サクランボ

梅雨明けが発表された日、友人からサクランボが届いた。
すぐに洗っていくつか食べた。
一粒ずつ味わって食べた。
高級品と分かっているからついそうしてしまうのだろう。
微かな酸味と微かな甘さが口の中に広がる。
でも、ほっぺたが落ちるほとどの美味しさでもない。
この時期にしかないということが特別の幸せにつながるのだろう。
いろいろな果物がハウス栽培などができる時代、季節を感じられる数少ない果物かも
しれない。
そしてどこでもできるものでもない。
育てるのが難しい果物なのだろう。
僕に届いたのも山形県産だった。
僕はすぐに友人にお礼のメールをした。
「一度に3粒ずつ食べてください。」
面白い返事が返ってきた。
僕は指示通りに3粒ずつ食べてみた。
理由が分かった。
口の中一杯にサクランボが広がるのだ。
食べてるって感じがする。
食べながら可笑しくなった。
それでも3回くらいやって、また一粒ずつにした。
貧乏症なのだろう。
初めて本物のサクランボを見たのは大学生の頃だった。
黄色やオレンジ、薄い赤、美しいと思った記憶がある。
そんなことを思い出しながら味わった。
ささやかな幸せの時間となった。
プレゼントはいいものだ。
幸せを運んでくれることがある。
(2025年6月29日)

紫陽花

庭の紫陽花が今年もピンクの花を咲かせてくれた。
土壌の性質でピンクになったりブルーになったりするらしいが僕はどちらも好きだ。
雨がよく似合う。
どうして似合うと思うようになったのだろう。
いろいろ思い巡らすが答えは出ない。
僕が花弁と思っている部分は額に当たるらしいが、そんなことにあまり興味はない。
雨に濡れた花弁をそっと触る。
こんな時、もう見ることのない色をとても愛おしく思う。
脳を集中させてイメージした色を思い出そうとする。
一瞬、その色を思い出したような気になる。
一瞬の色が一瞬で消える。
切なさが雨に似合う。
僕が生きていくということ、それはあきらめ続けるということなのかもしれない。
紫陽花の花、やっぱり好きだ。
(2025年6月24日)

突然の夏スタート

突然夏が始まった。
30度を超すような気温は身体が本能的に嫌がっているのかもしれない。
35度とか聞くとそれだけでため息が出てしまう。
リュックサックには熱中症対策でペットボトルが入っている。
携帯用の扇風機も入れた。
リュックサックが重たくなるのは困るのだがつい入れてしまう。
日傘も使い始めた。
冷やして使うアイテムもいろいろ試している。
疲労感を覚えるのは身体そのものの老化もあるのだろうが、暑さが追い打ちしている
のは間違いない。
神頼みみたいに栄養ドリンクに手が伸びる。
昨日は予定より早めの散髪をした。
少しだけ涼しくなったような気がした。
今月も後10日ほど、それで今年の半分が過ぎる。
生き急いでいるとは思わないが時間の過ぎるのがとにかく早い。
特別に忙しくなっているわけではないのにこの感覚はどうしてなのだろう。
年齢を重ねるほどに1年は早くなると聞いていたがどうやら事実のようだ。
今年の夏はスケジュールも空いている。
どこかに旅に出てもいいかもしれない。
とりあえずはこの暑さに負けないようにしなくちゃ。
(2025年6月20日)

お葬式

義父が危篤との連絡が入った。
僕は妻と一緒にすぐに動いた。
義父が入院しておられたのは義父の故郷の鳥取県倉吉市だった。
京都市内で暮らす甥っ子夫婦が車に同乗させてくれた。
なんとか間に合った。
義母も入院先から駆けつけておられた。
長男、甥っ子夫婦、姪っ子夫婦、そして僕達長女夫婦、皆が揃った。
皆で最後のお別れができたのは良かった。
葬儀は神式だった。
榊を用いた玉串奉奠、しのび手での二礼二拍手一礼などいろいろと初めての難しい作法があった。
見様見真似の出来ない僕はきっと微妙に間違っていたのだと思う。
それでも義理の息子として義父への感謝を込めて参列できた。
神主のお話は興味深かった。
人間の生死の意味などを考える時間、そこは仏教と変わらなかった。
もうすぐ一歳になるという甥っ子のお嬢さんが時々元気な泣き声を聞かせてくれた。
義父からはひ孫にあたる赤ちゃんだ。
葬儀場は悲しいお別れの場所のはずなのに、静寂の中で時々聞こえる赤ちゃんの泣き声は喜びさえ感じた。
人間の命がつながっていくような感覚だった。
清々しい気持ちで葬儀場を出た。
倉吉地方の方言の義父の語り口が耳元で蘇った。
義父は享年94歳だった。
10年くらい前に他界した父を思い出した。
父は93歳だった。
長生きの部類だと思う。
そしてもし自分がそこまで元気でいられるとしても、もう後20年くらいしかないことを考えた。
どこで暮らしていても、どんな人でも、最後は皆がこの星の土に帰っていくのだ。
その日を迎えるまでは、僕は僕らしく生きていきたいとしみじみと思った。
(2025年6月15日)

