木枯らし1号に背中を押されながら京都へ帰るのぞみに乗車した。
のぞみの車中ではやさしい紳士と隣り合わせだった。
通路側の僕は彼に伝えた。
「目が見えないので出入りの際はおっしゃってください。」
「そうですか、何かお手伝いできることがあったらおっしゃってください。」
彼は微笑みながらそんな言葉を返してくれた。
僕は安堵感に包まれて車中の時を過ごした。
そして東京での講座を振り返った。
4泊5日の研修が終わった。
僕は自分の担当科目を講義すればいいだけだがそれでも疲れた。
いい加減な僕の関わりでも疲れたのだから受講生は大変だっただろう。
皆疲労感もあったはずだがどの受講生も最後まで集中力は途切れなかった。
日本のあちこちから陸路で空路で集まった人達、
きっと指導者としての意識の高さがあったのだろう。
うれしい結果だった。
定員一杯の参加者だったが数的にはスタッフを加えても30名程度だった。
僕は講義をするだけではなく懇親会にも参加して皆さんと交流した。
出席番号19番の青森から参加していた秋元さん、
爽やかさが素敵な若者だった。
早速僕のこのブログを読んで感想をくださった桂子さん、
ハスキーボイスが魅力的な女性だった。
横浜の小林さん、年明けには一緒に仕事するかもしれないと思った。
千葉のあきこさん、ドトールでのモーニングタイムうれしかった。
皆さんと会話を重ね親睦を深めた。
でも例えば一か月後に再会したとしても、そして名乗ってくださったとしても、
僕はきっとすぐには判らないだろう。
見えないとはそういうことなのだ。
声だけで記憶するなんて不可能だ。
でも共に過ごした時間はまぎれもない事実だ。
心が触れ合ったのは確かだ。
僕を中心にして撮影した記念写真、僕が見ることはない。
でもきっと僕も笑っている。
皆と同じ方向を向いて笑ってる。
皆と同じ未来を向いて笑っている。
(2017年10月31日)
Category: 松永信也からのお知らせ&エッセイ
記念写真
コーヒーカップ
東京のホテルの部屋、
4時過ぎに目が覚めてしまって困惑する。
もう少し眠ろうかと思案している間にすっかり目覚めてしまった。
仕方なくベッドから起きだしてシャワーを浴びる。
それからポットに水を入れてお湯を沸かす。
お湯が沸騰する間にイノダのスティックコーヒーを取り出してカップに入れる。
旅先にいつも京都から持参しているものだ。
お湯が沸いたら静かにカップに注ぐ。
コーヒーの香りが室内を泳ぎだす。
光も音もない空間で香りだけが存在を主張する。
熱い液体を吐息で冷ましながらゆっくりとノドに流し込む。
ほろ苦さを楽しみながらふと今日は何曜日だろうと考え出す。
一週間前は北海道だったことを思い出す。
楽しみにしていた北海道はあっという間に過ぎ去った。
おまけに台風の影響で滞在が一日短くなってしまった。
それでも思い出して笑顔になるのは豊かな時間だったからだろう。
たった一週間なのに記憶は遠くにある。
そしてどんどん遠くに過ぎ去っていくのだろう。
来月は鹿児島県に出かける予定だ。
あの北海道でお土産にもらった木製のコーヒーカップを持参しよう。
きっと朝のコーヒーがもっとやさしくなる。
(2017年10月29日)
溜め息
連日の小学校での福祉授業は結構ハードだった。
点字や手引きなども加えて二日間で8時限の授業をこなしたことになる。
少しの疲労感を感じながら家を出た。
お昼過ぎまでの高校の授業が終わったら急いで東京に向かわなければいけない。
ラッシュの電車の中でそんなことを考えていたら溜め息が出てしまった。
烏丸駅で電車を降りてホームの移動を始めた。
点字ブロックを白杖で確認して慎重に歩き始める。
混んでいるから他の人にぶつからないように
他の人が白杖にひっかからないように、
そして自分がホームから落ちないように。
朝の多忙さ、一応歩いている僕、声をかけてくれる人は少ない。
元々あきらめている僕がいる。
「改札まで一緒に行きましょう。」
珍しく男性が僕の左から声をかけてくださった。
右手で白杖を持っている僕には一番いいポジションだ。
僕は御礼を言うのとほとんど同時に彼の右手の肘をつかんだ。
その瞬間何とも言えない安堵感を感じた。
これでのんびり改札口まで行ける。
僕達はホームを歩きエスカレーターに乗り友達のように歩いた。
改札口でありがとうカードを渡しながら感謝を伝えた。
「お気をつけて。」
返ってきた彼の言葉はとても爽やかだった。
同世代と思われる彼をかっこいいと思った。
