今週はハードスケジュールだった。
月曜日は歯科衛生士の専門学校、水曜日は高校、木曜日は介護福祉士の専門学校と大
学、金曜日は同行援護養成研修。
気づいたら火曜日だけがオフの日だった。
長時間の仕事も多かったし、気温も高かったのも原因だろう。
昨日の帰路はヘトヘト状態だった。
9時からの仕事が終わってライトハウスを出たのが17時過ぎだった。
たまたま受講生の男性と一緒になったので山科駅までは楽に行けた。
山科駅で地下鉄からJRに乗り換えなのだが、まだまだ駅の構造などが頭に入っていな
い。
夕方のラッシュウアワーも始まっていた。
僕は迷いかけながらゆっくりゆっくり点字ブロックの上を歩いた。
あぶなっかしく見えたのだろう。
通行人がJRの改札口まで誘導してくださった。
山科駅では駅員さんにサポートを依頼した。
比叡山坂本駅での降車を考えて、後ろから2両目の反対側のドアをお願いした。
電車が到着すると、駅員さんはお願いした通りにドアの近くの手すりを僕に握らせて
降りていかれた。
これで帰れる。
15分くらい立っていれば、比叡山坂本駅で目の前のドアが開いて簡単に降りれる。
そこから階段まではそんなに遠くはない。
点字ブロック沿いにゆっくり歩けばいいのだ。
よし、あと15分、しっかりと手すりを握って頑張ろう。
僕はシュミレーションしながら自分を勇気づけた。
その時、すぐ横から声がした。
「座られますか?」
僕は喜んで座らせてもらった。
そしてありがとうカードを渡して感謝を伝えた。
女性お二人のような気がしたが小さな声だけなので自信はない。
とにかく感謝は伝えた。
しばらくして驚いて急に不安が膨らんだ。
車掌さんの車内アナウンスのボリュームが小さすぎて聞こえないのだ。
耳を凝らして必死に聞き取ろうとしたが聞こえない。
次の駅がどこなのか分からない。
僕は先ほどの隣の方に尋ねた。
「アナウンスが聞こえなくて次の駅がどこか分かりません。僕は比叡山坂本駅で降り
たいのです。」
彼女は次が唐崎駅だということ、自分も比叡山坂本駅で降りること、バスの車内で僕
を見かけたことがあるからきっとバスも一緒だということを教えてくださった。
僕はすかさず電車を降りた後のサポートもお願いした。
電車が比叡山坂本駅に到着し僕達は一緒に階段を降り改札を出てバス停に向かった。
そして停車中のバスに乗車して座らせてもらった。
すぐにバスは発車した。
点字ブロックを確認しながらのいつもの僕だったらこのバスには間に合わない。
たまたま聞こえなかった車内放送がこういう幸運につながったのだ。
安全に移動し電車もバスも座れ、そして帰路の時間を20分も短縮できたのだ。
ハードスケジュールを頑張ったご褒美を神様がくださったのだなと思った。
「助かりました。ありがとうございました。」
バス停で降りる時に僕は再度感謝を伝えた。
「素敵な週末を!」
彼女はそんな言葉で僕の背中を見送ってくださった。
人間っていいな。
久しぶりにその言葉が僕の頭の中で木霊した。
実は今週は今日も仕事、福祉専門学校でのオープンキャンパスだ。
これを書き終えると出発の準備だ。
すがすがしい気持ちで朝を迎ることができた。
いい週末、きっとそうなると思う。
(2022年6月11日)
素敵な週末
カレーライス
教え子からのメールで一日がスタートした。
ジャガイモと玉ねぎを収穫したので食べるかとの質問だった。
僕は欲しいと即答の返信をした。
専門学校ではいろいろな世代の人達が学んでいる。
社会人経験者もいるし志望動機も多種多様だ。
時には僕より人生の先輩がいらっしゃることもある。
講義をするという立場なので先生と呼ばれるがまさに立場上だ。
同じ時代にそれぞれの人生を重ねてきたのだからこちらが教えられることも多い。
彼は僕よりは年下だ。
現在農業をしながら学びを続けている。
多忙な学生生活だがその傍ら趣味の山歩きも楽しんでいる。
