爽やかな朝を迎えた。
小さな願いがかなった朝だった。
寝る前に神様にお願いした。
「夢の中で空を見させてください。」
時々お願いする。
空だけじゃない。
忘れかけた花の色だったり友人の顔だったり昔訪れた街の風景だったり・・・。
どうしても見たいという気持ちが強い時にお願いする。
ないものねだりみたいなものかもしれない。
布団に入って眠る前にお願いするのだ。
合掌してお願いしているからこれも変なのかもしれない。
こんな年齢になって神様にお願いするなんてとは思うが時々する。
ほんのたまに神様は願いをかなえてくださるのだ。
昨夜は神様が奮発してくださった。
真っ青な空を鳥のように飛んでいる夢を見たのだ。
たまに雲の中に入ったりもしたが、それも楽しかった。
本当に美しい空だった。
薄い透き通るような青色だった。
夢に出てくるのだからいつか見たことがある空なのかもしれない。
だとしたらそれも幸せなことだ。
僕は両手を羽ばたかせるようにして大空を進んだ。
うれしくてうれしくて飛んでいた。
ふと下を見たら地球が見えた。
そこで夢は終わった。
夢らしい夢だった。
夢でもいい。
美しい青色を見れたことがうれしい。
神様にありがとうございますと伝えた。
(2023年6月27日)

白杖でつんつん

京都駅でJR京都線から湖西線へ乗り換えようとしていた。
これはたまたま同じホームなので単独で対応できる。
17時台だったからまだラッシュもピークではなかったがそれなりに込んでいた。
僕は白杖を自分の身体に寄せて点字ブロックを確認しながらゆっくりと進んだ。
こういう場所はゆっくりというのが一番重要だ。
ホームの反対側に着いた時だった。
白杖の先で木製の板みたいなものを感じた。
怪訝に思って再度触ったが何か分からなかった。
始発だから前に電車がいるかもしれない。
もしいれば、直進すれば電車の車体が確認できる。
でもその木製のものが気になって躊躇してしまった。
僕は左に曲がって少し歩いて立ち止まった。
そこからどう動くべきか考えるためだった。
「おっちゃん、迷てんのか?」
高校生くらいの女の子の声だった。
「うん、この前に電車がいたら乗りたいねん。湖西線。」
僕は前を指差しながら、彼女の雰囲気に合わせて答えた。
「電車おるで、こっちこっち。」
彼女はそう言いながら僕の左手首を持って歩き始めた。
いつもだったら肘を持たせてくださいとお願いするのだが、短い距離だったのでこれ
も彼女のやり方に合わせることにした。
きっと元々がやさしい子なのだろう。
手首を持つ力もそっとだったし歩くスピードも僕に合わせるようにゆっくりだった。
十数歩くらい進んで彼女は止まった。
「あのな、今黄色のぶつぶつの上やねん。前に入り口があんねん。その棒でつんつん
してみ。」
僕は言われるがままに白杖で前を確認した。
確かにそこに入り口の床があった。
それを見ていた彼女が言い直した。
「つんつんちごてとんとんやなぁ。」
僕は少し笑いながらお礼を言った。
「おおきに。これでもう大丈夫や。帰れるわ。」
「ほなおっちゃん、気いつけてな。バイバイ。」
僕は乗車して入り口の手すりを持って彼女の方向に頭を下げた。
飾らない関西弁をとても暖かく感じた。
爽やかな喜びに包まれていた。
僕が誰か彼女は知らない。
彼女が誰か僕も知らない。
お互いにどこに住んでいるかも分からない。
もう二度と会うこともないかもしれない。
それでもこんなことができるのが人間の社会なのだ。
人間て本当に素敵な生き物だ。
僕は右手で持った白杖で床を軽くとんとんと二度たたいた。
つんつんでもいいかと思って笑顔になった。
(2023年6月23日)

夏至

最後に見た景色はと尋ねられても答えることができない。
異変が始まったのは35歳くらいの時だった。
目の前に霧がかかったようになったりした。
最初は気のせいかと思ったりもした。
その頃は目をこすったり目薬をさしたりして対応できていたような気がする。
やがて霧を確認できる日が増え、その霧は気づかないくらいのスピードで深くなって
いったのだと思う。
一か月前と比較しても、いや一年前と比較しても、変化を感じることのできないくら
いの緩やかなスピードだった。
だいたいの数字だが3千日くらいかかって画像は完全に消えた。
だから最後に見た光もいつだったのか分からない。
どんな光だったのか分からない。
自分では部屋の蛍光灯をつけていたつもりがついてはいなかった。
窓を開けて朝の光を浴びたつもりが実際にはまだ夜だった。
そんなことを幾度か繰り返しながら自覚していったような気がする。
いつの間にか目の前にはただ無機質のグレーが横たわるようになった。
目を開けても閉じても、朝でも夜でも、季節が変化しても変わらないグレーだ。
それでも時々ふと思う。
目を見開いて空を眺めて思う。
ひょっとしたらこれは光りかもしれない。
一瞬見えたのかもしれない。
そんなことを思う情けない自分が愛おしい。
弱虫の自分を嫌いにはなれない。
顔や手に当たる熱で光に気づくことがある。
気づいた時に心はいつも少し喜んでいるのが分かる。
見えなくても光が好きなのだろう。
夏に降り注ぐ光は力強い。
今年もまた夏至がやってきた。
(2023年6月21日)

