食いしん坊

休日のひととき、友人と和食屋さんで食事をした。
見えなくても食べるということは楽しめる。
食通の視覚障害者も結構いる。
僕は食通ではないが食いしん坊には違いない。
おいしいと聞いたお店にはつい行きたくなる。
香りに工夫がしてあったり季節の食材が使われていたりするとうれしくなる。
色彩は友人の説明で想像したりする。
食べ終わった食器を自然に元の位置に戻す。
「ほんまは見えてるんでしょう。」
そのタイミングで見えている人から指摘されることも多い。
それくらい自然な動きなのだろう。
20年の時間の流れの中で培ってきた技術なのかもしれない。
手のひらどころか指一本一本の触覚をすべて使っているのだと思う。
そしていつの間にか距離感みたいなものも判るようになったのかもしれない。
失明する直前、とにかくよくコップの水や食器をひっくり返したりした。
そしてその都度悲しくなった。
触覚などは使わずに目で見ていたからだろう。
ほとんど見えていない眼だったのにやっぱりその目で見てしまっていたのだ。
本能だったのかもしれない。
目を使えなくなってから自然に触覚などを使うようになっていった。
こぼしたりひっくり返したりすることはほとんどなくなった。
人間の対応力というのは凄いものだ。
でも例えば食後のケーキなどは手で食べることにしている。
フォークやナイフでというのは難し過ぎる。
幾度かトライしたことはあるがいつもグチャグチャになった。
そして開き直った。
見えない僕が上手に一番おいしく食べる方法を選ぶ。
それが手で食べるということなのだ。
行儀が悪いとかみっともないという意見もあるかもしれないが、
料理やケーキの立場になれば、
一番美味しくが本望だろう。
食いしん坊の僕流のこじつけでそうしている。
もちろん食後に口の周りのクリームをしっかりと拭くのは忘れないようにしています。
これを忘れたらあまりにもみっともないですからね。
(2017年8月16日)

教えられて

さわさわのサポータークラブの名簿を確認していたら、
おぼろげな記憶が学生の氏名に気づいた。
僕は専門学校も大学も非常勤講師という立場なので、
受け持った科目を教えるだけで学生達と共有する時間は限られている。
「教え子」とか「恩師」という関係までにはなれない。
しかも僕は画像がないわけだから学生達の顔を憶えることもできない。
氏名さえもほとんど記憶できない。
サポーターとなってくれた元学生に電話をかけてみた。
彼女はその専門学校での僕の講義の第一期生とのことだった。
もう15年以上前のことになる。
僕が講義でどんな話をしたかなどを彼女はいろいろ記憶していた。
校外学習で盲導犬センターまで出かけたこともあったらしい。
時間や場所を考えると全員で行くことは考えられない。
ということは熱心な学生だったか優秀な学生だったということだろう。
白い杖を持った人を見かけたら必ず声をかけているとのことだった。
そして二人の小学生の子供にもそれを教えているとのことだった。
こうして出会った学生達がいろいろな形で僕の活動を応援してくれている。
大きな力となっている。
そして教えた学生達から大切なことを教えられている。
いつかどこかで彼女の子供にサポートしてもらえるかもしれない。
いやお孫さんにサポートしてもらえるまで頑張ろうか。
100歳を超えての白杖での単独歩行、ちょっとカッコよさそうで憧れるなぁ。
(2017年8月14日)

乗車の際に運転手さんの声かけがあったので問題なく椅子に座れた。
雰囲気からすれば込んではいない様子だった。
僕は何も考えずにぼぉっとしながら時間を過ごした。
会話をする乗客もいなかったので静かな車内だった。
微かなエンジン音だけが流れていた。
時折流れる車内アナウンスを除けば映像も音もない空間だった。
心地よかった。
幾つ目のバス停だっただろうか。
ドアが開いた瞬間シャッシャッシャッシャッ、
クマゼミの大合唱が飛び込んできた。
夏が飛び込んできた。
僕は窓から外を眺めた。
真っ青な空にモクモクと入道雲があった。
力強い風景だった。
夏は強いなと改めて思った。
若い頃は冬が好きだったのにいつの間にか夏を大好きになっていた自分に気づいた。
衰えていく力への憧れなのかもしれない。
ドアが閉じてまた静寂が戻った。
バスを降りたらまず一番に空を見ようと思った。
(2017年8月11日)

