感想文

講演の感想文が届いた。
ボランティアさんや学生に読んでもらった。
「差別はしていなかったけど区別はしていました。」
「困っている視覚障害者と出会ったら声をかけようと決めました。」
「また来てください。」
「知ることの大切さを痛感しました。」
「白杖が似合っていて素敵でした。」
「障害への考え方が変わりました。」
「誰もが笑顔で参加できる社会を目指します。」
「また会いたいです。」
「楽しくてあっという間の講演でした。」
「声をかける勇気をもらいました。」
言葉が身体に吸い込まれていくようだった。
ひとつひとつの言葉が心に沁みこんでいった。
言葉は時々握りこぶしにもナイフにもなる。
誰かを傷つけたり悲しませたりすることもある。
でもこうして、誰かを包んでくれることもある。
木枯らしの街角で入ったカフェの一杯のホットコーヒーのようだ。
少し寒くなっていた心にゆっくりと広がっていった。
うれしかった。
(2017年12月11日)

ナンキンハゼ

「ナンキンハゼの葉もほとんど散りましたね。」
バス停で出会った年配の男性は初冬の風景を僕に話してくださった。
僕は一人で立っている時、空を眺めていることが多い。
気が付くとそっと空を眺めている自分がいる。
無意識でやってしまっているようだ。
空を見たいと思っている僕がいるのかもしれない。
男性はその姿に気づいてくださったのだろう。
青空に映えていた真っ赤な葉はなくなって裸の枝になってきているとのことだった。
僕はなんとなく赤い色を思い出した。
そして少しうれしくなった。
でもナンキンハゼの木は判らなかった。
僕が知っている木はとても少ない。
松、杉、桜、梅、銀杏・・・。
木や花の名前を教えてもらいながら自分の無知が恥ずかしくなる。
見えている頃、もっと憶えておけば良かった。
その度に後悔する。
見えなくなると自覚した頃僕は何をしていたのだろう。
最後の画像と積極的に関わるということはできなかった。
うろたえながら恐れながら画像は遠のいていった。
先日友人から頂いた手紙にはナンキンハゼの枯葉が貼ってあった。
僕はそれを指先でそっと触った。
幾度も触った。
画像に結びつくことはないのだけれど、
晩秋がそっと指先でつぶやいた。
幸せな気持ちになった。
(2017年12月7日)

還暦祝い

祇園花見小路の石畳を南へ歩いて、
幾筋目かを東へ入ったところにその店はあった。
ミシュランで評価を得たというその店はさりげなく佇んでいた。
通された6畳ほどの部屋の床の間には真っ赤な薔薇が一輪生けてあった。
運ばれた料理はそれぞれが絵画のようで味も控えめでありながら存在感があった。
感じる雰囲気には見事に無駄がなく洗練されていた。
彼女達が僕の還暦祝いで選んだお店はまさしく食いしん坊の僕には最高だった。
準備されていたプレゼントも僕が欲しかったものや僕の好きなものばかりだった。
これほどまでに完成されたお祝いを受けたのは初めてかもしれない。
僕のことが研究されていた。
あちこちに愛が散りばめられていた。
素直にうれしいと思った。
幸せを感じた。
それぞれの人生がある時ある場所で偶然僕と交差した。
1億人以上の人間がいるこの国で出会い、その交差が縁でつながるということは奇蹟
なのだろう。
奇蹟は幸せにつながっていく。
奇蹟に感謝したい。
奇蹟を大切に生きていきたい。
静かにそう思った。
(2017年12月3日)

迷子

京都駅から歩いて15分の距離にある高校、
一年に5日間だけ僕の授業がある。
その日は地下鉄京都駅北改札口で高校の関係者と待ち合わせをする。
自宅を出てバス、阪急電車、市営地下鉄と乗り継いで京都駅まで行く。
このルートは慣れているので基本的には問題はない。
基本的というのは日によって時間帯によって、あるいは僕の体調によって微妙に大変
さは変化するということだ。
とにかく単独で行けるし自信もある。
その待ち合わせ場所から高校まではだいたいの方向しか判っていない。
ただ地下道を歩いて一番北の出口から地上に出る100メートルくらいはなんとかなり
そうだと思っていた。
今朝思い切ってトライした。
失敗した。
最後の階段を上って地上に出たらまったく違う場所だった。
自分の居場所を確認しようと階段の手すりを触ったけれども点字表記はなかった。
後戻りしようと試みたがどちらの方向から歩いてきたかも判らなかった。
完全な迷子状態になってしまった。
携帯電話で高校に電話したけれど自分の居場所を説明できずに困ってしまった。
通行人にお願いするしかない状況になったが人通りはまばらだった。
やっと人の気配がしたので声を出したが足音は通り過ぎた。
それが数回続いた。
授業開始の時刻はどんどん迫っていた。
何人目だっただろうか、やっと若い女性が立ち止まってくださった。
視覚障害者とのコミュニケーションはきっと初めてだったのだろう。
僕はゆっくりと説明をしてそれから駅の通路までのサポートをお願いした。
慣れたサポートではなかったけれど、僕にしたら天使みたいなものだった。
僕は心からの御礼を伝えた。
間もなく高校の関係者と合流して授業開始の数分前に学校に到着した。
セーフだった。
午後の大学の講義もいつものように無事終了して帰宅した。
でも夜になっても口惜しさは消えなかった。
たったあれだけの距離で迷ってしまったことが情けなかった。
自分の歩行能力の未熟さを思い知らされたような感じだった。
どうやっても口惜しさから逃れられそうにないので今年中にもう一度挑戦することに
決めた。
そう決めたら決められた自分がうれしくなった。
まだまだ修行しなくっちゃ。
(2017年12月2日)