若い学生達や留学生達とも流石の距離感で信頼されているのを感じる。
おっちょこちょいの僕は時々そういう人を羨ましく感じることがある。
授業が終わっての昼休み、彼はジャガイモと玉ねぎの袋を僕にそっと渡すと講師室を
出ていった。
そのさりげなさも素敵だなと感じてしまう。
午後の大学への移動、そこからの帰路、リュックサックが重たかった。
幸せの重さだなと思った。
重たさを感じる度に笑顔になった。
近日中にカレーライスを食べようと決めた。
そしてまた笑顔になった。
(2022年6月10日)
蒼い匂い
引っ越してきた家は中古の戸建てで小さいながらも庭がある。
その小さな庭にこれまた小さな畑を製作中だ。
あこがれの家庭菜園というやつだ。
二坪程度の場所に夏野菜を植え始めた。
どこからどこまでが畑か確認が難しい。
ちょっと方向を間違えるとせっかくの苗を踏んづけてしまうことになりかねない。
あれこれ考えて、周囲をコンクリートブロッキュで囲むことにした。
それはこれからの作業だ。
順番が違うのだがそれは素人考えだから仕方ない。
とりあえずは周囲の草引きを始めた。
児童福祉施設で働いていた頃、子供達と畑仕事をしたりしていた。
梅雨の前後の草引きも仕事のうちだった。
草引きをしながらその蒼い匂いを好きになっていった。
畑仕事の合間には煙草を吹かしながら夏の始まりの空をよく眺めた。
いろいろな形の雲を追いかけた。
蒼い匂いが時計を逆回りさせてくれた。
僕は幾度も手をとめてそっと空を眺めた。
確かに見えていた頃があった。
ずっとずっと昔の話だ。
とっても愛おしい昔の話だ。
(2022年6月6日)
不審者ではありません
京都市にある施設での用事を済ませて帰路に就いた。
最寄りの桂川駅のホームに降りる階段は左右にあるのだが、僕は左側を選んだ。
比叡山坂本駅で電車を降りた時に少しでもホームの移動距離を短くしたいからだ。
比叡山坂本駅のホームは古くてでこぼこしているし柱も多い。
できるだけ階段の近くで降車したいと思っている。
そのために場所を逆算して乗車しなければいけない。
桂川駅で電車の後方に乗車するのがこの方法につながるのだ。
その前に京都駅での乗り換えも大変だ。
京都駅の一日の利用者数は40万人を超えている。
これまでよく利用していた桂駅は3万人くらいだから10倍以上の人が行き来している
ということになる。
混雑も半端じゃない。
点字ブロックを利用しながらゆっくりと歩く。
それでも時々ぶつかるのは仕方ないとあきらめている。
ぶつかることが少なくなるように、白杖にもリュックサックにも鈴をつけている。
京都駅で無事乗り換えればそこからは後半戦だ。
比叡山坂本駅に到着して改札口を出る時、いつも安ど感に包まれる。
なんとか無事に帰ってこれたという感じの安ど感だ。
点字ブロックをたどってバス停まで行く。
ここは短い距離で分かりやすい。
バス停に着くと僕はリュックサックからイヤホンを出して装着する。
ソニーのリンクパズというイヤホンで、外部の音も聞きやすい設計になっている。
それからアイフォンを操作してサウンドスケープというアプリを立ち上げる。
「ヘッドホンの調整が必要です。あらゆる方向に10秒間首を動かしてください。」
僕は指示通りに首を動かす。
周囲にはきっと不審な行動と映っているだろう。
両耳にはイヤホンがありそれをつないでいるヒモが首の周囲に垂れ下がっている。
首からはアイフォンがぶら下がっている。
それで白杖をしっかりと握っているのだから、
きっと行動だけでなく見た目も滑稽だ。
サウンドスケープを操作して自宅をセットする。
その状態でバスを待ち、バスが来たら乗車する。
最寄りのバス停でバスを降りてサウンドスケープのナビを開始する。
僕の進むべき方向から案内音が流れる。
歩き出すとポイントまでの距離も教えてくれる。
「あと50メートル、あと30メートル」