僕はそこから地下鉄に乗り換えて高校のある京都駅に向かった。
いつものように慎重に動いたが幾度か外国人の団体に道をふさがれた。
大きなトラベルバッグを引っ張っての移動、点字ブロックの意味などもご存知ないの
だろう。
文化の違いだから仕方がない。
やっと京都駅の改札に着いた。
見えないで動くってやっぱり大変だよなぁ。
改札口の横の待ち合わせ場所でまた溜め息が出た。
「先生、こんな場所で何してるんですか?」
突然の声の主は僕の講義を受講している女子大学生だった。
アルバイトに向かう途中とのことだった。
「次の講義の時は私が迎えにきますからね。」
彼女は次の講義の時の待ち合わせを確認しながら笑った。
その日も高校の授業の後の大学なので時間に追われる予定だ。
彼女が高校の近くまで迎えに来てくれて、
一緒にランチして大学へ向かうということになっている。
知っている人、知らない人、関係なく支えてくれる人がいる。
その人達の協力で僕の毎日が成り立っている。
人間の社会だからこそだ。
彼女と握手しながら溜め息が笑顔に変わるのを感じた。
(2017年10月27日)
海を見ながら
「雪虫が飛んだからもうすぐ雪が降りますよ。」
水平線を見つめながら少女が教えてくれた。
僕はコンビニのホットコーヒーを飲みながら砂浜に立ち尽くした。
砂浜はもうすぐ雪に覆われるのだそうだ。
左が小樽、右が札幌、意外なほど静かな凪の日本海だった。
岩場の近くではカモメが遊んでいた。
音色とリズムを変えながら波は歌った。
いくら聞いても飽きることはなかった。
少しずつ少しずつ僕の前に風景が生まれていった。
まるで1枚の絵画のようだった。
少女が描いてくれたものだった。
幸せだった。
そう感じたら少女の笑顔を見たいと思った。
きっと心に残る風景になるだろう。
砂浜が真っ白になったらもう一度訪ねてみたいと思いながら、
残りのコーヒーを飲み干した。
(2017年10月22日)
ジンギスカン
「6月になると綿毛が雪のように降って道が白くなるんですよ。」
ポプラ並木の道を走る車の中で同乗者の人達が教えてくださる。
「雲ひとつない真っ青な空ですよ。」
校舎の前で空を眺めながらボランティアの男性が伝えてくださる。
少し冷たくなってきている風が冬の始まりを予感させる。
授業で出会った高校生達の発音はやはり関西とは違う。
景色のない僕にも少しずつ北海道がささやき始める。
先生方とご一緒した夕食はジンギスカンだった。
乾杯!
やさしさが初対面の緊張を溶かしていく。
あたたかさが見えない壁をこわしていく。
黒い羊の話、スタッドレスタイヤの話、ユメピリカのお米の話、
いつの間にか僕も自然に道産子の輪の中にいる。
横に座ってくれた先生はその間もずっと僕の食事の手伝いをしてくださる。
さりげなさは昔からの友人のような感じだ。
コースの最後に出たシャーペット、いつもは手を出さない僕が食べてしまったのは雰
囲気だろう。
夕餉のひととき、皆で見つめたのは間違いなく未来だった。
明日は心をこめて北海道の高校生達に向かい合おうと強く思った。
(2017年10月20日)
新米
子供達に点字を教えて欲しいとの依頼があった。
学校関係の依頼は講演が圧倒的に多いのだが、
時々点字体験とか手引き体験というのもあるのだ。
僕自身の点字力は実は高くない。
指で点字を読むというのは日常どれだけ使いこなしているかが重要だ。
日常の記録をパソコンに頼っている僕はなかなか点字を読む機会がない。
エレベーターの数字、階段の手すり、会議の書類くらいが普段の点字だろう。
子供の頃から点字を使っている視覚障害者の先輩は、
僕の5倍くらいのスピードで書類を読んでいかれる。
指先に目がついているようなものだ。
いつも凄いなと尊敬してしまう。
点字を学び始めた時、努力すればどんどん上達すると先生に教えられたが、
先生は努力嫌いを治す方法は教えてくださらなかった。
その結果が現状となっている。
それでもこうして一応生活は成り立っているからいいにしよう。
その程度の点字力だけど小学生に教えるくらいはできる。
いや一応、高校でも大学でも教えていることになっている。
教え方は経験が豊富ということだろう。
小学校での点字は楽しんでやっている。
1人ひとりの書いた氏名を指先で読むと子供達は驚きながら喜んでくれる。
その瞬間、それが見えない人の文字だということを実感してくれるのだろう。
大切なひとときだ。
氏名が書けた子供に次の課題を出した。
