美しい楽しいカード

小学校4年生の子供達から手作りのカードが届いた。
トランプと同じくらいの大きさの固い紙で作られていた。
一人で一枚ずつ作ってくれたのだろう。
僕が子供達にプレゼントした「ありがとうカード」へのお礼の「ありがとうカード」
なのかもしれない。
点字で短い一言メッセージも書いてあった。
「わたしはむらさきがすきです。」
「がんばって。」
「がんばれ!」
「ありがとう これからも がんばって。」
こぶしを突き上げてる絵が描いてあった。
「7月4日は ありがとうございました。」
「うれしかった。」
「ありがとう にゃん」
猫がニャンと言ってる可愛い絵が描いてあった。
「ありがとう」
真っ赤なハートマークが大きく描いてあった。
「ありがとう がんばって。」
「めがみえなくても がんばってください。」
ニコニコ笑ってるニコちゃんの顔が描いてあった。
「ありがとう」
赤いチューリップが描いてあった。
「がんばってください。」
「がんばって」
カラフルな虹色でお星様がたくさん描いてあった。
「いろいろなことをおしえていただいて ありがとうございます。」
ありがとうの言葉に添えられた絵は他にもいろいろあった。
僕のサングラスの絵は三枚あった。
サングラスと白杖、点字器の絵が上手に描いてあるのもあった。
桜のお花を小鳥が見てる可愛らしい絵もあった。
点字のぶつぶつを目や鼻ととらえて、点字を使った顔みたいなのを描いてるのもあっ
た。
アイスクリームや美味しそうなスイカの絵もあった。
鮮やかな虹の絵、たくさんの星の絵、真っ赤な太陽、青い空の絵も多かった。
ひょっとしたら、僕に見せてあげたいと思ってくれたのかもしれない。
どの絵もキラキラとしていた。
見えない僕に一生懸命に描いてくれたのだ。
一枚一枚に一人一人の個性が輝いていた。
子供達は時々びっくりするような真実をさりげなく教えてくれる。
人間同士が伝え合うってどんなことなのか、また僕も勉強になった。
そしてこのプログラムを子供達と一緒に進めてくださった素敵な先生方に心から感謝
した。
こんなに美しい楽しいありがとうカードを僕も目指そうと思った。
(2022年9月9日)

台風

故郷の鹿児島県は台風がくるのは年中行事みたいなものだった。
少年時代の思い出のひとつに台風がある。
大きな台風かもしれないと分かると父ちゃんはその準備をした。
飛ばされそうなものは家の中に入れた。
あちこちを五寸釘で打ち付けた。
それから雨戸には物干し竿を針金で留めて補強をした。
小学生になると僕も少しずつ手伝いをするようになった。
思い出せばほとんど手伝いにはなっていなかったと思う。
ただ父ちゃんとの作業の時間は鮮明に憶えている。
針金をペンチで切って竿に結わえていく父ちゃんの手先まで憶えている。
とても楽しかった思い出のひとつだ。
台風は不思議と夜にきた。
トランジスタラジオの放送は雑音の方が大きかった。
停電の中のロウソクの光が家の数か所で揺れていた。
炎は押し入ってきた小さな風に揺られながら必死に耐えていた。
そして泣き叫ぶような風の音。
子供の僕はちょっとワクワクしながら布団の中で縮こまった。
朝がきて外に出るといろいろなものが散乱していた。
木の枝などが多かったと思う。
幾度か近所の家が崩壊した。
子供達は崩壊した家の前で小さな歓声をあげた。
台風という自然の力、圧倒的な力への敬意みたいなものだった。
崩壊した家の少年は下を向いて唇を噛んでいた。
それからよく遊んだ河の様子も見にいった。
どこからどこまでが河なのか分からない状態になっていた。
いつもの土手のあたりを少しだけ歩いて怖くなって引き返した。
家までの帰り道、ふと空に気づいた。
台風の過ぎ去った後の空は美しかった。
透き通るような青空に足を止めて見入った。
昨日も台風のニュースが流れた。
僕の暮らす滋賀県大津市はほとんど影響はなかった。
台風が通り過ぎる度に一連の記憶が蘇る。
透き通るような青空の青が蘇る。
窓から外を見上げる。
自然に微笑みがこぼれる。
(2022年9月7日)

70歳

バスを降りたタイミングで声をかけてくださった。
「二条駅まで一緒に行きましょうか?」
彼女はライトハウスで開催されたガイドヘルパー現任者研修を受講しての帰路、
僕はその研修の講師を終えての帰路だった。
緊張しますとおっしゃったがとても落ち着いて対応してくださった。
基本姿勢の形も歩くスピードも道の情報提供も完璧だった。
階段では最初と最後はしっかりと止まって教えてくださった。
結構な数の階段を歩いたが彼女の呼吸はまったく変化がなかった。
地下鉄の椅子への誘導も自然だった。
車内の雰囲気を察しての沈黙もさすがの対応だった。
ありがとうカードをお渡した時だけはうれしそうにされた。
65歳で定年退職になってからガイドヘルパーの仕事を始めたから70歳を超えたけど新
米だとおっしゃった。
僕は信じられなかった。
彼女のどこにも老いはなかった。
最近、僕は何歳まで頑張ろうかなどと考えることが多かったのだがそれが恥ずかしく
思えた。
数字にこだわる必要はないのかもしれない。
頑張れる間は頑張ればいいのだと自然に思えた。
人生の先輩達にいろいろと教えられてきた。
いつになったら僕はそんな先輩になれるのだろう。
ちょっと恥ずかしくなった。
このまま70歳の青年になれればいいな。
(2022年9月5日)