ポイントまでくるとまた音声が流れる。
「曲がり角です。左に進むと自宅です。」
僕はその指示に従って進む。
ちなみに、この曲がり角は人と自転車だけが通れる細い路地だ。
それをピンポイントで指示してくれるのだから現代科学は素晴らしい。
家に帰り着いて白杖を玄関の傘立てに片づける。
自分の部屋に入るとイヤホンを外しアプリを終了する。
見えないで外出するというのはたやすいことではない。
体力、考える力、いろいろなサポートの道具、そしてやさしい人達、そこで初めて安
全が確保できるのだ。
無理をせず、自分のペースで歩き続けたい。
おかしな格好で歩いていますしおかしな動きをすることがありますが不審者ではあり
ませんのであしからず。
(2022年6月1日)
近江富士
家を出たところでちょっと後悔した。
背中のリュックサックが重た過ぎる。
いつものパソコンなどに加えて着替えやお土産などを詰め込んだのだ。
結婚祝いの陶器のペアカップ、依頼を受けた著書6冊までが入っていた。
一泊二日の研修への参加予定だ。
往路はほとんどが新幹線の中だし、復路は軽くなるからいいと思ったのだ。
自宅から地元のバス停まで歩いただけで辛くなった。
ぎっくり腰にならないようにしなければとさえ思った。
引き返す時間はない。
覚悟を決めてバスに乗車した。
バスの乗車時間は比叡山坂本駅まで5分程度、そこまではあっという間だ。
比叡山坂本駅から湖西線で20分くらいで京都駅に着く。
20分くらいの時間なのでいつもは問題ない。
今回は想像しただけで辛いと感じた。
自分で空いてる席を見つけられない僕には入り口で立っているしかないという日常が
ある。
ちょっと悲しい現実だ。
頑張るしかない。
そう思いながらバスを降りて歩き始めた。
そのタイミングで声がかかった。
ホームまでのサポートを申し出てくださった。
僕は彼女の肘を持たせてもらって改札を抜け、階段を上り、ホームに移動した。
「サポート、慣れておられますね。」
僕の問いかけに、彼女は介護職だからとおっしゃった。
ホームに到着して電車待ちの時間、自然にいくつかの会話が生まれた。
ホームからは琵琶湖が見えるとおっしゃった。
これは僕も知っていた。
天気がいい日だけ琵琶湖の向こう側に近江富士が姿を現すらしい。
これは知らなかった。
僕の頭の中の風景がちょっとグレードアップした。
朝のやさしい光が琵琶湖と近江富士と僕と彼女に降り注いでいた。
朝から幸せだなと思った。
電車はそれなりに込んでいるようだった。
彼女は空いてる席をひとつ見つけて僕だけを座らせてくださった。
そして途中の駅で降りていかれた。
僕は京都駅までの20分間をのんびりと過ごした。
琵琶湖の向こう側に見えた近江富士の風景をそっと思い出した。
重たいリュックサックは膝の上でおりこうさんにしていた。
今日もいい仕事をしたいねと僕はリュックサックにつぶやいた。
(2022年5月29日)
立ち食いきしめん
名古屋駅に早めに到着した。
駅のホームにある立ち食いきしめん屋さんで玉子入りきしめんを食べた。
目が見えていた頃、ここでよくこのきしめんを食べた。
旅好きだった僕は鈍行列車であちこち旅をしていたのだ。
あの頃は玉子が入っただけで贅沢だったのを憶えている。
一滴も残さずおだしも頂いた。
そして幸せだった。
30年ぶりに僕はまったく同じように頂いて、そしてやっぱり幸せだと思った。
それがうれしかった。
あの頃、見えなくなる自分を想像したことはなかった。
不思議な感じがした。
今回名古屋に行ったのは東海音訳学習会の研修会にお招き頂いたからだ。
愛知県、岐阜県、三重県で音訳に携わっておられる皆様の研修会だ。
視覚障害者の大きな困難のひとつが文字を読めなくなることがあるということだ。
人の日常を考えるとそれがいかに大変なことなのかは想像してもらえるだろう。
大好きな読書ができなくなったらどうしますか?
