爽やかな風

久しぶりに立ち寄ったトンカツ屋さん、
入口の判らない僕は、
道行く足音に向かって声を出した。
「トンカツ屋さんの入口を教えてください。」
すぐに立ち止まってくださったご婦人は、
「ここのトンカツおいしいよね。」
そう言いながら、たった数歩、僕を手引きしてくださった。
つまり、僕はほとんど入口に近い場所から声を出していたのだ。
ご婦人は、入口がすぐそこなんておっしゃらなかった。
見えないということを、理解してくださっていたのだろう。
店員さんがサポートしてくださるのを見届けて、
ご婦人は立ち去られた。
トンカツ屋さんには、いつもの店員さんがおられた。
ランチの説明をしてくださり、
申し訳なさそうに、消費税で値上がりしたことも付け加えられた。
器にソースを入れ、ゴマを入れ、御飯にお漬物を載せてくださった。
さりげなくて確実なサポートには、
いつも上品さが漂っている。
「何かあったら、何でもおっしゃってくださいね。
どうぞ、ごゆっくり。」
僕は、本当にゆっくりのんびり、ランチを楽しんだ。
「ここのトンカツおいしいよね。」
ご婦人のやさしい言葉を思い出しながら、
胃袋だけでなく、心までが満足していた。
食事が終わると、
店員さんは、僕の向かう横断歩道まで手引きしてくださった。
横断歩道の点字ブロックに着くと、
「また、立ち寄ってくださいね。」
笑顔で会釈された。
笑顔が、5月の爽やかな風にとても似合った。
(2014年5月3日)

八重桜

午前中予定されていた綾部市視覚障碍者協会での挨拶を終え、
急いでお弁当を頂き、ボランティアさんの車で知人のお見舞いに向かった。
綾部市と舞鶴市の病院、二か所が終わったのが15時くらい、
帰るまでにもう少し時間があると思ったので、
引き揚げ記念館を訪れた。
我ながら、時間の使い方は、本当に上手になってきていると思う。
僕の父は、シベリアからの引揚者だ。
戦争によって、青春時代の数年間を失っている。
父は僕が子供の頃から、シベリアのことをほとんど語らない。
ただ、戦争は絶対にしてはならないと、
それはいつも言っていた。
語らない言葉に、大きな意味があったように思う。
風化していく歴史が、繰り返されないことを願いながら、
展示物を見て回った。
わずかの時間だったが、しっかりと刻まれた。
記念館の出口で、ボランティアさんが、
八重桜が咲いていることを僕に伝えた。
僕はちょっと立ち止まって、
深呼吸をして、空を眺めた。
平和な空を眺めた。
(2014年4月27日)

30歩

休日の予定だったのに、
急に、夜の会議が入った。
重たい気持ちと身体は、なかなか動こうとはしなかった。
若い頃なら、仮病でも使っただろうが、
この年になってやっと、責任感みたいなものも芽生えてきているらしい。
溜息をつきながら、うつむき加減で家を出た。
その流れのせいなのか、バスも電車も、座れることはなかった。
夕方込み始めた駅の構内では、白杖が、幾度も誰かの足に当たった。
僕はその度に謝った。
大宮で電車を降りて、バス停まで移動しようとして、
白杖が、不法駐輪の自転車につかまった。
とうとう動けなくなった。
立ち往生して、白杖であちこち探っている僕に、
若い男性が声をかけてくれた。
バス停まで、わずか30歩くらい、
僕は彼の肘につかまって歩いた。
同じ方向に行くのか確認したら、
彼はまったく違う方向だった。
立ち往生している僕を見つけて、
かけよってくれたのだろう。
たった30歩、僕はその間に、笑顔になった。
バス停の点字ブロックの上に僕を誘導して、
「さようなら。」
彼は僕の肩を、軽く二度叩いた。
頑張れのサインだったと思う。
会議が終了してライトハウスを出たのは20時を過ぎていた。
勿論、帰り着くまで、笑顔で頑張れた。
もう一度若者をやれるなら、
あんな若者になってみたいな。
(2014年4月23日)