妄想

自分の部屋の前を朝顔のカーテンで日よけをしたいと思った。
義弟に相談したら、息子も呼び寄せて立派な棚を作ってくれた。
僕はその下にプランターを準備して朝顔の種を蒔いた。
子供の頃、夏になると家の前の竹垣には朝顔の花が咲いていた。
その種を蒔くのは僕の仕事だった。
だから朝顔には自信があった。
コップの水に一晩浸しておいた種をプランターに蒔いた。
一粒ずつ丁寧に蒔いた。
数日後、予定通りに芽を出してくれて喜んでいた。
そしてまた数日して、何本かの芽が出そろったのを確認していた。
4日間ほどの出張から帰ってきて、何より先にその朝顔を触った。
愕然とした。
茎だけが残っていて、葉っぱはほとんど全滅だった。
何が起こったのか分からなかった。
どうやら虫に食べられてしまったらしかった。
朝顔の葉っぱを食べる虫がいるらしいことを姪っ子が調べてくれた。
しばらく気持ちが落ち込んでいたが、棚を触って決心した。
このままでは棚が淋しそうだ。
僕は再度挑戦することにした。
リベンジだ。
今回はまず虫よけの薬をプランターの土の上においた。
それから数日してから種を蒔いた。
これまでと同じように一晩水に浸しておいた種だ。
気温が高くなっていたせいか、前回よりも早く発芽した。
それから毎日触っている。
現時点ではすくすく育っている。
やっと本葉も出だした。
ここまできたら大丈夫だと思う。
夏の日の朝、僕の部屋の前にはたくさんの色とりどりの朝顔の花が咲いている。
想像しただけでうれしくなる。
空想を超えて妄想かもしれない。
こんな時の僕は子供みたいだと自分で思う。
でもこの単純さは夢を見るには適しているのかもしれない。
くじけてもくじけても夢を見る。
短所は長所にもなるのだ。
朝顔、楽しみだ。
(2025年6月9日)

エレベーター

駅のホームを白杖を使ってソロリソロリと歩いている僕の姿、きっと不安がにじみ出
ているのだろう。
本当は背筋を伸ばしてさっそうと歩きたいとは思っている。
でもやっぱり怖さには勝てない。
足元の点字ブロックを白杖の先でさぐりながらソロリソロリと歩いてしまうのだ。
そんな僕に気づいた人が時々声をかけてくださる。
「お手伝いしましょうか?」
「改札までご一緒しましょうか?」
うれしい声だ。
遠慮せずに好意に甘える。
ただ僕をエレベーターに案内しようとされる人が多い。
「階段をお願いします。」
僕は階段の方がいいのだ。
それなりの理由がある。
日常、単独の時はいつも階段を使っているので、階段につながる地図を憶えている。
階段は小鳥の声の音声が流れているので自分で見つけられる。
エレベーターは基本的に音声案内はない。
探すのも大変なのでエレベーターにつながる点字ブロックは分かっていない。
エレベーターを降りてから改札口に向かうルートもあまり自信がない。
単独の時、何故エレベーターを選ばないのか、他にも理由がある。
エレベーターに乗る時、僕だけなのか、他にも利用者がおられるのかは分からない。
車いすの方、ベビーカーの方、最近はキャリーケースの旅行客も多い。
それにぶつかったりして迷惑をかけたくない。
知らずに順番抜かしをしてしまう危険性もある。
たまたま単独で乗っても、ボタンを探したりしなければいけないこともある。
階段よりはちょっとハードルが高いということになる。
結局単独の場合は階段を利用するということになるのだ。
階段を利用してのプラス面もある。
基本的に運動不足の僕にとっては健康作りのひとつになっている。
自分の体調を感じるバロメーターにもなっている。
朝の出勤時、調子がもうひとつの時は平衡感覚がもうひとつなのが分かる。
そんな日はスピードを落とすとか耳を澄まして動くことを心がけている。
見えないで歩くということ、やっぱり大変なことなのだ。
慣れてはいるが、慣れ過ぎたらそこに危険が横たわっているのは分かっている。
そう考えると駅のホームなどでの声は本当に助かるのだ。
声をかけてもらえるのは20回に1回くらいかな。
この回数をもっとよくすること、僕の活動の目標のひとつかもしれない。
声をかけてくださった人に心をこめて「ありがとうカード」を渡している。
(2025年6月4日)

