月で20万回のアクセス数になったということになる。
僕にとっては凄い数字だと思う。
子供の頃の宿題の絵日記、
夏休みが始まって数日でとん挫するのが常だった。
夏休みが終わる日に残りを必死になって書いていた記憶がある。
天気を書く欄にはウソばかり書いていたものだ。
日記だったらこんなに続けることは僕にはできなかっただろう。
読んでくださる人がおられるから続けてこられたのだ。
いろんな場所でいろんな機会にホームページを紹介している。
でも実際に覗いてくださるのは一部の人だ。
一度覗いて終わりという人もおられる。
それでも覗いてくださっただけでも有難い。
週に一度くらいとか一か月に一度くらいとか、
毎日という人はおられないだろう。
とにかくこの数は一定の発信力になっているということだ。
このホームページを覗いてくださった人、
ブログを読んでくださった人、
ありがとうございます!
本当にありがとうございます!
共感は未来を創造していく力となります。
そう信じて、これからも書き続けていきます。
(2015年3月13日)