凛々しい顔

パソコンに向かって仕事をしながらふと手が止まってしまっていた。
コーヒーを飲みながら考えてしまっていた。
音楽を聞いていても途中で思い出していた。
畑仕事をしながらでもつい空を眺めていた。
故郷の親友がガンだと知ってからだった。
考えない日はなかった。
つい思い出してしまうのだった。
メールを書こうとしても途中で挫折した。
電話もなかなかできなかった。
日本人の二人に一人はかかる病気だ。
そういう年頃なのだ。
医療は進んでいる。
理屈をいくつも繰り返してもやはり動揺していた。
情けない小心者の僕がいた。
やっと思い切って電話した。
いつもの声が聞こえてきた。
いつもの声だった。
笑っていた。
少しだけほっとした。
病気との戦いはまだまだこれからだ。
頑張ってくれと僕は頼んだ。
真剣に頼んだ。
卒業アルバムの顔を思い出した。
白黒写真の凛々しい顔だ。
はっきりと思い出した。
きっと頑張ってくれると思った。
(2022年8月30日)

とうもろこし

北海道産のとうもろこしを頂いた。
かぶりついた。
甘いと聞いていたが予想以上だった。
品種改良、輸送技術、時代が進んでいるのだろう。
食べながら美しい黄色を思い出した。
鮮やかに思い出した。
最後に見てから25年も経ったなんて信じられない。
それくらい鮮やかな記憶なのだ。
とうもろこしからひまわりへと思い出はつながった。
黄色つながりだ。
幼稚園の長靴からカボチャの花まで思い出した。
こうして何かのタイミングで宝物の思い出が宝石箱から零れ落ちる。
魔法みたいに出てくるから不思議だ。
坂道を上ったところの空地のヒマワリ、綺麗だったなぁ。
蒼い夏空をバックに笑ってた。
少女のように笑ってた。
(2022年8月26日)

高校野球

いつの間にかラジオの放送に引き込まれていた。
気持ちだけは甲子園に出かけていたのかもしれない。
昔見たあの青空の下のグラウンドが蘇る。
金属バットの快音が夏空を飛んでいく。
アルプスの歓声が大波のように押し寄せる。
野球の神様は無情に微笑む。
帰らない時間が過ぎていく。
ゲームセットのサイレンの音が流れる。
目頭が熱くなる。
最後まで全力でプレーした選手達に拍手までしてしまう。
ありがとうと言いたくなる。
ここまで心を揺さぶられるのはどうしてなのだろう。
勝てなかった僕自身の人生と重なるのかもしれない。
三振ばかりしてきたような気がする。
エラーも多くあった。
それでも精一杯やってきたと自分を納得させているのだろうか。
起死回生のホームランは僕には無理だ。
ただ最後まであきらめないでプレーすることは僕にもできるかもしれない。
いやそうしていきたい。
(2022年8月21日)

当事者

地下鉄からバスに乗り換えるために二条駅を歩いていた。
お盆の午前8時の二条駅は空いていた。
「せんせーい!」
遠くから声が聞こえた。
僕のことかなと立ち止まった。
しばらくして彼女は駆け寄ってきた。
介護の仕事をしている彼女は夜勤明けとのことだった。
当たり前だけど介護の仕事などに関わっている人達はお盆も夏休みも関係なく働いて
おられるのだ。
改めて感謝しなければと思った。
福祉の専門学校で彼女と出会って10年になる。
いつどこで出会っても声をかけてくれる。
今回もバス停までサポートしてくれバスがくるまでの時間を付き合ってくれた。
そしてバスが到着すると乗降口までサポートしてくれた。
「乗ってすぐの左側が空いています。
行ってらっしゃい。」
バスに乗車するタイミングでの彼女の声だった。
「ありがとう。行ってきます。」
僕は聞こえないだろうけとそう返した。
いろいろな学校などで出会った人達がこうしていろいろな場所で手伝ってくれる。
しかも見えない僕が何が不便で不自由かを理解してくれている。
有難いことだと思う。
僕がいい先生だったということではない。
やさしい人達が学んでくれたということだ。
当事者の僕が先生の端くれにいるのも少しは意味があることだと思っている。
(2022年8月17日)