朝食

京都での暮らしがまた始まった。
栄養補助食品とバナナをかじってモーニングコーヒーを飲みながら、
ふと薩摩川内市のホテルでの朝食を思い出した。
いや朝食を準備してくださる女性を思い出した。
毎年、高校時代の同級生達がマネージメントしてくれて、
薩摩川内市の小学校やイベントなどで講演をしている。
滞在中のサポートも同級生達がやってくれる。
もう10年以上続いている。
出会って話を聞いてもらった人の数は数年前に1万人を超えた。
コツコツと続けてきた結果だ。
薩摩川内市ではいつも同じホテルに宿泊している。
部屋も3階のエレベーターから一番近い302号室だ。
小さな部屋だけど見えない僕には使い勝手がいい。
朝は一人でエレベーターで2階へ降りていく。
一般のお客様はバイキングで食事をされる。
見えない僕にはそれはできない。
入口の小さな会議室が僕のために準備してある。
そしていつも係の女性が用意してくださる。
雰囲気からして僕より年上かもしれない。
視覚障害者とコミュニケーションをとった経験もないだろうし、
小さなシティホテルでは研修もないだろう。
彼女はいつも彼女なりに精一杯のおもてなしをしてくださる。
「これが卵焼き、これがヒジキの煮物、これが納豆・・・。」
小さな声でつぶやくようにおっしゃる。
これという言葉は僕には判らないのだけれど僕は「はい」と答える。
判らないことで困ることはないし、それ以上は要求したくなくなっている僕がいる。
数年前、ヨーグルトとコーヒーが好きと言ってから、
彼女は毎回最後にそれを準備してくださる。
コーヒーは僕が朝食を食べ終わるタイミングで出してくださる。
しかもブラックということも憶えていてくださっているようだ。
忙しい時間帯での対応はきっと大変なのだろうが、
そんな雰囲気を彼女は一切出さない。
今回の三日間も毎朝5種類以上のおかずが僕が食べやすいようにそれぞれ違う食器で
準備されていた。
サラダ、卵焼き、冷ややっこ、サバの塩焼き、ソーセージのソテー、大根の煮物、ハ
ムエッグ、レンコンのきんぴら、納豆、野菜炒め、ヒジキの煮物・・・。
三日間同じおかずはなかった。
僕の一年で一番豪華な朝食に間違いない。
最終日、口数の少ない彼女が珍しく言葉をかけてくださった。
「また来年もお越しください。」
やっぱり小さな小さな声だった。
僕は深々と頭を下げて笑顔でお礼を伝えた。
「ありがとうございました。また来ます。」
真心という言葉が彼女にはよく似合う。
それは誰かをそっと幸せに導く。
僕もそんな人になりたい。
(2017年11月29日)

ふるさと

僕が生まれた時には、まだ白い杖も点字ブロックもガイドヘルパーもなかった。
音響信号も盲導犬も点字案内板もなかった。
人権とか福祉という言葉さえもなかったのだろう。
僕が3歳になった時、日本の視覚障害者は白い杖を持つということになった。
10歳の時、岡山市で点字ブロックが発明された。
17歳の時、ガイドヘルパーのような制度がスタートした。
まだ何もなかった60年前、故郷の鹿児島の視覚障害者の人達は会を結成した。
先輩達が歩き始めたのだった。
先輩達は命がけで歩き始めた。
仲間と手を取り合って歩き始めた。
未来を目指したのだ。
会結成60周年祝賀イベントの記念講演を僕は引き受けた。
身が引き締まるような思いだった。
僕は慣れないネクタイはしたけれど心は普段着で話をした。
しっかりと前を向いて心を込めて話をした。
終了後、仲間の人達が先輩達が何人も握手をしてくださった。
いい講演だったと言ってくださった。
光栄だと感じた。
最後に皆で「ふるさと」を合唱した。
3番を歌い始めた時急に目頭が熱くなった。
僕が生きている間に志を果たすことはできない。
帰ってくることはないのだろう。
でも必ずバトンを次の世代に渡すんだ。
そしていつかきっと、見えない人も見えにくい人も見える人も、
皆が笑顔になれる社会がくる。
きっとくる。
いつしか僕は大きな声で「ふるさと」を歌っていた。
(2017年11月27日)