へっぴり腰

いつものように朝の難関で立ちすくんだ。
信号のある横断歩道を渡らなければいけない。
見えない僕は車のエンジン音で信号の色を判断する。
失敗は許されないのだから、とにかく集中する。
自信が出るまでは動かない。
例え気持ちが急いでいても動かない。
こうして事故にあわないでこれたのはそのへっぴり腰のたまものだと思っている。
今朝も自信がなくてなかなか渡れずにいた。
車の通行量が少な過ぎて、
停止したエンジン音が青の始まりなのか終わりに近づいているのかが判らなかった。
周囲に人の気配もなかった。
時間が流れた。
きっと数回の色の変化があっただろう。
「青になっていますよ。」
反対側から渡ってきた方が声をかけてくださった。
やっと通行人と出会えたのだ。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は渡り始めた。
「今、点滅になりました。」
後ろからさっきの方の声が聞こえた。
「大丈夫です。ありがとうございました。」
僕は前を向いたまま大きな声で感謝を伝えながら歩いた。
反対側にたどり着いて、振り返って深くお辞儀をした。
見えなくなって白い杖を持ち始めた頃、
その姿を想像して悲しくなった。
見られたくないと思った。
時間というのは不思議なものだ。
いつの間にか白杖を好きになっていった。
へっぴり腰ではいつくばって生きている自分を好きになっていった。
深々とお辞儀をしながら生きている自分自身の生き方を好きになっていった。
(2017年8月6日)

500000人目のご縁

松永です。
僕のホームページを覗いてくださって有難うございます。
アクセス数がもうすぐ50万回となります。
気の遠くなるような数字です。
僕にとっては、僕のささやかな活動に対しての50万の拍手のような感じです。
光栄です。
そして力となっています。
これも何かのご縁、
たまたま500000という数字を引き当てた方は連絡ください。
一緒にコーヒータイムでもできればと思います。
国外からアクセスしてくださっている人もおられるようですが、
その場合は京都のお菓子でも送ります。
国内の方だったら、時期は確定できませんが、会いに行くつもりです。
宜しくお願い致します。
(2017年8月4日)

ひまわり

駅を出てバスターミナルまでの通路、
僕は毎日のようにそこを歩いている。
点字ブロックを白杖で確認しながら歩いている。
毎日何の変化もない。
音も空気もいつも同じようなものだ。
でも今日は違った。
通路の両側の壁に幼稚園や保育園の子供達が描いたひまわりの絵があることを知った。
僕はひまわり畑の中を歩いていたのだ。
大好きなひまわり畑の中を歩いていたのだ。
それを知ったらうれしくなった。
昔歩いたひまわり畑を思い出した。
歩いた時にはもう失明していたのだから、
本当は映像が蘇るはずがない。
それなのについこの前見たように鮮やかに蘇った。
ひまわり畑の近くのレストランで食べたハンバーグランチがひまわりみたいに飾って
あったことまでも思い出した。
見たことのない映像が宝物になっていた。
それからひまわりの映画のシーンも記憶に重なった。
列車は一面のひまわり畑の中を進んでいた。
その前後の記憶がないということは悲しい映画だったのかもしれない。
通路の途中までのたった数十メートルのひまわり畑の道、
楽しい思い出と悲しい思い出が交差した。
人は様々な思い出を抱きしめて生きていくのだろう。
いや思い出に抱きしめられて生きていくのかもしれない。
見たことがあってもなくても、それはきっと幸せなことなのだ。
(2017年8月2日)

寝苦しい夜

寝苦しい夜、目が覚めてしまって困惑する。
なすすべもなく、いつの間にか人生を振り返ったりしてしまう。
僕はどうやって生きてきたのだろう。
僕はどこへ向かうのだろう。
何も判っていないことに気付いて呆然とする。
目を見開いて前を凝視する。
なんとなくそんなことをしてしまう。
今朝の当番のセミだろうか、
ソロで鳴き始める。
それを合図に合唱が始まった。
とにかく今日が始まった。
今日も生きていかなくちゃ。
そう思えたら心が落ち着いた。
今度生まれてくる時にはセミになりたい。
(2017年7月30日)