コロナワクチン

子供の頃は注射が大嫌いだった。
たまたまだったのだが、採血がどんなに怖いことかと幼馴染が話してくれたことがあ
った。
小学校高学年の頃だった。
それから一か月もしないうちに僕は実際に採血をすることになった。
病院で泣きわめきながら暴れまわったのを憶えている。
連れて行ってくれた母親も病院関係者も大変だった。
小学校高学年だったから不通なら少しは分別もあったはずだ。
幼馴染の話が強烈だったのだろう。
大人になって流石に暴れまわることはなくなったが注射が苦手ということは変わらな
かった。
画像から注射器を遠ざけるような感じがあった。
見えなくなってからいつの間にか注射が怖くなくなった。
年齢を重ねたからなのかもしれないが、画像がなくなったことも大きい理由のような
気がする。
「チクリとしますよ。」
お医者さんはそう言いながら僕の肩に注射針を刺された。
確かにチクリだった。
このチクリにどうしてあんなに怯えたのだろう。
見えることが必ずしもいいということではないのだろう。
見えなくなってから高所恐怖症もなくなった。
これもきっと画像のせいだ。
とにかく無事コロナワクチン6回目が終了した。
発熱に備えて休日前に接種した。
作戦成功という感じかな。
のんびりしてまた月曜日から頑張ろう。
(2013年6月17日)

体力

早朝に家を出て夜に帰宅という日が続いた。
高校、専門学校、大学、ガイドヘルパー養成研修、どれも大切な仕事だった。
僕の仕事で一番大切なものは当事者としての思いだ。
そしてそれこそが僕にできる活動なのだと感じている。
手を抜くことはできないし、そんな力もない。
頂いたチャンス、精一杯頑張ろうと思っている。
だからいつも必死だ。
そして昨日は東京での同行援護の会議だった。
帰りにサポートしてくださった東京駅のスタッフの人は僕の歩行能力の高さを称賛さ
れた。
でも本当はほとんど抜け殻のようになっている自分を感じていた。
座席に腰掛けるとすぐにリクライニングにしてテーブルをセットした。
それからアイフォンで好きな音楽を聞きながら過ごした。
いつもはあまり好まない缶コーヒーを美味しいと感じた。
ただただ時間に身をゆだねた。
そしてふと思った。
僕は結構体力があるのかもしれない。
どこかが痛くなるとか寝込んでしまうとかはほとんどない。
疲れたと思うことはあるが一晩眠れば一応復活する。
たまに栄養ドリンクを飲めば効いた気になる。
この体力は神様が僕にくださったプレゼントなのかもしれない。
そんなことを思ったらなんとなく幸せだと思った。
その単純さもまた僕の財産なのかもしれない。
(2023年6月13日)

雨の中のひまわり

何となく気になった。
傘をさして長靴を履いて庭に出た。
7本のひまわりには先日竹の支柱を立てたばかりだった。
そして倒れないように麻ヒモでくくった。
ひょろひょろとやせっぽっちの背高のっぽにたいに感じたからだった。
強い雨風、倒れていないかと気になった。
頭の中の地図に従って郵便受けを探した。
金属製なので触って分かりやすい。
それを確認してそっと腰を降ろした。
左手で傘を高めに持って右手で空中をそっと探った。
竹の支柱が手に触れた。
支柱の上から下にそっと手を動かした。
雨に濡れたひまわりの葉があった。
活き活きとうれしそうに立っていた。
また少し伸びたように感じた。
「雨が空から降れば思い出は地面にしみこむ
雨がシトシト降れば思い出もシトシトにじむ」
好きな歌のフレーズが口からこぼれ始めた。
雨の音で近所には聞こえないと思った。
僕は少し大きな声を出して歌った。
途中で歌詞がわからなくなって同じ部分だけを幾度も歌った。
傷のついたレコードみたいだった。
それさえもうれしくなった。
歌いながらひまわりの葉や茎を幾度も触った。
僕にとってはそれが見るということだ。
竹の支柱を目印に7本のひまわりを全部触った。
7本のひまわりを全部見た。
見な元気で安心した。
雨風が去った後には夏も近づいているのだろう。
キラキラの夏が待ち遠しい。
(2023年6月6日)