コンサート・海

久しぶりの鹿児島での休日、
ガールフレンド達は初めての海岸に案内してくれた。
空と海とが同じ色に見える穏かな薄雲りの日だった。
僕達は松林の自然歩道を波の音を聴きながら歩いた。
ガールフレンドは松ぼっくりを拾って僕の手に乗せてくれた。
時々トンビも鳴いてくれた。
1キロほど歩いて岩場の海岸の指定席にたどり着いた。
僕はしばらく一人にしてくれるように頼んだ。
そんなことさえもお願いできるというのは青春時代を同じ空間で過ごしたからだろう。
僕はしばらく海と対面した。
どれくらいの時間だったか判らない。
抜け殻のようになって佇んだ。
そこはコンサートホールのS席だった。
前から右から左から波の音が押し寄せた。
ボリュームもテンポも変化させながら続いた。
幸福感だけが僕を支配した。
僕は海を愛しているんだ。
包まれるってこんなにうれしいことなんだ。
第一楽章、第二楽章・・・。
自然のオーケストラだった。
ここにホットコーヒーさえあればもう何も要らないと思った。
来年もう一度連れて来てもらおう。
小さなテーブルとイスも車に積んでこよう。
次回は第三楽章から第七楽章までは聴きたいな。
その日まで頑張ろう。
頑張れそうな気になった。
(2017年11月26日)

知る機会

「若い頃、困っておられるかもしれない白杖の人に援助の声をかけられなかった自分
を責めたことがあった。」
宇治市内の中学校、校長先生は自分の言葉で生徒に語りかけておられた。
嘘のない言葉が僕の胸にも沁みこんだ。
僕達はきっと未来を見つめて生きてきた。
それなりに一生懸命に生きてきた。
少しのやさしさも寛容さも持ち合わせていたと思う。
でも成し遂げたことよりも至らなかったことが多いことは判っている。
決して責任転嫁するつもりはないが、
そのいくつかは知る機会によるものだったのかもしれない。
その思いがこれからを生きる者達へのメッセージとなっているのだろう。
同世代の校長先生と僕は別れ際にハグをした。
男同士のハグだった。
翌日僕は600キロ南に移動していた。
そしてそこで10代の少女に尋ねられた。
「白杖の人のサポートを正しくできなかったかもしれないのですが・・・。」
少女は涙ぐんでいた。
美しい涙だった。
「そうして声をかけてくれたことが大切なことだと思うよ。ありがとう。」
僕は感謝を伝えた。
少女はきっとこの次にはもっとスマートなお手伝いができるだろう。
それは知る機会に出会ったからだ。
知る機会があるかないかで人生そのものが変化する。
知る機会に恵まれればそれぞれの人生はきっと豊かになる。
少女達が創ってくれる未来が楽しみだ。
(2017年11月22日)

微笑み

代表として挨拶した高校の生徒会長は僕の講演を「松永ワールド」と表現した。
考えたことを素直な言葉で語った。
感じたことを堂々と僕に伝えた。
柔らかだった。
「楽しかったです。」
彼女は瑞々しい言葉で最後を締めくくった。
僕は白杖を左手に持ち替えて、頂いた花束を抱きかかえながら右手を差し出した。
「素晴らしい挨拶だったね。」
500人の全校生徒が見つめるステージの上で、
僕達はお互いを見つめ合いながら握手をした。
そして微笑んだ。
悲しみや苦しみを伝えるのはたやすいことだ。
でもそれだけでは同情や哀れみで終わってしまう。
笑いながら泣きながら心が交わればそれは共感につながっていく。
きっと未来につながっていく。
講演終了後わざわざ校長室まで来てくれた生徒がボールペンをプレゼントしてくれた。
僕のシャツとお揃いの色のボールペンだった。
それは藍色、僕の好きな海の色だった。
彼女はそのボールペンを僕の胸ポケットにさしながら微笑んだ。
やっぱり未来を予感させる微笑みだった。
(2017年11月21日)

秋色

「何という木やろ。真っ赤やなぁ。」
バス停で立ち話しておられたご婦人がつぶやかれた。
「この雨でイチョウも散るなぁ。ほら、道が真っ黄色や。」
バスの乗客の男性同士が会話しておられた。
バスだけではなく電車の中でもそうだった。
あちこちで秋模様を語っておられるのが聞こえてきた。
その度に僕も前を見つめた。
最高潮に達したらしい秋が雨の中に佇んでいた。
ほとんど陽光のない景色は不思議と存在感を引き立たせていたのかもしれない。
墨絵のような色使いの中にそれぞれの色の美しさがあった。
僕は幾度もそれを見つめた。
雨の音の中でそれを見つめた。
赤という色を思い出した。
黄色という色を思い出した。
まだ憶えていることに安堵した。
静かに時が流れていくのを感じた。
秋は気恥ずかしそうに、でも確かに僕にもささやいてくれた。
(2017年11月19日)

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