温泉

僕の住んでいる団地の近くに温泉がある。
徒歩で10分くらいだろうか。
この近さなのに見えない僕にはとても遠い。
自宅でも出張先のホテルでも入浴に困ることはない。
ホテルではたまにボディソープやシャンプーやコンディッショナーの容器の見分けに
失敗するくらいだ。
これもほとんどは友人やホテルスタッフの目を借りて対応している。
教えてもらった時にシャンプーの容器に輪ゴムをかけたりしているのだ。
尋ねることを怠った時や輪ゴムを忘れて記憶で対応しようとした時に困るのだから、
目の問題ではなくて対応力の問題ということになる。
ところが温泉は目が必要だ。
構造も広さもいろいろあって他のお客さんもいらっしゃる。
しかも全員が裸なのだからそこを白杖で当たりながら移動するということはできない。
いつしか温泉は行けない場所となった。
仕方がないとあきらめている。
先日、目が見える後輩がその温泉に連れて行ってくれた。
5年くらい前に父ちゃんに連れて行ってもらって以来だった。
「やっぱり温泉は気持ちいいなぁ。」
湯船に足を延ばしながらつぶやいた。
つぶやいた言葉が生きていた頃の父ちゃんの言葉と重なった。
確かに父ちゃんもそうつぶやいていた。
それに気づいた瞬間に涙がこぼれた。
やっぱり温泉はいいなぁ。
幸せになった。
(2017年7月25日)

著者サイン

たまたまなのだが、一週間に二人の青年から同じ依頼があった。
「風になってください」への著者サインの依頼だ。
1人は広島県在住の青年で、
もう一人は大阪の高校生だった。
二人には接点はないから偶然ということになる。
僕のサインに価値があるとは思えない。
プレミアがつくこともないだろう。
「風になってください」は僕の思いを伝えるために書いた本だ。
見えない人も見えにくい人も見える人も、
皆が笑顔になれる社会を願って書いた。
若者達に届くような力があるとも思えないし、
これからの人生の羅針盤になるような種類のものでもない。
でも時々こういう依頼を受ける。
それが何を意味しているのかは僕には判らない。
間違いないことは、若者達は未来に関わっていくということだ。
いつものように心を込めて、いや無心になってサインをした。
(2017年7月21日)

聴覚障害

京都市盲ろう向け通訳者養成講座にお招きを受けた。
昨年に引き続いてのことだ。
「視覚障害の理解」というのが僕の担当科目だった。
主催者側にも受講生にも聴覚障害の方がおられた。
補聴器の方もおられたし、手話通訳者の通訳で学んでいる方もおられた。
僕はいつもより少しボリュームをあげゆっくりと話をした。
いつものことだけどそんなに難しい話はできない。
自分の体験も交えながら精一杯話をした。
僕の目の前はいつものようにグレー一色の状態、いつもより静かな会場、
不思議な空間だった。
最後に少し質問タイムがあった。
聴覚障害のある女性からの質問だった。
彼女の言葉は慣れない僕にはよく判らなかった。
手話通訳士の方が僕に内容を伝えた。
「駅のホームで落ちそうになっている視覚障害者と出会ったら、
突然腕をつかまえてもいいですか?」
当たり前のことだけど、言葉で伝えることは苦手でも彼女の手は普通に動くのだ。
自分にもできることをしたいという彼女の思いが感じられた。
それに反応したかのように、
「私も助けたい。」
今度は一般の方が発言された。
お二人には聴覚障害がある人とない人という違いはあった。
でもそれは関係なかった。
人間としてのきらめきは同じだった。
素敵だと思った。
僕はお二人に感謝を伝えて講座を締めくくった。
最後に司会の難聴の男性と握手をした。
僕達はそれぞれの人生をほんの一瞬振り返った。
そして笑った。
(2017年7月19日)

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