修行

木曜日、いつものように早朝の出発だった。
通勤通学の人達を乗せたバスが駅に着いた。
皆さんが急いでおられるのは分かっているので僕はだいたい最後に降りる。
白杖が他の乗客の足に絡んだりしないためだ。
バスを降りて数歩進んだところで柱にぶつかった。
いつもの場所との勝手な思い込みが白杖の使用方法を狂わせたのだろう。
鉄の柱だったから痛かった。
僕は振り返って運転手さんにお願いした。
「点字ブロックのある停車位置にバスを止めてください。」
勿論丁寧に伝えたつもりだったが、痛さから出た行動には間違いなかった。
運転手さんの説明では、停車位置には一般車両が止まっていてどうしようもなかった
らしい。
それを知った僕はちょっと恥ずかしい気持ちで駅の改札に向かった。
そして、予定通りに午前の専門学校を終えて午後の大学に向かった。
大学に向かうバスにギリギリで乗り遅れたので30分待つことになった。
今日はついていないなと思いながら待合の席を探した。
人にぶつかった。
すみませんと謝る僕に何を探しているかと尋ねてくださったので椅子を伝えた。
以前その近くで座った記憶があったのだ。
僕が思った方向とは少し離れた方向に椅子はあった。
座らせてもらってほっとした。
隣に座っておられたおじいさんが突然僕の手をとって動かされた。
「こっちが東、あっちが南。」
それから何番のバスに乗るかと確認してくださった。
おじいさんのバスは僕より早くくるバスだと分かったので、それまで話をした。
耳がだいぶ遠く、おじいさんは僕の声を聞く時には耳を僕の口の方へ向けておられる
のが分かった。
身体を支える杖も持っておられた。
まさに高齢の男性だった。
「少しは見えるのか?」
突然尋ねられた。
「僕は光もわかりません。見えなくなって25年経つので慣れています。」
25という数字を伝えるのに3回かかった。
しばらくして、おじいさんはまた僕の手を握られた。
「気をつけてな。頭が下がるよ。」
僕は感謝を伝えた。
そして今朝のことを思い出した。
まだまだ修行が足りないと思った。
こんなおじいさんになれるように頑張ろうと思った。
(2023年6月2日)

引っ越しして一年

引っ越してきて1年余りの時間が流れた。
振り返れば、見たことのない街での暮らしを始めたということだった。
新しい環境に慣れることに僕も必死だった。
最初の頃は道を歩いても一人の空間だった。
バスに乗っても電車に乗っても一人の空間だった。
真横に人の気配があっても間違いなく一人の空間だった。
社会が冷たいのか、そうではない。
会話をするようになった地域の方が先日おっしゃった。
「白杖で一人で歩く人を初めて見たよ。危なくないかと幾度も見ていた。」
最初からきっといろいろな人が見ていてくださったのだ。
ただ、見てくださっているということが見えない僕には分からなかった。
時間の流れの中で、僕の姿が少しずつ街に溶け込んでいったのだろう。
僕の姿が地域に慣れ、地域が僕の姿に慣れてきたのだろう。
今朝、いつものようにバス停に向かって白杖を左右に振りながら歩いていた。
過度の家辺りで玄関を掃除しているらしい音が聞こえてきた。
ホウキで掃いている音だ。
朝に似合うなと思いながら通り過ぎようとした瞬間だった。
「おはようございます。もうちょっと進んだら段差がありますよ。」
僕は笑顔で挨拶を返しながら足を進めた。
バス停に着いてバスを待っていた。
やがて到着したバスの入り口から運転手さんのマイクの声が聞こえた。
「おはようございます。乗ったら左側の席が全部空いています。」
僕はまた笑顔で乗り込んだ。
左側のシートに腰を降ろした。
リュックサックを膝に乗せて1年という時間の流れを噛みしめた。
リュックサックと一緒に社会への感謝の思いを抱きしめた。
今日も頑張ろうと素直に思った。
(2023年5月28日)