旅人

ふらっと立ち寄ったさわさわ、
僕の向かい側の席で、先客がカレーライスを食べていた。
その香りにつられて、僕もカレーライスを注文した。
幾度食べても、やっぱりおいしい。
「おいしいですね。」
僕は何気なく、カレーライス仲間に話しかけた。
「辛くて、鼻をすすっています。」
彼女は笑った。
埼玉県からの旅人だった。
ウィークリーマンションに滞在して、
のんびりと京都を楽しんでいるとのことだった。
どこの桜を見たかとの僕からの質問に、
いくつもの京都の地名が出てきた。
30年以上暮らしている僕よりも、
ずっと京都に詳しく、
そして、京都が好きだということも伝わってきた。
頑張って働いて、
少しお金を貯めて、
そして旅に出ているのだそうだ。
きっと旅の中で、彼女は豊かな時間を過ごしているのだろう。
言葉の端々に、それが感じられた。
何かとても、うらやましくなった。
たった一度の人生、
見えるとか見えないとか無関係に、
豊かに過ごしたいよな。
波の音を聴きながら、
のんびりと老いていきたいと、
漠然と思ったりしている。
今度思い切って、旅に出てみようか。
若いころ、目が見えていた頃、
リュックサックを背負って、
鈍行列車に乗車してあちこちを旅した。
勿論、その時の風景は、
思い出の中で、僕の宝物になっている。
またどこかで、豊かな香りや音が、
僕を待っていてくれるかもしれない。
(2014年4月18日)

ぎっくり腰

この一週間はぎっくり腰の痛さで、
コルセットをして亀のように歩いた。
おまけに一昨日から発熱して、
とうとうかかりつけのドクターを訪れた。
夜だったが、緊急でいろいろな検査もしてくださった。
S字結腸が炎症を起こしているとのことで、
食事制限と安静を告げられた。
しばらく休日はない状態ですと説明する僕に、
ドクターは、
万が一の場合は、訪問先の病院を受診するようにとおっしゃった。
僕の活動や多忙さをよく理解してくださっている。
今朝も、6時過ぎには電話がかかってきた。
昨夜の緊急の検査の結果が出たとのことだった。
僕の状態を心配してかけてくださったのだ。
なんとか行けますという僕に、
無理をしないようにと、暖かな言葉がかさなった。
こうして考えると、
僕の活動、僕の人生、
いろいろな人がいろいろな形で応援してくださっている。
本当にありがたいことだ。
福知山市から帰り着いてメールを確認したら、
今日出会った仲間からご苦労様のメールが届いていた。
笑顔になった。
絶食でお腹はペコペコだけど、
なんとか熱も引いて、
心はちょっと温かくなった。
今日出会ったすべての人達に感謝です。
(2014年4月12日)

1日は、東京の千鳥ヶ淵で桜を眺めた。
2日は、団地の近くの桜を眺めた。
3日は、京都御所の桜を眺めた。
そして5日は、洛西桜まつりに参加した。
それぞれの桜が、僕の指先で微笑んだ。
つかの間の春が微笑んだ。
老若男女、国籍さえも超えて、
桜の花の下に、人が集った。
それぞれが、キラキラとした笑顔で集った。
見えない僕は白杖を持って、
歩けない人は車いすで、
空間に溶け込んだ。
一枚の桜の花弁は、
特別な美しさではない。
きっと色も形も大きさも、不揃いなのだろう。
それが、数えきれないほど集まって、
桜になるのだ。
僕達の社会もきっとそうなのだろう。
それぞれ違う人が集まって、
それぞれが笑顔になった時、
きっと美しくなる。
だから、やっぱり、
それぞれ違う一人ひとりが大切なのだ。
僕も、標準形、標準色からははずれるのだろう。
でも、社会という桜の木の、
ささやかな一枚の花弁でありたい。
(2014年4月6日)