「秋」で思い出すものを点字で書くというものだった。
「もみじ」、「まつたけ」、「くり」、「こうよう」、「さんま」。
いろいろな秋が並んだ。
授業の終り近くに持ってきた子はおとなしくて小さな声だった。
僕は男の子か女の子かさえ判っていなかった。
そっと差し出された点字用紙には「しんまい」と書かれてあった。
僕の脳裏に真っ白な炊き立てのつやつや光るごはんが浮かんだ。
「秋やなぁ。食べたいなぁ。」
僕はつぶやいた。
「はい。」
その子はやっぱり小さな小さな声で返事をした。
そして僕達は微笑んだ。
お互いを見つめて微笑んだ。
(2017年10月16日)
薄っぺらい責任感
4時半に起床して6時過ぎにはタクシーが迎えにくる。
7時ののぞみに乗車、品川で山手線に乗り換えて10時には高田馬場に着いている。
メンバーが揃い次第会議はスタート、
1時間弱の昼食休憩を挟んで16時半まで会議は続く。
同行援護という視覚障害者にとってとても大切な制度についての会議だ。
その議論の内容が国の施策に影響するから責任も大きい。
僕はそこの副会長という立場なのだが僕の能力を超えているのは間違いない。
引き受けた以上ちゃんとやりたいという気持ちだけはあるので必死で脳を回転させる。
我ながら健気な姿勢だと思う。
でも所詮力量が伴っていないので時間と共に頭の中にハテナマークが並んでいく。
早く退任しなければと思っているのだけれどそれもなかなか許してもらえない。
結局また今回も次の師走の会議の日程を確認して東京を離れた。
ただ人間はしんどさだけでは継続は無理だ。
東京でのこの会議での楽しみはお昼のカレーと帰りのお弁当だ。
カレー屋さんはいくらたっても日本語が上達しないインドの人がやっている。
ダルカレーと焼きたてのナン、最後にラッシーを飲めばもう上機嫌になってしまう。
たまには他の店と思ったりもするのだけれど結局この店に吸い込まれてしまう。
帰りののぞみで食べる浅草今半のすきやき弁当も自分へのご褒美だ。
これもいつも同じだ。
この昼食とお弁当がなかったらとっくに挫折していたかもしれない。
味覚が元気なうちはもう少し頑張れるかなと思ったりもする。
味覚に支えられた薄っぺらい責任感、僕によく似合う。
(2017年10月12日)
秋色
雨上がりのせいかもしれない。
澄み切った空気が感じられる。
湿度と温度と風力とのバランスが絶妙なのだろう。
秋のマジックだ。
思いっきり顔を上に挙げて空を眺める。
根拠はないのだけれどやっぱり高い気がする。
無意識に深呼吸する。
突然17歳の頃の映像が蘇る。
色鮮やかな山道を無免許のバイクで駆け抜けた。
暴れ出しそうな心を織りなす色が包んでくれていたような気がする。
誰と行ったのか、どこだったのか憶えてはいない。
秋だったことだけは確かだ。
秋の中で生きていた。
失った色を求めることはしない。
でもほんの少し感じられる自分でいたい。
せっかくの秋だもの。
(2017年10月8日)
月見団子
中学校での講演の帰り道、
最寄りの駅まで先生が車で送ってくださった。
講演の感想や生徒達の様子などの会話の後、
月の話になった。
中秋の名月の翌日だったからだろう。
「松永さんは月見団子を食べましたか?」
先生は唐突に僕に尋ねた。
「名月は見ましたけど団子は食べてませんね。先生は食べたのですか?」
彼は昨夜のプライベイトの一場面を僕に紹介した。
小学校の娘さんと名月を見ながら団子を食べたとのことだった。
父親と娘の一場面はささやかな光の中にあった。
影絵のように僕の脳裏に浮かんだ。
それは柔らかな月光によく似合った。
車中には穏かな優しい空気が流れた。
「相手の表情が見えなくてコミュニケーションは大丈夫ですか?」
今日の中学生の質問の中にあったのを思い出した。
日常、表情が見えなくて困るということはない。
僕が鈍感ということもあるのかもしれないが、
人間同士はきっと見えないことを超えていく力を持っているのだろう。
人間ってなかなか素敵な生き物かもしれない。
(2017年10月6日)
秋
久しぶりの休日、
音楽を聴きながらコーヒーを飲む。
昨日と同じイノダのインスタントなのに香りが豊かなような気がする。
いつも追いかけられている時間を後ろからぼんやりと眺める。
1時間ってこんなに長いのかと驚く。
ふと窓からの空気の流れで秋に気づく。
気づいたら切なさが胸に広がる。
この感じが好きだなぁ。
苦笑いを残ったコーヒーと一緒に飲み干す。
秋が始まった。
(2017年10月2日)