糠漬け

一人の声はなかなか届かない。
皆で声を出せばそれは一定の力となる。
だから障害者も団体で活動することが多くなるのだろう。
僕が入会している大津市視覚障害者協会もそのひとつだ。
会員は100人程度だ。
大津市在住の視覚障害者は1,000人程度らしいので1割程度の人が入会しているとい
うことになる。
僕が長年関わった京都府視覚障害者協会の会員は1,000人程度だった。
京都府在住の視覚障害者数は10,000人程度だったから組織率は同じくらいということ
になる。
時々、そんなに少ないのと問われることがあるが、障害者団体の組織率としては高い
方だと思う。
大津市視覚障害者協会は滋賀県視覚障害者福祉協会に所属している。
滋賀県視覚障害者福祉協会は日本視覚障害者団体連合に加盟し、日本全体の視覚障害
者の声となっていくのだ。
団体に入会すれば、楽しい行事などもある反面、会議や社会への活動も多くなる。
会費も時間も必要だ。
僕達も当然人格を持った一人の人間だ。
思想、信条、宗教、政治的なイデオロギー、それぞれだ。
時には激論もあるし考えがぶつかることもある。
それでもそこで進むべき方向を確認していく。
一番分かりやすい答え、それは未来の後輩たちの笑顔につながるかどうかということ
だろう。
大津市に引っ越してきて4年目となった。
例年通りに、大津市視覚障害者協会の総会の案内が届いた。
僕もスケジュール調整がうまくいったので参加した。
ちょっとだけ慣れてきた感じだ。
昼食のお弁当の時、ぬか漬けの上手な会員さんからお裾分けを頂いた。
確かにおいしかった。
帰り際にその会員さんに声をかけた。
「糠漬け、おいしかったです。また来年も楽しみにしています。」
僕は日常のレクリェーションなどにはなかなか参加できない。
彼女とお会いできるのはこの総会の日だけだろう。
つながっているのは視覚に障害があるということだけだ。
細い細い糸、そして強い強い糸。
それはお互いの人生に思いを寄せ、未来を見つめる見えない見えにくい人達の糸だ。
大切にしたい。
来年もまた糠漬けに会えますように。
(2025年5月31日)

クッキー

この一週間、多くの学生達に出会った。
介護福祉士の専門学校、視能訓練士の専門学校、歯科衛生士の専門学校、それに京都
教育大学と今日の大谷大学だった。
僕はいつも、そしてずっと、視覚障害の正しい理解を社会に伝えたいと思ってきた。
自分自身が失明した時、参加できる社会がとても限られていたからだ。
見える人も見えない人も見えにくい人も、皆が笑顔で参加できる社会が目標だ。
ライフワークと言ってもいいのかもしれない。
勿論、そんな簡単なことではないと分かっているつもりだ。
でもあきらめない。
あきらめるわけにはいかない。
そのための活動のひとつが学生達に出会うということだろう。
学生達はそれぞれの立場でこれからの時代に関わっていく。
未来につながっていくのだ。
「ありがとうございました。話を聞けてよかったです。」
教室を出ていく時の学生達の言葉を聞く度に活動の意味をかみしめる。
どの学校の学生達も同じようなメッセージを僕にくれる。
まだまだ頑張ろうと思う瞬間だ。
ただ、この活動のためにはその機会が必要だ。
僕だけではどうしようもない。
これまで出会った人達、特に教育関係者が力を貸してくださることが多い。
有難いことだと思う。
今日帰り着いてすぐにコーヒータイムにした。
大谷大学の先生がお土産に準備してくださったのは話題のクッキーだった。
モロゾフが限定販売していて、手に入れるのが結構大変というものだ。
デパートの開店に並んで買わなくちゃいけないらしい。
先生はいつも、コーヒー好きの僕に合うスイーツを探してくださる。
あちこちに垣間見えるやさしさがうれしい。
口の中で溶けていくクッキーを味わいながら、先生の言葉が蘇った。
「学生達に松永さんと会って欲しいと思っていたの。」
僕と先生がつながったのは、同じ未来を見つめる眼差しなのだと思う。
教育は未来につながっていくということを僕達は信じている。
(2025年5月27日)