ふきのとうの思い出

僕は下戸なので、
アルコールは飲めない。
楽しそうに酔っ払う友人を見ると、
いつも、幸せがひとつ少ないとひがんでしまう。
でも、飲めないのだから四方ない。
お酒が似合う和食屋さんのメニューには、よく、季節を感じるものがあって、
それを味わうのが、もっぱら僕の楽しみだ。
居酒屋さんで、ふきのとうの天ぷらを見つけた。
ちょっと時期が過ぎた気もしたが、
注文した。
口の中で、あの独特の苦味が広がった。
ふと、最近会っていない友人を思い出した。
数年前の春の始まりの頃、
ふきのとうの天ぷらを届けてくれた。
お互いに忙しくて、
なかなか会えなくなったが、
元気でいて欲しいといつも願っている。
映像がなくても、思い出には
色や香りが寄り添う。
こういう思い出を残せた出会いに、
心から感謝する。
友人の笑う声を思い出しながら、
そっと合掌してごちそうさまをした。
(2014年3月31日)

開花

「あっ・・・。」
彼女は小さな声を出しながら、
四条木屋町の近くのコンビニからのルートを少しはずれた。
手引きされている僕もつられて動いた。
彼女は、高瀬川沿いの桜の前で立ち止まった。
彼女の肘をつかんでいた僕の左手をそっと持って、ゆっくりと動かし始めた。
その動きは、まるでスローモーションのようだった。
やがて、僕の指先に、ふくらみかけた桜のつぼみが触れた。
「数厘だけ咲いています。」
花びらのやさしさとは違う、
柔らかな強さが伝わってきた。
春が始まったのだ。
自然と背筋が少し伸びた。
顔が上向きになった。
また、新しい始まりの季節なんだな。
僕もまた、心新たに生きていこう。
(2014年3月28日)

世間は三連休だったけれど、僕には縁がなかった。
三日間とも仕事だった。
仕事と言っても、いわゆる収入になるものではない。
でも、NPO法人ブライトミッションの理事会、京都府視覚障碍者協会の理事会、
視覚障碍者福祉大会など、どれも大事な活動だ。
大切な仕事だと思っている。
ただ、時間に追われている日々に間違いはない。
それでも今日は、夕方少し時間が空いたので、
両親のもとを訪ねた。
92歳の父と87歳の母、
僕と三人でお茶をすすりながら、
まじわす会話は、同じところを幾度も行ったり来たりする。
僕達の間に流れる穏やかな空気は、
急ぎ過ぎている僕の時計の針を、
ゆっくりと逆に回していく。
僕はいつの間にか少年に戻る。
友人がくれた和三盆のお干菓子が、それぞれの口の中で広がる。
「かあちゃん、うんまかなぁ。」
母が微笑む。
止められない時を感じながら、
止めたい気持ちを抑えながら、
またひとつ、お干菓子を口に放り込む。
(2014年3月23日)

旅の記憶

階段の手前で声をかけてくださった女性と、
僕の行き先の駅は同じだった。
彼女は、目的地の河原町駅までのサポートを快く引き受けてくださった。
電車が到着するまでの数分間、
僕達はホームでいくつかの会話をまじわした。
少し暖かくなってきたとか、もうすぐお彼岸だとか・・・。
「私は福井県出身なので、春彼岸にはあまり縁がなかったような気がします。」
春彼岸、響きのいい言葉だった。
やがて電車が到着し、僕達は乗車した。
車内は少し混雑していた。
彼女は僕の手を取ってつり革を持たせた。
次の駅で座席が空くと、今度はそこに座らせてくださった。
長身の彼女の控えめな言葉と動きが、
とても上品に感じられた。
座席に座っている間、
僕は満ち足りた気持ちになっていた。
ふと、見えている頃、職場の職員旅行で訪れた福井県を思い出した。
東尋坊、永平寺、芦原温泉・・・。
ひとつひとつの風景までもが蘇った。
それぞれの映像は、とてもやさしかった。
河原町駅に着くと、彼女はエレベーターを探して、
改札口まで誘導してくださった。
たった10分程度、サポートをしてもらっただけでなく、
何か素敵なプレゼントをいただいたような気になった。
毎日のように、やさしい人達に出会える。
いろんな見方はあるのだろうけれど、
僕にとっては、豊かな社会だ。
そして、それを感じられるから、こうして一人で街を歩けるのだろう。
豊かな社会に、心から感謝したい。
(2014年3月18日)