電気自動車

歯科衛生士養成の専門学校で講義の時間を頂いた。
昨年に引き続いてのことだった。
僕はいつも社会のすべての人達に視覚障害を理解して欲しいと思っている。
そのために正しく知る機会が大切だと思っている。
その中でも特に接する可能性のある人達への思いは強い。
そういう意味でも今回のような機会は本当に有難い。
何故なら僕達も歯医者さんに行くからだ。
見える人達と同じように安心して気持ちよく医療を受けたい。
だから医療スタッフになる人達に話を聞いてもらえるのは願ってもないことなのだ。
そしてこういう場合の担当の先生方のモチベーションは学生達の学ぶ姿勢にも少なか
らず影響する。
今回は最高だった。
僕を紹介してくださった先生は予定通りだったが、学校の担当の先生も僕の思いを受
け止めてくださったのがしっかりと伝わってきた。
僕はうれしい気分で講義をスタートした。
いつものことだが、僕は目の前の灰色の世界に向かって話をする。
学生達の姿も表情も何も分からない。
ただ思いをこめて話をする。
受け止めてくれる学生達がいるはずだ。
そしてその学生達が数年先に現場で働く。
そこで医療を受ける視覚障害者はきっと安心する。
笑顔になる。
そう思うから僕自身の心にもスイッチが入る。
ついつい一生懸命になってしまう。
帰りはお招きくださった先生が電気自動車で自宅まで送ってくださった。
電気自動車は初めての体験だった。
静かな社内でいろいろな話をした。
今日の学生達がいつも以上に真剣に講義を聞いていたと教えてくださった。
同世代の先生とそれを喜びながら、そして未来の話をしながら過ごした。
電気自動車の空間がとても心地よかった。
先生は自宅まで送るとはおっしゃっていなかったので僕は到着するまでそれに気づか
なかった。
ちょっとご足労をかけてしまったと反省したが先生のご好意がうれしかった。
次回、もう一度伺うことになっている。
次回はサポート技術の実習だ。
豊かな時間を過ごしたいと思う。
(2023年5月23日)

リュックサックのヒモ

いつものようにリュックサックを背負って出かけた。
土曜日だったけど仕事でハードな日だった。
新大阪にある視能訓練士養成の専門学校で1、2時限目、そして京都に移動して大学
で4時限目というスケジュールだった。
7時前には家を出て、帰りは19時の予定だった。
前日までの雨もあがっていたし、爽やかな風も吹いていた。
なんとか無事に仕事を終えた。
帰路の電車は学生が京都駅まで送ってくれたので座ることもできた。
充実した一日となったが疲労感もあった。
携帯電話の歩数計は9千歩を超えていた。
睡魔と戦おうとした時だった。
ボックス席の僕の前の席にご夫婦が座られた。
僕よりは少し上の世代のようだった。
息子の話などをしておられるのが時々聞こえてきた。
と言っても、奥様の話にご主人が相槌を打つという感じだった。
何とはなしにその会話を聞きながら時間を過ごした。
やがて僕の降りる駅を案内する放送が流れた。
僕は右手で白杖を持って膝に置いていたリュックサックを背負おうとした。
その時、その静かだったご主人の手が自然に伸びてきた。
リュックサックのヒモを肩にかけるサポートをしてくださった。
そして、そのヒモの先が外れかかっているのを発見されたようだった。
実は僕は今日幾度か背中の違和感を感じていた。
リュックサックのチャックが空いているのではと確認もした。
でもチャックは閉まっていたので気のせいかと思っていた。
違和感の原因はこれだったのかと思った。
「直しましょうか?」
と言いながらご主人の手が動き始めた。
電車が減速を始めた。
「もうすぐ駅に着くから降りはるよ。」
奥様が心配そうにご主人に話された。
「大丈夫だよ。ほら、これで安心。」
電車がホームに滑り込むと同時にご主人の手が離れた。
まさに計ったような手際良さだった。
「ありがとうございました。」
僕はお二人に笑顔で挨拶をして電車を降りた。
慌てていたのでありがとうカードを渡すこともできなかった。
ホームに降りて、動き始めた電車に僕はまたそっと会釈をした。
社会はだいぶ変化してきた。
街中に防犯カメラが設置されてきた。
他人は怖い存在だとメディアが警告する。
そして人々はお守りのようにスマホを握りしめる。
景色を見ることなくその画面に視線を落とす。
今日のご夫婦の口からは景色の話が流れていた。
山科駅の近くのマンションの高さまで話しておられた。
勿論、スマホを見ておられる雰囲気はなかった。
そしてその中で、ご主人は僕の様子も見ておられたのだろう。
白杖とリュックサックを抱えて座っている僕を気に留めてくださったのだろう。
4人がけのボックスシートの中には人間という生き物のやさしさがあった。
ホームの点字ブロックを歩きながら気づいた。
疲労感が幸福感になっていた。
あのボックスの空気で熟成されたのだ。
僕はリュックサックの背中を再度確認してそれから空を見上げた。
幸せだなって思った。
(2023年5月21日)