ランチ

友人達とランチに出かけた。
桂川駅からバスで15分、そこから歩いて10分、京都西山の麓にあるレストランだ。
最初にこのレストランと出会ったのはもう20年くらい前、京都らしさがしっとりと佇
む祇園宮川町だった。
阪急河原町駅から鴨川沿いに歩いて15分、ランチが2千円くらいだったと思う。
今で言うコスパが最高のフレンチの人気店だった。
そのお店が西山に引っ越しされて10年くらいにはなっただろうか。
シェフは食でもてなすという姿勢を極めていかれたのかもしれない。
1日にランチは5組、ディナーは2組、予約客だけということになった。
予約をとるのも難しい時もある。
今回のランチも数か月前に予約をとっていた。
古い農家をリノベーションした店内にはいくつかの部屋がある。
ひとつの部屋に一組の客だ。
その畳の和室にテーブルが置いてあり、落ち着いた空気が迎えてくれる。
見えない僕にはナイフやフォークと一緒にお箸が並ぶ。
前菜だけで3皿、それぞれがメインのような料理だ。
鯛のカルパッチョ、白子のプリンみたいなやつ、フォアグラのソテー、ソースもいろ
いろ説明をしてもらうがいつも記憶できない。
スープは水を一滴も使っていないトマトのスープ、これも絶品だった。
魚料理はスズキ、メインは鹿肉だった。
デザートにもシェフの腕が感じられた。
ここに来れば、料理そのものが芸術だと思う。
歓談しながらの2時間、胃袋と一緒に幸福感が膨らんでいく。
窓からは手入れされた庭に季節の花が見える。
穏やかな時間だ。
見えないはずなのに、見えないことを忘れている。
いや、見えないことはこの空間では問題ないのだろう。
ちらっとそんなことを思って、また幸せが味覚から溶け込んでいく。
店を出て歩きながら、ふと空を眺めた。
平和の中にいるということをしみじみと思った。
今歩いている僕の上に空がある。
この同じ空の下で戦争が行われている。
とにかく早く終わって欲しい。
人間の幸せはきっと平和の中にある。
(2025年5月21日)

全力

僕はいろいろな学校に関わっているが、その内容も関わる時間数も多種多様だ。
それぞれの教育機関の特性に合わせてということだと思う。
大阪の視能訓練士養成の専門学校では毎年3時限の講義と1時限の実習を担当してい
る。
学生達は短大卒業以上の資格が前提で入学し、1年間の専門的な教育を受ける。
座学だけでなく現場実習もあり、そして国家試験に挑むのだ。
1年間の学びの期間には夏休みも正月休みもほぼなく過酷な条件だ。
僕の講義も2時限ずつ2回、土曜日に実施されている。
自分自身の将来、夢に向かっての大きな1年だ。
教室に入ると、真剣な空気が充満している。
80近い視線が僕に集中する。
僕の方も気が引き締まる。
学生達は一年後、医療機関で視能訓練士として働いているのは間違いない。
医療はパーフェクトではない。
治らない病気もある。
どんどん視力が低下している患者さん、視野が狭くなってきている患者さん、きっと
出会うだろう。
失明を感じながら恐怖に怯えている患者さんとコミュニケーションをとらなければい
けない。
そこに求められるのは視覚障害の正しい理解と適切な支援だ。
その先にある笑顔はきっと患者さんに伝わる。
僕の経験や思いが学生達に伝われば、それは結果的に、未来の視覚障害者の力となれ
るかもしれない。
いや、ささやかでもそうなりたいと思っている。
無意識に全力で学生達と向かい合っている自分を感じる。
自分自身だけのためだったらこんなに頑張れないだろう。
人は大切な誰かのためだったら頑張れるということだろう。
(2025年5月18日)