夏空

世間はお盆休暇なのだろう。
いつもは結構込んでいる7時過ぎのバスは僕以外の乗客は一人だけだった。
駅もまばらな人だったし電車も混んではいないようだった。
それでも空席を探せない僕はいつものように立ったまま電車の中で過ごした。
JRから地下鉄に乗り換え、そこからバス停に向かった。
迷子になった。
たまにしか利用しない場所だから仕方ない。
僕は点字ブロックをあちこち探し始めた。
気づいた男性が声をかけてくださった。
僕と同世代くらいだろう。
彼の肘を持たせてもらって歩き出した。
そして気づいた。
蝉が元気よく鳴いていた。
何故かとってもうれしくなった。
このお盆の四日間は僕は同行援護の研修会のスタッフだ。
研修会には全国から関係者の方々が参加されている。
受講生の皆さんが少しでも満足してくださるように頑張らなくちゃと素直にそう思っ
た。
男性と別れてバスを待つ間に空を眺めた。
夏の青い空が広がっていた。
当たり前だけど夏だなと思った。
またうれしくなった。
(2022年8月13日)

幸せな日

福祉の専門学校のオープンキャンパスに出かけた。
夏休みになって久しぶりの仕事だった。
午前中には知り合いの小学生の娘さんのインタビューに答える用事もあった。
夏休みの自由研究のお手伝いを頼まれたのだ。
電車に乗るのも久しぶりだった。
僕は久しぶりの外出を楽しむようにいい気分で家を出た。
もうすっかり慣れたつもりの乗り換え駅に到着してすぐのことだった。
点字ブロック沿いに通路を歩いていたら突然人にぶつかりかけた。
体格のいい男性だった。
その瞬間彼の大きな手で突き飛ばされそうになった。
残念だが故意の動きなのは伝わってきた。
そんなに込んでいた訳でもなかった。
ひょっとしたらスマホを見ながら歩いていた人だったのかもしれない。
いつもは「すみません。」を言う僕も言葉を飲み込んだ。
お互いに無言で離れた。
朝から後味の悪い気持ちになった。
ただ、その後すぐに次の乗換駅で若者が声をかけてくれた。
ホームで迷いそうになった僕に気づいてくれたのだ。
彼は急行、僕は不通と電車は違ったがホームは同じだった。
彼は僕を安全な場所に誘導してから急行に乗っていった。
僕はそれから小学生のインタビュー、学校のオープンキャンパスと頑張った。
帰りの乗り換え駅で高齢の男性が声をかけてくださった。
85歳の彼は義足で杖もついておられた。
電車待ちの時間、僕達はいくつかの会話を交わ下。
彼は60歳の定年退職の3日前に事故で足を失ったということだった。
それから25年を生きてこられたのだ。
その年数は僕の失明の年数とも重なった。
「人生、こんなもんやなぁ。」
彼は笑いながらつぶやかれた。
そこにはもう悲しさも悔しさもないようだった。
むしろ、今生きている命を喜んでおられる空気が伝わってきた。
「あまり役には立たんかもしれんけど、白杖の人を見かけたら声をかけるようにして
いるんや。」
電車が入ってきた。
彼は僕の左手を持つと少しグラグラしながら僕を座席に誘導してくださった。
僕は深々と頭を下げてから座席に腰を下ろした。
あと25年、こんな風に老いていけたらいいなと思った。
その後も数人の若者が手伝ってくれた。
結局、たくさんのありがとうカードがポケットから消えた日だった。
幸せな日だった。
(2022年8月7日)

草取り

バケツとイス、それにカゴを持って庭に出る。
イスは百円ショップで購入したお風呂用のイスで軽くて大きさも丁度いい。
カゴの中にはスコップ、剪定ハサミ、蚊取り線香、スポーツドリンク、ハンディ型扇
風機などが入っている。
麦わら帽子をかぶって作業服、靴は運動靴だ。
作業服の胸ポケットにはアイフォンが入っている。
アイフォンにはアップルミュージックのアプリが入れてある。
「ユーミンを聞きたい。」
シリに話しかければすぐに対応してくれる。
好きな音楽の中で草取りをしている時間が至福のひと時となっている。
指先の感覚で雑草を確かめる。
根から引き抜くようにしているが時々失敗して途中で切れる。
切れると悔しい。
難しそうな草を上手に引き抜けた時は逆にうれしい。
抜いても抜いても生えてくる。
ほとんど無意味に近い作業なのかもしれない。
無意味なことに夢中になっている自分自身がうれしい。
子供の頃に帰っているのかもしれない。
必死でやっている時、見えていないということも忘れている。
いや、見えていたということを忘れているのかもしれない。
見えなくなってから長い時間が流れたということなのだろう。
アリンコ、バッタ、ハチ、トンボ、ナメクジ、ミミズ、いろんな命と遭遇する。
頭上ではいろいろな鳥が歌ってくれる。
それぞれの命を感じると自分の命もうれしくなる。
そしてたまに吹いてくれる風を感じてそこにも命があると気付く。
世界中のすべての命が平穏であって欲しいと心から願う。
(2022年8月5日)