点字を習得して点字で読書するという方法もある。
ただ、中高年になってからの視覚障害発生が多い現代の日本、これは結構ハードルが
高い。
ボランティアさん達が朗読してくださったCDなどを聞いて読書を楽しむという方法も
ある。
現代ではこれが主流となっている。
本だけでなく、それぞれの自治体の情報誌や時にはイベントの案内チラシなどもこの
方法で僕達に届けられる。
どう読めば僕達が聞きやすいのか、写真などはどう説明すればいいのか、研鑽を続け
ながら活動を続けておられる。
それによって、僕達の生活が支えられている。
僕の周囲にも趣味は読書という視覚障害者は多くおられる。
まさに人間同士が支えあう形が脈々と続いてきたのだ。
音訳について僕があれこれ言うことはない。
僕は視覚障害の意味、その内容、課題などを話、そしてしっかりと感謝を伝えた。
AIが進み、文字を読んでくれる機器も発達してきている。
でも、朗読はずっと続いていくだろう。
人間の声のぬくもり、やさしさ、それは機械では無理だ。
どう伝えるか、それぞれの個性がそこに微笑むのもいいのかもしれない。
「真っ白なおわんに八分目のおだしが入っています。
きしめんがキラキラと輝いています。
張りのある卵黄が満月のようです。
かつおぶしは元気よく乗っています。
少し小さめのおあげさん、それから薬味のおネギ、一味をかけましょうか?」
きっと食べる前から幸せですね。
ご馳走様でした。
(2022年5月20日)
檜のコースター
広島県尾道市の先輩宅を訪れた。
同行援護研修のお手伝いだ。
先輩は僕より20歳くらい年上で数年前に東京で開催された研修で知り合った。
失明理由は小学生の頃のはしからしい。
父親は盲学校の寄宿舎に幼い娘を預けることを拒否した。
彼女が点字を習得し学校らしきものへつながったのは父親の死後、彼女が成人してか
らのこととなった。
父親の愛情を理解できるようになったのは随分のちのことだったと、彼女は天国の父
親に申し訳なさそうに語る。
教育との出会い、仕事との出会い、伴侶との出会い、そしてたくさんの別れ。
実母は彼女を産んですぐに逝ってしまったらしい。
父親も継母も勿論もうおられない。
やっと巡り合ったご主人も50歳くらいで病魔が奪っていってしまった。
数奇な運命を超えて最後の時間を天涯孤独で暮らしておられる。
悟りを開いておられる訳でもないし我儘も多い人なのかもしれない。
まさに普通の人なのだろう。
でも僕は彼女が好きだ。
どこかで尊敬している。
障害の意味は時代と共に変化してきたのだろう。
たくさんの先輩達の人生が今につながってきたのだ。
帰宅してリュックサックから檜のコースターを取り出して香りを嗅いだ。
支援者の方からお土産に頂いたものだ。
心が深い海に落ちていくような気がした。
香りが脳を抱きしめた。
今が過去よりも前進してきたとすれば、それは当事者の思いや努力だけではない。
それを理解し共感し支援してくださった人達のお陰だ。
心から感謝したい。
そして僕自身もしっかりと未来を見つめて歩いていきたい。
(2022年5月16日)
コーラのアプリ
僕のスマホにはこれまでコーラのアプリが入っていた。
一日平均5千歩、週に3万5千歩をクリアするとスタンプを1個もらえるというもの
だった。
スタンプだけで歩こうとはなかなかならない。
スタンプを15個集めるとプレゼントがもらえるというものだった。
自動販売機でドリンクを1本プレゼントしてもらえるのだ。
毎日5千歩は意識しないと達成できない。
2日歩かないとその週は他の日に7千歩をクリアしなければいけない。
3万3千歩に気づいて、大雨の中を2千歩のために外出したこともあった。
その闘志に我ながらあきれながら歩いた。
しみったれというのかケチンボというのか情けない。
でもどこかで情けない自分が好きだ。
達成した後の1本のコーラを本当においしいと思って飲んだものだ。
引っ越してきて分かった。
以前暮らしていた団地の周囲は歩きやすかったのだ。
川沿いの散歩コースの道は平たんだし他の音も聞きやすかった。
小鳥達の歌声や川のせせらぎの音を聞きながら歩いた。
現状の僕は家から100メートルも歩けない。
バス停から家まで帰る練習はしたからそれはできる。
でも、その逆コースで家からバス停まで行くのは難しい。
見えないというのはそんなことなのだ。
断腸の思いでコーラのアプリを削除した。
悔しいと思いたくないからだ。
これまでよく歩いて基礎体力を継続できたことに感謝しよう。
そしてまた次の何かを探すことにしよう。
少しずつ少しずつ歩きながら。
(2022年5月10日)
琵琶湖の風景
坂道を登ったところで振り返った。
琵琶湖が見えると教えてもらった。
僕は視線を遠くに向けた。
風が京都と少し違うように感じた。
琵琶湖を渡る風がこれからの僕の人生に寄り添ってくれるのかもしれない。
そう思うととても愛おしくなった。
児童福祉施設で働いていた頃、子供達の引率で幾度も琵琶湖を訪れた。
琵琶湖の遊覧船に乗船したこともあった。
湖西線の列車に乗って湖の雪景色に胸を打たれたこともあった。
これから先何年ここで暮らしても景色を目にすることはない。
見たことのない場所で生きていくのだ。
そして最後まで見ることはないのだ。
だからしっかりと感じて暮らしていこう。
音を聞いて匂いをかいで、そして手で触れて生きていこう。
たくさんの思い出が生まれるように。
(2022年5月8日)
駅の音
初めての駅で電車を降りた。
改札口に行くにはどこかにある階段を見つけなければいけない。
単独の時にはエレベーターやエスカレーターは基本的に使用しない。
駅の構造が頭に入っていないと混乱しやすいからだ。
階段の場所には鳥の鳴き声の音が流れている場合が多い。
鉄道会社によって駅によって音の種類は違うから特別な基準はないのかもしれない。
その音が聞こえるまで勘を頼りに動く。
聞こえ始めたら方向が正しかったということだし、いくらか歩いても何も聞こえない
場合は反対方向に歩いてしまっているかもしれないということだ。
その時は逆戻りするのだ。
ホームの移動は本当に大変だ。
ホームの移動中に次の電車や反対側の電車がくることがある。
両側で電車が発着する形式のホームを島型ホームと僕達は言う。
海に浮かんでいる島のようなものでどちらも落ちる危険性があるということだ。
そう考えると点字ブロックの存在はとても大きい。
その上を歩く限り落ちることはない。
「1番ホームを電車が通過します。」
アナウンスが教えてくれるが1番ホームがどちら側なのかは分かっていない。
動かないようにして通過を待つ。
大きな音がホームに近づいてくる。
音が一定の大きさを超えると場所はまったく分からなくなってしまう。
自分の立っている側に近づいてきているのか反対側なのか判断できなくなるのだ。
ただじっと音が通り過ぎるのを待つ。
先日踏切で亡くなられた方はきっとこの状況だったのだろう。
音から遠ざかりたかったはずだが実際には近づいてしまっておられたようだ。
日常歩きなれた場所でも工事中の大きな音が聞こえたりしたら遠回りをする。
音を判断できない状態になるというのは見えない聞こえない状態になるということだ
からあまりにも無茶だ。
階段を探して少しずつ移動していたら声がした。
「何か探しておられますか?」
若い女性の声だった。
「はい、改札口の方向に行きたいんです。」
彼女は僕に肘を持たせてくださった。
そして改札口まで誘導してくださった。
いろいろな音が駅にはある。
人間の声という音、本当にほっとする。
だから僕もしっかりと自分の声で感謝を伝える。
「ありがとうございました。助かりました。」
(2022年5月2日)